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海に月の光が梳ける時  作者: 稜 香音
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7

うふっうふっふのふ

努力は報われるのですよ、だいたいですけどね。

最後の難関、結婚の手続き。


これは、ある程度、龍志朗も覚悟していた。


「月夜、呼んだか?」


龍志朗の執務室に唐突に対馬が入ってきた。


「ああ、悪いな、呼び出して」


朝、一通りの業務が済んだ段階で、封式を飛ばして、対馬を自分の執務室に龍志朗がわざわざ呼んだのである。


「何だ?国防の見回りはまだ先だよな、ま、そうすると、一択しかないけどな、今度は何に困ったんだよ、月夜少佐殿」


口角を上げて悪い顔つきの対馬は、ソファにゆったりと座った。


「勘が良くて助かるよ」


そんな顔をされたところで、全く動じない龍志朗であった。


「少しは気にしろよ」


寧ろ、対馬の方の、表情が曇る。


「でだ、手続きなんだがな」


龍志朗は直ぐに本題に入った。


「何のだよ」


対馬は、主語が無い事に気づき、わざと問いかける。


「何って決まっているだろう」


龍志朗は何をわざわざ疑問に思うのだろうと訝しがる。


「一択しかないとは思っている、が、だ」


対馬もたまには龍志朗からはっきり言わせたい。


今は借りが多いので、龍志朗が折れた。


「対馬、彩香と結婚するから、軍の中の手続きを教えてくれ」


龍志朗がため息を吐きながら、一気に告げて頭を下げる。


「そうか、そうか、おめでとう、良かったなぁ、ほんとに良かった、いやー俺も苦労した甲斐があったよ、で、手続きか、そうだな、俺、まだ、よく覚えているぞ、中々面倒なんだよな、あれ、ああ、でも、お陰で総務課の子と仲良くなったから、一式揃えてきてやろうか、ちょっと頼むと簡単にやってくれるぞ、きっと、いやー良かった、良かった、そうか決まったか、今度色々ゆっくり聞かせてもらおうか」


