転生、そして学園へ
夜の街に、雨が降っていた。
ネオンの光が濡れた路地に滲み、赤や青の反射がアスファルトに揺れている。
アキトは煙草を咥え、ポケットに両手を突っ込んで歩いていた。
空の財布がズボンの中で軽く揺れる。
「………イカサマで人生が詰むとはな…」
アキトの吐き出した煙は、雨に濡れてすぐに掻き消えた。
乾いた笑いが喉を震わせるが、胸の奥に残るのは虚しさだけだった。
勝ち続けてきた。
運を掴み、勝負勘で道を切り開き、何度もテーブルを制してきた。
だが最後に待っていたのは「ズル」による敗北。
ポケットに残るものは何もなく、彼を待つ未来もどこにもなかった。
交差点に差しかかる。
雨を弾くアスファルトの上、赤信号が滲んで見える。
その向こうから、轟音が迫った。
トラックのライトが白く光り、視界を焼き尽くす。
「………え?」
アキトの口から漏れた小さな声を掻き消すように、視界は真っ白に染まった。
轟音とともに迫る鉄の巨体。
だがその瞬間、世界が一瞬だけ止まった。
雨粒は宙で凍りつき、車輪の回転も止まって見える。
そしてアキトの目の前に、突如として数字が浮かび上がった。
≪助かる確率:0.01%≫
突拍子もない、だがあまりにも明確な数字。
まるで運命そのものを数値化したかのように。
「……何……これ…」
声にならない声が漏れる。
理解できない。
だが目の前にある数字は、あまりにもはっきりと刻まれている。
≪助かる確率:0.01%≫
まるで残酷な宣告のように。
次の瞬間、世界は動き出した。
轟音、閃光、衝撃。
視界が弾け、意識は闇に呑まれていく。
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……鼻を刺す土の匂いで、アキトは目を覚ました。
仰向けのまま草に倒れており、頭上には雲一つない蒼穹が広がっている。
あまりにも鮮明で、夢や幻覚とは思えなかった。
ゆっくりと身体を起こす。
周囲は見知らぬ大地。
遠くには巨大な城壁都市がそびえ、尖塔に旗が翻っている。
そしてまた、視界に数字が浮かんだ。
≪転倒する確率:78%≫
「…またかよ」
吐き捨てるような声と同時に、足元の石につまずいた。
体がぐらりと傾く。
慌てて地面を踏みしめ、どうにか転倒を回避した。
胸に残るのは、妙な確信。
≪確率≫で見えた未来が、現実になった。
これは幻覚じゃない。
異常な現実が、目の前に広がっている。
「………まさか、異世界転生した…とか?」
口にした言葉は、冗談のようでいて、状況を一番的確に表していた。
ネオンも、トラックも、街の喧騒もない。
あるのは中世を思わせる城壁と、剣を携えた兵士らしき人影。
そして何より、自分の目に浮かぶ≪確率≫の数値。
アキトは額に手を当て、深く息を吐いた。
笑うしかない。
「………まじかよ、俺の人生どうなってんだよ…」
思わず漏らした言葉が、風にさらわれて消えていく。
胸の奥で、現実感と虚無感がせめぎ合う。
だが立ち止まっている暇はない。
とにかく状況を確かめなければならない。
アキトは重い足を引きずるように、城壁都市の方へ歩き出した。
そのたびに、視界には細かい数値が浮かんでは消える。
≪足を滑らせる確率:12%≫
≪鳥に糞を落とされる確率:8%≫
どれも些細なものばかり。
だが無視できないほど現実と一致していた。
「さっきからこの数値は何なんだ…確率?が見えているのか?」
自分の口から出た言葉が、皮肉にも一番の答えだった。
視界に浮かぶ数値は、未来を示す予告のようなもの。
しかもそれは、
前世で生きてきた「勝負の世界」と切っても切れない概念――確率。
ギャンブルで幾度も計算し、体感してきた数字たち。
今、その全てが可視化されている。
アキトは乾いた笑いを漏らした。
「………はっ、んなわけねーか。確率が見えていたら苦労はしねーよな」
口にした途端、皮肉が虚空に溶けていった。
だが現実は、否応なく彼の視界に数字を突きつけてくる。
≪このまま歩けば転倒する確率:23%≫
直後、道端の石につまずきかけ、慌ててバランスを取り直す。
確率は現実を先取りしていた。
アキトは眉間に皺を寄せ、空を仰いだ。
「ぐ、偶然……だよな」
自分に言い聞かせるような声が、どこか頼りなく響いた。
だが次の瞬間、視界にまた数字が浮かぶ。
≪頭上の鳥が糞を落とす確率:11%≫
慌てて足を止め、顔を上げる。
羽音を立てて通り過ぎる鳥の影。
ほんの数十センチ隣の地面に、白い染みが落ちた。
アキトの背筋に冷たいものが走る。
「………マジ?」
呟きは自分でも信じられないほど掠れていた。
偶然ではない。
ここまで重なれば、否応なく理解せざるを得ない。
≪確率≫が、本当に見えている。
それは救いか、それとも呪いか。
アキトは思わず、こめかみを押さえた。
勝負の世界で一度でも欲したことがある力。
だが同時に――自分の生を狂わせる代物でもある。
「………異世界でもギャンブルするのか?
