1:出発
お詫び。
最初のほうに読んでくださった方には申し訳ありません。
この間絵師さんにアンヘルのキャラデザをしていただき、「赤髪」で描いていただいたものがあまりにも素敵だったので、しれっと「アンヘルは赤髪設定」に変えました。
よろしくお願いします。
その街は、一度滅んだかに思えた。古めかしいラジオから聞こえてきた惨状は、耳を塞ぎたくなるほどだった。
あれから、さして時は経っていない。けれど街は動いている。人々の営みがある。少しずつ、復興の兆しを見せている。
街の名は、デパール。
大きな通りに差しかかると、路上販売がそこかしこで行われていた。闇市というやつだ。
「ミカンはいかが?」
四十代くらいの女性が、通りがかった人影に反応して声をかける。
その人物は足を止めると、ミカンをじっと覗き込んだ。女性はふと、気がついたように言葉を続ける。
「あんた、見ない顔だね」
「え? ああ、旅人なんです」
「へえ。若いのにねぇ」
女性はそれ以上何も言わなかった。目の前の旅人が、若くして家を持たない理由が、おそらく戦争によるものだと察したためだろう。
「ミカン、美味しそうですね。いただきます」
旅人が銅貨を差し出すと、女性は嬉しそうに笑ってそれを受け取った。
「ありがとう。あんた、名前は?」
「アンヘルです」
「いい名前だね。この街にまだ宿屋はないけど、あっちの酒場に行けば泊めてくれる人ぐらいはいるはずさ」
「ありがとう! 良い一日になりますように」
アンヘルは手を合わせて祈りの言葉を唱えると、ミカンを受け取り、大きな荷物を肩にかけ直した。それは大きなギターケースのように見える。戦後の混乱にあるこの街で、ギターを持ち歩いている人などほとんどいないため、アンヘルの姿は少し浮いて見えた。
「アンヘル、ねぇ」
女性はその名前を繰り返す。名前通りの、天使のような人だったと思った。
酒場では、おそらく闇市で買い入れたであろう酒瓶を囲んで、数人の男たちが酒盛りをしていた。
「こんにちは」
アンヘルは室内を見渡しつつ、あいさつする。戦火を逃れた建物の中に、食料をいくらか集めてきて、誰でも使えるように格好を整えたような場所だった。
男たちは興味深そうにアンヘルの姿を見た。小柄な身長で、長い赤髪を結い上げ、大きなギターケースを背負ったその姿に、彼らは顔を見合せると、どっと笑った。
「なんだ、珍しい。ストリートミュージシャンか?」
「あんた、いくつだ? ずいぶん若いな」
「ていうか、男? 女?」
「まあ、飲めよ」
男の一人が、アンヘルの前に薄汚れたコップを置いて、その中に透明な酒を注いだ。
「いただきます」
アンヘルはコップを傾けて、ゆっくりと酒をあおった。男たちは話題ができたことが嬉しいのか、アンヘルが酒を飲み干す様を眺めながら、話を続ける。
「こんな若い子をこの辺で見たのも、久々だよなあ」
「ああ。ったく、戦後で余裕がないんだろうよ」
空になったコップを机に置いて、アンヘルは怪訝な表情を浮かべた。
「そういえば、若者を見かけませんね」
「ん? ああ、あんた旅人か。どうりで知らないわけだ」
男が納得したように頷いた。
「お上はな、十代二十代くらいの若者を集めて王都の労働力にしてるんだ」
「年齢制限には、何か意味があるのですか?」
「さあ……男は力仕事って聞いたけど、女はどうかねえ」
男たちが酒をあおるのをじっと見つめたまま、アンヘルは「なるほど」と呟いた。
「泊まっていくか? かみさんも久しぶりの客人で喜びそうだ」
「いえ、用事ができましたので」
アンヘルは立ち上がり、ギターケースを担いだ。男たちはアンヘルの姿を眩しそうに見ると、笑いかけた。
「こんな時代だが、いい旅にしろよ」
「ええ。ありがとうございます」
笑顔で答えると、アンヘルは酒場を後にする。裏通りに足を踏み入れると、ふう、と息を吐き、顎に手を当てる。
