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「小競り合いくらいで駆り出されるとはな」
国境沿いで隣国から仕掛けられたと応援要請があり、龍志朗達の部隊が呼び出された。
「きっと、きっと・・・ご無事でお戻り下さいませ」
彩香は出撃と聞いてから、ずっと動揺していた。
「大丈夫だ、念のための応援要請らしいし、そんなに緊迫したところでは無かったはずだから」
龍志朗は今にも零れそうに涙を湛えている彩香の目尻に指を寄せる。
「でも、戦になるなんて、そんな、ずっとなかったのに・・・」
身体の震えが止まらないのか、声が上ずっている。
「安定していたからな、隣国が荒れるのは構わないがこちらに飛び火されては敵わないなぁ、全くいい迷惑だ」
「ご無事で、ご無事でお戻りを・・・」
添えられている龍志朗の指に雫が伝わる。
「直ぐに戻る、良い子で待っていろ」
柔らかな微笑みを愛しい彩香に向けて軍に向かった。
「さ、彩香様、一先ず中に入ってお休みください、大丈夫でございますよ、坊ちゃまはお強いですから」
雪乃に背中を擦られながら、中へと引き返す。
本来なら、国境部隊だけで片付くはずなのだが、久しぶりの実践という事で、魔軍にも要請があった。
「何か意図があるのか?」
龍志朗が北に問い掛けた。
「いえ、特に話題になっているような事はないのですが、久しぶりの実戦、という事ぐらいでしょうかね、話題になっているのは、表と裏の意味はありそうですが、それだけですね」
北も静かに応える。
「表向きは援護だろうが、裏ではこちらのお手並み拝見という事か、特殊だからと言って一々証明しなければいけないのは面倒だな」
龍志朗が眉間に皺を寄せながら応えた。
山間の国境付近での諍いはたまにあるのだが、通常、特殊部隊が呼ばれる事はない。
それくらい、国境部隊で片づけられなければ、わざわざ国境に張り付けている意味は無いからだ。
「救援ありがとうございます、国境警備隊長の信濃であります」
初めて謁見した噂の月夜隊長は女性でも中々いないであろう麗人であり、若いが階級は上なので、思わず声が上ずる。
「ご苦労、状況は」
「は、一昨日、あの向こうの森の近辺まで攻撃を仕掛けてきましたが、撃退したら昨日は攻撃を仕掛けてきませんでした」
「そうか」
どんな攻撃で、被害などがあるのかどうかなど、一々問い質すのも面倒かと思っていたところ、後ろから声がした。
「本日はまだ、攻撃の気配がないのなら、天幕の中で一通りの経緯と今後の作戦を決定しましょう」
北が話を切りまとめてくれたので、それに従って歩き始めた。
予想通り、新な攻撃方法があったわけではなく、以前からの小競り合いの人数が多くなった程度であった。
それが、たまにであった頻度が2日に一度くらいと頻繁になり、あちらこちらの国境沿いで起こり、1週間前は規模が大きかったから、救援が呼ばれたという事らしい。
天幕の中で地図を広げ、予想攻撃地点の周辺に隊を待機させる段取りをして、各自が向かって行く。
龍志朗が立てた作成通り、敵が攻撃を仕掛けたきた所で、迎え打ち、撃退したついでに、暫くは再攻撃が出来ないようにして、お帰り願った。
「いや、これで暫くは要請がこないかね、にしても些か、憐れなくらい徹底していたね、今回の攻撃は、月夜」
『炎えん氷ひょう』と言われる龍志朗の炎の攻撃は、『氷ひょう矢や』と言われる龍斗の攻撃とは違うが、絶大な力に違いは無い。
特殊防衛部隊の相方、対馬に言われて、首を傾げた。
「そうか?面倒な事は起こしてもらっては困るからな」
低い声が静かに地を這う。
「そうだよね、出撃が多いと彩香ちゃんが心配しちゃうもんね♪」
さり気なく放つ言葉は対馬の口端が上がって終わった。
その言葉に、これぞ『絶対零度』という龍志朗の無言の眼差しが返ってきた。
「あ、は、早く、撤退しようか」
流石の対馬も久しぶりに見たこの眼には背筋が凍り、大人しくなった。
撤退の途中、山間の中、急に雨が降ってきた。
雨脚が強くなって、その音に気が付くのが少し遅れた。
すぐ側の山から地滑りが起きた。
それに驚いて動揺した新人が、逃げる方向を誤りかけた。
「何をしている!」
龍志朗が気が付いて、急ぎその手を掴んで引き戻したが、反動で自身が揺れ、地滑りで迫ってきていた流木に脇腹を轢かれた。
「あっ」