でも逆を考えれば少し先の未来が見えるってことなのか?」
言葉にした瞬間、胸の奥に妙な熱が宿った。
確率が見えるということは、未来を先取りするということ。
勝負の世界で培った勘と経験が、この力を武器に変える。
アキトの瞳に、一瞬だけ光が宿った。
だが同時に、足音が耳に届いた。
振り返れば、城壁都市からこちらに向かってくる人影がある。
甲冑に身を包んだ兵士だ。
彼らの視線は鋭く、完全にこちらを怪しんでいる。
数値がまた浮かんだ。
≪このまま職務質問される確率:92%≫
「……ほぼ確じゃねぇか」
兵士たちは槍を構えて近づいてきた。
雨上がりの光を反射する刃先が、じわりとアキトの胸元に突きつけられる。
「貴様、見慣れない服装をしているな。何者だ!」
鋭い声が突き刺さり、アキトの全身に視線が集まった。
確かにこの世界では場違いな、くたびれたジャケット姿。
どこからどう見ても怪しい旅人にしか映らない。
視界に数字が浮かぶ。
≪ここで拘束される確率:76%≫
≪言い逃れる確率:14%≫
≪逃走成功の確率:6%≫
アキトは息を呑む。
この状況は完全に詰みだ。
(………ここは下手に動かないほうがいいか)
喉まで出かかった言葉を飲み込み、アキトは両手をゆっくりと持ち上げた。
下手に動けば確率は最悪の方向に転ぶ――それは数字が示している。
兵士たちは警戒を解かず、じりじりと間合いを詰めてくる。
槍の切っ先がさらに近づき、アキトの胸元に冷たい感触を押し付けた。
≪このままでは連行される確率:82%≫
兵士がさらに槍を押し付けようとしたその時――。
横合いから、軽い声が割り込んだ。
どうやら街へ入ろうとしていた通行人らしい。
派手な帽子をかぶった行商風の男が、興味深そうにこちらを眺めている。
兵士たちは一瞬だけ視線をそちらに向けた。
「おや、兵士さん。何事ですかな?」
男ののんびりした声に、兵士たちは一瞬だけ緊張を緩めた。
だが槍先はまだアキトの胸元を外さない。
通行人は口元に笑みを浮かべ、怪訝そうに首を傾げた。
周囲に集まりかけていた人々の視線も、じわじわとこちらへ向けられていく。
≪このまま騒ぎになる確率:64%≫
≪商人が仲裁してくれる確率:21%≫
数字は決して楽観的ではなかった。
だが完全に悪い方向に転がっているわけでもない。
「見世物ではない。さっさと行け!」
兵士の一喝に、通行人の男は肩をすくめて下がった。
だが人垣は完全には散らず、好奇の視線が突き刺さる。
槍先は相変わらずアキトの胸を狙っている。
数値が視界に踊る。
≪このまま連行される確率:88%≫
≪外部の助けが入る確率:7%≫
状況はじわじわと悪化していた。
(やばいな、どうすればいい…?)
思考を巡らせながらも、槍先はじわじわと押し込まれる。
兵士の目は疑念に満ちており、今にも拘束の合図を出しそうだった。
≪このまま抵抗せず捕まる確率:91%≫
≪逃走を試みて成功する確率:4%≫
打つ手がない。
その現実が数字となって突き付けられる。
その時だった。
背後から別の声が響いた。
落ち着き払った、しかしよく通る若い声。
「これは………なんの騒ぎだ!」
よく通る声に、兵士たちが一斉に姿勢を正した。
槍の切っ先がわずかに緩み、アキトの胸元から離れる。
人垣の奥から現れたのは、濃紺の外套を羽織った青年だった。
腰には細身の剣、胸元には学園を象徴する紋章のバッジ。
≪兵士たちが従う確率:95%≫
数字が示す通り、兵士たちはその青年に敬礼を向けた。
空気が一変する。
「なんの騒ぎかと聞いている!」
青年の鋭い声に、兵士たちは顔を見合わせた。
先ほどまで強気だった態度は影を潜め、言い訳を探すように口ごもる。
槍先は完全に下ろされ、アキトへの圧迫は消えた。
≪この場で解放される確率:67%≫
≪別の場所で事情聴取される確率:22%≫
状況は好転しつつある。
だがまだ安心できる段階ではなかった。
「じ、実はですね………この少年が見慣れない服装をしていたもので…」
兵士の声は先ほどの威圧とは打って変わって、どこか歯切れが悪い。
青年の鋭い眼光に射抜かれ、言葉尻が小さくなっていく。
視線が自然とアキトに移った。
彼の服装はこの世界では異質すぎる。
怪しまれるのも当然だった。
≪怪しい者として処理される確率:58%≫
≪学園に引き渡される確率:33%≫
数字が示す未来は、まだ安定していない。
「………確かに、この辺りでは見慣れない格好ではあるが…」
青年はアキトを頭からつま先まで眺め、表情を変えずに言葉を続けた。
