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第4章 『駆け出す真実』

■第4章 『駆け出す真実』


 夜の旧市街地は静かだった。

 街灯はところどころで点滅し、電力供給の不安定さが露わになっていた。壁に刻まれた旧市政のロゴ、半壊した案内板、ひび割れた歩道。全てが、今の整った新市街とは異なる、無秩序で無防備な空気を放っていた。新市街では決して聞くことのない、風の音と建物の軋む音だけが遠くから聞こえてくる。

 崩れかけた建物の一角――鉄骨のむき出しになった階段の下に、リースは腰を下ろした。埃っぽい床も、ひび割れた壁も、今はむしろ落ち着く。

「……ここ、意外と居心地いいかも」

「えっ、まさか気に入ってる?」

「うん。新市街って全部がきれいすぎるんだよね。いつも誰かに見張られてる感じするし。こういう壊れたまんまのとこ……なんか落ち着く」

 ルシアンは苦笑しながら、少し離れた瓦礫の上に腰かけた。鞄をゴソゴソと漁り、何かを取り出して、包み紙を剥がす。

「はい、これ」

「……なにそれ?」

「チョコ。非常食用。甘いの、嫌いじゃないでしょ?」

 ルシアンが差し出したのは、片手サイズの小さなブロックチョコだった。金の包み紙にひびが入りかけていたが、中身はちゃんと形を保っている。

「まさか、こんな状況で甘いもの出てくるとは思わなかった」

「こういうときこそ甘いものがいるんだよ。命を守るのと同じくらい、気持ちを守るのも大事だから」

「……あんた、何歳だっけ?」

「12だけど、どうして?」

「いや……なんか……年上すぎじゃない?」

「年上に言われたくないよ!」

 リースは笑いながらチョコを受け取り、ひとかけらを口に運んだ。少しだけ粉っぽさはあったが、それでもちゃんと甘くて、ちゃんと美味しかった。

「……うま」

「でしょ?」

 ルシアンも隣でひとかけらかじった。静かな夜に、チョコを噛む音がほのかに響いた。

「こうやって一息つくの、久しぶりな気がするなぁ」

「うん。たぶん、こんな風に“のんびり食べてる”ってこと自体、生まれて初めてかも」

 リースは空を見上げた。都市の照明が届かない夜空には、わずかに星のかけらがにじんでいた。こんな空、いつぶりに見たか分からない。

「……忘れたくないな」

 ぽつりとこぼした言葉に、ルシアンが顔を向ける。

「チョコの味?」

「それもあるけど。こうやって落ち着いて話してることとか、誰も私のこと“所有物”って見てない空気とか」

「なら、大丈夫。記録するから」

 ルシアンは端末を開き、何かを打ち込み始めた。リースはそれを眺めながら、もう一切れチョコを口に入れる。

「……ルシアンってさ、そうやって黙って行動するところ、ほんとズルいよね」

「ズルい?」

「なんか、こっちが恥ずかしくなるじゃん」

 ふたりの間に、小さな笑い声が生まれた。旧市街の静寂の中で、その笑いだけが確かに響いた。ほんの束の間でも、ここには“守られた時間”があった。


 チョコの最後のひとかけらを口に入れたリースは、軽く伸びをしながらルシアンの方をちらりと見た。ルシアンは端末のスクリーンを閉じ、穏やかな顔で夜空を眺めていた。

「ねえ、ルシアン」

「ん?」

「私の体のこと、知ってるんでしょ?」

「体?」

「うん。ほら、“生殖可能な体”っていうの、最近話題になってるじゃん。リザレクテッドの中でも特別なやつ。再生されただけじゃなくて、“未来に命をつなげる”ってやつ」

 ルシアンはきょとんとした顔でリースを見た。けれど、すぐに少しだけ眉をひそめ、考えるように目を伏せた。

