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海に月の光が梳ける時  作者: 稜 香音
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お式、始まりです

早咲きの桜の花が綻ぶ春が来て。愈々(いよいよ)、結婚の儀を執り行う日が来た。


前日に彩也達を呼び寄せ、月夜家の本邸で再会した。


「おばぁ様、わざわざお出で頂き、ありがとうございます、お疲れになったでしょう、ゆっくりして下さいね、お食事もご用意しておりますから」


両手を広げて、彩香は玄関まで出迎えに行った。


「ああ、ありがとう、すっかり艶が増したね、良い顔している、大事にされているね」


彩也はすっかり皺の多くなった小さな手で、彩香の繊手せんしゅをそっと大事そうに受けた。


「も、もう、おばぁ様・・・」


そんな彩也の言葉に、頬に朱を差しながらも、手を握り合える事に、喜びを実感する彩香だった。


「さぁさぁ、そんなところでお話は何ですから、どうぞ、奥へ、奥へどうぞ」


真田にそう促されて、荷物を使用人達に客間へ運んでもらい、皆で応接室に向かった。


「とてもお綺麗になって、ほっぺもふっくらなさって、良かったです」


ゆりは死にかけていた彩香の世話をしていただけに、華奢ではあるが張りのある頬や瑞々しい唇から零れる笑顔に喜びを感じていた。


「ありがとうございます、美味しい物をたくさん頂いて、動けなくなったどうしようかと思ってしまいます」


彩香が目を輝かせてゆりに答えてた。


「動けなかったら、私が抱えて運ぶから良い」


唐突に低い声がして、彩香は驚いて振り返った。


したり顔の龍志朗が立っていた。


「りゅっ、龍志朗様、お出迎えもしないで、申し訳ありません」


思わず息を飲んでしまい、言葉が躓いた。


「否、構わない、折角彩也様がお越しなのだから、ゆっくり話せた方が良いだろう、私もいつもより早めに帰ってきたのだから」


柔らかな微笑みに変わって、彩香の髪を撫でている。


彩香の頬に朱が走る。


今日は本邸に皆でいるので、龍志朗の上着は雪乃が片づけたようで、室内着に着替えてきた。


「明日の主役が今日もお勤めとは、龍志朗坊もお疲れ様な事だの」


彩也が龍志朗を労る。


「ありがとうございます、それ程の事ではないのですが、明日から少し休みをもらったので、その分片づけてきました」


坊と言われると、何とも腰のあたりがむず痒い気がするのだが、彩也から見れば、赤子も同然であろうと思うと、否とも言えず、受け入れている。


「島で何か足りない物はありませんか?お帰りになるまでに出来るだけ揃えます」


龍志朗は、直接聞ける機会を逃すまいと、目を見張った。


「いやいや、大丈夫じゃ、巡回船も何かと気にかけてくれるし、大概の事は島の中で済むのだから、気持ちだけで十分じゃ」


無くなってしまうのではないかと思う程、目を細めて彩也が言う。


「そうですか・・・」


物足りなさを感じても押し付ける訳にはいかない。


彩香が遠慮するのは一族の血のせいか、と、不図、過った。


「何と言っても彩香が大事にされているのが一番じゃよ、それだけが我の願いじゃ」


こくこくと頷いて、皺のある小さな手を胸の前で擦り合わせていた。


「それは大丈夫です、私もあんな想いは二度と御免です」


口元を引き締めて強く応え、視線をゆりと雪乃と話している彩香に向ける。


視線に気が付いたのか、こちらに微笑んで近づいてきた。


丁度、部屋の扉が開いて、使用人が夕食の支度が整った事を告げた。


夕食には龍斗も揃って、皆で明日の話をしながら頂いた。


こんなに大勢で食事をするのはいつ以来だろうかと、それぞれの胸を過る。




朝の空気はまだ少し冷たさを孕んでいるが、高く青く澄んだ空は、二人の行く末の見通しの良さを映しているかの様だった。


「おはようございます、彩香様、お目覚めは如何ですか?」


雪乃が扉を軽く叩く音に返事をしたら、するりと入ってきた。


「おはようございます、昨日は色々とありがとうございました、目覚めもすっきりとして体が軽いです」


彩香は目をぱちぱち瞬かせて、礼を言う。


「いえいえ、彩香様の折角の晴れ舞台ですからね、今日は坊ちゃまの目が零れるくらい惚れ直して頂きましょうね、う~ん、もっちりすべすべお肌!完璧でございます!!」


昨日、雪乃に足や腕、首筋に至るまでマッサージをしてもらい、その後は練り香が配合されているクリームで保湿もしてもらって、頭のマッサージもしてもらい、髪は香油を刷り込み手ぬぐいで蒸して艶を持たせたのである。


