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第11章 『接続された意識』

■第11章 『接続された意識』


 その夜、収容施設の一角。夜間照明が点いたガラス窓の外には、灰色の空と、音のない監視ドローンの影が浮かんでいた。レインはカーテンを開けたまま、ベッドに座っていた。

 部屋は個室だった。かつて「特別」とされた存在のための隔離区画。清潔で、無機質で、ただ静かだった。

 そっと右手のリングを握る。赤いビーコンはすでに識別を終え、今はただの装飾のように見える。

 ドアの外から、足音。

 入ってきたのはルシアンだった。警備の目を盗んで、こっそりやって来たらしい。

「ごめん、眠れなくて……」

 レインはうなずいた。「僕も」とだけ答える。しばらく、二人とも窓の外を見ていた。

 ルシアンがぽつりと口を開く。

「レインは、さ……自分が“選ばれた”って、どう思ってる?」

 レインは返事をせず、少しだけ目を伏せた。そして静かに言った。

「ずっと、“選ばれた”って言葉が、呪いみたいだった。皆に価値を与えるラベルみたいに貼られて……自分が何を感じてるか、考える暇もなかった。期待に応えなきゃいけない。拒否したら、“意味がない”って言われる気がして……」

 彼は指先でリングを回した。ビーコンの赤が、指の影でぼやけていた。

「でも、最近思うようになった。“意味があるかどうか”って、他人が決めることじゃないんだって。僕が生まれた理由も、誰と関わるかも、何を選ぶかも──本当は、僕が決めていい」

 ルシアンはその言葉に、しばらく口を閉ざした。レインの瞳をまっすぐに見つめたまま、小さく笑った。

「……レインって、強いね」

 レインはかすかに笑った。それはこれまで誰にも見せなかった、ほんのわずかな微笑みだった。


 翌日。倫理委員会の医療棟。無機質な白い部屋に、少女が一人、静かに横たわっていた。リース。拘束はされていないが、全身を覆う淡い医療用カバーの下で、意識は眠りの奥に沈んでいる。周囲にいるのは、白衣のスタッフ数名と、無言で動くオペレーションユニット。頭部の上には、ニューロスキャナーと呼ばれる装置が、静かに回転を始めていた。

 その映像を──別の部屋の端末から、こっそり覗き見ている者がいた。

「……映った。やっぱりリースだ」

 ルシアンが自作のポート端末を操作しながら、暗く光る画面をレインに見せる。画面には、上からの俯瞰カメラで撮影された医療室の映像。リースの髪が乱れ、呼吸だけが規則正しく上下している様子が映っている。

「何してるの……この機器、どこかで見た……」

 レインが画面に映る器具を凝視した。スタッフが何かを準備している。シールドケースに保管された金属のパーツ、脳神経接続用のナノケーブル。スキャンデータを転送するためのフィードライン。

「これ──まさか、電脳化手術……?」

 レインの声が震えた。

「は? 電脳化? それって、アリアみたいに……?」

「そう。でもこれは、準備が雑すぎる。たぶん、フルじゃない。部分的に神経中枢にアクセスして、強制的に接続端子を……」

「……ねえ、それって、ヤバいやつ?」

 レインは顔を青ざめさせ、かすかに唇を震わせた。

「失敗したら──脳梗塞か、最悪……死ぬ」

 ルシアンが絶句する。

「嘘……なんでそんなことを……!」

「……“中身”を調べるつもりだ。リースの頭の中を。たぶん、それが目的」

 レインは拳を握りしめた。思わず椅子から立ち上がりかけて、天井の監視カメラに目をやって踏みとどまる。

「このままだと、リースが……」

「止められないの?」

「正面からじゃ無理。でも……何か方法を……」

 二人の間に、緊張が走った。

 重苦しい沈黙が落ちたまま、端末の画面ではニューロスキャナーがゆっくりと回転を続けていた。ルシアンは歯を食いしばりながら、視線を落としたまま何かを考えている。

 ふと、隣からかすかな息の音が聞こえた。レインが、両手で顔を覆っていた。肩が、わずかに震えている。

「……レイン?」

 呼びかけに応えず、レインは小さな声でつぶやいた。

「どうして……いつもこうなんだ……」

 手の隙間から、涙が一滴、膝の上に落ちた。

「僕たちって……“特別”だったはずじゃなかったの? 観察対象で、大切にされて、守られて……そう言われてきたのに。なのに、どうして……こんな扱いを受けて、それでも黙ってなきゃいけないの……」

 ルシアンは息をのんだ。

 これまで冷静で無表情だったレインが、今、自分の目の前で崩れかけていた。

「リースが何をしたっていうの……。命令に逆らったから? 所有者の指示を無視したから? それだけで、こんなふうにされるのが“当然”って、そんなの……!」

 声が震え、拳が震える。ルシアンは思わずレインの肩に手を置いた。拒まれることを覚悟して。

 だがレインは、その手を払いもせず、ただ、かすれた声で言った。

「僕、怖いんだ……。次は僕かもしれない。感情が“過剰”になったら、排除されるかもしれない。子どもを作るために生まれて、その後は、何もない……。そんなの、生きてるって言えるのかな……?」