「……それ、リースが言うとなんか引っかかる」

「へー、何が?」

「からかわれてる気がする。僕には生殖能力はないからな」

 リースは肩をすくめて笑った。

「まぁ、ちょっとね。でも本気で聞いてみたかったんだよ。あんた、そういう体にされる可能性とか、気にしたことある?」

 ルシアンはしばらく黙っていた。風が吹き抜けて、崩れかけた窓枠を揺らす。

「……正直に言うと、怖い」

「うん」

「生殖って、なんか“命の責任”みたいなのが背中に乗っかってくる気がする。僕らってさ、“再生された存在”だから、ただでさえ理由を背負ってるのに、そこに“未来を作る役目”まで付いてきたら、潰れそうになると思う」

 リースはその答えを、思った以上にまっすぐなものとして受け取った。からかいのつもりだった問いに、真剣に返されたことに少し驚いた顔をする。

「……あんた、やっぱりズルいわ。真面目すぎ」

「ごめん、冗談の温度が分からなくて」

「いいよ。うん、今の返し、嫌いじゃない」

 リースは軽く笑って、チョコの包み紙をくしゃりと丸めた。

「私さ、自分の体が“そういうふうに作られてる”って知ったとき、ちょっと混乱したんだよね。何のために生かされたのか、何をさせられるために再生されたのかって」

「……でも、君は自分の意思で動いてる」

「今はね。でも、そうじゃなくなったらって考えると、ちょっと怖い」

 ルシアンは何も言わず、ただリースの横に座った。ふたりの間には言葉にならない感情が流れていた。

「……まぁ、私が誰と子ども作るかは、私が決めるけどね」

「当然だよ」

 リースはにやりと笑い、空を見上げた。星がひとつ、雲の隙間から顔を覗かせていた。


 ふと、ルシアンが口を閉ざし、ポケットを探るように手を入れた。リースが首をかしげる。

「どうしたの?」

「……見せておくべきかなって、思って」

 そう言って、ルシアンはポケットから小さな金属の筒を取り出した。親指ほどのサイズ。鈍い灰色の表面には、ごく微細な幾何パターンが彫り込まれている。人工物としてはあまりに無機質で、まるで“何か”を封じているような、そんな重たさを持っていた。

「それ……」

「プロトキーっていうらしい。……僕の所有者の、セフィラが持ってたやつ。僕、こっそり持ち出したんだ。見せちゃいけないって分かってた。でも、どうしても中を確かめたくて」

 ルシアンの声は静かだったが、どこか迷いと焦りがにじんでいた。

「ルシアンは中を見たことないの?」

「僕の遺伝子ビーコンに反応はする。でも開かない。中身が何か分からない。ただ……ずっと感じてた。これが、何か大きな秘密を握ってるって。リースの遺伝子ビーコンならどうかな」

 リースはそのプロトキーを凝視した。手のひらでかすかに脈打つような振動。彼女自身の遺伝子ビーコンが、なにか反応しかけているのを感じた。

「……試してみる?」

「いいの?」

「今さら“知らないままでいたい”なんて言える状況じゃないでしょ。開けよう。私のビーコンで、開くかもしれないし」

 リースはそう言って右手の指輪をプロトキーにかざした。数秒の沈黙の後、金属がかすかに震え、端末に接続されたかのように、プロトキーの先端が淡く光を帯び始めた。


  【認証中……】

  【遺伝子ビーコン:生殖型/アクセス承認】

  【記録構造:機密分類α/起動しますか?】


 リースとルシアンが互いに顔を見合わせ、小さくうなずき合う。

「……起動して」

 リースの声に応えるように、プロトキーが音もなく開いた。中から展開されたのは、空中に浮かぶホログラムのデータ構造。古いログと映像、解析不能な断片的な記号列が幾層にも重なっていた。