彩香はどきどきしながら唯ただ只管ひたすら、雪乃にされるがまま、身体を差し出していた。


「自分でないみたい、こんなに綺麗にして頂いて、何だかふわふわしています」


桃色に潤っている小さな唇から零れる息も、全身から控え目だが、しっかりと花の香りがする彩香は既に舞い上がっていた。


「彩香様は元がお綺麗なんですから、磨けばもっとお綺麗になられますよ、お着物は重たいですから、気分は軽くいきましょう、さぁ、まず、お式のお支度からしましょうか」


雪乃の穏やかな笑みは彩香に不安を感じさせない。


使用人達も嬉しそうに支度を手伝ってくれる。


「そうそう、彩香様、苦しくならないように、帯の上辺りに手を置いて下さいね、締めますよ、よっ、はっ、はい、手を出して下さい、ほら、胸が苦しくならないでしょう?彩香様は華奢ですから、気を付けないと、お式の途中に貧血で倒れてしまいますからね」


片側だけ口角を上げて雪乃が彩香に微笑む。


確かに、着付けてもらい始めて中々な重量に感じていたので、これを“ぎゅっと”されたら、倒れるかも、と思わないでもない彩香だった。


雪乃の着つけは手早く、しかも窮屈ではないので、雪乃の掛け声と共に使用人達が両脇から小物を渡していくと、魔法の様に花嫁が出来上がっていった。


白無垢の桜や八掛の龍などどれも惚れ惚れする織で上がってきた。


流れる様な桜の花々は今にも風に舞いそうである。


幾つか刺された鼈甲べっこうの簪の中でも、前刺しはしゃなりしゃなりと揺れる様が愛らしい。


櫛には螺鈿らでんの桜が嵌め込まれ、珊瑚の粒で縁取られており、見惚れる程に美しい。


「本当に、こんなにして頂いて良いのでしょうか? 夢のようで、泡となって消えてしまわないかしら?」


彩香は出来上がってくる自分の花嫁姿に夢心地であった。


「良いに決まっているではないですか、当代一の月夜家の花嫁様、龍志朗様の花嫁様ですよ、どんなに飾ったって、足りないくらいですよ」


ふふっと笑ってくれる雪乃に、現実味が増してくる。


「そうですよね、龍志朗様のお隣に立つのですから、綺麗にしていかないと、立てなくなってしまいますよね」


違う不安が過らないでもない。


飾りが付いた分頭が少し重たいので、ほんの少し首を傾げるくらいに、こくこくと頷いたつもりで、彩香は繊手を胸の前で合わせる。


「ご心配いりませんよ、十分、彩香様はお綺麗ですよ、坊ちゃまのお隣に立ってあげるくらいのお気持ちで居て下さい」


頼もしい雪乃に声に彩香の眉尻が下がる。




トントンと扉が軽く叩かれた音がし、雪乃が返事をするとゆりに支えられながら、彩也が入ってきた。


「彩香、おめでとう、ほんに綺麗じゃ、うん、うん、愛らしいの」


彩也が目を細めて彩香を見上げる。


「おばぁ様、ありがとうございます、とても綺麗にして頂きました」


彩香もすーっと立ち姿のまま応える。


「彩香、何よりも自分の幸せを考えるのだよ、我の事より、一族の事より、何より自分の幸せを願って叶えてな、彩望はその名に望むとあったのに、自分の事より一族の事を望ませてしまったから、あんなに短い命となった、皆、我より先に逝ってしまった、彩香にはそんな事をして欲しくない、だから、自分の幸せを望んでな」


彩也の頬を一ひと滴しずく、ゆっくりと落ちていった。


「おばぁ様、私は幸せです、龍志朗様にも月夜家の皆様にも、多くの方に良くして頂いております、おばぁ様にも会えて良かったです、だから、みんなでもっと幸せになりましょう、一緒に、みんなで、一緒に」


彩香が彩也の手を取り、しっかりと握っていた。


彩也の顔が晴れやかになり、首肯していた。


「さて、坊ちゃまのお支度を見てきますね、紋付なので大丈夫かとは思うのですが、こちらにお座りになって、桜湯も置いてありますから、飲む時は誰かに取ってもらってくださいね」


