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色んな人が想ってくれているんですよね
「様態は変らないのか?」
厳めしい顔のまま上司に問い掛けた。
「ああ、報告は『変わらず』しかない」
書類から顔を上げずに応えた。
「そうか、難しいな、息子が帰れば孫が危うい、どちらもこのままなら次が無いから、困ったもんだな」
凪いだ声が戦友を労わる。
「ああ」
星北に言われて言葉を返す龍斗の気は重い。
自身が紫亡き後、後添えを娶らず、龍志朗一人を自身の後継者としたのだ。
彩香の意識が戻って無事に出産してくれれば良いが、戻らなかったら、彩香が助かっても次の子はおそらく望めない。
彩香を犠牲にして腹の子を選ぶ事は龍志朗がしないだろうと思われていた。
その場合、跡継ぎがいない。
だが、龍斗は龍志朗に『家を選べ』とは言えなかった。
己の犠牲になって紫は亡くなった。
龍志朗に母を与え続けられなかった負い目が、その孫にも、と思うのと、龍志朗が彩香を犠牲にするとは思えなかったからだ。
「まだ時間はあるんだ、医療界あげて頑張ってくれているんだろう?」
努めて前向きな話題にする。
「ああ、帝も密かに命を出してくれているからな、表向きは安全な出産に向けて改善をと言う事らしいが、最優先は彩香の事だ」
応えるように顔を向けた。
「まぁ、先代の帝の事もあるだろうし、帝自身が彩香ちゃんを気に入ってくれていたしな」
思い出すのは皆が晴れやかだった日の事だ。
「そうだ、あの娘は人の心を開かせる」
龍斗にとって自慢の嫁だ、否、娘だ。
「うむ、何と言っても『冷酷無慈悲な鬼隊長』がでれでれの甘々だからな」
星北がとびきりの悪い笑顔をしている。
「そ、それはそうだが、別に言われている程では無かった筈だ、現に部隊もまとまっているし、連携もとれている」
流石にあの噂は自分の息子ながら、如何なものかと思っていたので、つい、庇ってしまった。
「ああ、そりゃ、ついてこれる様な精鋭しかいないからな、ま、元々の女性嫌いは仕方ないし、鬼隊長は父親譲りだから、当然なわけだしな」
星北は気にもしていなかった、寧ろ当然の事と思っていた。
「父親譲りは納得し難い」
何気に渋い顔をしていた龍斗だった。
「えっ?そこ?いやー無自覚って怖いな、今更か?」
星北の目が丸くなった。
「何だ、俺はそんな覚えないぞ」
眉間に皺が増えた。
「厭々、何十年も前から広く世代を超えて浸透しているぞ、お前の冷酷ぶりも」
激しく頭を振って星北が答える。
「そんな事は・・・無い」
毅然と答える星北の態度に、龍斗は迷いが出た。
「ほら、全く身に覚えが無い訳ないんだよ、お前だって若い時、それこそ、紫さんと結婚する前なんか、龍志朗並みに凄まじかったんだから」
ここぞとばかりに畳み掛けた。
「そ、そんな事もあったかもしれないな」
「あったんだよ、そんな事も、こんな事も・・・」
ため息交じりに星北が答えた。
「強くなければと父があれ程言っていたのは、きっと、月海一族の事があったからだったんだろうな」
不図、遠く過ぎた時に思いが寄せられた。
「そうだな、二度と犠牲にはするまいと思っていたんだろうな」
玄孫の花嫁姿を、涙を流しながら手を合わせていた、痩せ細った老女を思い出した。
「ああ、父が泣いたのはあの時くらいだ、今、私は彩香を犠牲にしたくない」
「そうだな」
静まり返った執務室に茜色の陽射しが入ってきていた。
「貴方、何か進捗ありましたの?」
「否、各方面が頑張ってくれているようだが、これぞという報告は聞いていないね」
溜息と一緒に吐き出されて来た様な答えだった。
「そう」
暗い顔の椿は珍しい。
いつも嫋たおやかな笑顔を湛えているのに、最近はめっきり憂い顔だ。
「薬師では・・・難しいかもしれない」
眉尻が下がり沈んだ雅和だった。
「そうなの?」
椿には想像もしていなかった言葉だったようだ。
一瞬、目を見開く。