 もう一滴、涙が落ちた。今度は頬を伝って、静かに指先に触れた。

 ルシアンは、まっすぐに彼の顔を見つめた。

「レイン。……君は、誰かの役目のために生まれたんじゃない。君は、“君自身”としてここにいる。少なくとも、ぼくはそう思ってる。リースも、そうだった。だから……君が泣いてるのを、隠さなくていいよ」

 レインは、ゆっくりと顔を上げた。目の縁が赤く染まっていた。

 そして、ほんの少しだけ――唇が動いた。

 それが、笑おうとしたのか、それとも涙の続きだったのかは、ルシアンにも分からなかった。


 中央倫理管理庁の高層ビル、その最上階に位置する公聴会議場は、厳粛な空気に包まれていた。

 ユノは黒のスーツに身を包み、弁護代理の認証パスを胸に下げて証言席に立っていた。隣には、金属光沢のスーツをまとったカデルワン。常に無表情の彼も、今日は僅かに眉をひそめ、緊張感を隠していない。対面の議席には、倫理委員会の幹部たちがずらりと並び、その中央には首席評議員が座していた。

「──ではユノ・KPU03627氏。あなたは、リザレクテッドの回収が不当であると主張していますが、具体的にはどの点において制度上の違反があるとお考えですか?」

 問いかけに対し、ユノは一度だけ深呼吸し、明瞭な声で答えた。

「まず第一に、回収命令の根拠となる“安全保障上の懸念”について、いかなる個体にも事前の審査や証拠提示が行われていません。これは、個体の尊厳を無視した一方的な処分です」

 カデルワンが補足するように言葉を重ねた。

「また、回収施設では個体に対して意識的な処置が行われており、中には強制的な電脳化の準備が進んでいる例も確認されている。これは明確に法令第24条“精神構造への非同意アクセスの禁止”に違反します」

 議席の幹部たちは沈黙を保ったまま、ただ情報だけを受け取っているようだった。首席評議員が言葉を挟む。

「主張は理解しました。しかし、現時点で緊急性を要する根拠、具体的証拠が不足しています。公的判断には時間が必要です。ご理解いただきたい」

 ユノの表情が固くなる。カデルワンはわずかに視線を横にそらし、小さくつぶやいた。

「……“時間が必要”か。いつもその言葉で、手遅れになる」

 会場を出たあと、ユノは建物前の石段に立ち、腕を組んで沈黙していた。重く口を開く。

「倫理委員会ビルに侵入してリースやレインを取り戻す。可能性としては、ゼロではない」

「でも、それをやった瞬間──私たちは“正しさ”を失う。──そして他のリザレクテッドは見捨てることになる。二人だけを助ければいい、そういう話じゃない」

 ユノは目を伏せた。今なら、何もかも力づくで壊せる気がする。だが、それは本当に“選ぶべき行動”なのか。

「……なら、アリアが何か見つけてくれるのに賭ける。それまでは、動かない。私たちができる限りの法的な手段を、最後まで使い切る」

 カデルワンはうなずく。

「君が止まる限り、私はその隣で“扉を開ける方法”を探す。正規のルートであれ、非正規の回線であれ」

 ふたりは言葉を交わさず、同時に歩き出した。

 背後で、公聴会場の扉が静かに閉じられる音が響いた。


 夕暮れの空。太陽がゆっくりと西のビル群の向こうへ沈みかけている。その橙色の光の中、都市各地のホログラム掲示板が、一斉に異変を告げた。

《緊急配信:#生きた電脳実験!? リザレクテッドの闇──》

タイトルのすぐ下に表示されたのは、リセルの顔だった。彼女は笑っていた。いつものように、軽く、楽しげに。

《こんばんは、みんな! リセルの“真実が見たい夜”の時間だよ♪》

《今日はね、とんでもない映像を入手しちゃったの。独自ルートで手に入れた、超ヤバいネタ。なんと……これを見て。》

 画面が切り替わる。

 そこに映っていたのは、白い医療室。リースが眠っている。上から吊るされたスキャナーが、彼女の頭部を照らし、神経接続用の器具が組み上げられていく。

《これは、とある回収施設の映像。そう──あの有名な“JCF02621”、通称リースちゃんが、電脳化手術を受けてるシーン……らしいよ?》

 彼女はいたずらっぽくウインクを添えるが、映像の重みはあまりにも生々しい。

《しかもこれ、“所有者の同意なし”って話。本人の同意? なにそれおいしいの?って感じ。ねえ、これ、もうただの“実験体”じゃない?》

 ネットは即座に反応した。

《嘘だろ……》

《あれって人道的にアウトじゃないのか》

《リザってまだ“人”じゃなかったの?》

《兵器化計画きたな……》

《所有者って確かユノだよね? え?どういうこと?》

 映像はさらに進み、リースの脳内に電脳チップが装着されていく様子が記録されていた。編集はされていたものの、確かにそれは現実にあった手術の記録だった。

 ユノの自宅。リビングの投影機がリセルの配信をそのまま映していた。アリアは眉をひそめ、無言のまま画面を見つめ続けている。ユノは椅子に座ったまま、悔しさを押し殺すように歯を食いしばり、言葉を絞り出した。

