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第5章 『記憶のビーコン』

■第5章 『記憶のビーコン』


 ユノは自宅の端末前に立ち、電脳で操作を走らせながら大急ぎで短く命じた。

「倫理委員会・情報審査部門、優先回線で繋いで」


  【接続中……】

  【通信帯域優先確保/認証:ユノ・KPU03627】

  【相手:倫理委員会中央ノード】


 数秒後、壁面の大型ホログラムに、倫理委員会の通信担当アウロイドが映し出される。背後には公式の紋章と無機質な白壁。彼女は冷静に言った。

「ユノ・KPU03627氏。事件関係者の所有者としての接続を確認しました。現在、逃走中のリース・JCF02621に関する処分が継続審議中ですが――」

「その前に、これを見てください」

 ユノは言葉を遮り、あらかじめ用意していたデータファイルを転送する。証拠改ざんの技術ログ、アリアの識別信号、爆破事件の記録改ざんを示すアクセス痕跡の一式――リースの無実を示す決定的なログだ。

「このデータは、アリア・LNA04421から送られてきたものです。事件に関する公式記録に不正がありました。記録と発信源の改ざん、リースに向けられた容疑が虚偽である可能性が高い」

 審査アウロイドの目が、画面の情報を高速で走査する。

「……確認します。情報の正当性が裏付けられれば、現行の拘束命令および処分提案は保留に切り替わります」

「それでいい。すぐに審議へ回してください。時間がないの。アリアの居場所が判明した。これから私が、リースとルシアンを迎えに行く」

「リース個体は脱走状態にあります。迎えに行くというのは、倫理的責任の回収として――」

「私の所有下にある以上、保護責任はこちらで果たします。詳しい報告は後ほど。処分判断と回収命令だけ、保留に回しておいてください。それで十分です」

「……了解しました。データは記録として受理、再審議のために保存します」

 通信が切れる。

 ユノはすぐに端末を持ち直し、背後の自動装着アウターを手早く着込みながら、小さくつぶやいた。

「リース、待ってなさい。今、迎えに行く」

 数秒後、ユノの車が自動運転で起動する音が鳴る。彼女は車を手動運転に切り替えると、闇に包まれた旧市街地へと向かって出発した。


 旧市街地の空は、深い灰色に沈んでいた。人工照明の届かない廃墟の中、瓦礫と錆びた構造体の間を、乾いた風が吹き抜ける。その静けさを裂くように、誰かの足音が近づいてきた。金属片を踏みしめる鋭い響き。

 薄闇の中から姿を現したのは、黒いコートを翻す男性型アウロイド。リザレクテッド反対派のザインだった。リースとルシアンは咄嗟に立ち上がる。ザインは二人を睨みつけながら、ゆっくりと歩みを進めた。

「……ここにいたか。リザレクテッド。先ほどの信号、捉えさせてもらった」

 その声には氷のような静けさと、抑えきれない嫌悪が滲んでいた。

「お前たちは、存在そのものが間違いなんだ。滅んだ種を掘り起こして、また腐敗を始めようとする――その愚かさを、まだ理解できないのか」

 リースは黙って睨み返した。ルシアンがそっと前に出ようとするが、リースが手で制する。

「リザレクテッドが争いを引き起こす? その通りだ。だがそれは、お前たちが生まれた時点で確定していたことだ。ならば、今ここで……」

 ザインの手がコートの内側に伸びる。

 次の瞬間、掌の中に現れたのは、小型のパルスブレード。リースの目がわずかに見開かれた。

「消えてもらう。ここで、私が終わらせる」

 空気が緊張で硬化する。リースは咄嗟に身構えたが、逃げる場所も遮るものもなかった。ザインが一歩、踏み出す。

 その瞬間――

 鋭いモーター音が、建物の角から唸るように響いた。ライトがザインの背中を貫くように照らし、直後に車が急停止。ドアが跳ね上がり、中から一人の女性型アウロイドが飛び出す。

