第6話 転移した先で
重力が消え、そして、がくん、と体が重くなった。
落下する——。
腕を振り回すが、何もつかめなかった。
そして、背中からぼくは、どこかに叩きつけられた。
途端、蒼い色がいっぱいに広がる。
口のなかに、液体が流れ込んでくる。
それで、ぼくは水のなかへ落下したことに気づいた。
腕を広げ、足を動かして、水面へと向かおうとするが、浮き上がれなかった。
下から、誰かに引っ張られているみたいだ。
そして——ぼくは、重いバックパックを背負っていることに、気づいた。
慌てて、肩からバックパックを外す。
バックパックには、ぼくの唯一の武器である斧が入っているのだが、この際、捨てるしかないだろう。
そして、ぼくはようやく、水面まで浮き上がることが出来た。
立ち泳ぎをしながら水を吐き出し、空気を取り入れる。
すぐそばに、岸——というのだろうか、体を引き上げられる場所があった。
自然の岸壁ではなく、堤防のように、視界を横切っている。
ぼくは、そこまで泳いでいった。
堤防の端を掴もうとすると、腕が伸びてきた。
あっという間に、堤防へと引き上げられる。
ずぶ濡れだが、やっと心置きなく、呼吸をすることができる。
ぼくは天井を見上げ、手足を伸ばして、硬い堤防の部分に横たわって、深呼吸をした。
「ジンライ……大丈夫ですか?」
チカに、顔を覗き込まれる。
ぼくと同じく、水のなかに落下したのだろう。
全身が濡れていて、さらに頭に被っていたベールがどこかへと消えてしまっている。
「……何とかね」
呼吸の合間に、ぼくは何とか答えた。
バックパックはなくしてしまったが、エーテル・リンケージは何とか、ポケットに入れていたので、残ってはいた。
けど——こんなものを持っていても、無駄だろう。
塔のなかからでは、外に連絡を取ることもできないのだから。
「昔から、ジンくんは泳ぎが下手だからねー。ちょっと、心配しちゃったよー」
アカネも、やはり全身が濡れてしまっていた。
濡れた衣服が肌に張りつき、ちょっとどきりとさせられてしまう。
三人、別々の場所へと転送されてしまう、ということも考えたのだが、どうやら同じ場所へと移動してきたみたいだ。
「ここは——やっぱり、塔のなかのどこかに転送されてしまった、ということだね」
腰をあげて、ぼくは周囲を見渡してみる。
塔の外へと転送されたのなら、よかったのだけど、天井があるということは、まだ塔のなか、ということなのだろう。
堤防は、幅が十歩ほどで、それがまっすぐに伸びている。
この空間は、かなり広いようだ。
照明はあちこちにあるものの、堤防以外の部分は暗闇と同化してしまっている。
すべてではないが、九曜の塔のなかは、照明が設置されている。
真っ暗なところもあるのだが、基本的に踏破可能な部分は照明があると思っていいだろう。
逆に、照明がない場所は、かなり危険なところ、となる。
堤防も、それ自体が仄かに光っているが、湛えられている水場はかなり深く、照明も届かないので、どこまで水が続いているのか、わからない。
音の響きからして、ちょっとした湖ぐらいはあるのかもしれない。
ここから、脱出するのに、この湖を潜らないとならない、となると相当、面倒なことになるとは思うのだけど、まぁ、何とかなるだろう。
「そうみたいですわね。でも——その前に、体を乾かさないと、ですわ」
チカが目を閉ざすと、呪文を唱えた。
背筋に、ぞわりとしたものを感じる。
『よきものを伴いて、水鏡は真理を写す。水面に写る月の光は、白い輝きを放つ。実になべての諸力は汝が内にありけり。庇護と援護を求め、我は春の息吹を求める……』
魔力をチカが吸収し、それを身体のなかで再構築して、呪文として、送り出しているのだろう。
アリアンフロッドになりきれていないぼくは、まだ呪文についての学習を受けていない。
魔術は、呪符などで引き出されるものではなく、土地などに宿る地脈を借りてそれを組み替え、投射することによって、発揮される。
術者のイメージ力も重要なのだが、呪文はそのイメージを補強するためのもの、らしい。
『……雪解けを促す春風をここに招来せんと願う。生命の息吹をもたらす風をここに吹かせよ』
チカが呪文を唱え終わると、風が生じた。
それが熱風となり、ぼくたちの体を温めた。
髪や着用している衣服を舞いあがらせると、瞬時に乾いていってしまっていた。
濡れているところはもう、どこにもない。
「わー、チカちゃん。すごいねー、ありがとう。ちょっと冷えていたけど、もう気にならないよー」
「ふ、ふん——ジンライが私たちをえっちな目で覗き見していたから、ですわ。それに、そろそろ移動しませんと」
チカに、睨みつけられてしまった。
見ていない——とは言えないので、ぼくは肩をすくめるしかなかった。
それから、ぼくたちは堤防の上を進むことにした。
堤防は一方が光に照らされ、反対側は闇に飲み込まれていたので、当然のことながら、ぼくたちは光のあるほうへと歩いていった。
先頭がアカネで、真ん中がチカ、そして後ろをぼくが守ることになった。
唯一のアリアンフロッドであるチカには、相当な負担がかかることになる。
現在のところでは、天賦を放つことができるのはチカだけ、ということなので、ぼくとアカネが盾にならなければならない、ということだ。
「ねぇ……水ですけど、水位があがってきてないかしら?」
チカが言った。
ぼくは、足元を見下ろしてみた。
そう言えば、堤防はさっきまで乾いていたのに、少し、濡れてきている気がする。
水面はさっきまで静かだったのに、今では波が生じてきている。
「急いだほうがいい」
「う、うん」
堤防が下がってきているのか、水かさが増しているのかはわからないが、ここで溺れ死ぬなんて、ごめんだ。
だんだんと、水は靴底を濡らしていた程度から、足首まで浸かるくらいになってきていた。
やっと、あの死の罠から脱したばかりなのに、もう次のピンチが迫っているだなんて……。
でも、諦めるわけにはいかない。
絶対に、塔から三人とも脱出して、ギンゲツたちを告発しなければならない。
ぼくは歯を食いしばって、先へと急いだ。