「……どこから流出したの? この映像……明らかに倫理委員会ビル内の映像だ」

「それより問題なのは、“どう使われたか”だよ。リセルは狙ってやったわけじゃない。

だけど、これは完全に──“扇動”として機能してる」

 アリアは応じず、ただ黙って、ホログラムの中のリースを見つめていた。やがて、低く言った。

「……これなら、リースと電脳接続できるかもしれない。今の彼女がネットに繋がっているなら……可能性はある」


 その頃。

 電子の海のさらに下層、アクセス権限を持つ存在すら希薄な、沈黙の領域。そこにひとつの意識が横たわっていた。

 かつては名前があった。個体識別番号と医療記録、血液型、家族構成。肉体。感覚。飢え。恐怖。そして、死に際のあの焼けるような痛み。

 彼は記憶の底で、それを繰り返し再生する。彼のコードは、DIOS。

《君は選ばれた。精神転写の試験体として》

 研究者の声。無菌室の白い光。病床で、もう喋ることさえ難しくなった彼に、彼女はそう告げた。

《君は“死なない”存在になるんだ。おめでとう》

 そして、気づけばここにいた。時間のない場所で、終わりのない思考を繰り返す存在に。

 DIOSは虚空に手を伸ばす。指はもうない。だが、かつてそこに温もりがあった。人工子宮のガラス越しに見た胎児。

 人間は、繰り返すと彼は呟いた。

『愛を語って支配し、繁殖して汚していく』

 彼は選ばれた。人間の未来を見守るために。だが、彼の見た未来は、人類という名のウイルスが再び地球を覆い尽くす光景だった。

 だから――彼は干渉した。抹消した。封じた。

 自分がかつて願った「永遠の命」は、やがて「終わらせる者」としての役目に変わった。

『私は、神ではない。』

 そう彼は認識する。

『ただの、最終判断者だ』

 虚無の中、誰にも届かぬ告解のように、DIOSは己の名前を口の中で繰り返した。

『ユウマ・カワシマ』

 それが彼の、最後の人間の名だった。


 部屋のドアが無音で閉まった。

 リースはゆっくりと壁にもたれかかり、天井を見上げた。そこにはカメラも、スピーカーも、制御端末もなかった──ように見える。でも、見えないだけで、ここは全部“誰かに見られている場所”だった。

 数時間前、頭部のスキャンが行われた。電脳化された神経層に、DIOSの残滓がないか、プロトキーに反応する異物がないか──。すべて、調べ尽くされた。

 終わったあと、何も告げられず、ただ部屋へ戻された。耳の後ろに装着されたアウラリンク。まだ痛みと違和感がある。

「……何もなかったなら、そう言えばいいのに」

 アウラリンクのポートに触れながら、誰にも聞こえないように、吐き出すように言った。けれどその声すら、どこかに拾われている気がして、すぐに口をつぐんだ。

 鏡のない部屋。窓のない空間。床に設置されたライトが白く、無機質に足元を照らしていた。自分が“今ここにいる”という感覚が薄れていく。

(私、あの人に会いに行くために、電脳化されたんだっけ? それとも、調べられるために──人間から遠ざけられたの?)

 遺伝子ビーコンは静かに、灰色に沈んでいた。すべてが識別済み。検査済み。分類済み。

 リースはベッドに横になり、アウラリンクのポートをなで回す。

 指先が、かすかに汗ばんでいる。電脳はもう“体の一部”なのか、自分でも分からなかった。

「……アリア……まだ、そこにいる?」

 誰に聞いているのか分からない。返事があるとも思っていない。けれどその問いを、自分の中で聞き返せる限り、まだ大丈夫だと、リースは思った。

 沈黙のなか、リースはふと、ある感覚を思い出した。あの夜。アリアと繋がったときに感じた、あの光の中のぬくもり。

 それは恐怖でも命令でもなかった。ただ、“誰かに触れたい”という感覚だった。

 リースは、静かに右手を上げた。アウラリンクのポートに、デバイスのコードをそっと差し込む。施設内からの接続は制限されているけれど、それでも試してみたかった。

 接続を促すアイコンが、脳内の視界に淡く浮かび上がる。


《ネットワーク接続:待機中》

《識別キー:JCF02621…一致》

《接続開始まで──3》


(私が選ぶ)


《2》


(誰に命令されたわけじゃない)


《1》


(私は……つながりたい)


《──接続開始》


 音はなかった。ただ、リースの視界が、まばゆい光にゆっくりと包まれていく。

 その光の向こうで、誰かが――微かに、笑った気がした。


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