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幸福は口福も
「お待たせいたしました」
朝食の後に、サンルームで寛いている龍志朗に声を掛けてきたのは、外出の準備が出来た彩香だった。
仕事が始まる前に、必要な物があるならばと、街中に出かける事にしたのである。
以前椿からもらった、空色に小さな白詰草が散らしてあり、爽やかな初夏を思わせるワンピースに横長のバックを肩から掛けて、髪を白いレースのリボンで上側だけ結んで、背中側に綺麗に揃えられていた。
「急がなくても良い、良く似合っている」
穏やかな笑みを向けて龍志朗が立ち上がる。
白のシャツに黒のズボンがシンプルながらも質の良い仕立てを感じさせる。
「ありがとうございます」
軍の制服姿も凛々しくて、恰好良いと思うが、こんなシンプルな恰好ですら、色気が漂ってきて、目が眩みそうで、体温の上がる彩香であった。
本当に自分が隣人に並んで良いのか、つい、俯きがちになる。
スッと伸ばされた指先に頤を持ち上げられると、目の前に龍志朗の顔があった。
「本日はお化粧もしてみました」
咳払いと共に、後ろから雪乃の声が聞こえた。
「そう・・・だな・・・」
龍志朗も間近で見れば、薄っすらと化粧されているのがわかった。
「はい、雪乃さんにして頂きました」
龍志朗が手を放した隙に、少し下がり、赤い頬のまま、彩香が答える。
「ふむ、出かけるとするか、遅くなるといけない、まだ体に障るだろう」
龍志朗は内心の揺れを悟られないように、玄関に向かう。
「はい」
彩香も後へ続く。
「いってらっしゃいませ、坊ちゃま、彩香様」
雪乃が温かい笑顔で二人を送り出す。
「彩香はどこに行きたいとか無いのか?」
龍志朗が左手を差し出しながら、問いかけてきた。
「えっと、お休みして、師や他の皆様にご迷惑をお掛けしたので、そのお詫びのお菓子を買いたいとは思ったのですが・・・」
差し出された手にそっと右手を乗せながら彩香も答える。
「そうか、お目当ての菓子屋はあるのか?」
そっと握り返された手がしっかりと繋がっている。
「えっと、どこというのは・・・」
言えばきっと、気にするなと言われるが、さりとて強請れる訳でもないし、と心の中でもやもやとしながら、応える言葉は曖昧な返事に消え行ってしまう。
「迷っているなら、淡屋にしておけば良いだろう、洋菓子が良いのならカルテットでも良いし、雪乃は何か言っていたか?」
龍志朗がさらりといったのは、所謂、老舗と帝御用達のお店で、とてもお高い。
雪乃に聞いても同じ答えが先日返ってきたので、それはとても、自分の所持金で買えないと、首を振ったばかりだった。
「えっと、そこは、私のお給料では・・・」
たぶん、言われるのであろう言葉が帰って来るのがわかっていて、敢えて言うのも躊躇いはするのだが、話が進まないので口にしてみた彩香である。
「私が買うのだから問題ない、どちらが良いんだ?」
龍志朗が車を出しながら尋ねてきた。
「カルテットは行った事がありませんので、よくわからないのですが・・・」
(ほら、やっぱり)と心の中で思いながら、(でも、)という言葉は飲み込んで、伝える。
「では、カルテットに行ってみるか、ついでに、彩香が食べたい菓子も買えば良い」
龍志朗が行き先を決めた。
「はい、雪乃さんのお話では、季節限定品があるそうです」
「なんだ、そうか、ではそれも買おう」
彩香は“慣れる事も寛容”という言葉を不図、思い出した。
龍志朗が楽しそうな返事をしてくれるのを、今は素直に喜んだ。
「わぁ、きらきらしています」
カルテットに着いて、龍志朗の後からお店に入ったのだが、彩香の眼には眩く見えた。
ケーキと呼ばれる華やかな菓子やチョコレートで絵が描かれている焼き菓子などが、綺麗な包装に色鮮やかに飾られていた。
「これは月夜様、いらっしゃいませ、わざわざお足を運んで頂きありがとうございます」
店の主人が奥から出てきてい挨拶をしてくる。
「ああ、今日は彼女が贈り物に欲しいそうだ」
鮮やかな色が映りこんだ様な瞳で飾られた菓子を見ていた、彩香が龍志朗の声に我に返って、店主の方を向いた。
「初めまして、カルテットの主でございます、どのような物がご入用でしょうか?」
真っ直ぐ彩香に体を向けて、問いかける姿勢は、龍志朗の隣に立っているからこそ、向けられるものなのだろうが、優しそうな眼差しでもあった。
「お休みしている間に、働いて頂いた方々に、少しずつ差し上げられればと、思っています」
彩香が意図を説明すると、店主がすぐに問いかけてきた。
「お相手は女性が多いですか?男性が多いですか?」
「男性の方が多いと思います」
彩香は淀みなく答える。
「さようでございますか、では、今の季節限定の、こちらのさっぱりとした薄荷粒入りの焼き菓子や、檸檬粒入りの焼き菓子の詰合せ等、如何でしょうか?」