一瞬で、対馬が饒舌になった。




そして、既に用意していたかのような、手の回しっぷりである。


最後の言葉の重みは、目が笑っていなかった事で、証明された。


総務に直接聞きに行って、根堀葉堀されるよりは、付き合いの長い対馬と話した方が、気は楽だと思うようにした。


どの道、対馬には話す事になるだろうし。


対馬の話に寄れば、やはり、軍の手続きの書類は多かった。


上長への報告と承認手続きは、対馬は直属の上司に頼んだらしいが、龍志朗の場合、既に自身が隊を率いているので、上長となると、統括長となるが、総帥は父である。


今回、幸いと言うべきか、父は反対していない。


となると、上長の承認は、得たも同然である。


逆に、父に反対された場合、統括長も承認を渋ると思われる。


なので、直属の上長に承認を求めたところで、この関係性から、父が反対しているか否かの確認がこっそり入るのは必須だ。


それは結局、上長から上長へと辿り、父の所まで確認が入る事である。


上長とて、軍人であるから、自分の上長が反対するような事は承認出来ない。


当然の事である。


対馬と話していて


「簡単なんだか、面倒なんだか、解りにくいな」


と二人で笑った。


婚約時に必要な手続きと結婚後に必要な手続きと、概ね対馬から聞いて把握し、婚約時に必要な書類は、対馬が総務から取り寄せてくれる事になった。


何だかんだ言っても対馬は龍志朗の世話を焼いてくれるので助かる。






 難関を突破した。


ほぼ、すべき事はした。


来週の休みの日に彩香の退院を決めた。


まだ、幾分、手の動きが不自由だが、全く動かない訳ではないので、徐々に動かして慣らしていく必要もあり、自分である程度は出来るようになったので、彩香は退院となった。


仕事に戻るのは、更に一月後の予定だ。


仕事も、もう一人の助手が付いたので、教える事や室内での作業のみとしたので、負担にはならないだろうという、雅也の判断の元、決まった。




「柊先生、大変お世話になりました、お陰様で退院出来るようになりました」


彩香は助けてくれた柊先生に深々と頭を下げた。


「よく頑張ったね、これからは、龍志朗の手綱をしっかり持って、頑張ってね」


柊が彩香に声を掛けると、彩香は耳まで真っ赤にして俯いた。


「柊先生、助けて頂いた事、深く感謝しておりますが、その手綱の話は余計でしょう」


隣に立っていた龍志朗が、彩香の手荷物を持ちながら、不満げな顔を露にしている。


「そうか? 君が唯一、聞き入れる相手に、物事を頼んでおくのは、必要な事だと思ったがね」


全く、悪びれることなく、平然と答えた柊だった。


「彩香、行くよ」


龍志朗は不機嫌なまま、彩香の手を引いた。


「皆様、お世話になりました、ありがとうございました」


彩香は慌てて顔を上げ、柊の横に並んでいた、看護師達に半身の状態で挨拶をした。


同じ医療に携わる者同士、仕事に戻ればまた、接点も生まれる人達でもあるのだ。


その声に、龍志朗は一旦、足を止めた。


彩香が向き直り、深々とお辞儀をした。


その後ろから、龍志朗も会釈をした。


仮にも妻にしようとしている女性が世話になったのだ、礼は尽くすべきと。


彩香が龍志朗に微笑みを向けた。


ようやく、龍志朗の機嫌が治ったようである。


これでは、柊が言う事が、最もだ、と証明しているようなものである。


二人が去って行くのを微笑ましく見送った柊達であった。




 病院から別邸に行く途中に、寮から彩香の荷物を運びこむ。


流石に、龍志朗の運転する車だけでは足りないだろうからと、本邸からも運転手を付けて頼んでおいた。


寮の前で待ち合わせた。


雪乃が本邸の車に乗ってきているので、彩香と先に部屋に入り、荷物をまとめていた。


小物や着替えをまとめてから、雪乃が龍志朗達を呼びにきた。


本当に荷物が少ないらしく、本邸の運転手が数度車に運んだ程度で終わってしまった。


初めて一人で暮らした場所である。


彩香は備え付けの家具が無機質な存在となったのを見ながら、感慨深いものを胸に抱きしめていた。


「彩香の出発点だな」


龍志朗がガランとした部屋を見つめている彩香に声をかける。


「はい、ここから、一人で初めました」


彩香が上ずった声で答える。


「これからは一緒だ、側に居る」


龍志朗がそっと彩香の肩を抱いて、引き寄せる。


「はい」


彩香はそう応えるので精一杯だった。


寮長に挨拶をし、鍵を返して、車に乗り込んだ。




 別邸に着くと、龍志朗は真っ先に、彩香を彩香の部屋に連れていった。


「わぁーわぁー、ああ」


彩香は言葉を失って、驚きの声しか上げられなかった。


「彩香、大丈夫か?気に入ってくれたか?」


龍志朗はたぶん、彩香が気にいってくれたと思ったが、奇声しかあげない彩香に苦笑して言葉を掛けた。


「あ、あ、ご、ごめんなさい、とっても、素敵過ぎて、びっくりしてしまって、何を言えば良いかわからなくなってしまって」


まだ、興奮状態の彩香は桜色の頬で、龍志朗に向けて、文脈の無い言葉を囀るように告げる。


「そうか、気に入ったのなら、良かった」


龍志朗は彩香の言葉に安堵した。


彩香は部屋の中を歩き回り、家具を開けたり閉めたり、楽しんでいた。




