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海に月の光が梳ける時  作者: 稜 香音
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3

次、行きます!

次なる難関、月夜龍斗、そう、現月夜家当主、龍志朗の父である。


幼き日に母が亡くなって、もの心ついた頃には、雪乃と別邸で暮らしていた。


学生の頃から、折り目節目には報告しなければならないが、ただ、それだけ。


「最後に会ったのはいつだっけなぁ、軍に入った時だったかなぁ」


「そうで、ございますね、大学を卒業されて、今の特殊攻撃部隊への入隊がお決まりになった事をご報告に本邸へおいでになられたのが、最後でしょうか」


龍志朗と雪乃が遠い日をしみじみと思い返していた。


実の親子で、職場も一緒、住む家もそう、遠くない場所にあるのだが・・・


「本当に、遠くになさって・・・」


大きなため息とともに雪乃から吐き出された言葉。


「向こうも、呼ばないのだから、いいだろう、別に」


この件に関しては龍志朗も譲らない。


母が理由だから。


「まぁまぁ、彩香様が起こしになられたら、それもお変わりになるかもしれませんし、何と言ってもこれから家族が増えますから」


雪乃は温和な微笑みを龍志朗に向けた。


「ん?彩香と本邸の住人は関係ないだろう」


龍志朗は、彩香をあの本邸の煩わしさに巻き込みたくなかったので、自然と声が低くなっていく。


「また、そのものの言いよう」


片眉尻が微妙に上がった雪乃は雪乃で、彩香の嫁としての立場があるだろうと慮った。


「彩香が笑って過ごせるのが一番だ」


「それはそうでございますが・・・」


「他は、いい」


一番に願う事は同じ二人である。


「彩香様に慣れて頂くのが先決でございますね」


「ゆっくりでいい、ゆっくりで」


雪乃は雪乃で彩香に期待する事もあり、生さねばならぬ事もある。


龍志朗は龍志朗で、彩香を温めたかった。




「行ってくる」


軍の正装に着替えて本邸に龍志朗が向かった。


今日は、事前に本邸の執事に頼んで、龍斗に時間をもらった日である。


自分の親に会うために、実家に行くだけなのに、正装はどうかと思ったのだが、雪乃と話していて、「余計な隙は無い方が良いのでは?」と二人で考えた。


昨日も、病院で彩香に会ってきた。


彩香の笑顔を守るためと思えば、出来ない事は無い、決意を更に高めた。




「明日、父のところに彩香の話をしてくる」


病室に入って来た時から、心なしか元気がないと思って、彩香は密かに心配していた。


「龍志朗様、ご無理なさっていませんか?」


相変わらず小首を傾げながら、不安そうに聞いてくる。


「いや、必要な事をしているだけで、彩香が不安に思うような事はない」


(そうだ、自分はこの不安そうな顔が見たい訳ではない、笑顔でいて欲しいんだ)


