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出来れば、このペースで行きたいんです。
「貴方、彩香さんがいらっしゃいましたよ」
「来たか、来たか」
書斎にいる雅和を呼びに椿が呼びかけると、本と紙切れを数枚手に持って応える。
一応、呼び出した“理由になるもの”を用意したのである。
「あって良かった、何といっても思いつきで言ったので、無かったらどうしようかと思ったよ」
額に薄っすらと汗をかいて言い訳をしている。
「あら、無かったら無かったで、失くした事にすれば良いでしょう、貴方、よく失くすから問題ないわよ」
「そんな、身も蓋も無い事・・・」
「あら、ごめんなさいね、ふふふ」
仲の良い二人の会話は銀婚式を超えても、なお、変わらず、である。
「彩香さん、白藤色の綺麗なお着物着ていらっしゃったわよ、淡屋の金平糖を持って、よく気が付く、躾けが行き届いているお嬢さんね」
息子の嫁候補を採点するかの様な椿の発言であった。
「お、そうかい? 椿が言うのなら、大丈夫だね」
雅和にしても、椿に次第点をもらえて安心できたようだ。
いや、何のために、誰のために?という事は横に置いておき。
「でも、雅也さんのお話だと、ご両親が早くに亡くなられて、早くから働いているはずなのよね?どこで教わったのかしら?」
「白神さんの所で育ったらしいからね、大丈夫なんじゃないかな?」
「あら、葵さんの所なので、どうりで」
この辺りが、双方ともに薬師なので、根拠の確認が必要なのだろうか?
納得したようだ。
書斎から二人で出て、廊下を彩香の待つ応接間へと向かう。
「お待たせしたね」
「いえ、お招き頂きありがとうございます」
入ってきた雅和に合わせて立ち上がり、挨拶をする。
柔和な雅和の笑顔は彩香を安心させる。
「月夜家のお坊ちゃまがご到着です」
使用人の声が扉の向こうでする。
「あら、いらっしゃったわ」
椿が、出迎えるために部屋を出る。
彩香の視線が自然と扉の方に向く。
「いらっしゃい、龍志朗さん」
椿は先程と同じように笑顔で龍志朗を向か入れる。
「こんにちは、椿おばさん、はい、これ、雪乃から」
龍志朗は雪乃から預かった大きな包みを椿に渡す。
「あら、流石、雪乃さんね、淡屋の詰合せだなんて、うれしいわ」
椿は同じように喜んでいた。
「彼女、もう来ているの?」
龍志朗の尋ねた声に、格別の意図は無かった。
「あら、気になるの?」
龍志朗は(しまった)と思ったが遅かった。
椿も雪乃と同様に、敵わない相手だったのを迂闊にも忘れていた。
年齢の割に、嫌味の無い可愛らしさが、全面に出てくる椿だが、こういう時のいたずらっぽい瞳は、格別にキラキラしている。
「・・・」
どんな言葉も発したら最後、摑まりそうな気配を感じて、何も言えない龍志朗である。
「もう、いらっしゃっているわよ、ダメよ、女を待たせたら」
「いや、どうして、その言葉が出てくる・・・」
やはり、迂闊な言葉を発しなくて良かったと、椿の後を歩き、彩香の待つ応接間へと向かう中、心底、安堵する龍志朗であった。
「お揃いかしらね」
椿が雅和に確認する。
「そうだね」
「彩香さんにも新しいお茶をお持ちするわね」
微笑みを湛えて彩香の方を向いた。
「あ、ありがとうございます」
(いやしい子と思われなかったかな・・・)
彩香は美味しかったので、飲み干してしまったが、何度ももらったら貧しくて浅ましいと思われないか不安に思ってしまった。
「いいのよ、気になさらないでね」
椿が使用人に指示を出す。
龍志朗がいるという、その認識だけで、今日は何故か緊張してくる彩香である。
「着物なんだ」
龍志朗は、彩香の着物姿を初めて見たのと、軍にいると、洋装の人の方が圧倒的に多いので、珍しさもあって、何気なく声にした。
「はい、お休みの日でしたし・・・」
「ふーん、ま、仕事はしにくいもんな、その恰好では」
龍志朗は休日だからという彩香の理由を確かに最もだと思い、自身の事とも重ね合わせて納得した。
「はい、新しい型の白衣は着れませんので」