青を基調とした包装紙に包まれており、見本として、中身の菓子が見えるようにされている物があった。
「美味しそうですね、あんまり甘くない方が喜ばれるかもしれないですよね」
彩香もふむふむと頷きながら答える。
「ああ、確かに、ここの檸檬粒入りは上手かったぞ」
龍志朗は以前食べた事があるようだ。
「また、女性受けが良いのは、こちらのチョコレートで花を描いたものや苺ジャムを使ったものなどが喜ばれております」
店主が別の棚の物を紹介した。
「可愛らしい」
彩香から思わず笑みが零れた。
「はい、ご婦人方皆さんにそう、言って頂けます」
店主が満面の笑みで答えた。
「雅也君の所にそっちを持って行って、そっちは入院していた時にお世話になった看護師の所に持って行けばいいんじゃないか?どうせ、これから仕事付き合いも無くはないだろう?」
龍志朗が嬉しい提案をしてくれた。
「そうですね、看護師の皆さんにもお世話になったから、何か出来ればと思っていたのですが、退院の時は出来なかったので、もう、機会がないかと思っていました」
彩香は瞳を輝かせながら答えた。
「退院の時は、何かと面倒だからな、仕事始めに持っていけば、丁度良いだろう」
龍志朗が凡その人数を思い出しながら、買う数を決めていた。
店主に告げながら、食べた事がない彩香様にも数個購入していた。
「彩香、どれが良い?」
龍志朗が隣で嬉しそうにしている彩香に冷蔵ケースを指さしながら聞いた。
「えっ?」
何の事だか、さっぱり解らず、小首を傾げて彩香が龍志朗に目をぱちぱちさせていた。
「奥で食べられるから、一つ食べてみたらどうかと思ったのだが?」
あまりに不思議そうにしている彩香に喉の奥で笑いを嚙みしめながら応えた。
「あ、あの果物が沢山載っているものが美味しそうです」
説明されて漸く意図がわかった彩香は素直に指さす。
「だそうだ、私は珈琲を」
龍志朗がそのまま、店主に向き直って。答えを横へずらした。
「畏まりました、こちらへどうぞ」
店主に案内されながら、奥の貴賓室へ向かった。
真っ白な布が掛けられた小さなテーブルが窓の側に幾つか並んでいた。
お店より天井が高く、窓の上にはステンドグラスがはめ込まれて、柔らかな日差しが室内をより明るくしていた。
「こちらへどうぞ」
主が彩香の後ろの椅子を進める。
向かい合わせではなくテーブルの角を挟んで隣通しで、窓に向かって二人は座っている。
「疲れてはいないか?」
優し気な瞳が彩香を覗き込む。
「まだ、着いたばかりですよ」
龍志朗のあまりの心配性に苦笑して答える彩香である。
「まぁ、それもそうか」
少し自嘲気味に応えた。
「龍志朗様、ありがとうございます、素敵なお菓子を贈れます」
「良かったな、気に入った物があって」
嬉しそうに微笑む彩香を同じように龍志朗が微笑みを返す。
「お待たせいたしました、果物百貨のタルトでございます、こちら、本日のお紅茶、ダージリンティーでございます、本日の珈琲はマンデリンでございます」
給仕が音も無くテーブルに置いていく。
「わぁ、とても綺麗です、食べるのが勿体無いですね」
彩香がケーキを見るなり、感嘆の息をもらす。
「飾って置く物ではないぞ」
喉の奥に笑いを忍ばせて龍志朗が彩香に声を掛ける。
「そうですよね、それはそうですよね、ではこの橙色のものから・・・」
彩香が意を決したように、端にある柑橘類からフォークで刺していく。
「んんっー、美味しいです!」
一口、果物と下のクリームを口に入れると、無くなってしまうのではないかと思われるくらい、目を細めて飲み込んでいた。
「そうか、良かったな、他にもあるぞ」
龍志朗は彩香がここまで喜ぶとは思っていなかったので、後先考えずに提案した。
「あ、でも、この後は別のお店にお買い物に行くのではないのでしょうか?」
彩香もつい、目の前の美味しい物に釣られそうになったが、1件目の店だと思いなおしていた。
「そうだな、彩香は取り敢えず目的を達成できたか?」
「はい、復職する際に、お礼をと思っていたので、それについては大丈夫だと思います」
「ん、確かに大丈夫だ」
龍志朗が“大丈夫”にやけに力を込める。
「大丈夫です」
何故か彩香も声に力を込めて復唱する。
くっくっとふふっと二人の静かな笑い声が重なった。
「彩香が特に行きたい店が無いのなら、私が2か所連れて行きたい店があるのだが、そちらに向かっても良いか?」
「はい、どこでしょうか?」
「着いてからのお楽しみだ」
話している合間もケーキを堪能し、口福を嚙みしめている彩香と、そんな彩香に劣らず目を細めて、彩香を見詰める龍志朗の口元も緩んでいた。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。