兵士たちは彼の一挙一動に注目し、返答を待っている。
アキトは無言で立ち尽くしながらも、視界に数字が浮かぶのを感じた。
≪青年が自分を保護する確率:41%≫
≪兵士の判断で拘束される確率:47%≫
どちらに転ぶか、五分五分に近い。
まさに賭けの場に立たされているのと同じだった。
「少年!君はどこから来たのだ!」
青年の鋭い声が、広場に響いた。
視線が一斉にアキトに集まる。
兵士たちも、通りすがりの民衆も、答えを待っている。
ここでの一言が、自分の運命を大きく左右する。
視界にまた数字が浮かぶ。
≪正直に話す確率:29%≫
≪適当に誤魔化す確率:54%≫
≪黙秘を貫く確率:17%≫
どの道も危うい。
だが、この世界に来て初めての「大勝負」になるのは間違いなかった。
「あっ………えーっとー………
実はこの向こうの山奥の村から買い出しに来ておりまして…」
アキトの言葉に、兵士たちは眉をひそめた。
嘘か本当か判別できず、互いに視線を交わす。
視界に浮かぶ数字が揺れる。
≪誤魔化しが通用する確率:48%≫
≪矛盾を突かれて失敗する確率:42%≫
紙一重。
声色ひとつで未来が変わる、そんな危うい状況だった。
青年はしばらくアキトを見据えていたが、やがて静かに口を開いた。
「山奥の村………シキネ村からか?」
思いがけない具体的な地名。
アキトの胸が一瞬ひやりとした。
知らない地名を出されれば、すぐに嘘は露見する。
視界に浮かぶ数字が、無情に未来を示す。
≪ここで嘘が露見する確率:63%≫
≪ごまかしを貫き通せる確率:27%≫
心臓が高鳴る。
次の一言が、命運を分ける。
「えっ……いやー……シキネ村ではなく、もっと奥の田舎の村でしてぇ」
アキトの声が裏返り、通りの人々から小さな笑いが漏れた。
兵士たちは顔をしかめたが、青年はすぐには言葉を返さなかった。
視界に浮かぶ数字がじわりと変動する。
≪ごまかしが受け入れられる確率:39%≫
≪怪しいと判断され拘束される確率:51%≫
ほとんど五分五分――いや、むしろ悪い方向に傾いている。
青年は片眉を上げ、静かに兵士へと視線を流した。
「………まぁ、見慣れない服装というだけで拘束するのもな…」
青年の一言に、兵士たちは互いに顔を見合わせた。
先ほどまでの威圧は影を潜め、困惑の色が浮かぶ。
視界に数字が揺れる。
≪この場で解放される確率:61%≫
≪やはり拘束される確率:29%≫
アキトは唾を飲み込み、青年の次の言葉を待った。
兵士たちの槍先は、ようやく彼の胸元から退いていく。
「少年、迷惑をかけたな!行っていいぞ」
青年の声に従い、兵士たちは槍を引き、道を開けた。
緊張していた空気がすっと和らぎ、
周囲に集まっていた野次馬たちも散っていく。
視界に数字が浮かぶ。
≪この場を無事に切り抜けた確率:100%≫
アキトは安堵と同時に、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
ほんの一言で運命が変わった。
まさに勝負の世界そのもの。
青年は最後にもう一度アキトを見やり、意味ありげに頷いた。
その瞳には、ただの偶然ではない何かを見抜いたような光が宿っていた。
「危ねぇー………転生していきなり牢獄かと思ったわ…」
人々の視線が離れたのを確認し、アキトは小声でぼやいた。
肩の力が抜け、思わず腰が落ちそうになる。
≪牢獄行き確率:0%≫
≪学園との接触確率:74%≫
数字が新たな未来を示す。
どうやら次に待つのは、この世界の「学園」との縁らしい。
「学園との接触確率…?え?学校行くの、俺?」
アキトはぽかんと空を見上げた。
数字が浮かび上がるのはもう見慣れたが、
今度は「学園」という単語が出てきたのだ。
≪学園での生活開始確率:82%≫
≪再び街で騒動に巻き込まれる確率:11%≫
「……マジかよ」
思わず頭をかきむしる。
元ギャンブラー、無職。
そんな自分が、
異世界でまさかの「学園生活」に放り込まれる
――想像するだけで笑えてくる。
だが数字は、笑い事ではなく現実を告げている。
「まぁ、とりあえず………やれるだけやってみっか!」
アキトは深く息を吸い、吐き出した。
絶望で始まった人生のリセット。
けれど、いま目の前には確率という「武器」がある。
≪成功確率:??%≫
≪失敗確率:??%≫
数字は揺れ、まだ定まらない。
だからこそ、選ぶのは自分だ。
「――やれるだけやってみっか!」
その言葉に呼応するように、数字は一瞬だけ輝き、未来の扉が開く。
異世界学園での物語が、いま幕を上げた。