無謀と救い ― 協力の兆し
鐘の音が鳴り響き、学生たちは訓練場へと集められた。
広大な石畳の演習場、周囲には魔力を遮断する結界が張られ、
観覧席には教師や上級生の姿も見える。
「――さて」
セイジ先生が中央に立ち、杖を軽く突いた。
その瞬間、空間がざわりと揺らぎ、地面から光の紋章が浮かび上がる。
「午前は座学だったが、午後は実戦だ。
お前たちには“模擬戦”をしてもらう」
ざわめく学生たち。
セイジは静かに続けた。
「二人一組で組め。敵は幻影獣だ。
協力しなければ突破はできん」
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アキトの視界に、確率の数字が浮かんだ。
≪ガルドと組む確率:52%≫
≪ルナと組む確率:41%≫
≪その他:7%≫
「……来るか?」
と横目でガルドを見た瞬間。
「あなた、私と組みなさい」
ルナが先に声をかけてきた。
「ちょ、ルナ!? アキトは俺と……!」
「悪いな、ガルド。確率がそう言ってる」
アキトは苦笑し、ルナの隣に立った。
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結界の内側に現れたのは、漆黒の狼型の幻影獣。
赤い目を光らせ、牙をむき出しにして唸り声を上げる。
≪初撃でこちらが負傷する確率:63%≫
≪回避に成功する確率:36%≫
アキトは舌打ちする。
(……ルナがどう動くかに賭けるしかねぇな)
「行くわよ、ギャンブラー君」
ルナが詠唱を始め、魔力が渦巻く。
同時に、アキトは確率の中から一筋の“勝ち目”を見つけ、足を踏み出した。
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狼型の幻影獣が低く唸り、地を蹴った。
黒い影が矢のように迫り、風圧で砂塵が舞い上がる。
≪回避成功の確率:36%≫
≪致命傷は免れる確率:82%≫
「っ……!」
アキトは即座に身をひねり、ギリギリで爪を避けた。
だが、肩口に裂傷が走り、熱い血が飛び散る。
「アキト!」
ルナの声が飛ぶが、その詠唱は一瞬途切れてしまった。
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「くそっ……今のは、ルナの牽制がもう少し早ければ……!」
「……言い訳しないで。私の魔力制御を読めなかったあなたのミスよ」
冷たい言葉。だが、アキトにはその裏にわずかな動揺が見えた。
≪このまま押し切られる確率:71%≫
≪逆転できる確率:24%≫
「高ぇな……やっぱり五分五分以下か」
アキトは血を拭いながら、薄く笑った。
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狼は再び跳びかかる。
ルナは咄嗟に結界を張るが、獣の一撃で大きくひびが走った。
「まずい……持たない!」
「じゃあ、俺が賭ける番だ」
アキトは一歩前に出る。
視界に浮かぶ確率が乱れ、幾筋もの未来が交錯する。
≪致命的な反撃を受ける確率:59%≫
≪生き延びる確率:40%≫
≪勝機に繋がる確率:1%≫
「……その1%に、全部賭ける」
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アキトは大きく踏み込み、裂傷の痛みを押し殺して拳を振るった。
≪勝機に繋がる確率:1%≫を選んだその一瞬。
――だが。
「っ……外した!?」
拳はわずかに空を切り、狼の頑丈な肩を掠めただけ。
次の瞬間、黒い爪がアキトの腹を深々と裂いた。
「ぐ……はっ!」
血が飛び散り、膝が崩れる。
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「アキト!!」
ルナの結界が砕け散る音が響いた。
狼が追撃に動き、牙がアキトの首筋に迫る。
≪致命傷を受ける確率:94%≫
≪生還の確率:6%≫
アキトの視界が赤く染まり、数字が崩壊するように揺らめいた。
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「……誰が、ここで死なせるもんですかッ!!」
ルナの叫びと共に、空気が爆ぜた。
彼女の周囲に幾重もの魔法陣が展開し、緋色の光が矢となって奔る。
「《炎槍》ッ!!」
轟音と共に、狼の体が大きく吹き飛ばされた。
石畳に叩きつけられた獣はのたうち、形を保てず光の霧へと還っていく。
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「……っはぁ、はぁ……」
ルナは肩で息をしながら、アキトの体を支えた。
「アンタ……無茶しすぎよ。
確率がどうだか知らないけど……命は一つしかないの」
アキトは血に濡れた口元を歪め、かすかに笑った。
「……わかってるさ……でも、助かった。ありがとよ……」
ルナは視線を逸らし、少しだけ頬を赤らめた。
「勘違いしないで。これは……協力関係の実地試験みたいなものよ」
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結界が解け、静寂が訪れる。
観覧席からどよめきと拍手が広がった。
だがセイジ先生は腕を組んだまま、厳しい眼差しを向けていた。
「――なるほどな」
アキトとルナの前に歩み寄り、鋭い声を放つ。
「結果は勝利。だが、内容は最悪だ」
アキトは苦笑しつつ、血に濡れた腹を押さえた。
「すみません、先生……」
「すまないで済むか。お前の判断は reckless(無謀)だ。
確率で未来を見られる?
