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おっかいもの~おっかいもの~♬
「さて、しっかり堪能したか?」
「はい、美味しく頂きました」
「では、次の店に行くか」
「はい、はい?」
元々、彩香の買いたいものは最初のお店で買い揃えられた。
一つしかない、着物も先程、大量に購入した、出来上がりは後だが・・・
お昼ご飯も頂いた。
洋装は椿様からもらったもので、当分過ごせそうな気がしている。
(後、買う物ってなんだろう?)
返事をしたものの、思いつかずに不思議そうに龍志朗を見上げた。
ふふっと龍志朗は口角を少し上げただけで、車へと乗りこみ次の目的地へと走らせた。
「ええっ?」
店の前に立って見上げてしまった。
彩香でも知っている、仕事場でよく男性陣が「いつかは英国屋で仕事着を作る」と熱く語っている事があるので、名前だけは知っている。
そんな、高値の花である「洋装専門店」である。
「いらっしゃいませ、月夜様、お待ちしておりました」
ここでも、待たれていたらしい。
(龍志朗様にとっては、いつかは英国屋ではなく、初めから英国屋・・・なのかしら・・・)最早、不安とか戸惑いではなく、驚嘆し過ぎて、返って、本来の基準が見えなくなっていた。
「ああ、どうだ、ありそうか?」
龍志朗が迎えてくれた主に問い掛けた。
「はい、先日ご連絡頂きましてから、取り揃えておきました、丁度、春から女性物を扱うようになりまして、夏物もまだ、秋に向けての物も用意しておりますところでしたので、お気に召して頂けると良いのですが」
控え目な言葉ではあるが、声に自信が満ちていた。
「それは楽しみだ」
龍志朗も雪乃から、この前のブラウスは英国屋で購入したと聞いて、ここでなら女性物を買うのもあまり気疲れしないと思ったので、まずはここからと彩香を連れて来た。
「私の??」
彩香がてっきり龍志朗の物を買うために、ここには寄ったと思い込んでいたので、裏返った声が出てしまった。
慌てて口を押えても、出てしまった声は帰ってこない。
「彩香、仕事に着て行く服は椿おばさんの見立ての物は着にくいだろう?だから、仕事用に少し揃えた方が良いと思うんだ、良いのがあるらしいから見てみよう」
そういうと、彩香が意見を言う前に、当然の事の様に腰を引き寄せて、奥へと向かう。
「は、え、ふっ・・・」
異論はきっと通らないだろう、いや、でも、引き寄せられた事に、頬が染まり、言葉無き声が漏れた。
女性の店員が巻尺を首から下げて、奥でにこやかに出迎えてくれる。
見た事の無い形をしたワンピースが動く衣文賭けに掛かり、並んでいた。
「お待ちしておりました、月夜様、こちらに新シリーズの物を一通り揃えさせて頂いております、まず、こちらがベストとスカートを一つにつなぎ合わせるイメージで誂えました物で、中にブラウスを着て頂きます」
女性の店員が手に取りながら説明してくれた。
胸当てが着物の袷の様になっているので、胸が圧迫されず、自由でありながら生地がしっかりしているので透けて見えない事。
袖が無いので、上から作業着や白衣が着やすい事。
スカート部分は、前後は胸当てと同じ生地で出来ていて、身体の線を拾わないくらいにすっきりしているが、両脇が柔らかい生地でプリーツ状になっているので、歩く時だけスカートが広がり歩きやすいが、立っている時は生地が嵩張らない事。
丸い襟の物は両脇が広めに空いているので、同じ様に胸が窮屈ではない事。
合わせやすいブラウスも何点か用意されていた。
「働く女性が増えてきましたので、着やすくて、動きやすいデザインを考案させて頂いております」
女性の店員は自らも着ている商品なので、自信を持って薦めてくれる。
「試着してみたらどうだ?」
龍志朗が好奇心で瞳が輝き出している彩香に声を掛ける。
「よろしいでしょうか?とっても動きやすそうに見えるので」
