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新たな出会い

 

 綾香が学校へ向かったあと、僕は綾香の母が用意してくれた朝食を口に運び、街へと足を向けた。


 昔住んでいた「月屋野」という街には、こんなに眩しい太陽はなかった。薄暗く、冷たい空気に包まれ、そこにあったのは夜の月の輝きだけだった。

 子どものころ、古ぼけた本の中で見た真っ赤に燃え上がる太陽の姿は、いつまでも鮮明に心に刻まれていた。いつか、僕は月屋野では見られないあの太陽を、この目で確かめたいと夢見ていた。

 けれど今、目の前にあるそれは、ただの眩しさで、ただの痛みだった。

 僕は――太陽に嫌われているのかもしれない。


 相変わらず、強すぎる陽射しが肌を刺す。僕はつい、太陽を睨み返すように視線を向ける。だが、眩しさと熱さから逃げるように、僕の視界に入ったのは、小さな影だった。


 柔らかな黒が、そっと視界に染み込んできた。


 ーーやっぱり、この色が好きだな



 小さな黒が、こちらへ近づいてくる。

 やがてその輪郭ははっきりし、スーツ姿の中年男性へと変わった。


 男性は、まるで幻でも見ているかのように僕を見つめ、動かない。その瞳には、懐かしさと驚き、そしてどこか切なさを滲ませていた。


 ゆっくり男性の手が伸びてくる。


 僕の手に力が籠るが、伸びてくる手が、汗を滲ませ小刻みに震えているのが見えた。強く握っていた拳が、自然と緩んでいく。


 その手は僕に届くことなく、下ろされた。


「…ごめんね、驚かせちゃったね」



 困ったように眉が下がる。

 小さく息をついた後、彼の口が動いた。


「私は、桜木 孝成(さくらぎ たかなり)。この街の宙ノ丘(そらのおか)で、理事長を務めているんだ」


「えっと……」


 戸惑いながらも、男性の真剣な眼差しに、警戒心がゆっくり溶けていった。


「僕は、秋です」


 目の前から「えっ」と短く驚いく声がする。

 そこには、顎に手をあてて、何かを考え込んでいる姿があった。


 そんな様子に、瞳が揺れる。

 ーー何か、おかしかっただろうか。間違えたのか

 胸がざわつき、喉がきゅっと縮こまる。

 大きな影が、無言で近づいてくる。

 ――叩かれる。


 ーー叩かれる


 ギュッと目を閉じ、これからくるであろう痛みに備えた。


「秋くん……もし良かったら、私の学校に来ないかい?」



「学校、ですか」


 突然の言葉に、思わず息を呑んだ。

 声はかすれていたけれど、胸の奥では確かな何かが動いていた。


 戸惑いは、確かにあった。

 けれど、それを上回る願いが、心の底からせり上がってきた。

 ――変わりたいんだ。僕は。


「はい!学校行ってみたいです」


 強い声に押されたのか、一瞬だけ体が揺れた。しかし、すぐに眉を下げ、優しい表情に戻った。


「そうか……ありがとう、秋くん」


 僕を見つめる優しい瞳は、

 僕を見ているようで、どこか別の誰かを見ているような――そんな瞳だった。


 桜木さんが前を歩き、後ろをついていく。

 その背丈に太陽が隠れ、僕は一瞬、日差しの痛みから解放されたような安堵を覚えた。




 学校に向かう途中、桜木さんは幾つか僕に質問をしてきた。何年生がいいとか、クラスはどこが良いとか、だいたいの学校の説明を聞いた。


「宙ノ丘は、三年制の高校でね。1組が特進、2組と3組が普通科、4組と5組が総合科だよ」


「へえ、そんなふうに分かれてるんですね」


「年齢制限もないから、いろんな生徒がいる。ちょっと珍しい学校かもしれないね」


「何年何組がいいとか希望はあるかな?」


「2年3組がいいです」


 僕は迷わずそう答えた。昔から、選ぶときはいつも真ん中。どっちにも偏らない中立が、一番落ち着く。



 校門に足を踏み入れていく僕の姿を隣にいる桜木さんが優しく見つめている。




 * * *


 桜木は、太陽のような存在が校門をくぐる姿を、ただ黙って見送っていた。


 ――こんなふうに、あの日も背中を見送ることしかできなかった。


「……変わるかもしれないな、あきら。あの子なら……いや、きっと変えてくれる」


 かつて、自分のすべてを救ってくれた友がいた。強く、まっすぐで、時に無鉄砲だったあいつのように。


 (お前は言ったよな。『太陽はこの街にはない。だから息子に“(あきら)”と名付けた』って……)


 あの時、あいつに何もできなかったことが、今も胸を締めつける。

 ただ、黙って見ているしかなかった――引き金が引かれるその瞬間まで。


「俺には……もうあいつの願いを託されたんだ」


 遠い記憶の中に沈んだ言葉が、再び胸の奥で灯る。


 (“あいつがこの街に来たら、よろしく頼むな”……)


 そして桜木は、ほんの少しだけ、希望を重ねる。

 自分の息子のことを思いながら――誰の言葉も受け入れず、孤独の中に立つ、あの子のことを。


 (陽……お前の“光”が、あいつに届いてくれたら――)


 細く息を吐き、ゆっくりと秋のあとに続いて歩き出す。




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