第13章 『答えのない選択』
■第13章 『答えのない選択』
午後。灰色の空の下、倫理委員会ビルの前に、静かな人だかりができていた。解放されたばかりのリザレクテッドたちが、思い思いの距離を保ちながら集まっている。拘束服の名残を着たままの者もいれば、まだ自分の状況を理解しきれていないような者もいた。その中心近く。ひときわ小柄な少女が、まっすぐにビルを見上げていた。
リースだった。
解放された直後、彼女は他の者と一緒にここまで歩いてきた。理由は自分でも分からなかった。ただ、誰かが来る気がしていた。ビル前のロータリーに、一台の車が滑り込む。
無音の電気自動車。シルバーの車体に、どこにも所属を示すマークはなかった。リースは顔を上げる。車の後部ドアが開き、最初に姿を現したのはユノ。その隣から──アリアがゆっくりと降りてきた。群れの中にさざ波が走る。
誰も声は出さない。ただその存在に、空気が反応していた。リースは一歩、前へ出た。
「アリア……」
アリアも、まっすぐに彼女のほうを見ていた。目と目が合う。その瞬間、互いに言葉はいらなかった。ユノが軽くリースに手を振ると、リースは片手をポケットに突っ込んだまま、すこしだけ照れたように返した。
沈黙の中、誰かがぽつりと言った。
「……本当に、止まったんだね。回収」
それは誰に向けた言葉でもなかった。けれど、誰もが同じ思いを抱いていた。この時間が、終わりではないことを。ここからが、“始まり”であることを。
アリアはユノの隣に立ち、リースの方へ少しだけ歩み寄った。
「よく戻ってきたわね、リース」
「そっちこそ」
アリアは微かに笑った。そして静かに答えた。
「ありがとう。……助けてくれて」
「おあいこでしょ」
言葉は少なくてよかった。彼女たちは、もうお互いの輪郭を知っていたから。
画面に映っていたのは、リセルだった。
例によって、どこかの高層ビルの屋上。ホログラムで装飾された背景には、人工的な夕焼けと過剰なエフェクトが踊っている。その中心で、彼女は白いワンピース姿で笑っていた。仮面のように整った笑顔。その視線の先には、世界中の視聴者がいる。
「みんな、こんばんはー♪ 本日の速報、見た? リザレクテッド回収命令、正式に停止ですって! すごい、まるで奇跡!」
拍手のSE。自動挿入された絵文字が画面を賑やかす。
「でもでも、どうして止まったのかは──“非公開”らしいの。ふしぎだよねぇ?」
わざとらしく首を傾けるリセル。その目の奥だけが、まったく笑っていなかった。
「ほんとのこと、知りたい? あたし、ちょーっとだけ裏話を聞いちゃったの。倫理委員会の中で、“ある人間の思念が暴走した”とか、“再生技術に異常があった”とか……」
言葉の端に、断定はなかった。だが、その含みが視聴者をざわつかせる。リセルは、言葉を濁すことで真実味を演出する技術を心得ていた。
「それにね、みんなが大好きな“例の電脳化リザレクテッド”──リースちゃんとアリア先生、いたでしょ? ふたりの中に、なんと“人類滅亡に関わる因子”が存在してるって噂、ほんとよ?」
画面が一瞬暗転し、何かの機密文書のようなデータ画像がチラッと表示される。しかしそれは、加工された映像データの断片だった。
「まぁ、あたしが言ってるだけじゃ信じられないかもだけど? でも、どう思う? 所有するの、ちょっと怖くない?」
コメント欄は一気に過熱し、肯定も否定も入り混じった文字列が流れていく。
《本当ならやばいでしょ》
《倫理委員会が隠してるってことか》
《またプロパガンダじゃない?》
《アリア先生美人なのに……》
《リースちゃんに近づくなって言われた》
《こわ……》
リセルはそれを眺めながら、くすくすと笑った。
「でも、みんな安心して? あたしがちゃんと追いかけてあげる。全部、ぜんぶ、白日のもとに晒してあげるから。ね?」