「原因が解っていないのに、治す薬を作るのは難しいだろう?」
雅和が先生の顔になる。
「・・・そうね」
自分も薬師だった事を思い出した椿だった。
「雅也のところで分析も続けているが、別の治療薬ばかり発見してしまって、それはそれで、医療としては喜ばしいのだが、肝心なのは、ね」
薬師を束ねる立場としては喜ばしい、可愛い彩香の後見人としては気が落ちる。
現在、関りのある研究室は全て『最優先事項』が彩香の研究になっている。
なので、他の研究は滞りがちだ。
雅也の研究室は普段から先端技術を持っているので期待値が高い。
だが、当然、全力をあげて『最優先事項』に掛かりきりだ。
それなのに、『偶然他の治療薬』が見つかってしまい、基礎データと共に他の研究室で研究が続けられているので、臨床としてはいつもより治療薬が見つかる確率が高く、蔭ながら喜んでいた。
「そうよね、何が悪いのかわからないのに治すのは難しいものね、それでも、他の治療薬が出来ているなら、臨床医が頑張ってくれているのかしら?」
椿は元々仕事が出来ない者は嫌いだ。
こちらが成果を出しているなら、そちらも出せ、という所だ。
「ああ、深水室長の所の研究が、一番可能性があるのではないかと、もっぱらの噂だよ」
明るい話題に声があがる。
「深水先生?確か、桔梗さんがいらしたのでは?」
美しい顔に皺が出来た。
「そうだ、その桔梗さんが寝る間も惜しんで研究しているらしい、『血塗れの亡霊』とまで呼ばれているそうだよ」
雅和は聞いてきた話を思い出す。
「血塗れの亡霊?」
椿が思っている桔梗とは到底結びつかない名だ。
「ああ、小動物の実験から中動物まで今は進んでいるらしい、母体を麻酔で生かしたまま、腹を切って、胎児を無事に取り上げて保育させる事を目的としいるらしいのだが、夜遅くまで実験していると他の研究室はもう暗がりなのに、深水先生の所の研究室だけ薄ら灯りがついていて、そこに顔色の悪い桔梗さんが実験で返り血を浴びている姿をたまたま見た人がいたらしく、悲鳴を上げて逃げて行ったという、怪談みたいな話が噂話として広がっている」
話ながら自身でも想像すると、その光景に身が竦む。
「それ、本当の事なのですか?」
心外過ぎて椿は想像も出来なかった。
「最初は噂好きが流したデマかと思ったんだが、日向先生とこの前話してね、本当の事らしいよ、家にもたまにしか帰ってこないで、日向先生の居室や深水先生の所などで仮眠して実験に明け暮れているらしい」
あのお嬢様がね、と思わず付け足してしまった雅和だ。
「あの、桔梗さんが?」
同じ事を椿も思ったらしい。
「彩香ちゃんがね、こうなる前に偶然桔梗さんと会ったらしくて、その時に『桔梗さんにも幸せになって欲しい』と言ったそうだ、勿論、許すとは言ってないらしいが、それでも、その言葉に桔梗さんが応えたいと頑張っているようだよ、かなり深水先生が献身的に支えてくれているらしいよ、本当に彩香ちゃんらしいよね」
目尻を下げて嬉しそうに語る。
「そう、それは桔梗さんにも良かったわね、幼い頃から龍志朗さん一筋であそこまでいってしまったお嬢さんですものね、あんな事があっても、それでも、日向先生には形見のお嬢さんですものね」
椿も母親目線で思えば、桔梗も愛らしいお嬢さんなのだ。
「そうだね、私も親としてはそう思うよ、それに、ね、私は椿がいて、本当に幸せ者だと思うよ、周りを見ていると本当に、椿が居てくれて、幸せ者だよ」
龍斗も日向も妻を早くに亡くしている。
二人とも今も変わらず妻を愛している。
その想いを受けてくれる人の体温を感じる事は無い。
こんな時にとも思うが、こんな時だからこそ、幸せだと感じる雅和だった。
「あら、貴方ったら、私だって、雅和さんが居てくれて幸せよ、お互い、長生きしましょうね」
ちゅっと雅和の頬に椿が口付けをした。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。