短い悲鳴と共に、意識が遠のいていったが、対馬の防護膜に包まれて引き戻された。
慌ただしい病院の中に様々な声が響き渡っている。
あの山崩れで、国境部隊でも怪我人が出た。
柊をはじめとする救急医師達はもちろん、他の医師も駆り出され対応に当たっていた。
軍から連絡をもらい、あのストールを羽織って彩香も病院のロビーに着いた。
「龍志朗様、龍志朗様・・・」
気が焦り、目も虚ろに、彩香は龍志朗を求めて病院に辿り着き、ロビーの中に入っていった。
日向桔梗も緊急事態なので、救急医として病院に呼ばれていた。
こういう時は腕が確かで、勤務医ではない桔梗は重宝される。
そんな場所で会ってはいけない二人が会った。
「貴方・・・」
「あっ」
「貴方のせいじゃない、疫病神の貴方がいるから、龍志朗様が酷い怪我されたのよ」
「酷い・・・怪我・・・」
何も聞いていなかた彩香は龍志朗が酷い怪我をしたと聞いて驚いた。
「そうよ、貴方なんか居ても何の役にも立たないじゃないの、貴方に何が出来るのよ?」
緊急呼び出しをされている桔梗は自分の価値を解っていた。
「え・・・」
出来るだけ役に立ちたいと思い、日々を過ごしてきていた彩香は、まだ、明確に役に立った事が無かった。
「何の役にも立たない貴方がどうして龍志朗様の隣にいるのよ、おかしいじゃない、龍志朗様の隣に立つべきなのは私なのよ、ずっと前からそう決まっていたのに、急に出てきた貴方なんか邪魔なのよ、ずっとずっと龍志朗様の隣に立つのは私と想っていたのに」
あの日、父から龍志朗の事を諦めろと言われ、二度と月夜家と、龍志朗や彩香と関わってはいけないと、強く叱られた桔梗は、想いを吐き出すように、彩香に叩きつけた。
「・・・」
彩香は返す言葉が無かった。
「そうよ、貴方の元に返すくらいなら、龍志朗様を助ける意味なんてないのよ、貴方さえいなければ、龍志朗様は・・・貴方さえいなければ、貴方になんか返さない!」
桔梗は龍志朗が自分の元にいないなら、他の女の元に行くくらいなら、誰の物にもならない方が良いと思った。
「どうして私じゃないの!」
甲高い声が響き渡った。
「・・・桔梗様、あの、私、私さえいなければ、私がいなければ、龍志朗様を助けて頂けるのでしょうか?」
桔梗の言葉に抗う言葉を見つけられず、それまで黙っていた彩香が、心が抉られる様な痛みに、手が白くなる程握りしめて胸を押さえながら、温度の無い声を出していた。
「・・・」
今度は桔梗が何も言えなかった。
「りゅ、龍志朗様をよろしくお願い致します」
心を決めた彩香は、深々と桔梗にお辞儀をして、くるりと背を向け、ストールを握りしめ駆けだしていた。
彩香の言葉に桔梗は何もを返せず、想像もしていなかった彩香の態度に動けなかった。
「日向なにしてんだ、早く持ち場に付け!」
通りかかった、柊の声が響く。
側に彩香を担当していた看護師が震えていたのは、怒りのためだろうか、悲しみのためだろうか。
走り去った彩香はもう見えない。
満月の光が波間に揺れている。
ストールに包まり、しっかりと握りしめている彩香の瞳は波よりも揺れていた。
『彩香、美味しいぞ』
『彩香、危ないから手を貸して』
「龍志朗様、私、幸せでした、初めて、幸せって思えました」
『彩香、可愛いよ』
『彩香、大丈夫、私が守るから』
『ずっと、私の傍に居て欲しい』
彩香の瞳には、自分に向けられていた龍志朗の笑顔しか見えていなかった。
波の中へ一歩ずつ、入っていく。
『月夜家に嫁いできた者は、黄泉の国に行く時に嫁いで来た時に着た白無垢を着て向かうんだよ、自分が月夜家の者だと、わかるように、水晶の指環と一緒に、だから白無垢の八掛は月と龍って決まっていて、表の模様は花嫁の好きな文様にするんだよ』
龍志朗が彩香に説明してくれた花嫁衣装の事を思い出した。
「龍志朗様、私、龍志朗様から頂いたこのストールに包まれて参ります、私、幸せです、龍志朗様に包まれているようで、温かくて、安心して、どこへ行っても・・・幸せですから、お元気になってくださいね」
溢れる涙は留まる事知らない。
「りゅ・・・う・・・し、ろう・・・さ・・・ま・・・」
零れた雫と共に言葉にならない声が漏れる。
そして、歩を進めた。
海に満月の光が梳け、静かに波が揺れていた。
大丈夫、ではないですよね。。。
でも、引き続きよろしくお願いします。
明日もお待ちしております。




