第1話 空
2XXX年、止まらない地球温暖化の煽りを受け、その国の平均気温は上がり続けていた。
年間の平均気温が45℃を超えた年、ついに政府は、地上での暮らしに見切りをつけ、地下への移住に舵を切り始めた。
「政府は、本国全土の地下に、全館空調を整備した地下要塞を建設する計画を擁立いたしました。つきましては、国民の皆様には、"建設準備金"の徴収にご協力いただきたい」
その発表は、世間を震撼させた。
皆まで語られたわけではないが、その"建設準備金"の額に応じて、優先的に地下要塞で暮らす権利が割り当てられているのは、明白だった。
是が非でも地上の熱波から逃れたい富裕層からの多額の寄付を受け、地下要塞建設計画は順調に進んでいった。
そして、ついに完成した。
国家予算数年分の費用を投入して建設された地下要塞は、新たな近未来国家の様相を呈していた。
店、病院、教育機関。
電気、水道、交通網、通信網などのライフライン。
空調はもちろんのこと、あらゆるインフラが整備され、もはや地上に出ずともすべての生活を完結できる。
おまけに天井には、プロジェクションマッピングで時間帯とともに色を変える空まで映し出されていた。
そこはまさしく、灼熱の地上から逃れるべく地下に築かれた、楽園だった。
◇
「……はあ、今日もあっっちいなー……」
毎週月曜日から金曜日だけ、地上から長いエレベーターに乗り、遥々地下へとやってくる汗だくの男がいる。
その男、風間 晴翔は、大学生だった。
国内で最難関、世界でも五本の指に入る超名門国立大学。
当然のごとく地下に移置されたその大学に通うため、晴翔は地上から地下への長時間通学を行っていた。
講義の教室に入ると、既に大勢の学生が着席していたが、皆額に汗一つかいていない。
シャワーを浴びた後かのように大量の汗をかいているのは、 晴翔だけだった。
彼は、その滝のような汗さえなければ女子に騒がれてもおかしくない、整った風貌をしていたが、その周りには女子はおろか男子さえ近づいていなかった。
「……またあいつ、汗だくだよ」
「そりゃ、地上から来ればそうなるよ。早く、地下に移ればいいのに」
「おいバカ、差別的発言はやめとけ。移りたくても、移れない人もいるんだぞ」
周囲にひしめく蔑みや哀れみの声にも、慣れたものだった。
――なんとでも言え。俺は、お前らとは違う。
大判のタオルで全身の汗をぬぐいながら、晴翔は声の主たちに白けた目線を送る。
確かに、彼の家は裕福ではない。大学にも奨学金で入学した。
そもそも、大学に行かせてもらえたのは長男の晴翔だけで、他の兄妹は義務教育を終えると同時に働きに出なければ、一家の生活を維持することができなかったほどだ。
当然、"建設準備金"なんぞを支払う懐の余裕は、風間家にはなかった。
しかし、彼は、地下要塞での優雅な暮らしを渇望しながら地上の地獄に耐える、哀れな青年ではない。――少なくとも、彼自身はそう思っていた。
「ねえ、風間君は、どうして地下に移らないの?」
不意に、可愛らしい声で尋ねられる。
「うわ……無自覚お嬢様の火の玉ストレート、えぐいわぁ」
「……まあ、会長のとこの箱入り娘だからね。しょうがない」
周囲のざわめきをよそに、声の主の女性はきょとんとした表情を浮かべている。
ゆるやかにカールした髪の毛と揃いの真ん丸な栗色の瞳は、残酷なほど、無邪気に輝いていた。
「あ? 誰だお前」
「誰って……氷室 璃子です。一年間も同じゼミにいたのに、私のこと、覚えてないんですか……?」
璃子は心底悲しそうな顔をした。
「ああ、発表は見てるから、名前は知ってる。顔は覚えてなかった。……”地下要塞の持続可能な発展について”だったか、テーマは。今年の発表で、一番くだらねえ内容だったな」
晴翔はフンと鼻を鳴らしながら、目も合わせずに言う。
「なっ……! あの発表は、柳澤教授に”優上”評価をいただいたのよ?! なぜそんなことを……」
「『どうして地下に移らないの』、だったか? 教えてやるよ。俺は、地上が好きなんだ。偽物の空を見て喜んでる、お前ら地下のモグラとは違う。地下要塞の発展なんて、糞食らえだ」
璃子はその言葉に、大きく目を見開く。
「地上が、好き……? 地上には、何があるっていうの? 暑いのが好きってこと?」
”モグラ”と揶揄されたことに憤るよりも、純粋に湧き上がるその疑問をぶつける方が、彼女にとっては重要だった。
心の底から、不思議でしょうがなかった。
――こんなにも素敵な地下要塞より、地上の方が好きな人がいるなんて。
晴翔は、話すだけ時間の無駄だと言わんばかりにイヤホンを装着し、以降の問いかけをシャットアウトした。
◇
講義が終わるや否や、晴翔は素早く教室を出て、颯爽と地上に帰る。
今となっては地上に住む者しか使わないそのエレベーターは、鉄臭く、狭い籠は熱気でむせ返るようだ。
本日の講義は3限で終わったので、時間はまだ昼過ぎである。
夏の平均気温はすでに50℃近くまで上がっており、昼に地上を歩くことは、ほとんど自殺行為とも言えた。
それでも、彼は炎天下を歩いて帰った。
雲一つない青い空に、きらめく太陽。
すっかり寂れた地上は閑散としており、もう蝉さえ鳴いていない。その熱源がジリジリと地面を焦がす音だけが聞こえてくるかのようだった。
時折、思い出したように風が吹き抜け、それが少しだけ彼の身体を冷やしてくれた。
晴翔は、弱弱しく吹き付ける向かい風に手を広げて、それを全身で受け止めながら空を見上げる。
――地上には何もないだって? 太陽が、風が、……空が、あるじゃないか。
「俺は、この空と共に生きる。絶対に地上での暮らしを、取り戻す」
眩しすぎる太陽に顔をしかめながら、拳を天に突き上げ、そう呟いた。
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