彩香も仕事の時には薄いワンピースを着ていたが、それなりに白衣の下ではもたつくし、寮から通う時はとても気温やお天気に左右されていた。
目を細めて頷く龍志朗の向こうから、女性店員に案内された。
彩香は着て見て、既製服なのに誂えたかのように、合う事に驚いた。
「如何でしょうか?とても軽くて動きやすいです」
試着して龍志朗の前でクルクル回ってみせた。
その度に、差し色のプリーツの部分がちらりと見えて可愛らしい。
「動きやすいのは仕事に着て行くのだから良かったな、それに、仕事着ではあるかもしれないが、可愛いよ」
端正な顔立のままさらりと言われた言葉に、彩香の方が頬を染めた。
「そ、そうでしょうか、よ、良かったです、ありがとうございます」
「色目もあるし、形も違うのがあるから、幾つか買って試してみれば良い」
「ありがとうございます、一つずつ・・・」
彩香が言い掛けて、龍志朗の声が被る。
「毎日仕事に出掛けるのだからその分必要だろう、折角、色目も形も違う物があるのだから、どの色が良いんだ?」
「えっ?ええっ?・・・」
こうなると先程の呉服屋と変わらない様な気がしてきた。
ある程度は「買う」事になるのかなぁ、と、ぼんやり彩香は思い始めるのだが、自分は何を龍志朗に返せるのだろうか?
あまりに負担ばかり掛けていないだろうか?とやや、後ろ向きになりかけてしまう。
「ほら、下を向くな、新しい物だから、彩香が宣伝していると思えば良いだろう?」
龍志朗に頤を持たれ、間近で微笑まれるとそれだけで耳まで赤くなってしまうが、意外な言葉が耳に入る。
「ありがとうございます、当店にとっても月夜様に着て頂く事は光栄でございます」
女性店員は誇らしげに笑みを湛えてこちらを見ていた。
「宣・・・伝・・・?」
一人不思議な心持の彩香は、傾げた顔を龍志朗と女性店員を見比べている。
「時々な、私も新しい物を薦められて着るんだよ、新しい物は馴染が無いと敬遠される事も多いんだよ、でも、不思議なもので誰かが着ているとなると、真似する者が出て来るんだ、ま、彩香が気に入らなかったのなら、無理をする事はないんだが、気に入ったみたいだから、暫く楽しんでみてはどうだ?」
時が止まったかの様な顔をしていた彩香は漸く腑に落ち、人様のお役に立てるのなら、それはさせて頂かねばと思えてきた。
「はい、私でよろしければ、着させて頂きます」
まだ、少し耳が赤い彩香の良いお返事。
「まだ、暑い時期も残っておりますので、こちらの夏物の生地の爽やかなお色目がお嬢様には着て頂きやすいかと思いますが、如何でしょうか?」
女性店員が薦めたのは2種2色の組合せ4着だった。
「はい、好きな水色もありますし、夏なつ虫むし色いろも涼しげだと思います、中紅花なかのくれないや不言いわぬ色いろも明るくて良いですよね」
流石は老舗だけあり、新しい物に挑戦しながらも基本的な事は抑えてあるので外さない。
色目と素材で季節を表す。
「はい、秋物につきましては、夏物をお仕事の際に来て頂いてから、お気に召して頂けた物をお求め頂く方が良いかと存じますが、如何でしょうか?」
意外にも女性店員は全てを売り込んでこなかった。
それだけ商品にも自信があるのだろうが、喜んで納得して着てもらいたいという思いが多分にあるのだろう。
彩香は、それが自分の様に押され気味な者にとって、とても重要と思った。
一人、こくこくと何度も頷いていた。
「そうだな、焦る事は無い、着物と違って既製服は直ぐに手に入るし、誂えるなら少し前に来れば良いからな」
龍志朗も満足げに答えていたが、彩香は聞き逃す事が難しい言葉に、目を見開く。
「りゅ、龍志朗様、あつ、誂えるのは大変なので、その、既製服できっと間に合うと思います、はい、多分、間に合います」
龍志朗の眼を見上げながら頑張って伝えてみた。
「そうでもないだろう、採寸させしておけば、それ程難しくない」
(真意が伝わらない・・・)
彩香は言葉に出せなかったのだが、顔に出たらしい。
