学園の日常 ― 知識と食卓
翌日の一限目。
広い講義室の前方には黒板と魔法陣が並び、整然と机が配置されていた。
昨日の模擬戦の余韻を引きずりつつも、学生たちはざわつきながら席に着く。
扉が開き、背の高い青年教師がゆっくりと入ってきた。
淡い金髪を後ろで束ね、長衣の袖から覗く指先にはインクの跡が残っている。
セイジ先生だ。実技だけでなく、座学の担当でもある。
「――静かに」
低く落ち着いた声に、教室はすぐに静まった。
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セイジは黒板に大きく三つの円を描く。
「学園の目的は大きく分けて三つある。
一つ、王国の防衛に資する戦力の育成。
二つ、各地に散らばる才能を正しく導き、暴走を防ぐこと。
三つ――“未来を変える可能性”を探すことだ」
その言葉に、学生たちの目が一斉に輝いた。
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「授業は大きく二つに分かれる。
午前は座学――魔法理論、歴史、戦術論など。
午後は実技――模擬戦や訓練で、体で学ぶ。
両方で成果を出せなければ、退学もあり得る」
「退学」という単語に、教室に一瞬のざわめきが走る。
セイジは構わず続けた。
「さらに――学園は三つの“寮派閥”によって動いている。
『剣の寮』『盾の寮』『知の寮』。
それぞれ方針が異なり、競い合い、時には協力する」
黒板に並んだ三つの円に、それぞれの名が書き込まれていく。
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「いずれ君たちは、自分の寮と共に“代表戦”に挑むことになるだろう。
そこでの評価が、王国や貴族たちに直結する。
――つまり、ここでの勝敗が君たちの未来を左右するのだ」
その言葉は、重く教室に響いた。
学生たちは息を呑み、誰もが真剣な表情で前を見据える。
アキトもまた、心臓が高鳴るのを抑えられなかった。
確率の力を使う自分が、
この厳しい競争にどう挑むのか――まだ答えは出せない。
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鐘の音が鳴り、午前の講義が終わりを告げた。
椅子を引く音や談笑が広がり、
緊張感に包まれていた教室が一気に賑やかになる。
アキトがノートを片付けていると、背後から豪快な声が飛んできた。
「おいアキト! 昨日は派手にやったな!」
振り返ると、逞しい体格の少年――ガルドがにかっと笑っていた。
「正直、俺も肝を冷やしたぜ。でも根性は認める!」
ガルドが差し出した手を、アキトは少し照れながらも握り返した。
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そこにもう一人、細身で眼鏡をかけた少年が歩み寄ってくる。
「確率を読む力、か……。興味深いね。
僕はシオン、知の寮出身だ。よろしく」
彼は人懐っこい笑みを浮かべながらも、
じっとアキトを観察するような視線を向けてくる。
アキトは肩をすくめつつも、「まあ、よろしくな」と応じた。
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さらに後ろの席から、快活そうな少女が声を上げる。
「昨日の戦い、カッコよかったよ!
あたしはメイラ、剣の寮! また一緒に模擬戦やろうね!」
メイラは勢いよく近づき、アキトの肩をばんっと叩く。
その明るさに、場の空気が一気に柔らかくなる。
「……ずいぶん人気者じゃない」
横で見ていたルナがぼそりと呟く。
しかしその声音には、
ほんの少しだけ苛立ちと、どこか安心が混じっていた。
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「しかし驚いたな。
お前、剣も魔法も中途半端にしか使えないって聞いてたけど――」
ガルドが腕を組み、感心したように言う。
「実際はただの無謀野郎だったってオチか?」
「褒めてんのか貶してんのか、どっちだよ」
アキトが呆れた顔で返すと、周囲から小さな笑いが漏れる。
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「でも、セイジ先生が言ってただろ。
“連携”が大事だって。あれは痛いほど分かったわ」
シオンが眼鏡を押し上げながら言葉を挟む。
「個人技だけじゃ、この学園では生き残れない。
……君、確率が読めるんだろう?