「龍志朗様、こちらの扉はどこへつながっているのですか?」


彩香が窓際の奥の扉に気が付いた。


「ああ、私の寝室だ」


龍志朗が何の躊躇もなく答えた。


その言葉を聞いた彩香は茹で蛸のように耳まで赤くなり、扉の取っ手を握ったまま、固まってしまった。


声も発しなくなった。


「ん?彩香どうした?」


静まり返った彩香を不思議に思って、龍志朗が近づく。


龍志朗が彩香の肩に触れると、反射的に跳ねた。


「どうした?」


予想外の態度に、心配になり、龍志朗が彩香の顔を覗き込むと、彩香は龍志朗から遠ざかろうと窓に頭をぶつけそうになった。


「ほら、危ない」


龍志朗が慌てて自分の手を彩香の頭と窓ガラスの間に入れ、彩香の頭が窓ガラスに当たるのを防いだ。


ゴンと鈍い衝撃音がした。


その音で、彩香は我に返った。


「ああ、龍志朗様、申し訳ありません」


咄嗟に、詫びる事で、声が出た彩香だった。


「大丈夫だ、たいした事ではない、それより、どうした、何か気になるのか?具合が悪いのか?どうしたんだ」


龍志朗は自分の手より、彩香の様子が気になった。




「あの・・・いえ・・・何でもありません、大丈夫です」


彩香はまだ、少し顔を赤らめたまま、俯き加減で答えた。


龍志朗が深いため息をもらした。


「あの、あ」


そのため息を聞いて、慌てて顔を上げ、龍志朗を見つめた彩香だった。


「その大丈夫は大丈夫じゃないだろう」


龍志朗の少し低い声が、上から降ってきた。


そっと、龍志朗が彩香を抱き寄せた。


「何を言っても、しても、彩香を傷つける事は、ここには何も無い、私が側で守るから」


彩香をそっと抱きしめたまま、龍志朗は彩香の頭に頬を寄せた。


「あの、龍志朗様、お笑いになりませんか」


彩香の小さな声が下から聞こえてきた。


「笑う?」


龍志朗は全くの予想外の言葉に、驚き、その瞳を見るため屈んだ。


「あの、この扉が、龍志朗様の寝室に、その、つながっているとお聞きして、お、驚いてしまって、あの、何だか、不安になってきて、その、頭が真っ白になってきて、あの、そのまま目の前も、なんだか、真っ白になってきて、そしたら、か、体が動かなくなって、その、声、声が出なくて・・・」


親しい友人がいるわけでもない彩香は、初恋が実っても、知識が無くて不安な事も多かった。


上手く説明する言葉が見つからず、それでも、想いを伝えたくて、思った事をそのまま、龍志朗に伝えた。


「ああ・・・すまなかった、私が悪い、私が・・・彩香、心配しなくて良い、彩香の意に沿わない様な事は決してしないから、ゆっくり、安心して過ごしてくれれば良い、まず、怪我の完治が優先だ、他の心配などしなくて良いから・・・」


龍志朗は、扉の事で、彩香がそんな不安を覚えるとは、思ってもみなかったので、驚いたのだが、少し嬉しくもあった。


彩香の不安が消えるように、そっと抱き寄せて、ずっと頭を撫でていた。


彩香は自分の考えていた事が少し恥ずかしくて、頬を赤くしたまま、それでも自分を受け入れて、大事に想ってもらえていたのが嬉しかった。


龍志朗の上着の裾をぎゅっと握った。


不安も雲が千切れるように遠くへと去っていった。




「彩香、荷物を運んで、少し休もう、疲れただろう、もう、ここから動く事はないのだから、ゆっくりしよう」


龍志朗はぎゅっと握られた手を包み込んで、彩香に微笑んだ。


「はい、龍志朗様、色々とありがとうございます、とっても素敵なお部屋と家具で、とてもうれしいです、でも、落ち着いてきたら、何だかもったいない様な気もしてきました」


彩香は見れば見る程、高そうに思えて、自分には不釣り合いに思えた。


雪乃から挿絵を見せてもらっていた時は、高級なのかなとぼんやり思っていたのだが、目の前にすると、絶対に高級品だと確信できるような物だった。


「彩香のための物だから、彩香が気に入ってくれて、大事に使ってくれれば良い」


龍志朗は、きっと彩香が、そんな事を言い始めると思っていたので、それには全く動じなかった。


「はい、とても素敵だと思います、大事に使わせて頂きます」


彩香は嬉しそうな笑みを龍志朗に向けた。




居間には、車から荷物を運びこんで、荷物と一緒に寛いでいる雪乃と運転手が居た。


部屋から龍志朗達が出てくると、やれやれと重い腰を上げ、居間から荷物と一緒に出てきた雪乃達と廊下で鉢合わせた。


「坊ちゃま、彩香様の荷物を入れますよ」


自棄に冷めた声色の雪乃の言葉だったが、雪乃の指示の元、運転手が次々と持ってきた。


運転手を返し、雪乃が入れたお茶を、サンルームでのんびり頂いて寛いだ二人だった。




 お昼は雪乃の作った食事を頂き、午後からは彩香と雪乃で、運び込んだ荷物を仕舞ったり、お風呂場や台所の使い勝手の相談などしながら、女子の話に花が咲いて、賑やかだったが、一人蚊帳の外の龍志朗が、少し不機嫌だったのは、気が付かれなかった。

大丈夫、だったかな?


少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。

引き続きよろしくお願いします。

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