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第7章 『もうひとつの所有』

■第7章 『もうひとつの所有』


 校門前のセンサーが軽く音を鳴らした。ちょうど始業チャイムの10分前。まだ登校途中の生徒も多い中、その姿はまるで異物のように現れた。

 背の高い女性型アウロイドが一人。黒に近いグレーのスーツを身にまとい、精密な所作で歩くその姿は教師にも見えたが、誰も見覚えがなかった。彼女の横には、一人の少年が並んでいた。

「……あれって……」

「まさか、あのニュースの……?」

 ざわめく生徒たちの視線が集まる中、少年はまっすぐ前を見ていた。制服は標準の支給型。髪は黒くやや長く、肌は透き通るほど白い。中性的な顔立ちで、見ようによっては少女にすら見える──だが、ニュースを知っている者は皆、その外見を鵜呑みにできなかった。

 生殖機能を持つ、初の男性型リザレクテッド。その右手には遺伝子ビーコンがはめられている。

 受付端末に登録コードをかざす女性アウロイドが、少年に振り向いて静かに言った。

「行ってらっしゃい。レイン。あなたの観察はここから始まる」

 それだけ告げて、彼女は踵を返し、去っていった。

 校舎の中に一歩足を踏み入れた瞬間、その少年──レインはほんの一瞬だけ立ち止まった。だがすぐに、何事もなかったように歩き始める。表情はまるで仮面のように整っている。息すら音を立てない。

 彼が教室に入ったのは、その10分後。アリアが軽く合図を送り、紹介が始まった。

「本日から我が校に編入するリザレクテッド、レイン君です。必要な情報はすでに皆さんの端末に配信済みです」

 その言葉に、生徒たちの緊張がわずかに走る。リースは席に座ったまま、横目でレインを見た。

「なんか……人間っぽさ、全然ないね」

「それ、君が言う?」

 とルシアンが突っ込む。

 レインはリースたちに視線を向けた。その目に敵意も興味もなかった。ただ静かに──静かすぎるほどに、観察者としての沈黙が漂っていた。

「よろしくお願いします」

 それだけを口にし、レインは教室の一番後ろの席へと向かった。その歩き方すら、どこか人工的な均整があった。その日、誰もが気づいていた。彼の登場によって、この場所の空気が確実に変わり始めていることを。


 放課後のサロン。リースは腕を組み、少し退屈そうに椅子に座っていた。ユノは隣の端末を操作していたが、表示された文字にピクリと眉を動かした。

「……カデル、ツー?」

 声に出したその名に、リースが興味を引かれて身を乗り出す。

「知り合い? レインの所有者だよね?」

 ユノは小さくため息をつき、手を止めた。

「ツーじゃない。私が知ってるのは、カデル“ワン”。以前、研究所の倫理案件で何度か顔を合わせたことがある。見た目は男性型。静かで、理知的で──でも、どこか人を試すような話し方をする奴だった」

「ってことは、ツーってのは……その、双子?」

「違う。カデルは“複数体”持ちのアウロイド。ネットを介して、複数のボディーを一つの意識で動かしてるの。いわば、一人で何人分も存在してるようなものだね」

 リースは目を丸くした。

「それって、ずるくない? 勉強も仕事も、分身で同時進行ってことでしょ。チートだ」

「そう見えるかもしれないけど、負荷も大きいの。自分の記憶や感覚を複数に分配して動かすわけだから、統合に失敗すれば精神が壊れるリスクもある。実際、複数体の使用には制限があるの」

「へぇ……でも、ワンが男で、ツーが女ってことは、見た目も切り替え自由ってこと?」

「もちろん。ボディーの外見は好みに合わせて設計できる。でも、だからといって自由に変えすぎると、自我の安定に影響が出る。身体の輪郭は、精神の輪郭でもあるから」

 リースは考え込むように顎に手を当てた。

「……じゃあ、レインの所有者って、その“カデルツー”なんだよね。つまり、あの子、複数の大人に観察されてるようなもんか……」

「ええ。しかも、ワンとツーの思考は完全に統合されている。つまりレインにとっては、一人の所有者が、複数の顔と声を持っていることになる」

「やっぱチートじゃん、それ」

 リースの軽口に、ユノは苦笑した。けれどその目には、わずかに緊張が宿っていた。

「問題は、カデルが“観察”だけで済ませるタイプかどうか……なんだよね。リザレクテッドには反対派と賛成派がいるけど、さらに別の勢力もいる。リザレクテッドに完全な人権を与え、アウロイドの所有からの解放を求める勢力。それがカデルたちなの。彼・彼女は全てのリザレクテッドが生殖能力を持つことも主張している」

「そうなんだ」

「うん。さすがに私もついて行けない」

 穏健派のユノも、彼・彼女の急進ぶりには目が回るようだった。


 別の日。

 午後の休み時間。校舎裏の静かなテラス。人通りの少ないこの場所は、リースにとって一人でぼんやりするにはちょうどいい空間だった。だが今日は、先客がいた。

 黒髪の少年が、腰かけたまま空を見上げている。その背筋はまっすぐで、まるで姿勢を保つように意識しているようだった。

「……レイン、で合ってたっけ?」

 声をかけると、少年はゆっくりとこちらを振り返った。無表情だが、どこか目の奥に戸惑いのようなものが浮かんでいた。

「……君は?」

「リース。先輩だよ、たぶん。生殖能力持ちの、ね」

 レインはその言葉に反応したように、ほんの少しだけ瞬きをした。

「それは、僕の登録情報を読んだという意味?」

「うん。……それとも、知らないままの方が楽だった?」

 リースは隣に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながらレインを見上げた。しばらくの沈黙のあと、レインが口を開く。

「生殖機能の有無で、僕をどう見る?」

「そうねえ……試してみないと分からないかも?」

 レインが言葉を止めたまま固まる。リースはくすっと笑って、顔を近づける。

「ってことでさ──子作りしてみる?」

 リースはスカートをわずかにたくし上げる。声はあくまで軽い調子だった。冗談とも、本気とも取れる中間のトーン。レインは目を見開き、口を開けたまま言葉が出てこない。

「……そ、それは……交尾という意味で?」

「分かってるくせに、確認するんだ? まじめだなー」

 レインの頬がわずかに赤く染まった。反応の全てがプログラムではなく、感情に見える。それがリースには少しだけ面白かった。

「冗談だよ。たぶん。そんな顔されると、こっちが恥ずかしいじゃん」

 そう言って立ち上がると、リースは肩をすくめながら背を向けた。

「でもさ、覚えておいて。ここじゃ“冗談”の定義って、けっこうあいまいなんだよ」

 レインは、彼女の背中をじっと見つめていた。初めて交わした言葉は、彼にとってあまりに不可解で、同時に──妙に、忘れがたいものになった。


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