理論的に分析すれば、かなり応用が利くはずだ」
「理屈っぽいな。さすが知の寮」
アキトは肩を竦めるが、内心は図星を突かれた気がして口を閉じた。
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「そんな難しいこと言わなくてもいいじゃん!」
メイラが勢いよく机に身を乗り出す。
「とにかく実戦で役立つなら最高! アキト、今度ペア組もうよ!」
「おいおい、俺の相棒はもう決まってんだろ」
ガルドが笑いながら言うと、メイラはむっとした顔をする。
「なにそれ、独占? 友達は多い方がいいに決まってるでしょ」
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「……やけに人気者ね」
ルナが机に肘をつき、じっとアキトを見つめる。
「でも忘れないこと。
学園では“利用価値”があるかどうかで、
周囲の態度なんていくらでも変わるのよ」
その冷ややかな指摘に、一瞬場が静まる。
だが、メイラが
「だからこそ仲良くしておいた方がいいってことだね!」
と明るく笑って場を立て直した。
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「それにしてもさ……」
メイラが頬杖をつきながら、アキトにじっと視線を向ける。
「昨日の模擬戦、どうやってあの魔力弾を避けたの?
普通なら直撃してるでしょ」
「……たまたま目の前に“可能性”が見えただんだよ」
アキトは言葉を濁す。あの≪確率≫の能力を詳しく話すわけにはいかない。
「ふーん……なんか怪しいなぁ」
メイラは疑わしげに目を細めつつも、楽しそうに笑った。
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「まあ、秘密のひとつやふたつ、誰にでもあるだろ」
ガルドがどんと机を叩いて笑う。
「俺だって家じゃ“喧嘩ばっかりの問題児”扱いだったが、
この学園じゃ一目置かれてるんだぜ?」
「自分で言う?」
シオンが冷静にツッコミを入れ、周囲に笑いが広がった。
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「……私は気になるけど」
ルナがぽつりと呟く。
「アキトの力が、単なる“偶然”なのか――それとも“必然”なのか。
そこが問題よ」
彼女の瞳は真剣そのものだった。
軽口を叩いていたメイラやガルドも、一瞬だけ黙り込む。
「まあ、そこはおいおい分かるさ」
アキトは曖昧に笑い、話題を切り替えようとした。
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「じゃあさ、今度の午後の実技でさっそくチーム組もうよ!」
メイラが両手を叩いて提案する。
「誰と組むかで相性も分かるし、何より楽しいじゃん!」
「ふむ……検証にはちょうどいいかもしれない」
シオンが眼鏡をくいっと上げて同意する。
「俺はどっちにしろアキトと組む気だ」
ガルドが当然のように言い放ち、メイラが「独占禁止!」と食ってかかる。
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そのやり取りを見ていたアキトは、苦笑しながら思った。
(……なんだかんだ言って、悪くない奴らばっかりだな)
緊張感のあった講義の後、教室に広がる笑い声は心地よく響いた。
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昼の鐘が鳴り、学生たちは一斉に立ち上がった。
ざわめきと椅子を引く音が混じり合い、教室は一気に人波で溢れる。
アキトもノートを鞄にしまい、ガルドやルナたちと共に廊下へと歩き出した。
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廊下は石造りの高い天井に、
等間隔で吊るされた魔導灯が柔らかい光を放っている。
壁には古代の戦争を描いたタペストリーや、
学園の創設者の肖像画が並び、荘厳な雰囲気を漂わせていた。
窓の外には広大な中庭が広がり、噴水の周りで他の学生たちが談笑している。
鮮やかな制服の群れが行き交い、
剣を背負う者、杖を抱える者、分厚い魔導書を手にする者――
ここがまさしく
「冒険者の卵たちの学び舎」なのだと実感させられる光景だった。
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「やっぱすげぇな……どこを歩いてても“強そう”な奴ばっかりだ」
アキトが小声で呟くと、隣のガルドが豪快に笑った。
「だから面白ぇんだろ!