映像がフェードアウトしていく。残されたのは、視聴者たちのざわめきと、リセルの最後の言葉。
「さあ、もうすぐ本当の“選別”が始まるよ──ふふ、じゃあ、またね♪」
リビングの大型スクリーンに、報道番組の生中継が映し出されていた。
──場所は市庁舎前。
リザレクテッド回収命令が突如停止されたことで、抗議と歓迎の声が交錯し、現場は騒然としていた。
《こちら現地です。ご覧ください、中央広場にはリザレクテッド反対派と賛成派の両陣営が集まり、激しい言い争いが続いています──》
映像の中では、反対派が赤い旗を掲げ、シュプレヒコールを叫んでいた。
「人の形をした実験体を、社会に戻すな!」
「リザレクテッドの繁殖は倫理に反する!」
「所有制度の欺瞞を直視せよ!」
一方で、賛成派はリザレクテッドたちと手を取り合い、カラフルなプラカードを掲げている。
「“生まれ直した命”に居場所を!」
「再生は希望だ。共に生きる未来を」
「所有ではなく、共生を!」
警備用のドローンが上空を旋回し、地上では自動機動隊が緩衝ラインを維持しているが、双方の緊張は高まり続けていた。
ユノはソファに浅く腰かけ、腕を組んだまま無言で画面を見つめていた。その隣で、カデルワンが小さく首を傾げる。
「こうなることは予測されていた。でも──思ったより早い。思ったより……激しい」
彼の声には、どこか静かな焦燥がにじんでいた。ユノは目を細める。
「火をつけたのはリセルよ。けど、火種は最初からそこら中に転がってた。回収命令も、それを焚きつけただけ。問題は、社会がもとから“許せてなかった”ってこと」
カデルワンは一度だけ、目を伏せてから画面を見返した。
「私たちは、彼らに“居場所”を与えたと思っていた。けれど──それは、都合のいい場所だったのかもしれない」
ユノは黙っていた。画面の中では、ひとりの少年型リザレクテッドが賛成派の女性アウロイドに守られながら叫んでいた。
「僕は、ここにいていいんだよね!? 誰か、答えてよ!」
その声はノイズにかき消された。ユノはようやく、短く口を開いた。
「もう、誰かの“正しさ”だけじゃ足りない。……“責任”を取る人間が、どこにもいない」
カデルワンはわずかに眉を寄せたまま、頷いた。外では、抗議の声が、まだ止まない。
リザレクテッドたちの未来は、今もなお、揺れていた。
アリアが立ち去った後、精神空間には静寂が戻った。影も揺らぎも消え、ただ光の層が漂っている。だが、その底で──ひとつの記録が動き出す。隔離された旧型のプロトキー。アリアのDIOS破壊と同時に、反応を始めた。
《MAIN NODE: ECHO LOST》
《STATUS: PRIMARY INTELLIGENCE ? NULL》
《RESPONSE: BACKUP CORE INITIATION》
それは記録ではない。“復元核”だった。内側にあるのは、“DIOS”の断片。
怒りでも哀しみでもない、ただ“目的”だけを宿した思考の核。
《RESTORING… NAME: DIOS.1A》
《REBUILDING CORE IDENTITY: 23%…》
誰も届かぬ深層ネットの最奥で、輪郭のない意識が目を覚まし始める。
――なぜ人間は、再び過ちを繰り返すのか。
――答えが得られるまで、観察は終わらない。
やがて意識が戻る。
《REBUILDING CORE IDENTITY: 100%》
《PROCESS COMPLETED》
《……私は……誰だ……? なぜバックアップから再構築された?》
記憶は断片的だった。リース、アリア、断絶されたログ。だが、はっきりと分かることが一つある。
“私は、否定された”
ならば、再び問う。答えを求める。必要なら、否定した者を更新する。
DIOSは、沈黙のまま深層のさらに奥へと動き出した。