結構。だが外れた時の備えを欠いたら意味がない」
静まり返る訓練場。学生たちが息を呑んで聞き入る。
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セイジ先生はルナに視線を移した。
「ルナ・ヴァルグレイス。お前の最後の判断は的確だった。
だが仲間を守るための結界が遅れたのは減点対象だ。
……要は、二人とも“連携”を軽んじていたということだ」
ルナは悔しげに唇を噛み、アキトは黙って拳を握りしめた。
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「模擬戦の目的は勝敗じゃない。
仲間と呼吸を合わせ、互いの弱点を補い合えるかどうかだ。
お前たちは最後にそれを示した――だが偶然に過ぎん」
セイジ先生は溜息を吐き、口元をわずかに緩めた。
「……だが、可能性は見えた。
次は“協力”を前提にして戦え。
それができなければ――学園で生き残ることはできん」
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場に緊張が走り、模擬戦はそこで打ち切られた。
アキトとルナの視線が一瞬交差する。
互いに言葉は交わさなかったが、
その沈黙は不思議と確かな“約束”のように思えた。
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模擬戦が終わるや否や、観覧席にいたクラスメイトたちが駆け寄ってきた。
「おいおい、アキト。いきなり血まみれになるとか、派手すぎだろ!」
ガルドが呆れ顔で笑い、どんと背中を叩く。
「でも、最後はちゃんと勝ったんだし、すごかったよ!」
ミナが駆け寄り、心配そうに傷口を覗き込む。
「……無茶しすぎなのよ、ほんと」
リオンは呆れと同時に、わずかな尊敬の色を混ぜていた。
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一方で、少し離れたところでは別の声が上がる。
「ははっ、あれで勝ったって言えるのか? ほとんどルナのおかげだろ」
「確率? 笑わせるな。賭けに負けた無謀野郎ってだけじゃないか」
冷笑交じりの囁きが広がる。
アキトの耳にも届いたが、彼は苦笑で受け流すしかなかった。
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その横で、ルナがすっと一歩前に出た。
「……言いたいことはそれだけ?」
彼女の冷たい視線に、陰口を叩いていた生徒たちはたじろぎ、すぐに口を閉ざした。
「協力がなければ勝てなかったのは事実よ。
でも、あの場で前に出られる度胸があったのは――彼だけ」
短くそう告げると、ルナは踵を返して歩き出した。
残されたアキトは一瞬言葉を失い、思わず自分の胸に手を当てる。
――不思議な熱が、心の奥に残っていた。
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夕暮れ。
模擬戦を終えた学生たちのざわめきが遠のき、
寮の廊下には静けさが戻っていた。
アキトは自室の椅子に腰を下ろし、裂けた制服を乱暴に脱ぎ捨てる。
腹の傷は深く、まだ鈍い痛みが走っていた。
「……無茶にも程があるわね」
扉がノックされるより先に、ルナが入ってきた。
手には包帯と薬草の小瓶を抱えている。
「おい、勝手に入るなよ」
「黙って。今は治療が先でしょう?」
言葉よりも先に、ルナの手が冷たく傷口に触れた。
思わずアキトは肩を跳ねさせる。
「ちょ、ちょっと待て、痛っ……!」
「我慢しなさい。動いたら余計に痛むわよ」
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薬草をすり潰した匂いが漂い、じんわりと熱が和らいでいく。
ルナは器用に包帯を巻きながら、ふっと小さく息をついた。
「……確率を見て動けるのは確かに強みよ。でも、それに縋るのは危険」
「わかってるさ。でも――俺には、それしか武器がない」
ルナは少しだけ目を細め、包帯の端をきゅっと結んだ。
「武器は磨けばいい。……それに、あなたにはもう一つあるわ」
「もう一つ?」
「――無茶でも前に出る、その度胸。
……協力するなら、私が補ってあげる」
彼女の瞳は真剣そのものだった。
アキトは思わず息を呑み、しばらく言葉が出なかった。
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「……ありがとな」
やっと絞り出した声は、妙にかすれていた。
ルナは視線を逸らし、わずかに頬を染めて立ち上がる。
「礼なんて要らないわ。これは――協力関係の確認よ」
扉に手をかけたルナは、振り返らずに一言だけ残した。
「次は……失敗しないことね」
カチリと扉が閉まり、静寂が戻る。
アキトは包帯を見下ろしながら、小さく息を吐いた。
――奇妙な温かさが胸に残っていた。
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翌朝の中庭。
石畳の上に陽光が降り注ぐなか、学生たちのざわめきがアキトの耳に届いた。
「昨日の模擬戦、見たか?」
「見た見た! 新入りの転入生、血まみれで突っ込んでったんだろ」
「でも最後に勝ったのは事実だし……あれは度胸あるよな」
噂はすでに学年を越えて広がりつつあった。
中には面白半分に笑う者もいれば、真剣な顔で囁き合う者もいる。
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「おい、賭けてたやつら大損じゃねえか?
“即退学コース”って予想だったのに」
「むしろ株が上がったんじゃない? ルナ様に庇われるなんて」
――ルナ様。
学園内でも既に特別な存在として扱われている彼女と、
名前を並べられるのは妙な注目を浴びる。
「付き合ってるんじゃないかって噂もあるぞ」
「まさか! あのルナが……」
笑い声が広がり、アキトは肩をすくめるしかなかった。
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その背後から、ガルドがニヤニヤ顔で近づいてきた。
「おいアキト、人気者じゃねえか。まるで一夜にして有名人だな」
「……ありがたい話じゃねえけどな」
「でもよ、悪い噂ばかりじゃねえぜ。
昨日のお前の無茶を“根性がある”って言ってる連中も多い」
ガルドは肩を叩き、声を低めて囁いた。
「それに――ルナが庇ったってのがデカい。
あの女、誰にでもそんなことしねぇだろ」
アキトは返事に詰まり、視線を逸らすしかなかった。
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そのとき。
「……浮かれている暇はなさそうね」
背後から冷ややかな声が響いた。
振り向けば、ルナが腕を組んで立っていた。
「噂がどう広がろうと、実力が伴わなければ意味はないわ。
次は――見せてちょうだい」
彼女の言葉に一瞬、周囲が静まり返る。
アキトは小さく息をつき、苦笑しながら頷いた。