「やめなさい!」

 ユノだった。彼女の手には、小型のテイザーが握られていた。

 躊躇などなかった。ユノは一歩踏み出すと、冷静な動きで狙いを定め――引き金を引いた。

 パシュッ、と乾いた音。

 放たれた電撃が、鋭い光をまとってザインの脇腹に突き刺さる。ザインの動きが止まった。体がびくりと痙攣し、その場に膝をつく。

「ここはあなたの舞台じゃない。立場も、理屈も捨てたのなら――それはただの暴力よ」

 ザインは唸るように低く笑い、鈍く地面に倒れる。その目にはかつての理性の色はなかった。

「まだ終わらないぞ……これは、始まりにすぎない……。自力で生殖できるなんて、勝手に増えるなんて、気味が悪い」

 その言葉を残し、ザインは気を失った。

 静寂が戻ったあと、ユノは深く息を吐き、手にしたテイザーを静かに下ろした。

 リースが、目を見開いたまま立ち尽くしていた。

「……ユノ……」

 彼女の声はかすれていた。それでも、しっかりと届いた。ユノはリースに駆け寄り、肩を両手でつかむ。その瞳に、一瞬だけ、揺れる光があった。

「大丈夫だった?」

「うん……でも……」

「もういい。私が来た。だから、もう大丈夫」

 互いの手が触れ合う、その確かな感触だけで、言葉はいらなかった。

 少し離れていたルシアンが、静かに声をかける。

「ユノ。来てくれて……ありがとう」

 ユノはルシアンに目を向け、小さくうなずいた。

「証拠は送った。倫理委員会は再審議に入った。あとはアリアを助け出せば、リースのことも正式に取り消せる」

「アリアの体……まだ、あの座標にあるよね?」

「ええ。位置情報は確認済み。アクセスには少し手間がかかるけど、行ける」

 ユノは端末を起動する。地図にマークされた地下施設の入り口が表示された。

「ここ。旧地下鉄の廃止区画。正規のルートは閉鎖されてるけど、非常用トンネルを使えば通れる」

 リースがモニターを覗き込む。

「早く行こう。アリアが待ってる」

 3人が車に乗り込むと、車は一気に走り出した。

 廃墟を抜け、地上から地下へ――過去の残響と未来の鍵が眠る、真実の場所へと向かって。風が、追いかけるようにその背中を押していた。


 地下施設の空気は、地上よりもさらに冷たく、重たかった。

 旧地下鉄の廃止区画。照明はすでに機能しておらず、車から降りた3人は懐中電灯の明かりで歩いていた。壁のコンクリートはひび割れ、床には水がたまっている。かすかに、機械の残響のような音だけが反響していた。

「この先……座標の中心点だ」

 ユノが端末を確認しながら、先頭を歩く。リースとルシアンがその後に続いた。やがて、通路の奥にぽつりと明かりが見え始める。施設全体の中で、唯一生き残っている自律電源装置があるようだった。どうやらネットも生きているようだ。

 薄明かりの先――そこに、それはあった。

 中央に設置された石台のような台座。その上に、アリアの肉体が静かに横たえられていた。まるで眠るように、整えられた髪。白く整った顔。体は清潔な布で覆われており、まるで誰かが大切に保護していたかのようだった。

「……アリア……」

 リースが小さく呟いて近づく。アリアは目を閉じ、ぴくりとも動かない。けれど、死んでいるわけではない。彼女の耳の後ろのアウラリンクには微かな光が灯り、命のかすかな火が残っていることを示していた。

 台座の横に、古い端末が接続されている。ユノがその端末に触れると、自動的に解析シーケンスが立ち上がった。


  【個体識別:アリア・LNA04421/状態:休眠】

  【人格データ:暗号化済み】

  【認証解除条件:遺伝子ビーコン “JCF02621”】


「リース、あなたのビーコン……ここで必要になる」

 リースはこくりと頷き、右手の指輪を端末の認証スロットにかざした。数秒の沈黙ののち、システムが低く起動音を鳴らす。


  【認証完了】

  【プロトキー暗号解除プロセス開始】

  【精神データ展開中……】


 台座の上に小さなホログラムが浮かび上がった。それは、アリアの記憶の断片――彼女が自分の意識を保存し、暗号化するまでの記録だった。

「……私はもう、完全には自分でいられない。何者かが侵食してくる。けど、それでも私は、リースに真実を伝えたい……だから、自分を“封じる”。私のことを、あなたに託す……」

 そして記録が終わった瞬間、端末の表示が切り替わる。


  【人格構造体、復元完了】

  【精神リンク起動……】

  【アリア・LNA04421、意識復帰確認】


 ぴく、とアリアのまぶたが震えた。続けて、ゆっくりと目が開かれる。

 淡い光の中で、アリアの瞳がリースをとらえる。しばらくの間、何も言わず、ただ見つめ合う。

 そして――

「……リース……来てくれたんだね」

 その声はかすれていたが、確かに“彼女自身”の声だった。リースは小さく笑って答える。

「うん。助けに来たよ。ちゃんと、全部聞いたから」

 アリアはそっと目を細めた。そして、端末を通じて繋がっていたリンクが完全に閉じられ、意識は彼女の肉体に戻った。

「……大丈夫。もう、支配されてない。私は、私」

 ユノとルシアンも、静かにその様子を見守っていた。この瞬間、彼女たちはようやく戻ってきた。


 ユノはゆっくりとアリアの体を抱き起こし、慎重にその背中へ回した。意識を取り戻したばかりの彼女の体はまだ力なく、布越しに感じる体温がかすかに震えている。

「しっかりつかまってて。……大丈夫、ちゃんと運ぶから」

「……うん。ありがとう、ユノ」

 アリアの声はかすれていたが、どこか安心した響きがあった。ユノはそのままアリアを背負い直すと、静かに歩き出す。リースとルシアンもそれぞれアリアの周囲に気を配りながら、旧施設の通路をあとにした。

