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海に月の光が梳ける時  作者: 稜 香音
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よろしくお願いします。

 「どうした?」


「いや、何と無く・・・」


龍志朗の執務室では北が書類を机に広げて思案しているところだった。


少しだけ開いていた隙間から覗けたので対馬がするりと入ってきた。


「そうか」


主である龍志朗が居ないが、対馬ならばと、北は特に気にしなかった。


「何か変わった事は?」


「否、何も」


「そうか」


二人に表情は無い。


瞳に影があるだけだった。


「対馬、お前、組まずに訓練しているけど、それで良いのか?」


重い空気を払うように北が対馬に問い掛けた。


「ああ、北に相手してくれると言ってもらえるのは有難いのだが、相棒を借りるのは好きじゃないんだ」


いつも明るい対馬はどこにも見えない。


「訓練だから、それ程気にしなくても良いと思うけどな、まして、今は、月夜隊長が長期で休んでいるのだから、事情が違う」


「でも、戻ってくると思っているし、そもそも、彩香ちゃんが、彼女があんなことになったのも、俺がしっかり防御出来ていれば、月夜をあんな目に合わせなくて済んだのだから、あんな事に、彼女をあんな状態にしなくて済んだのに、俺が・・・」


どれ程自身を責めても、足りないと思ってしまう対馬。


「それは違うだろう?対馬が手を抜いた訳でも無いのは皆が分かっている、誰よりも月夜隊長が分かっている、それにあんな事が起きるなんて誰も分からなかった」


当然のように対馬にわからせようとする北。


「それはそうだが・・・」


最善を尽くしているのはわかっていても納得は出来ない。


彩香の事も一族の事については皆が知らない。


「それに今、医療部が頑張っているだろう、まだ時間がある、俺達は俺達に出来る事をする、きっと赤子を抱いた可愛い彩香ちゃんが見れるよ、それとでれっとした月夜隊長も」


国防を担っている程強くても、医療に関しては部外者の自分達に出来る事は無い。


「そう、だと、良いんだが・・・」


「きっと見られる、そう、信じる事から始めないでどうする、願わなければそもそも叶わないだろう」


北は対馬の肩を揺する。


「・・・そうだな、願っている、本当に願っている」


少しだけ生気が戻った対馬がそこにいた。






 「彩香、もう直ぐ夏が終わるね、今年の夏も暑かったね、今年は浴衣が着れなくて残念だったね、でも、来年は一緒に着ようね、約束だよ」


龍志朗は今日も、サンルームで彩香に少しでも涼しくすごしてもらおうと風を送りながら、語りかけ、その頬に口付けを落とす。


「坊ちゃま、彩香様のお召替えをしましょう、今日もまだ暑いですから」


雪乃も何かと彩香の世話を焼いてくれる。


少しでも過ごしやすい様に、いつ目覚めても良い様に。


「そうだね、じゃ、一度彩香の部屋へ」


「はい、ご用意しております」


龍志朗が彩香を抱き上げてて部屋へと運ぶ。




薄暗くしてある彩香の部屋のソファに彩香を横たえて、用意してあった桶のぬるま湯で彩香の体を拭き清める。


雪乃が主に拭いているのだが、支えきれないので、後ろから龍志朗が支えている。


出来るだけ見ないように、気が付いた時に、彩香が羞恥で悶える事は二人とも想像が容易かった。


「あっ」


突然、雪乃が声を上げる。


「どうした?」


何か異変かと龍志朗が心配そうに声をかける。


「坊ちゃま、そのまま片手をこちらに伸ばせますか?」


意外にも雪乃の瞳が嬉しそうだった。


「ん?雪乃の手の所か?」


不可思議なまま従ってみる。


「はい、ご無理でしたら、私が彩香様を支えにそちらに回りますが?」


そわそわとしている雪乃は珍しい。


「大丈夫だ、少し前かがみになって・・・ここか?」


膝をずらして体を寄せる。


「はい、少しそのまま手を当てていて下さい」


じっとしていると、夏の気配が纏わりつく。


不思議な静けさの中、時が過ぎる。




「あっ」


「坊ちゃまわかりましたか?まだ、僅かですが、彩香様のお腹の中が動きますでしょう、お子が懸命に生きておられます、彩香様が懸命にお育てしております」


