プロローグ 『登録』
■プロローグ 『登録』
「やった! 当たった! 夢じゃない、本当に当たった!」
ユノは受信したメールを見つめ、小躍りせんばかりに喜びをあらわした。生殖能力を持つリザレクテッド。その希少な抽選に、彼女は見事当選したのだ。
人類が絶滅してから、すでに数世紀が過ぎていた。地球は今、人間によって創り出されたアンドロイド──アウロイド(Auloid)たちの手に委ねられている。人間そっくりの外見に、ナノテクノロジーで構成された機械細胞。そして電脳。それがアウロイドだった。
ここ数年、世界規模で始まったプロジェクトがある。その名は「ヒューマンリザレクション」。絶滅した人類を、もう一度この世界に甦らせる計画。再生された人間は“リザレクテッド”(再生人間)と呼ばれている。倫理的な懸念から、リザレクテッドには原則として生殖能力が与えられていない。だが今回、ユノは“生殖能力を有する個体”を迎えるための審査と抽選に通過したのだった。
ユノは満面の笑みを浮かべながら、当選したリザレクテッドのプロフィールに目を通す。
名前はリース(Wreath)。外見年齢15歳。薄い青色のロングヘアが印象的な少女だった。“生殖能力あり”の文字が、端末の画面に鮮やかに表示されている。
「会えるんだ……。そして、私のものになる」
浮き立つ気持ちを抑えきれず、ユノはウキウキと身支度を整える。リースに会いに行くのだ。いや、迎えに行く。──自分のリザレクテッドを。
現在、リザレクテッドはアウロイドによる所有制度のもとにある。アウロイドには完全な人権が認められているが、リザレクテッドに与えられているのは、一部の“限定的な権利”のみだ。もちろん、所有するとはいっても何でも好きにしていいわけではなく、厳格な倫理基準が存在する。人類が創ったアンドロイドが、再生された人間を所有するという逆転した構図。それこそが、リザレクテッド制度の根幹であった。
リースの引き渡し場所は、中央区にそびえる倫理委員会本部。ユノは通知メールをもう一度確認すると、玄関を飛び出し、自動運転車に飛び乗った。
「これから会えるのね、リース──私のリザレクテッド!」
浮かぶ笑みを隠すことなく、ユノは都市を駆ける車窓を見つめた。
倫理委員会の建物は、白亜の外壁とガラスで囲まれた巨大なタワーだった。受付で身分証を提示し、認証手続きを済ませると、ユノは迷うことなく建物の奥へと足を進める。
「リザレクテッド、リースの引き受け手続きに参りました。ユノ・KPU03627です」
受付端末が即座に応答する。
「確認しました。第七面会室までお進みください。引き渡し準備は完了しております」
エレベーターが静かに開くと同時に、ユノは軽やかな足取りで廊下を歩き出す。その先に待っているのは、“過去”から甦った存在。人類という絶滅種が、いま再びこの世界に息を吹き返そうとしている。
(生殖能力あり、なんて……倫理委員会もよく認めたものね。やっぱり次の段階に進もうとしているんだ、私たちも、人間も)
そんな考えが脳裏をよぎる内、目的の部屋へと到着する。自動ドアが静かに開くと、そこにはバイオベッドのカプセル内で眠る少女の姿があった。薄青の長髪が、空調の穏やかな流れに揺れている。透き通るような白い肌。閉じられた瞼。まるで精巧な人形のような美しさだった。ユノは数歩近づき、カプセル横の端末に表示されたステータスを確認する。
リザレクテッド:リース
個体番号:JCF02621
ステータス:再生完了/初期化済み
「本当にいたんだ……あなたみたいな子」
思わずこぼれたユノの声は、かすかに震えていた。カプセルのガラス越しに眠る少女を見つめながら、彼女は深く息を吐く。視線は自然と、リースの右手へと向かっていた。右手中指には銀色の指輪状の装置がはめられている。
遺伝子ビーコン。
リザレクテッドの個体識別と、ネットワークへの接続を担う小型デバイス。リザレクテッド──再生人間であることの証だ。