若者ばかりを狙って王都に連れて行くのには、なんの意味があるのだろう。あまりいい予感はしない。
「まずは王都に行きますか」
アンヘルは、遠くにうっすらと見える白い城壁を見つめた。
王都は、さまざまな事情を抱えた人々でごった返していた。減税を迫るデモ集団や、少しでもいい役職の男を客に取ろうとする売春婦たち、中には次の戦争に備えて騎士に志願する者までいた。しかし、やはり城の外にいる人々の中に、十代二十代の若者は見当たらない。
アンヘルは人混みでもみくちゃにされながら、なんとか噴水広場にたどり着いて、ベンチに腰を下ろした。節水のためか、噴水は中止されており、受け皿の部分が乾いていた。
「やあ、君ひとり?」
三十代くらいの男がアンヘルに声をかけて、隣に座った。
「ええ。旅をしていまして」
「いいね。僕も家がないから、友達に泊めてもらっているのさ」
男はアンヘルに笑いかけるが、アンヘルはにこりともしない。男は苦笑して、アンヘルの視線をたどった。その視線が男の隠し持っていたポシェットに注がれているとわかると、男は困ったように続ける。
「そんなに警戒しなくても。何、王都じゃよくあることさ」
「……麻薬の売買は、条約で禁止されたはずですが」
「あんな条約、守ってる人がいると思うの? 一回使ったら、君もきっと好きになるって」
男はそう言って、錠剤を取り出す。
「何となくわかるのさ。君、城に入りたいんだろ?」
「ええ」
「やめときなよ。そういう正義感の強い人間を、僕はたくさん見てきたけど、誰一人城から帰ってこなかった」
アンヘルは男の言葉に、はあ、とため息をついた。
「なぜあなたが、城へ入った人たちを見てきたのか、わかりました……城内の人間が麻薬の手引きをしているんですね」
「そういうこと。ドローグ長官って言えば伝わるはずだ」
なおも錠剤を押しつけようとする男に、アンヘルは首を横に振った。
「情報ありがとうございます。それでは私はこれで」
「僕も行こうか?」
「いえ、一人で大丈夫です」
アンヘルが噴水広場を後にすると、男は寂しそうに笑って、手の中の錠剤をポシェットにしまった。
「ドローグ長官に用がある、と」
「はい。お願いします」
門番はアンヘルをじっと見て、訝しげに続ける。
「この街の人間か? そのくらいの歳なら、王都での労働を義務づけているはずだが」
「最近来たばかりでして」
「……そうか。よし、通れ」
門番に切符のようなものを渡され、城に足を踏み入れる。もう一歩進もうとしたところで、門番が「それと」と口にした。
「知らないようだから教えるが、ドローグ長官という人物は存在しない」
「……!」
「行き先は切符の裏を見ろ」
アンヘルが切符を裏返すと、手書きの地図が書かれていた。驚いて門番を見やると、門番は帽子を深く被り直して、視線を逸らした。アンヘルは強ばっていた表情を和らげて、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。上手くやってみせます」
アンヘルは裏庭を通り、城内を進む。建物の中に入り、廊下を少し進むと、男の怒鳴り声が聞こえてきた。背伸びして高い窓から外を覗くと、中庭に大勢の若い男が集められているのが見えた。
「休みなく動き続けろ! さもないと、女どもの命はないぞ!」
怒鳴っている男は、王の家臣だろうか。若い男たちは何やら重たいものを運ばされているようで、汗をだらだら流し、顔色が優れない。アンヘルは眉間に皺を寄せて、早足で中庭へと向かった。
中庭の入り口には見張りがいて、容易には踏み込めない。
「そんなにバレたくない事情があるんだ……」
アンヘルは呟いて、物陰に身を潜め、時を待った。
注視していると、見張りが家臣らしき男と話し始めた。家臣が何やら嬉しそうな足取りで持ち場を離れていき、見張りが武器を置いた、その瞬間。
アンヘルは駆け出すと、足音に振り向こうとした見張りの頭部めがけて、ギターケースを振り下ろした。
ゴン!