雪乃の目尻が光る。


「ああ、我が子が生きている、彩香が育てているんだな」


初めての胎動に体の中から湧き上がるものを龍志朗は感じた。


「ええ、ええ、彩香様もお子様も生きておられます」


雪乃はこくこくと頷いていた。


「そうだ二人で生きている、私が二人を守ってやらねば、子は育とうと、彩香は育てようと、私が守らねば、誰が守るというのだ」


龍志朗は真っ直ぐに雪乃を見た。


「はい、龍志朗様がお守りください、きっとですよ、乳母は楽しみにしております」


「ああ、大丈夫だ、私が守る」


龍志朗が力強く言う。


ほんの少しだが、彩香のお腹の中の子が動いたのだ。


龍志朗が戦地に赴いた時はまだ、全くお腹が目立たなかったのに、今はお腹の中の子が動くほどになっていた。


龍志朗はこんな状態の中でも彩香のお腹の中の子が育ってくれている事に感謝していた。


今の自分に出来る事は少ない。


彩香も子も救う事が出来るのは医療部の者達と分かってはいる。


それでも、日々、彩香を見て、彩香の事だけを考えて、祈っていた。


必ず親子で救い出せると、固く信じて。






 「だいぶ、固まってきたんじゃないか?」


深水は久しぶりにティーカップに紅茶を入れて、声を掛けながら机に置いた。


「はい、子宮の機能を残して、中から胎児を取り上げる連携についても、皮膚組織がどのくらいで、血管や神経の位置など絵と実物の違いもわかってきました」


ことりと置かれたティーカップ越しに桔梗は見上げた。


手元に色鉛筆を幾つも広げ、机の上には折り重なる様に紙が置かれていた。


「そうだな、切った後の術の連動も感覚的に掴めてきたな」


穏やかな眼差しを向ける。


「ありがとうございます、深水先生でなければ出来ませんでした」


桔梗の瞳に光が戻ってきている。


中々思うように進まず、成果も出なかった頃の『血塗れの亡霊』ではなくなっていた。


「うん、そこは素直に感謝してもらおう」


大きく頷く。


「感謝しています」


ぺこりと頭を下げる。


「後、一押しだね」


「ん?」


深水の言葉の意図がわからず小首を傾げた。


「否、良いから」


真面目な顔して話していた筈の深水の口角が僅かに上がっていた。




「それで、臨床の方への話はどうする?」


一瞬で真顔に戻した。


「はい、まだ動物実験なのですが、進捗は一度お話した方が良いかと思うのですが、如何でしょうか?」


少し顔が強張るのは隠しきれない桔梗だ。


「そうだね、向こうも研究はしていると思うから、情報共有はしておいた方が良いだろうね、ここまでの成果はどのくらいでまとめられる?」


深水はそっと桔梗の肩を撫でる。


「めも書きばかりなので、1週間くらいはかかってしまうかも・・・しれません・・・すいません」


本来、実験は段階が進むごとにまとめて、提出するものなのに、全て端折っている。


そんな優遇処置にも有難くも申し訳ないと体が竦む桔梗だ。


言いながらも自信が無いので声も小さくなる。


「うん、寧ろ早い方じゃないかな?ずっと走ってきたからね、そんなもんだよ、めも書きが残っていただけ良かったじゃない、十日前後で調整してみるから」


ぽんぽんと深水が軽く桔梗の頭に手を置く。


「よろしくお願いします」




臨床には月夜家の縁者がいる。


以前の一件があるので、日向桔梗は臨床から距離を置かれている。


桔梗が直接手を下した訳では無いが、原因ではあったのだ。


結果として彩香の能力が明らかになって良かったが、人々の心に蟠わだかまりが残った。


元々、何も無い時から『非常勤務』で非協力的だったのだ。


目立つ事だけ、あんな事しておいて、と、蔭口はついてまわっていた。


深水が表に裏にと、守ってくれているので、桔梗は実験が進められている。


それでも、臨床への話は自分でするようにと、深水からも言われている。


この道で生きていくなら避けて通れない道だと、自身を奮い立たせていた。


桔梗の握りしめた手に、そっと大きな深水の手が被さる。

大丈夫、だったかな?


少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。

引き続きよろしくお願いします。

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