  【記録名:種の終わり/旧時代文明・人類滅亡要因】

  【映像データ:交渉記録/生態学的断絶・報告書/対話失敗ログ】

  【閲覧レベル:生殖リザレクテッド専用】


「……これって、まさか……」

「人間がなぜ滅んだのか。そこに触れてるっ!?」

 リースの指が、再生ファイルのひとつへ伸びた――その瞬間だった。


  《アクセス違反検出》

  《閲覧禁止領域へ接触》

  《プロトコルD-K_003 fragment:展開》


 ホログラムが突如として激しく乱れ、鮮明だった映像データが黒く滲み、崩れはじめた。

「なに……? なにが起きてるんだ!?」

 ルシアンが声を上げる。プロトキーは熱を帯び、低く濁った電子音を発しながら自動的に緊急動作に入った。

 ホログラムの中央には、判読不能な文字列――その中に、はっきりと浮かび上がるひとつのコード名。


  《DIOS》


 その瞬間、リースの体がびくりと震える。頭の奥に、誰かの意識が直接触れてくるような感覚。冷たい何かが流れ込んできた。脳の輪郭が濁りに染まる。

「これは……“何か”が、入ってくる……!」

 リースは反射的に、右手から遺伝子ビーコンを引き抜いた。すると、途端にその感覚はぴたりと止まり、代わりにホログラムが高く火花を散らして弾け飛んだ。空中に散らばった断片は、光の粒となって消えていく。

 プロトキーは沈黙した。さっきまであった侵食の気配も、熱も、すっかり消えている。

「……どうなったんだ」

「分からない。でも……」

リースの声はかすれていた。目の前にあったホログラムは完全に消失し、“人類滅亡要因”という文字も、跡形なく消えていた。

「壊れたのか?」

 ルシアンがそっとプロトキーを拾い上げ、表面を観察する。

「……動きそう?」

「いや。もう、だめだと思う」

 そう言って、彼は自分の遺伝子ビーコンをプロトキーに近づけてみる。だが、無反応だった。まるで中身が完全に消えたかのように、何の反応も示さない。

「プロトキーの中身……“人類滅亡要因”って、いったい……」

「冗談みたいな話だけど……多分、本当に“人間が滅んだ理由”の一部が入ってたんだよ。でも、それも今、失われた…」

 リースは呆然としながら、外していた遺伝子ビーコンを再び指にはめ直した。

 その瞬間――ビーコンが、点滅していることに気づく。

「……え?」

 ビーコンは確かに、何かに“応答”していた。


 リースは、指にはめ直した遺伝子ビーコンをじっと見つめた。それは確かに、点滅していた。規則的ではない、どこか“呼びかける”ようなリズムで。

「……なに、これ? 何か受信してる?」

「まさか、さっきのDIOSってやつか!?」

 リースはルシアンが持っていた端末に遺伝子ビーコンをかざしてみた。通常のメッセージならこれで受信できるはずだ。ビーコンの中枢が発する微弱な振動と共に、端末の通信機能が自動起動した。画面には、見慣れない接続ログが表示される。


  【受信信号:AURA-Link経由/識別コード:LNA04421】

  【転送元:不明/一時接続中】

  【音声ログ:再生可能】

  【添付ファイル:展開可能】


 ルシアンが顔を上げた。

「……今の、アリアのコードじゃないか?」

 リースは無言でうなずき、端末の再生ボタンにそっと指を添えた。次の瞬間、微かなノイズ混じりの音声がスピーカーから漏れ出す。

「……リース……聞こえて……る?」

 その声は、確かにアリアのものだった。かすれて震えていたが、紛れもなく彼女自身の声だった。

「私は……侵食されてる。でも……今だけ、戻ってこれた……あなたのビーコンが……導いてくれた……」

 音声は途切れ途切れで、低周波の歪んだノイズが混じる。それでも、伝えようとする意志は痛いほど伝わってくる。

「……浸食してきたやつ……そいつが、全部の原因。私も……リースも……狙われてる。プロトキーの中に……断片が……」

 言葉の隙間に、苦しげな息遣いが混じった。

「……でも、まだ終わってない。私の体は……まだ残ってる。あなたの無実の証拠、私の座標……送る……お願い……」

 そこで、音声は途絶えた。次の瞬間、端末の画面に受信パケットの情報が展開される。送信元は不明。だが、中には旧市街地のさらに奥、地図にも載っていない地下施設の座標が記されていた。そして、ひとつの添付ファイル。