 地上に出たときには、空がわずかに明るみ始めていた。夜明けが近い。待機させていたユノの車が、自動運転で廃墟の側まで滑り寄ってくる。静かな駆動音のあと、後部ドアが自動で開いた。

 ユノはアリアを後部座席のリクライニングに優しく横たえ、その横にリースが付き添う。ルシアンは助手席に乗り込んだ。

「出発する。病院には連絡しておいた。ICU直行ね」

 ユノがつぶやき、車は音もなく発進した。

 窓の外を、崩れた街並みが後ろへと流れていく。リースはアリアの横で、そっと彼女の手を握っていた。

「……あったかい。ちゃんと生きてるね」

「当たり前よ」

 アリアはかすかに笑い、目を閉じた。

「急がないといけない。リースが脱走したと報道されて、リザレクテッド反対派と賛成派が血眼になってリースを探している。見つかったら面倒なことになる」


 病院の特別観察室。設備は最先端だが、室内は静かで、ほのかに温もりのある光に包まれていた。

 アリアは清潔なベッドに横たわっていた。呼吸は安定しており、医療処置が行われている。彼女の頭部には小さなモニター用のリンクパッチが貼られ、精神状態の監視が続いていた。

 ベッドの横では、リースとユノが椅子に座っていた。リースは疲れ切った様子で机に突っ伏しており、ユノは静かにアリアの様子を観察していた。

「……リース。起きて。アリア、目を開けた」

 ユノの言葉に、リースはハッとして顔を上げる。見ると、アリアがゆっくりとまぶたを持ち上げ、焦点の合わない目で天井を見つめていた。

「……ここは……」

「病院だよ。もう安心。ユノがちゃんと運んでくれた」

 アリアの視線が、ゆっくりとリースに向けられた。しばらく見つめていたが、やがて微かに笑みを浮かべる。

「そっか……来てくれたんだね……ほんとに……」

「当たり前でしょ。言ったじゃん。助けに行くって」

 リースが手を握ると、アリアはかすかにその指を握り返した。ユノは立ち上がり、そっとその様子を見守る。病室のモニターには、アリアの精神波形が安定して戻りつつあることを示すグラフが表示されていた。

「まだ安静が必要だけど……ちゃんと、自分を取り戻した」

 リースは小さく頷いた。

 病室に、静かな光が満ちていた。夜は明けようとしている。


 数日後、病院の中庭。朝の光が差し込み、風に揺れる植栽の葉が淡い影を落としていた。

 アリアはベンチに腰かけ、淡い青の病衣の上からカーディガンを羽織っていた。顔色は良くなり、端末を片手に何か資料を確認している。横にはリースとユノ。三人の間に流れる空気は、どこか落ち着いていて、それでいて新しい始まりを予感させていた。

「……とりあえず、リースの脱走については不問。倫理委員会の正式通知が今朝届いた」

 そう言ってユノは、端末を軽く傾けてリースに見せた。そこには「保護観察措置終了」「再拘束処分なし」と明記された通知文が表示されている。

「……ふーん。じゃあ、私は無罪放免ってわけね」

「そう。正確には“誤認拘束に起因する一時的な離脱”とされてる。つまり、逃げたこと自体が処分対象じゃなくなった」

 リースは気まずそうに頬をかく。

「助かったってことか……ま、逃げたのは事実だけど」

「それでも、戻ってきたから。証拠を持って」

 ユノが穏やかに言うと、リースは少しだけ目を伏せて、アリアの方を見た。

「……アリアは、もう大丈夫なの?」

 アリアは手にしていた端末を閉じて、静かにうなずいた。

「ええ。精神構造に異常はないって診断された。今後も定期チェックはあるけど……もう、“乗っ取られる”ことはない」

「なら……本当に、元に戻れたんだ」

「ううん、完全には戻ってないと思う」

 リースが目を見開く。

「私、あの断片と一部接触したままだから。すごく微細な情報だけど、アクセスできるようになってる。制御できるかはまだ分からない。でも、調べられる」

 ユノがわずかに表情を引き締める。

「危険じゃない?」

「可能性はある。でも、敵を知るには必要なリスクだと思う。次に何が起こるか分からないから……準備しておきたいの」

 リースはアリアの目をじっと見つめ、それから力強くうなずいた。

「私も一緒に考える。もう巻き込まれたなんて言わない。知った以上は、関わるしかないものね」

 アリアはふっと微笑む。

「じゃあ、私は……もう一度、学校で教師やる。あの世界の中で、私たちが何者なのかを考える場所が必要だと思うから」

「教師に戻るの?」

「当然だよ。私はまだ、みんなに伝えるべきことがある。何が起きたのか、そしてこれから何を選んでいくのか――」

「じゃあ私も、生徒としてサボれないな」

「リース、そもそも出席日数危ないのよ」

「うっ……そこは……考える」

 三人の笑い声が中庭に広がる。風が一度吹き抜け、葉がざわめいた。

 新たな幕開けが、静かに始まりつつあった。


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