雪乃が手伝ってくれていた使用人達が後片付けをしているところに、目配せをして、部屋を出ていった。


彩也もまた後でと、ゆりを伴い、一緒に出て行った。


彩香は自分の手を見つめながら、黙って座っていた。


(よいよ、なのよね、ほんとに、龍志朗様の花嫁になるのよね、私なんかで良いのかしらって思うけど、でも、側に居たい、傍に居たい・・・)


彩香の心の中に芽生えた譲れない想いが、愛と呼ばれるものと、気づいてきた。




「坊ちゃま、お支度は如何でしょうか?」


龍志朗達の控室に様子を見に来た雪乃が声を掛けると、袴と格闘している龍志朗が居た。


「雪乃、久しく着ないと、こんなに着難いものだったか?」


龍志朗が扉を叩く音に気が付き、返事のついでに顔を上げて尋ねる。


「まぁ、最近、あまりお召しになっていなかったから、かもしれませんね・・・」


雪乃が応えながらも、龍志朗から紐を受け取り素早く結びあげる。


「ああ、ありがとう、やっぱり引き締まるな、彩香はもう支度が出来たのか?」


龍志朗が自分の腹の辺りを軽く叩きながら、雪乃に問い掛けた。


「はい、もう、すっかり、お綺麗に整いましよ、皆様のご準備が出来ましたら、一度応接室にお揃いになってから、神社まで向かわれるご予定でしたよね」


雪乃が確認がてら聞いてきた。


「ああ、向こうで何か気が付くより、こちらで一旦、落ち着いてから出た方が良いだろうからな、彩香は緊張していなかったか?」


龍志朗は彩香の様子が気になった。


「もちろん、一生の大事でございますから、それなりに、緊張はなさっていると思いますが、それ以上の事ではないようですよ、そりゃぁもう」


雪乃の口角が不敵に両端が上がった。


「ああ、そうか、あ・・・」


雪乃の顔を見て、全ての言葉を飲み込んだ。


そう、この顔は、何か捕まる感覚、と本能が囁いた。


「では、坊ちゃまも行きましょうか、旦那様もご一緒に」


支度が終わってゆったり構えていた龍斗にも声を掛け、部屋を出る。


「坊ちゃまと旦那様は、お先に応接室に行っててくださいね、彩香様をお連れ致しますので」


二人を入れるべく、応接室の扉を開けたかと思うと、雪乃は部屋に入らず、彩香の控室に向かった。




「彩香様、坊ちゃま達がお揃いですから、応接室に参りましょうか、何か気になる事はございませんか?」


彩香の手を取りながら雪乃が声を掛けた。


「いいえ、大丈夫です、ありがとうございます」


雪乃に手を引かれながら、ゆっくりと立ち上がり、裾を持たせてもらってから歩き出す。


「ほんとに、お綺麗ですよ」


雪乃の柔らかな声に応える様な、彩香の微笑みが、窓からの日差しに眩かった。


雪乃が応接室の扉を開けて、入口に彩香が立った。


部屋の中から声が掛からなかった。


彩香が一瞬、不安に思って小首を傾げようとした。


「綺麗だよ」


たった一言なのに、驚き過ぎて息を飲み、目はぴたりと的を射るように動かせず、漸く言葉に出来た龍志朗だった。


龍志朗のその一言に、零れる花の様な笑みを彩香は向けた。


「ありがとうございます」


嬉しくて声が上ずってくる。


「本当に彩香さん綺麗だよ、龍志朗より先に声を掛けないようにしていたら、ずっと言えないかと思ったよ、全く、不肖な息子だから何かあったら直ぐに言い付けにおいでね、いつでも私は彩香さんの味方だからね」


龍志朗と違い、流る水の様に言葉が音になる龍斗だった。


氷矢の龍斗、その冷たき眼差しと、とても同一人物とは思えない、笑みと言うより、垂れ下がった眦はどこまで下がるか不安になるくらいの真田が側に控えていた。


「なっ、何を言い出すと思ったら、彩香は私の花嫁なんですから、父上のそんな心配はご無用ですよ、ええ、全く、持って、不要ですから」


龍志朗が向きになって反論し、慌てて彩香の腰に手を回し隣に立った。


その様子にソファに座っている彩也が、苦笑して肩を震わせていた。


もっとも、肩を震わせていたのはゆりや八十助、皆も同じだった。


唯一人、彩香だけが、頬を染めながら着物の返しを持って龍志朗を見つめていた。


「さぁさぁ、皆様ご準備がお揃いでしたら、式場に向かいますよ」


雪乃が真田と一緒になって、追い立てるようにそれぞれを車に向かわせ、自身たちも介添えとして、向かっていった。

大丈夫、だったかな?


惚れ直したようです


少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。

引き続きよろしくお願いします。

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