高校生だった私には、教室がこう見えていたらしい。
白い
僕はカーテンを閉めた。陽の光が眩しかった訳ではない。ただ、姿を変えようともしない真っ白な空に嫌気がさしたのだ。一応音を立てないように気をつけたけれど、斜め前の女子にちらりと見られてしまった。別に、閉めたって変わらないだろう。そりゃあ僕だって、昼寝に丁度いい暖かい日差しが出ていれば安易にカーテンを閉めようとはしない。例え眩しくて、黒板が見えなくてもね。だって、周りの目が痛いから。なんで閉めるのって、眩しいからだよ。僕だって寒いけれど、お前らだってこの席に座れば閉めたくなるさ。なんて、言えないからだ。12月になって一気に冷え込んだように思う。秋なんてあったっけ?と言いたくなる程、世間は冬一色だ。(実際、ハロウィンが終わると、ショッピングモールはクリスマス用品を並べ、街を歩けばクリスマスソングが流れている。11月の立場がない。)冬の空は、白い。雪が降っている訳でも、曇っている訳でもないが、白いのだ。「ソ」は青い空、なんていうのは季節限定だって、小学校では教えるのかな。ちなみに僕は習っていない。ゆとり世代だしね。もう一つ言えば、僕は別に空が好きだという訳ではないのだ。ただ、黒板を眺めているよりも、窓の外を眺めている方がマシだったというだけの話。教室なんて。蛍光灯の白い光はいつだって機械的で病気になりそうだし、それに反射するノートには何も書く気になれない。
「なあ、今の問題、お前わかった?」突然、前の席のやつが話しかけて来た。驚きの声も、漏らす暇がない。
「いや、ごめん。聞いてなかったや。」
貼り付けたような愛想笑いに吐き気がした。けれどもこいつは気にせず続ける。「マジかよー、いっつも余裕そうで、いいよなぁ。」そう言って、彼は前を向いた。いつもって、なんだろう。こいつは僕のいつもをなぜ知っているのだろうか。彼は席の近い僕によく話しかける、のだろう。僕は、彼の名前も覚えていない。彼どころか、この教室にいる人全員。顔も名前も覚えていない。僕には、彼らの名前も顔も、真っ白に染まって見える。本当にそう見える訳ではない。ただ、興味がないだけ。クラスメイトの名前も顔も、口々に話している会話にだって興味がない。教室にあるもの全てに興味がなく、白い。(教室なんて、多数の人間がカラスは白いとでも言えば、それが正しくなってしまう場所だ。)それでいて窓の外も白いのだから、嫌気がさすのも無理はないだろう。だから僕はカーテンを閉めたのだ。
そして、なぜカーテンを閉めたのかという話を長々と語っているのにも理由がある。(僕は作家志望でも、詩人でもない。暇だからといって、理由もなしにこんなことしない。)僕は、『ちょっと、なんで閉めたのよ。』とでも言いたげにしている隣の席のものに対して説明していたのだ。隣の席のもの。人ではなく、もの。それは、黒いかたまりだった。
それはボールペンで塗りつぶしたような黒いもの。人の形をしているようにも見える。顔も口もないが、なんとなく、『ちょっと、なんで閉めたのよ。』と言われたように思ったのだ。だって、僕がカーテンを閉めた途端その隣の席の黒いかたまり(以下、黒)がピーピー鳴り出したのだ。電子音というか、ゲーム音のような鳴き声(?)は今もなお続いている。不規則で、まるで言葉のような音。(だからこそ僕は反射的に話しかけられたという感覚に陥った。)今更だが、僕はこの状況に混乱している。マジで、本当に。不思議なことに、黒が見えているのはどうも僕だけらしいのだ。だからこそ悲鳴をあげて逃げ出すわけにも行かなかった。というかこいつ(黒)、ただ隣の席に座っているだけなんだよな。襲ってくるとかそういうのはなくて、まるで一緒に授業を受けているクラスメイトのような。そこまで考えて、僕は一人の女子生徒のことを思い出した。
佐藤里沙、それが僕の本来の隣の席で、クラスメイトで、幼馴染の名前だ。黒が我が物顔で座っているが、(僕の勝手なイメージ)そこは本来空席だ。里沙は高校に入ってすぐ不登校になった。理由は知らない。めんどくさいだったか、やる気が起きないだったか、いじめだったかもしれないが、当時から教室というものに興味がなかった僕は里沙がなぜ学校に来なくなったのかさえ知らないのだ。幼馴染といっても、もう二年近く会ってないし。どんな声だったか、どんな風に笑うやつだったかも思い出せずにいた。いや、思い出そうとさえ思わなかったのだ、こいつ(黒)を見るまでは。黒の鳴き声(ゲーム音のようなもの)を聞いた時、僕はなぜか里沙だと思った。里沙の声は、こんなに甲高くないし、ゲーム音のようなものでもない。なのに、なぜ僕は黒を見て不登校になった幼馴染を思い出したのだろう。真っ白な教室に、異質すぎる黒いかたまり。同調だらけの教室に、少し異質な佐藤里沙。僕は混乱した頭で、無意識にその二つを繋げてしまったのだろうか。またピーと鳴く黒、それはまるで、僕の名前を呼んでいるようで。どうしても、言いたかったことを口にした。
「こんなところ、来なくていいよ。」
蛍光灯の白い光はいつだって機械的で病気になりそうだし、それに反射するノートには何も書く気になれない。こんな白いところ、来なくていいよ、里沙。周りに聞こえないように言うと、黒(里沙)は、またピーピーと寂しそうに鳴く。
ピーピーピー…
キーンコーンカーンコーン…
そうして僕は目を覚ました。どうやら授業中に居眠りをしていたらしい。終業を伝えたチャイムに起こされたのか。隣の席を見たが、相変わらず空席になっていた。そりゃあ、そうだよな。休み時間に入った教室はざわざわと騒がしかった。そして、僕にはやっぱり白く見えた。なぜ、あんな夢を見たのだろう。白く、ただ白い教室。そこに黒いかたまり。佐藤里沙。ただ一人、僕が記憶しているクラスメイトの名前。ああ、そうか。きっと僕は佐藤里沙という人間を白く染めたくなかったんだ。
高校生の時に『白』というお題で書いた短編小説です。
高校演劇の脚本を書いていたからか、何かに影響されたのか、今の自分には書けない文章だなと思います。
退屈な授業中、とある冬の教室。
あの時は当たり前だったシュチュエーションですが、今ではここまで多くの言葉で表せないような気がします。
等身大な高校生が表現した『教室』での不思議な出来事、お楽しみいただけましたでしょうか。