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おっかいもの~おっかいもの~♬
「着いたぞ」
声をかけられ、龍志朗の手を借りて車から降りれば、目の前に“老舗”とこれまた付きそうな呉服屋が目に入った。
「たか・・・、いえ、立派なお店ですね」
彩香は“高そうな店”と言う言葉が口から出かけて、無理やり飲み込んだ。
そうなのだ、月夜家にとっては、これが“普通“なのだから・・・
「ここは“はんなり屋”と言って月夜家が古くから使っている呉服屋だ、私の物も全てここで誂えている、今日は彩香の物を誂えようと思ってな」
「えっ?」
龍志朗が説明しながら彩香の手をとったまま、店の中へと入っていった。
彩香の驚きの声は店の入り口が開く音に消されていた。
「お待ちしておりました、月夜様」
幾らか年を重ねた、それでも華やかさを十分湛えたご婦人が店の主らしく、龍志朗達を出迎えた。
「ああ、世話になる」
端的な声に店の者は誰も動じない。
「ささ、奥へどうぞ、そちらのお嬢様もご一緒に、よろしいのでしょう?」
店の主は言いながら、龍志朗の方を見た。
「ああ、彩香、何か気になったものがあったか?」
龍志朗は彩香を奥に連れて行く気だったのだが、店に入ってから、あまりに中を挙動不審者のようにきょろきょろと見ていた彩香を思い、笑い声を殺しながら声を替けた。
「あ、いえ、そのような訳ではなくて、ただ、沢山反物が掛かっていたので、それに驚いて綺麗だなと思って眺めてしまいました、申し訳ありません」
彩香自身、流石に物見見物の様にみっともなかったかもしれないと、自嘲気味だったせいか、少し朱の入った頬は俯きがちで、最後は声がしぼんでいた。
「いや、彩香の物を買いに来たのだから、興味を持ってもらったのは良い事だ」
龍志朗が握った手は放さず、もう片方の手で頭を撫でる。
「あ、ありがとうございます」
彩香はあまりの恥ずかしさに顔を上げられない。
「では、行こうか」
主の案内で店の奥へと龍志朗に手を引かれながら向かった。
奥の座敷には色取り取りの反物が広がっていた。
「お嬢様ですと春の淡い色目がお似合いでしょうが、これからの物となると秋物ですから先に幾つか揃えておきました」
反物が既に幾つも置いてあった。
「まず、お着物は、柚ゆず葉は色いろ地に白、菜の花色、大和やまと柿がき色いろの大きな菊の花模様の小紋、浅うすき緋色ひいろ地に五色の熨斗目のしめ模様もように秋桜の訪問着、黒柿くろがき色いろ地に深こき緋色ひいろと朱色の紅葉の訪問着、栗色くりいろ地に銀杏等の吹き寄せの小紋など、帯は菊や紅葉等を主に色違いなどご用意致しました、茜色のグラデーション染めの紬や、藍染めの絞り等もございますので、お手に取ってご覧ください」
主が手に取り説明しながら、次々と反物を波の様に広げていく。
絹の波音が心地良く響く。
「彩香はどんなのが着たいか?」
龍志朗は目先の違う物を揃えてもらったので、どれも良いと思ったが、さて、遠慮の塊はどうするのかと、彩香の方を向いた。
「素敵ですね、絹はやっぱり手触りが違いますね」
彩香は、ぼーっと頬を赤らめて絹の波を見ていた。
「彩香、全部もらうか?」
龍志朗はぼーっとしている隙に話をまとめてしまおうかと企んでみた。
「ふぇっ?」
彩香が何とも奇妙な声を出した。
その声に龍志朗の笑い声が漏れた。
「あ、いえ、その、必要そうな物を・・・」
彩香が目を真丸に見開き、龍志朗を見つめ返した。
正気に戻ったらしい。
「ま、でも、初めにある程度は揃えた方が良いだろう?どれも目先は変わっているので、一通り揃えるのには良いのではないか?」
「あの、やはり・・・必要ですよね、いくらか・・・枚数は・・・」
彩香も自分が月夜家の中で生活するには、あまりに持っていない事を自覚していた。
現状では、龍志朗の隣に立つのに相応しい装いが出来ないとは思っていたのだ。