凛とした佇まいで、優しい微笑みを彩香に向ける。


「ありがとうございます、私のためにお心遣い頂いて、色々となさることが増えてしまっているのに・・・」


最近、彩香は謝る代わりにお礼を言う事が増えてきた。


龍志朗が「謝らなくていい」と言うので、詫びるのではなく感謝を伝えたいと思うようになったみたいだ。


「もうすぐ、退院だ、そうしたら、彩香と一緒に暮らせる、その前に面倒は片づける」


彩香が微笑めば、龍志朗の目が勢いを取り戻す。


「はい、だいぶ動けるようになりました、昨日も少しですが、お庭でお散歩させて頂きました」


腕の怪我なので、足に問題がないから、もっと早くから歩けると思っていたが、元々、体力があまりないので、外歩きには慎重にならざる負えなかった。


「そうか、まだ暑い日もあるから、気を付けるんだぞ」


目の前の儚げな彩香を見ていると、全てが危険ではないかと思えてくる龍志朗だ。


「龍志朗様、病院にいるのですから、大丈夫ですよ」


「ああ、そうだな、大丈夫だな」


彩香の鈴の音のような笑い声が心地いい。




 「坊ちゃま、お帰りなさいませ」


本邸の玄関の前に立つと扉が開かれ、見慣れた顔がそこにあった。


「ああ、久しぶりだな、真田」


執事に出迎えられて、書斎へと向かう。


自分が居たのはいつぐらいだったろうかと、過去への想いが過る中、黙々と長い廊下を歩いていた。


「旦那様、龍志朗様をお連れしました」


「入れ」


重々しい書斎の扉が、真田に寄って開かれる。


「お久しぶりです、父上」


張り詰め過ぎた空気から音が聞こえる。


「そうだな」


書斎の大きな机の向こうから、真っ直ぐに龍志朗を見る眼は凪いでいた。


その瞳を意外に思いながらも、用意していた言葉を発する。


「この度は、父上にも色々ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」


お互い軍人であるから、軍法会議が自分に関連して開かれるという事自体が、失態とされる家である。


ましてや、龍志朗に非が無いとは言え、私情についての事であれだけ大きくなっているのであるから、面子に関わる事ではある。


将校の龍斗にしてみれば、迷惑というより、汚名に近いとも考えられるので、真っ先に詫びなければならない。




「そうだな、請求書が来ていたぞ」


低く感情が見えない声で龍斗が言う。


「え?請求書」


台本通りに進んでいたかのような会話に、予想外な単語が紛れ込んで、龍志朗は驚いた。


「医療棟の救急部の扉代だそうだ、他にもあったが」


龍斗が机の右端から1枚書類を持ち上げた。


「何故、私宛に来るのかわからんがな」


低く通る声が静かに告げる。


「申し訳ありません、こちらに頂ければ対処致します」


龍志朗も自分が壊した扉代が、龍斗にいっているとは思いもせず、驚き受け取りに進む。


「いや、こんなものはどうでもいい、で、お前の要件は?」


龍志朗が伸ばした手は何も掴むことなく、空を切り、龍斗との間合いが詰まっただけになってしまった。




「はい、この度、海波彩香嬢と婚約し、同居をする事にしましたので、ご報告に参りました」


淀みなく、真っ直ぐに向かっていった。


龍志朗の黒い瞳に強い意志が感じられた。


「報告なのか」


低く、重く感じる龍斗の声。


「はい、ご報告に、参りました」


龍志朗の言葉には許可を求めに来たのでは無く、報告に来たのだと暗に込められていた。


龍志朗は許可が下りないとしても彩香を手放す気は無いので、報告としたのであった。


張り詰めた沈黙が続く。


「で、お前は海波彩香について、どれだけ知っているのだ」


一瞬、龍斗の瞳に氷が宿ったように見えた。


「森野家から生い立ちは聞いております」


龍志朗は雅也から聞いて、森野家で世話をしたのだからと、少し安心していたところがあるので、ここは抜かったかもしれないと思った。




それでも、入院中にこっそりと呼ばれ、聞いた話を思い出していた。


「少し良いか?」


彩香の見舞いに行った帰り、病院の入口で雅也に会った。


それは、毎日彩香の見舞いに来ている龍志朗の帰りを狙ったかのようだった。


二人して、誰も居ない雅也の研究室で話をした。


「海波の事なんだがな」と雅也は彩香の生い立ちを静かに龍志朗に語り始めた。


彩香は8歳の時に、父親から虐待を受けかけて、丁度、帰宅した母に救われたのだが、その際の弾みから、母は父を突き飛ばし、父は頭から出血してしまった。


強い痛みを感じながらも父は逆上して、母を殴打して殺してしまった。


父は母を殴打した際に余計に出血し、まもなく失血死してしまったので、結果的には、母が父を殺してしまった事になった。


その場にいた彩香は、あまりの出来事の辛さで、その前後の記憶も含めて失っていた。


だから、幸か不幸か、彩香は両親の死の真相を知らない。


両親が他界し、引き取り手の親族もいなかったため、施設で育った。




通常、施設では新しい両親の元へと送り出すのだが、幼い頃から、彩香は他所へ行くのをとても嫌がり、どことも縁組が出来なかったため、結局、1年前から寮があって、食住に一応困らない軍属の薬師見習いとして働く事になった。