痛々しい音がして、見張りが地面に倒れる。男たちも騒ぎに気づいて、不安そうにアンヘルのほうを窺っている。
「あはは、すみません……」
アンヘルは気を失っている見張りに頭を下げると、ギターケースを背負い直し、さて、と呟く。
「皆さんはデパールの出身ですか?」
「その、君は誰? あんなことして、後でなんて言われるか……」
男の一人がおずおずと疑問を口にする。
「私はアンヘル。デパールから若者がいなくなっていると聞いて、王都で何が起こっているのか、確かめに来たんです」
「アンヘル、僕たちは……」
もう一人男が近づいてきて、アンヘルに言った。
「デパールだけじゃないさ。いろんな街から集められてるんだ」
「なんでまた、十代二十代だけを集めているんでしょうか?」
男たちが顔を見合わせて、その後落胆したようにうなだれた。
「……見ればわかるさ」
アンヘルがきょとんとしていると、男の一人が顎でその方向を示した。その方向にあるのは城の別棟で、中庭を通って中に入れるようだった。
アンヘルは駆け足で別棟に向かうと、バン! と勢いよく扉を開けた。
「ひっ……!」
部屋の中から女性の悲鳴が聞こえた。アンヘルは立ち尽くしたまま、目の前の光景を信じられないという顔で見つめていた。
部屋の中には、無数のベッドと若い女性たちが所狭しと詰め込まれていた。女性のうち半数はお腹が膨らんでおり、赤子を抱いている者もちらほらいた。よく見ると、ベッドの四隅に拘束具がぶら下がっている。今は使われていないようだが、使う機会があるというのか。
「……ここは何ですか?」
アンヘルが問うと、女性の一人が赤子をあやしながら答えた。
「この部屋は『生産室』と呼ばれています」
「生産? そんな言い方……」
「国にとって、私たちは道具なのです。戦争で失った人口は取り戻さなければならない。そのために、適齢期の男女ばかりを集めたのですから」
数名の女性がすすり泣くのが聞こえた。アンヘルは言葉に詰まる。しかし、すぐに顔を上げると、努めて優しい声で母親の一人に語りかけた。
「私を王様に会わせてください」
「い、いけません! それじゃ、あなたの命が――」
「大丈夫。私を信じてください」
アンヘルはそう言って、踵を返した。生産室の付近で俯いていた男たちを「大丈夫、なんとかします」と励まし、中庭に転がっている見張りの元へと向かう。
見張りはまだ意識がはっきりしていなかったようだが、アンヘルがひざまずくと、ハッとしたように置いてあった剣に手を添えた。
「な、なんだ貴様は! どこから入った!?」
「王様はどこですか?」
「貴様ごときが謁見を許されると思うな!」
見張りが剣を抜き、アンヘルの喉元に切っ先を突きつける。生産室から出てきた男女たちが、案ずるようにどよめいた。アンヘルは見張りをじっと見つめ返している。
「さあ。案内してください」
「黙れ――!」
見張りが大きく剣を振り上げる。その剣は、そのまま振り下ろされる――はずだった。
キン!
金属のぶつかる音がして、剣が地面へと転がり落ちた。
「なっ……!」
アンヘルはギターケースを構えていた。そのぱっちりとした目元は、先ほどまでとは打って変わって鋭い。見張りが驚愕のあまり戦意を喪失したとわかると、アンヘルはギターケースをどん、と地面に立てて置き、同じ言葉を繰り返した。
「案内、してください」
城内の奥へと進み、王の間に通される。不機嫌そうにふんぞり返った四十半ばくらいの男が、玉座に座っていた。
「あなたが王様ですか?」
「……なぜ侵入者を通した?」
王は、アンヘルの後ろでひれ伏している見張りにそう言った。見張りはガタガタと震え始め、「お許しを、お許しを」と繰り返している。
「いかにも私が王である」
「それでは、お願いがあります。デパールをはじめ、多くの街から集めた若者たちを、解放してください」
「なぜお前にそんなことを言われなきゃならんのだ」
アンヘルはぱち、と瞬きをした。
「私は、私が正しいと思ったことをするように、と仰せつかっています」
「なんだ、どこかの国の使者か。吟遊詩人かと思ったよ」
「いえ、何が正しいかは私の判断ですので」
王が腹立たしげに鼻を鳴らす。
「お前みたいな、正義を振りかざす貧乏人には飽き飽きだよ。大した実力もないくせに、綺麗事を成し遂げられると思い込んでいる」
王が玉座から立ち上がる。アンヘルが一歩下がると、とん、と何かにぶつかった。振り向いてみると、そこには銀色に輝く剣を構えた騎士たちが、ぐるりとアンヘルを取り囲むように立っていた。
「やってしまえ。どうせ弱小国の者だろう」
「はっ」
騎士たちが一歩前に出ると、アンヘルは少し考えるそぶりを見せた。そして、ギターケースを肩から下ろすと、留め具を外し、ケースの中身を取り出した。