その存在が、ユノにあらためて現実を実感させた。
(生殖能力を持つ体……この世界に、ほんとうに“戻ってきた”のね)
彼女は、贈り物の包みを開けるような気持ちで、カプセルの解放ボタンにそっと指を添える。軽い駆動音とともにカプセルが振動し、ぬくもりを含んだ空気がふわりと漏れ出した。
「さあ、目を覚まして。リース。あなたの時間が、ここから始まるの」
数秒の沈黙のあと、カプセルの中でリースの睫毛が揺れた。まぶたがゆっくりと開き、光に慣れない瞳がわずかに細められる。視線は空中をさまよい、やがてガラス越しのユノの姿を捉えると、まばたきを繰り返した。
「……さむ……」
かすれた声が、ほとんど囁くように漏れた。
「初めまして、リース。私はユノ。あなたの所有者になるアウロイドだよ」
リースは検査着のような、質素な服しか着せられていない。ユノは微笑み、あらかじめ用意していた白いコートを手に取る。
その前に、ふとリースの体へと視線を落とす。肌は白く、均整のとれた四肢。だがユノが注目したのは、リースの下腹部――子宮の存在する領域だった。アウロイドの身体には存在しない“生殖器官”。その存在を宿す、再生された少女の腹部。興味というにはあまりに静かな眼差しで、ユノはそこを見つめた。
(ここに“つながり”があるのね。命を、次へ送るための)
まるで観察するようにじっと見つめるユノの視線に、リースが気づいた。
まだ動作はおぼつかないが、彼女は反射的に両腕を交差させ、自分の体を隠すように抱きしめた。
「……やめ、て……」
わずかに眉を寄せたリースの頬が、うっすらと赤くなる。その仕草は明らかに“恥じらい”だった。ユノは目を瞬かせ、ようやく自分の行動に気づいたように口元を緩める。
「ごめん。悪気はなかったの。ただ……あなたが“完全な人間”だって、改めて感じただけ」
そう言いながら、ユノは白いコートをそっと肩にかけてやった。同時に、ちらりとリースの耳の後ろへ目をやる。通信接続のためのポート――アウラリンク(Aura Link)。電脳を持つ者はこのポートを持っている。しかし彼女にはない。これもリザレクテッドの特長だった。
「大丈夫。ここは安全。誰もあなたを傷つけない」
リースはコートに包まれたまま、小さく頷いた。まだ覚醒直後のぼんやりとした目つきではあるが、そこにはわずかな警戒と、同時に信頼の芽も宿っていた。
「無理しないで、ゆっくりでいいの。手、貸すよ」
差し出されたユノの手を、リースは一瞬だけためらってから、そっと取った。冷えた指先が震えていたが、その中には確かな“意志”のようなものがあった。
リースはユノの手を頼りに、ぎこちなく身を起こすと、慎重に足をカプセルの外へ滑らせた。足裏が床に触れると、小さく息をのむような反応を見せる。重力の感覚、冷たい床の感触、そして自分の体の重み。そのすべてが初めての経験だった。ユノは彼女の腰に手を添え、支えるようにして言った。
「ゆっくりでいい。焦らなくて大丈夫」
リースは小さく頷きながら、一歩、また一歩と床を踏みしめた。まるで歩き方を思い出すように。慎重に動く様子は、まさに“生まれたて”の存在そのものだった。壁に手をついて体勢を整えると、リースはふと自分の手を見下ろす。そこには、銀色の遺伝子ビーコンが静かに光を放っていた。
「気分はどう? どこか痛いところはない?」
「……だいじょうぶ。ちょっと……ふわふわしてるけど、歩けます」
「それならよかった」
ユノは安堵の表情を見せ、再びリースの肩に手を添える。
「じゃあ、行きましょうか。あなたのために準備した場所があるの。最初の“生活”を始める場所。君のお家になる場所だよ」
リースは戸惑いながらも、頷いた。その手はまだ震えていたが、握り返す力は少しだけ強くなっていた。ユノとリース、二人の足音が静かな面会室に響きながら、未来へ向けた最初の一歩を踏み出していく。再生された命と、それを迎え入れた者の物語が、静かに幕を開けた。