誰と組むか、誰と張り合うかで未来が変わるんだ!」
「張り合うことしか考えてないのね……」
ルナが呆れ気味に吐き捨てる。だが、その横顔はどこか楽しげでもあった。
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階段を下りると、甘い香りが漂ってきた。
メイラが鼻をひくひくさせて振り返る。
「お、食堂のパンだ! 今日の昼は焼きたてかも!」
「……まったく、食い意地だけは誰にも負けないな」
シオンが苦笑し、メイラが「うるさい!」と抗議する。
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そうして一行は、賑やかに言葉を交わしながら食堂へと向かっていった。
アキトはふと、石畳を踏みしめる自分の足音を意識する。
(……昨日まで賭場にいた俺が、今はこんな場所を歩いてるのか)
胸の奥で、不思議な高揚感と少しの不安が入り混じっていた。
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廊下を進んでいくと、重厚な扉がいくつも並んでいる一角に差し掛かった。
その一つ、巨大なアーチの下に掲げられた銘板には――
【大図書館】と刻まれている。
扉の隙間からは魔力の揺らぎが漏れ、
まるで生き物の息遣いのように感じられた。
中には幾千冊もの魔導書が収められ、
昼なお薄暗い光に浮かぶ無数の書架が迷宮のように広がっているという。
「すごいな……あんな場所で勉強できるのか」
アキトが感嘆すると、シオンが得意げに眼鏡を光らせた。
「学園の知識の中枢だ。
入学したての生徒には制限区画しか開放されていないが、
それでも数万冊に及ぶ。
僕の主戦場は、あそこになるだろうな」
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さらに進むと、開け放たれた窓の向こうに広がる訓練場が目に入った。
広大な砂地の広場に、
何組もの学生が木剣を打ち合わせ、魔法の光を交わしている。
熱気と掛け声がこちらまで届き、見ているだけで胸が高鳴る。
「おい、見ろよ! あいつら、もう火球撃ち合ってやがる!」
ガルドが興奮気味に窓枠に身を乗り出す。
「午後の実技、俺たちもあそこでやるんだろ? 燃えてきたぜ!」
「……燃えるのはいいけど、ああやって大怪我しないでよね」
ルナが小さくため息をつきながらも、視線は訓練場に釘付けだった。
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やがて、廊下の突き当たりから食堂の香ばしい匂いが一層強く漂ってきた。
メイラが両手を振り上げる。
「よーし! お待ちかねの昼食ターイム!」
「はしゃぎすぎだろ……」
アキトは苦笑しつつも、腹の虫が静かに鳴いた。
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大きな両開きの扉をくぐると、そこはひとつの大広間だった。
高い天井から吊るされた魔導灯が白々と光を投げかけ、
まるで昼間のように明るい。
奥には巨大なステンドグラスがはめ込まれ、
太陽の光が差し込むたびに七色の模様が床に映し出される。
何十本もの長机がずらりと並び、
すでに大勢の学生たちで埋め尽くされていた。
談笑する声、笑い声、食器の音――まるで戦場のような熱気が渦巻く。
剣を背負ったまま豪快に肉をかぶりつく者もいれば、
魔導書を開きながら静かにスープを口に運ぶ者もいる。
学園の多様さが、そのまま食堂の光景に凝縮されていた。
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入口付近には大きな掲示板があり、本日の献立が魔導文字で記されている。
魔導灯の光を浴びて、文字がゆっくりと書き換わり続ける。
――【本日のおすすめ】
・香草チキンのロースト
・焼きたて黒パン
・茸と野菜のシチュー
・季節の果実ジュース
「わぁ……美味しそう!」
メイラが瞳を輝かせ、思わず両手を合わせる。
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料理の受け取りは少し独特だ。
カウンターの前に立つと、水晶盤に手をかざし、希望の料理名を唱える。
すると厨房奥の転送魔法陣が光り、皿に盛られた料理が瞬時に出現するのだ。
「便利だけど……魔法に頼りすぎじゃないか?」
アキトが思わず口を尖らせる。
「これも学園の教育の一環だよ」
シオンが冷静に説明する。
「食堂の魔導陣は学生の魔力量を微弱に消費する仕組みだ。
要するに――『食べる=鍛える』ってことさ」
「食べながら修行か……合理的だけど、なんか落ち着かねぇな」
ガルドが苦笑しながら黒パンを受け取った。
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長机の一角に席を確保すると、すぐに食欲をそそる香りに包まれる。
香草の効いたチキンは香ばしく、シチューは湯気を立てている。
周囲からも歓声が上がり、食堂はまるで祝宴の場のようだった。
「よし! いただきまーす!」
メイラが勢いよくパンをかじりつき、
ガルドが「俺の肉に手ぇ出すなよ!」と釘を刺す。
そのやり取りに、アキトはふと笑みを零した。