(きっと、とっても高いのだろう、なぁ・・・)
少し心にチクリと刺さるものがあった。
「彩香様、動物はお好きですか?」
主が全く違う話題を口にした。
「はい、どちらかと言えば、好き、ですが・・・」
小首を傾げながら彩香が主の方を向いて答えた。
「では、こちらの“月見の兎”は如何でしょうか?単衣なのですが、先生が奥様に強請られてお作りになった時に、可愛らしい構図を思いついて、一緒にお作りになったので、似合うようなお嬢様が要れば、薦めて欲しいと言われたものなのですが」
少し離れた棚から主が持ってきたのは、すすき野原に兎が跳ねているのが描かれており、背中には飛んでいる兎が描かれ、胸元に明るい満月が染められていた。
何処となく、気詰まりな空気を一変させた。
「可愛らしいですね」
一気に顔が綻んで笑顔になった彩香が主から受け取った。
「丁度、単衣もないだろう、気に入ったのなら」
龍志朗も顔が綻んでいる。
「はい、あ、龍志朗様、たくさん申し訳ありません、大事に着たいです」
彩香が頬を染めた笑顔を向ける。
「彩香様、こちらは如何でしょうか?絹の手触りはお好きな様なので、お色目がお好みであれば、一つあると重宝致します」
主が単衣と一緒に持ってきたのは、絹のストールであった。
深い海の色から空の色へと変わっていく様さまが美しい大き目のものであった。
「綺麗・・・」
彩香は目の前に広げられ、吸い込まれるように見入ってた。
「折角だから、持って帰れる物も欲しいな、彩香の好きな色だし、良かったじゃないか、すっぽり隠れる程あって」
龍志朗が彩香の手から取り、ふわりと肩に羽織らせてみた。
「はい、優しく包まれているようで落ち着きます、色も海の色ですし」
彩香が零れるような笑みを龍志朗に向ける。
「これは持って帰るとしよう、包んでもらうか?それとも、このまま、羽織るか?」
龍志朗は彩香の顔を覗き込んで聞いている。
「んんー、包んで頂いてもよろしいでしょうか?歩くと暑くなるような気がします」
傾げた首を戻しながら、龍志朗にお願いする。
「ああ、構わない、包んでやってくれ」
龍志朗は彩香に返事する傍ら、主に頼む。
「畏まりました」
彩香がストールを滑らすと、そのまま、手から手へとストールが渡る。
機嫌よく見ながら龍志朗が声を掛ける。
「浴衣もあった方が良いな」
「あ、そうですね、まだ、着れますよね」
龍志朗は前向きに購入する気になった彩香に喜んでいた。
「こちらは、少し彩香様には大人びているかもしれませんが、お似合いになるかと思います」
主が浴衣と聞いて出してきたのは、藍染めに白の流水模様の絞り染めだった。
「ああ、ほんとに水が流れているみたい」
受け取った彩香は更に反物を広げて流して見ていた。
「良いんじゃないか、当家にとって水は馴染み深いものだしな」
龍志朗もその技法の高さに目を見張った。
「はい、ありがとうございます」
彩香は嬉しかった。
龍志朗が自分のために何かをしてくれる。
自分のために時間を使ってくれる。
まだまだ、返す事は出来ないが、それでも少しでも龍志朗の役に立ちたいと願っていた。
「出来上がりが楽しみだな、浴衣と単衣は間に合うようにすまないが頼む、後は追々、時期までに仕上げてくれ」
龍志朗が主に伝える。
「畏まりました、浴衣のご予定はございますか?」
「いや、今の所ないから、それ程焦らせることはない」
「ありがとうございます、では、縫子にそのようにさせますので、仕上がりましたらお届けいたします」
「ああ、頼む」
「彩香様、それでは採寸の方をさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「はい、よろしくお願い致します」
絹の波の端に真っすぐ立っている彩香であった。
その後ろ姿を満足そうに微笑んでいる見ている龍志朗がいた。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。




