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「ここだけの話なんだけどさ、帝と妃様、まだまぐわってないんだよ」
目の前の美丈夫から吐き出されたとんでも機密事項に、カノコはぼとりと水筒を落としてしまった。
「カノコちゃん! 書類濡れる!」
「あっ! わっ! あー!」
慌てて水筒を起こしてタオルで抑えるも、書類はぐしょぐしょのびちょびちょで、今にも破れてしまいそうな状態だった。
「すみません! 乾かせばいけると思うので後で風魔法使える人になんとかしてもらいます!」
「えー、そんなことしなくてももう一回印刷してくるよ。もしくはその魔脳貸してよ。俺のデータ引っ張ってきてきて、そこの印刷機で刷るからさ」
「……そっちの方が速そうですね。じゃあこれそのまま使えるのでどうぞ」
「了解、ちょっと借りるね」
液晶の上ですいすいと指を動かす男の顔は至って普通で、先程の爆弾発言が空耳だったのかと疑うほどだ。
「それでカタバミ様なんだけどさー」
「あ、まだその話続くんですか」
「だって他に話せる人いないしさ」
「私にも話さないでください。激ヤバ機密事項じゃないですかバレたら首ちょんぱですよ」
ここは、3つの大陸と小さな島々を持つ、魔法が息づく世界。
一番大きな陸地には5つの国。
北の要塞シューマニー王国。
南の交易都市アクレイン公国。
西の女王国シルヴィアナ。
大陸の中央に鎮座する覇者カトレア帝国。
……そして、残された東には、月と夜闇の王国ゼンがあった。
勤勉で緻密な作業が得意な国民性が幸いしてか、それとも精霊信仰の深さが幸いしてか、ゼンは魔法大国と呼ばれるくらい、非常に魔法が発達した国で、首都の月雲は全ての新しいものが集まる街として、発展している。
カタバミ様とスイホウ様は、その東国ゼンの今上陛下とその妃となるお方である。
つい1月前の麗らかな春の日に盛大な結婚式を挙げており、見目麗しく穏やかに微笑む御二人の姿にうっとりとした国民はとても多い。
カタバミ様が支援しておられる魔石の採掘地帯に伺った際に、そこの地帯を治める貴族のご息女のスイホウ様を見初められて、お互いに愛を育みあったと報道されていたはずだが。
まさか、不仲なのだろうか。
「実態は魔石採掘が赤字だから影ながらの支援と配送ルートのインフラ整備のための結婚だよ。あの二人」
「夢もへったくれも無い上にバレたら国民からの信用だだ下がりじゃないですか怖っ」
この大陸の国々は、魔力を使用する力が備わっていない人間に魔力をもたらすと言われている精霊へ祈りや願いを捧げるーー精霊信仰の人が多く、この国ゼン王国も例に漏れない。
精霊は愛を至上のものとするため、精霊信仰の国々では王族であれ貴族であれ、政略ではなく恋愛結婚が主流となっている。
「カノコちゃん口固いでしょ。ここ人来ないから簡単な防音結界しておけば良いしさ」
図体のでかい男前がきゅるんと子犬のような顔をしてくるので、思わず絆されそうになってしまう。
カノコは気を取り直すために、大きなため息を吐き出した。
「人が来ないのではなく、普通の人は勤務時間内に来るんですよシャンヅェンさん。今何時だと思っているんですか」
しんと静まりかえった廊下に備え付けられた時計は6時半を指している。
カノコの所属する宮庁管財総務課の定時は5時半。
基本緩い職場なので、繁忙期以外は上司も同僚もみんなさっさと帰ってしまっている。
しかし、カノコは帰れなかったのだ。この男のせいで。
再度言う。この男のせいで。
「ごめんて。はい、演習場の鍵これで全部です」
「はい、受理します」
カノコの仕事は鍵の貸し出しや城内設備の管理など。
貸し出していた鍵が定時内に帰ってこなければ、帰れないのだ。
「なんか初夜でスイホウ様に泣かれたそうでさ、意地張って『ここの暮らしに慣れるまでは抱かない』って言っちゃったみたいで、翌日のカタバミ様見るからにしょぼっしょぼなのよ。ウケる」
「更なる暴露やめたげなさい。仮にも貴方護衛でしょ?」
先程から不謹慎な話題でけらけら笑っているこの男、一応帝の護衛という大層な仕事をしている。そのせいで色々な帝関連の話題に詳しいのだ。
年の頃はカノコと同い年の同期だから今年27歳。もう誕生日が来ているかどうかはそこまで親しくないので知らない。
後ろ髪を刈り上げた黒髪に青い瞳。護衛なので身体は鍛えられており、適度に日焼けした肌が健康的に見える。
見目麗しく女性にも優しいため、非常に人気が高いが未婚で、付き合っている人がいるという噂も聞かない。だが、これはカノコがあまりその手の話題に詳しくないだけかもしれない。
「あんなに可愛いお妃様迎えたのに抱けずに毎晩オナってんならさっさと素直になれば良いのに」
しかし、女性の前でこのような言動をする男がモテるとは、カノコには到底思えなかった。
「……本当に黙っていれば好青年なのに」
「ここくらいでしか愚痴れないんだよーーー。俺今から夜勤なのーーー! 一晩中野郎の喘ぎ声なんて聞きたくねえんだってーーー!」
カウンターに突っ伏していやいやする27歳児を冷たい目で見ながら、カノコは魔脳の電源を落とした。
「御愁傷様でーす。じゃ、私帰りますねー」
「カノコちゃんの薄情ものー!」
既にまとめていた荷物を持つと、施錠して記録簿に時間を書いた。
ここの鍵は警備室で預かって貰っているので、帰りに寄らなければならない。
施錠の間、シャンヅェンは待っていた。
どうやら途中まで一緒に行ってくれるようだ。
「なんか毎回俺が来る時残ってるのカノコちゃんじゃない? 他の人は?」
「私が一番下っ端なのと、鍵の管理の主担当だからです」
「でも土日や定時過ぎてここが開いてないなら、管財総務課じゃなくても警備室に預かって貰えば良いんでしょ? 残る必要ある?」
「色々あるんですよー、ついでに諸々片付けたりとか」
週に数回、この時間に会えるどこかの誰かさんに会いたいからとか。
カノコは含んだような笑みを浮かべて歩きだした。
腕時計を見ると、時間は7時前。帰って夕食を作るには少々面倒な時間。
時間を見てふと思うことがあり、カノコはシャンヅェンを見上げた。
「ところで、夜勤なら交代は8時ですよね? 随分早くないですか?」
「色々あるんですよー、ついでに食堂でご飯食べようと思ったりとか」
「ああ、食堂。良いですね。私も夕飯食べて帰ろうかな」
「じゃあ一緒に行く?」
「良いですよ。夜の食堂なら女性陣ほぼいないですし」
「それ関係ある?」
「私の仕事のしやすさを考えると非常に関係あるんですよこれが」
そんな軽口を叩いていたからカノコは気付かなかったのだろう。
シャンヅェンが見えないところで小さくガッツポーズをしていたことにーー