「そんなに他所へ行くのが嫌ならば、一人で働いて、生活できるように、と、軍の薬師見習いとして、私の所へ来るようになったんだ、他の仕事では中々、一人で生活はできないからね、軍属の薬師なら、寮があるので、食べて住むのには困らない」


雅也は自分の知っている事を全て話した


「ふーん、大変だったんだ」


龍志朗は海辺の事を思い出したが、それは口には出さず、当たり障りのない答えをしていた。


そういう事情を知られた上で働いているなら、そんな事は尚更、知られたくないだろうと思ったからだ。




「事情が事情なので、私に付いたのだが、中々、私にも慣れてくれなかったんだけど、段々、話せるようになってきて、この前の学会の時も一緒に居てくれたから、話す事も増えたし、家にも呼べるようになったんだ」


「それは良い事なのか?」


龍志朗は、仕事と関係ない事を、雅也が進めたがっていた事がよくわからなかった。


「育った環境の影響が大きいとは思うんだが、人との関り方が慣れてないし、やっぱり年頃の女の子だから、女性でないとわからない事もあると思うんだけど、年齢差も影響あるのかもしれないが、同僚とはそういう感じで馴染めなさそうなんだよね、母なら、ほら、垣根ないから、何とでもなるかと」


雅也も自分で言っておいて、笑っていた。


「確かに、椿おばさんに扱えない人はいないだろうね」


そこは龍志朗も疑う余地がなく、そういう事情であれば、雅也が家に呼びたがっていたのは理解ができた。


「そうだろう、今後ともよろしく頼むね」


雅也は龍志朗の肩を軽くたたき、嬉しそうに微笑んでいた。




そんな話を雅也としたと思い出していた。


「そうか」


龍斗の瞳に氷は既に見られなかった。


「何か懸念事項が?」


雅和から龍斗が調べていたと聞いたので、自分でも軽く調査は掛けさせたのだが、聞いていた以上の事は出てこなかった。


龍志朗の不安は募る。


「いや、今は無い」


凪いだ瞳に戻ったように見えた。


「そうですか」


龍志朗は一先ず、安堵した。


こちらで出なくて、あちらで出たのであれば、隙が生まれる。


そうすれば、彩香の事が却下される可能性もあるわけで、また、自分が龍斗に及ばないという事を認識させられる事でもある。




「退院は決まったのか?」


「まだ、日取りは決まっていませんが、近々の予定です、退院して落ち着きましたら、連れて参ります」


龍斗が彩香の事を気にしてくれているとは思ってなかったので、この質問は、あるかもしれないと思いつつ、少し意外に龍志朗は思った。


「そうだな、別邸では手狭でないのか?」


龍斗が龍志朗から視線を外して、空を見ていた。


「改装は予定しておりますが、そのような事を申す者ではないので、十分かと」


龍斗から意外な言葉を聞いて、龍志朗は一瞬驚きを飲み込んだ。


「そうか、お前が必要と思う事をすれば良い、必要なら真田に言え」


まだ、引き会わせてもいない彩香に対して、過分な申し出ではないかと、龍斗の言葉に不安すら感じてくる。


「ありがとうございます、出来るだけ、ご迷惑をお掛けしないように努めます」


何か仕掛けが無いか不安が消えないので、一線を超えないように警戒している。


「お前のためではない、あの娘のためだ」


今度はその驚きを飲み込めなかった。


龍志朗は眼を大きく見開き、言葉に詰まった。


龍志朗から僅かばかり見える龍斗の目は凪いでいたままだ。


いつもの様な鋭い眼差しでは無かった。


「ありがとうございます、出来るだけ早く連れて参ります、希望があるかもしれませんので、早めに聞いて叶えてやりたと思いますので、よろしくお願い致します」


龍志朗は龍斗の瞳を見て、何が原因かわからないが、心の中で警戒を解いた。


龍斗が本心で彩香を受け入れてくれていると思った。


昔から、眼は誤魔化さない父であった。


「そうだな」


龍斗は言葉少なく頷いていた。

大丈夫、だったかな?


少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。

引き続きよろしくお願いします。

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