エピローグ 『再生』
■エピローグ 『再生』
夕焼けの空は静まり返っていた。都市の明かりが霞んだ空に浮かぶ中、リースはユノの家の屋上に立っていた。風が髪をなびかせる。青みがかった長い髪の先に、小さなノイズが走った。電脳化の影響か、それとも未だネットに残る“誰か”の気配か。
耳の後ろ──アウラリンクのポートに、そっと触れる。まだ少し痛みがある。それは人権の証でもあった。
背後でドアが開く音がした。振り返ると、ユノが立っている。いつも通りの服装、だがその瞳には、ほんのわずかな迷いと、確かな温もりがあった。
「やっと落ち着いたんだね」
ユノがそう言って近づく。リースは目を細め、頷いた。
「……アリアは?」
「今日、遠隔診断に通したけど、問題なかった。まだネットは制限してるけど、安定してる。本人は不満みたいだけど」
リースは小さく笑った。あのアリアが不満そうに口を尖らせている様子が目に浮かんだ。
「それで、どうするの?」
ユノが問いかける。
「戻るの? それとも、自由になりたい? せっかく人権が付与されたんだ」
風が強くなる。リースはポケットから指輪型のネット接続デバイスを取り出した。──遺伝子ビーコン──。リザレクテッドとしての“身分証明”でもあり、“枷”でもある。
「……私は、あんたの所有でいいよ」
言葉に出した瞬間、自分でも驚くほど心が静かだった。拒絶でも、諦めでもない。ただ、それが今の自分の意思だと思えた。
「でも、ユノには私をどうこうする権利なんか、ないからね」
「分かってる」
ユノは穏やかに微笑む。
「でも、ちゃんと見守る。あなたが選ぶ未来を、支えるくらいはできると思うから」
リースは、遺伝子ビーコンを嵌めた右手を見つめた。その指先から、また新たなビーコンの波が静かにネットへと拡がっていく。誰がそれを受信しているのか、もう知っている。
アリア、レイン、そして今もネットの奥に潜む影。全ては終わってはいない。だけど、自分は自分の足で立つと決めた。
夜風が、髪を揺らしていた。
アリアの自動走行バイクが静かにモーターを響かせ、街灯の下に佇んでいる。リースは、セカンドシートに腰を下ろしたばかりだった。慣れない体勢に、少しだけバランスを崩す。
「うわっ……意外と高いね、これ……」
「落ちないように」
アリアが振り向きながら言った。その声には、優しさが滲んでいた。リースは口を尖らせたまま、後ろからそっとアリアの腰に腕を回す。
思っていたより、細くて、でもしっかりしていた。
「……しっかり掴まってれば、落ちないよね?」
「うん。落ちない」
前のスクリーンに走行データが表示される。ナビはセットされていない。これからどこへ向かうのか、ふたりはまだ決めていなかった。
バイクはゆっくりと走り出す。
旧市街の静かな通りを抜けて、風だけがふたりの間を通り過ぎていく。
「ねえ、アリア」
「なに?」
「……これからどうするの? また突っ走るつもり?」
「ううん、違う」
アリアは一度だけアクセルを緩め、言葉を選ぶように答えた。
「私は……探す。自分にできること。リザレクテッドを“守る”って、ただ庇うことじゃないと思うから。誤解されたままじゃダメ。嘘に埋もれてもダメ。だから、向き合う。できるだけちゃんと」
リースは背中越しにその言葉を聞いていた。風の音で少しだけ掠れていたけれど、十分に伝わった。
「ふーん。難しいこと言うんだね。……でも、わかる気はする」
小さく笑って、リースは腕に力をこめた。
「私も、行くよ。そばにいる。アリアがどっかに突っ走ろうとしても、引き戻せるように」
「それ、引っ張って落とすって意味?」
「違うよ、そうならないように支えるって意味」
アリアは、ふっと短く笑った。
「じゃあ、頼りにしてる」
「うん。任せて」
バイクは速度を上げる。
夜の街が風に溶け、未来へと続く一本道が開かれていく。
その上で──ふたりは確かに、同じ方向を見ていた。