何とか答えられる問いで良かったと、彩香は安堵したのだが、自分でもよくわからない緊張感が全身を支配していた。
「これが、あの会でも発表のあった文献ね、こっちが少し前に出た文献、どちらも血脈について、新しい調合方法の薬が使えそう、という話と、効き目の部位が少し違うらしい、という話なんだけどね」
龍志朗との会話が途切れたところで雅和は、説明しながら紙を渡す。
「拝見します」
彩香は両手でその紙を受け取り、鞄から辞書を出しながら、読み始めた。
「で、それが、どう、つながるの?」
龍志朗は薬の効き目に興味はないので、自分が知りたい事を聞いてみた。
「龍志朗は相手を攻撃する時にどこを狙う?」
雅和が受ける。
「心か、頭だな」
「心の前には骨があるから、その隙間を狙わないと、即死にならないね、頭だと頭蓋骨があるから、これまた固いね」
「剣であれば、首の血脈か、隙間からちゃんと心を狙うから刺したらわかる、銃ならば頭でも問題ない、魔力なら、尚更、頭部を狙えば確実だ」
龍志朗と雅和が話を始めた。
「なるほど、でも、それは数が多い時だと、一人当たりに労力がかかるよね」
「んー、問題は相手の強さだな」
「もう一つ、足止めだけ、だったり、生け捕りの場合どこを狙う?」
「全滅が基本だ」
「あらら、下肢の大血脈ってわかるかな?」
「ん?脚の・・・どこだっけ?」
「その名の通り脚の付け根にあるんだが、これが、意外と、たくさんの血脈の集まりなので、破れるとたくさん出血するんだ」
「へぇ」
当然のように進められていく会話に、軍関係者の名家だという事を感じる。
薬師と言えども、重鎮ともなると、「薬師界」だけではなく、「医療界」「魔界」とも交流があり、意見を求められる事がある。
思わず、彩香は手元の文献から二人の会話に視線が上がる。
「逆に考えた場合、自分の防御の要点として、下肢の大血脈を重点的に防御膜で覆えば、敵に攻撃が仕掛けやすい」
「なるほど、弱点が減るのか」
龍志朗が自分達を見ていた彩香に気が付き、視線を向ける。
「読み終わったのか?」
「あ、いえ・・・」
真っ赤になって慌てて、視線を文献に戻した。
二人の話の内容が、目新しくて聞いていたのだが、ただ、ぼーっとしていたと思われていたら、どうしようと恥ずかしさでいっぱいになったのだ。
「彩香さんには珍しい話だったよね」
雅和が助け舟を出してくれた。
急に頬が赤く染まって、俯いている彩香の心中を推し量っての言葉だった。
「そうなのか?」
自身は当たり前の会話なので、不思議に思い、龍志朗が彩香に尋ねた。
「はい、人体の勉強はしましたが、魔力については全くわからないので」
「そうか、何が知りたい」
「え、えっと…」
(そもそも、魔力とはどんなものですか?って聞くのはいくらなんでも恥ずかしい、わよね・・・)
彩香は、龍志朗に射抜かれたまま、瞬きをパチパチと繰り返し、開けたままの口からは言葉が出て来なかった。
「ははっ、龍志朗、全くわからない彩香さんに『何が』と聞いてもわからないよ、ねぇ」
雅和が朗らかに笑いながら代わりに答えてくれる。
「も、申し訳ありません」
彩香はとっさに謝った、全く知らない自分は、やはり会話に入るべきでは無かったのかと思ってしまい、俯いてしまう。
「謝らなくても良いと思うんだが」
「もう、あ、はい」
そう言われても謝らない代わりにどんな言葉が適切であるのか、彩香には難しく、戸惑うばかりである。
そもそも彩香は自分に自信がない、人と話すことも苦手であり、それ故、言葉をあまり知らないのである。
話が止まってしまうと、自分の発した言葉が悪いのかと、思ってしまう事もある。
そうなると謝る事になるのだが、それで揉めることもないので、いつもその方法でその場をやり過ごしてしまい、つい、謝ってしまうのだが、龍志朗のように、「謝らなくて良い」と言われると、では?と、 どうして良いかわからなくなる。
彩香はつなぐ言葉を見つけられない。
一先ず、彩香は手元の文献を読み、龍志朗は、雅和と先程の続きを話す事にした。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。