――その手には、きらびやかな装飾を施された柄に、継ぎ目の目立つ大きな刀身をした、見たこともない剣が握られている。
「お力添え願います、『陛下』」
アンヘルは慣れた手つきで、その大ぶりな剣を構えた。
騎士たちも怯むことなく、さらに一歩足を踏み出して、斬りかかってくる。アンヘルは姿勢を低くして刃をかわしつつ、手にした剣を回転をつけて薙いだ。反応が遅れた数名の騎士がノックバックし、アンヘルがそれを追う。
ゴン、と重たい音と共に、騎士の一人が床に倒れた。アンヘルの峰打ちが頭を直撃し、脳震盪を起こしたらしい。
好機とばかりに騎士たちが刃を向けるが、アンヘルはすぐに剣を背中に回し、その刃先を受け止める。そのまま身をひるがえして、背後の騎士の脇腹を峰で打つ。
激しい攻防がいくらか続いて、ようやく静寂が訪れた。床に転がった騎士たちに囲まれるようにして、アンヘルただ一人が無傷で立っていた。
「ひっ……!」
王が怯えたように、情けない声を上げる。アンヘルは気を失っている騎士たちを跨ぎ、玉座へと迫る。王は逃げようとするも、腰が抜けたのか床に尻もちをつき、ガタガタと震えている。
「た、大変失礼いたしました……! どちらの強国の方でしょうか……?」
「私の国は……」
アンヘルはじっと考えて、剣を構え直した。
「……私のいた国は、先の大戦で滅びましたが」
「そ、それは申し訳ありません……!」
「いえ。国を失ったことを恨んではいません。戦争とはそういうものです」
ただ、と、アンヘルは切っ先を王の喉元に向けた。王が縮み上がり、浅い呼吸を繰り返している。
「二つ、お願いがあります」
「は、はひ、はっ……!」
「一つは、先ほども言いましたが、若者たちを解放してください」
「は、は、かしこまりました……!」
「もう一つは……」
アンヘルは屈むと、剣を王の目の前にかざし、続けた。
「覚えていてください。この武器が――『コーネリア・オルロジェール』が、あなたたちを打ち破ったことを」
「ま、まさか……そんなはずは……」
王が目を大きく見開いて、呟いた。
――「コーネリア・オルロジェール」とは、先の大戦で名を馳せた、オルロジェール王国の女王の名前だ。また、女王の名を冠した剣が作られ、オルロジェール王国はそれを切り札だと言っていた。しかし、オルロジェール王国は大戦に敗れて国を失い、女王は戦死したとされ、切り札とされたその剣は行方不明となっていた。
戦争中の流言飛語だと思っていたが、今目の前にあるのは、圧倒的な技量を持つ剣士と、それだけの力を秘めた剣だった。
「あなた様は、何者ですか……?」
「私はアンヘル。ただの……おせっかいな旅人です」
それじゃあ、とアンヘルは踵を返し、広間を後にした。王は床にぺたりと座ったまま、呆然とアンヘルの背中を見送っていた。
あれから一週間。
デパールは、戻ってきた若者たちで賑わっていた。労働力を取り戻した街は復興を進めていたが、人口が増えたことにより、食料が不足しているようだった。
と、街に王都から荷物が届いた。備蓄食料がたくさん、大きな包みに入っていた。
「これは……王様が?」
アンヘルが聞くと、若い男性の一人が答えた。
「僕たちが王都にいた頃に作った作物ですよ。王都だけに分配される予定だったものを、地方にも分けてくれているようです」
「なるほど……」
包みの中から、一枚の紙が出てきた。アンヘルはそれを開いて読んだ。
――国民のみなさま、これまでの非礼をお詫びします。食料が足りなくなったら、街ごとの役人を通して、王都までご連絡ください。
「やあ、上手くいったようだね」
荷運びをする男たちの中に、見覚えのある顔があった。アンヘルは、あ、と呟く。それは城への侵入を助けてくれた、あのドラッグの売人だった。彼は積荷をあらかた下ろしてしまうと、興味深げにアンヘルに語りかけた。
「ねえ、結局どんな手を使ったの? 直談判しに行った人たちは誰も成功しなかったのに」
「見張りを気絶させたり、騎士を気絶させたりしましたよ」
「あはは! やるね」
「そっちこそ、なぜ荷運びを?」
「ああ。王都では荷運びの仕事をたくさん募集していてね。これからは定期的に食料を送るそうだから、不定期で麻薬を売るより儲かるのさ」
「……そうですか」
アンヘルは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、気をつけてな。アンヘル」
「またいつでも飲みに来いよ!」
酒場にいた男たちが口々にそう言った。アンヘルも頷いて、大きく手を振ってみせる。
「みなさん、お元気で!」
街がにわかに賑わい始めた。今日は青空が澄み渡っている。
アンヘルはギターケースを担ぎ直して、デパールの街を後にした。