「ま、おいおいで・・・」
頭を軽くぽんぽんと叩かれた。
言いかけた言葉を消しながら、少し眉尻を下げた美しい顔が向けられた。
綺麗に畳まれた服だが、それなりに嵩張る量だった。
店の者が車まで運んでくれて、家路に着く事になった。
「雪乃、戻った」
龍志朗は、嵩張る彩香の服を抱えながら、反対の手には買った菓子等を持ちながら家の中に入る。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま、彩香様、まぁまぁ大層な荷物でございますね、それで全部ですか?他にもございますか?」
雪乃は龍志朗から服を受け取りながら目を見張った。
「ああ、これだけだ、それは彩香のだから、着れる様にしておいてやってくれ」
「畏まりました、少しサンルームで休まれますか?」
「そうだな、彩香、疲れたろう、少し休もう」
龍志朗が雪乃に応えながら、彩香の方を見るとほっとした顔が見えた。
「はい、でも、龍志朗様の方がお疲れではありませんか?」
彩香は自分を色々連れていってくれて、楽しませてくれた龍志朗を気遣った。
「私はこの程度で疲れないよ・・・」
龍志朗は彩香の気遣いが嬉しかったが、そんなに弱いと思われてもと、苦笑していた。
「あ、そう言えばそうですよね、でも、何だかお手を煩わせてしまって・・・」
彩香も今更ながら、龍志朗がそんなに弱い筈は無いと思ったが、体力的なものとは違うかもとも思っていた。
「彩香は楽しめたか?私は彩香と出掛けられて楽しかった」
「はい、私も初めてが多くて、あの、大丈夫でしたでしょうか?おかしなところは無かったでしょうか?」
不安な言葉が口を衝く。
「ん?気になる様な事は無かったよ、彩香は気疲れしたのか?」
龍志朗は初めてのところに一度に連れまわし過ぎたかと、目尻に力が入ってしまった。
「いえいえ、龍志朗様とご一緒に居られて、楽しかったです」
彩香が、うっすらと頬を染めながら上目づかいに龍志朗を見上げてくる。
龍志朗も口元が緩む。
「さぁさぁ、続きはあちらで、手を洗って」
荷物を抱えたままの雪乃に即されて、サンルームのソファに並んで寛いでいた。
そっと彩香の髪を撫でている。
家に帰ってきて、心から安堵しているのが彩香の体から伝わってくる。
楽しかったというのも本当なのだろうが、やはり、まだ、外に出れば気が張るのだろう、龍志朗はただ、黙って髪を撫でていた。
「龍志朗様、今日は本当にありがとうございました、たくさん買って頂いてしまって・・・心苦しいのですが、大切に着させて頂きます」
落ち着いたのだろうか、ゆっくりと顔をこちらに向け、ふんわりとした瞳に龍志朗が映っていた。
「楽しんで着てもらえれば良い、気に入ればまた買いに行こう、遠慮する事はない、彩香は私の妻になるのだから」
髪を撫でていた手を頬へと滑らせた。
「私、がんばります、龍志朗様に相応しくなれるように、頑張ります」
意を決したかのように、小さな手で拳を二つ作って振っている。
「お前はそのままで良い、出来る事が増える事は良いが無理はいけない」
澄んだ瞳に彩香が映っていた。
彩香の頬にあった龍志朗の手が、支えるかのように頤にずれて、目の前を、さらりと龍志朗の髪が流れた。
柔らかな感触が彩香の唇を掠める。
反射的に閉じていた瞼をそっと上げれば、桜色の頬の龍志朗が見えた。
何も無かったように髪を撫でられている。
(?・・・)
少し小首を傾げている彩香だが、頬を桜色に染めた龍志朗が視界に入れば、自身も朱に染まってくる。
急に現実感が勝り、恥ずかしくなって龍志朗の腕に額を付けた。
髪を撫でていた手が、頭を抱えて、その胸にそっと寄せてくれた。
背中に回してもらっている手からも温もりが伝わる。
静かな波の音が遠くに聞こえ、満月の光が差し込んで来ていた。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。