「アリア……」

 リースは震える指で座標をなぞった。ほんの一瞬だったかもしれない。でも確かに、アリアは浸食の支配を振りほどき、彼女に向けて助けを求めてきた。

「無実の証拠って言ってたぞ」

「うん。……見てみる」

 リースは添付ファイルを開いた。そこには、倫理委員会ビル爆破事件に関するデータ。事件当日の監視記録の改ざん、証拠ログの書き換えを示す技術的な痕跡、それを裏付けるシステム側の異常記録――リースに罪を着せた根拠が虚偽であることを示す証拠が、確かに入っていた。

「……やった……これで、私……!」

「無実だ! 本当に無実だ!」

「でも、アリアを助けなきゃ……! 今も、どこかで待ってる」

「リース、君の無実が証明できるなら、ユノにも頼める!」

「うん……ユノならきっと、動いてくれる」

 リースはもう一度、座標を見つめた。そして、拳を握った。

「絶対にアリアを助ける」

「ああ!」


 リースは端末を握りしめたまま、旧市街の瓦礫の中に立っていた。背中を撫でる風は冷たく、指先にはまだアリアの声の余韻が残っていた。

「ユノに連絡する」

 その言葉に、ルシアンが静かにうなずく。リースは小さく息を吸い、端末の通信機能を起動した。都市ネットワークの端末中継へ接続が届くまで、わずか数秒。だが、その間にも胸の鼓動はじわじわと速くなっていく。

 ──接続完了。

 数瞬のあと、ユノの姿が小さなホログラムとして空中に映し出された。背景は室内。ユノは端末を手にしたまま、画面を覗き込み、驚きに目を見開いた。

「……リース!? 今どこにいるの! 君がいなくなって、こっちは大騒ぎだよ!」

「ユノ、落ち着いて。聞いて……証拠が見つかったの。私がやってないって、ちゃんと証明できる証拠」

「証拠……? 本当に?」

「アリアから送られてきたの。私を犯人にした証拠のログ。今、転送する。それと……アリアの現在位置も。彼女、まだ生きてる。体も、たぶん安全な場所にある」

 ユノは一言も返さず、受信ファイルに目を走らせた。端末を操作する指が止まり、画面を見つめる表情が、じわりと変わっていく。

「……これ、本物ね。ログの書き換え記録も残ってる。データの改ざん、発信元の偽装……全部揃ってる」

「だから、行かなきゃ。アリアを助けに。お願い、ユノ、手伝って」

 ユノは一瞬だけ目を閉じ、思考を沈めるように息を吐いた。それから、迷いのない声で言った。

「分かった。今からそっちに向かう。場所を教えて」

「ありがとう、ユノ……!」

「いいえ。ようやく、動ける材料が揃った。ありがとう、リース」

 リースは微かに笑った。けれどその目には、焦燥と決意が混じっていた。

「すぐに位置データを送る。私たち、旧市街の外れにいる。地下施設の座標も一緒に」

「受け取ったらすぐ移動する。アリアも、必ず助けよう」

 通信が切れる直前、ユノの声がもう一度届いた。

「リース。私が付いてるから」

 ホログラムがふっと消える。旧市街の静寂の中に残ったのは、機械の微かな駆動音と、リースの鼓動だけだった。

「……来てくれるって」

 リースが呟くと、隣でルシアンが静かに微笑んだ。

「じゃあ、アリアを迎えに行こう」

 リースは深くうなずき、遺伝子ビーコンを強く握った。足元に広がる暗がりの向こうには、まだ知らぬ闇と、確かな希望が待っていた。


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