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やっぱり頼りになるのは、うふっ
「彩香、良かった…」
手術が無事に終わり、医療棟の上階にある広い病室のベッドに、彩香は眠っていた。
白くなったままの彩香の顔を見つめながら、龍志朗は付き添っていた。
掠り傷に貼られた包帯も痛々しいが、折れた腕は堅固に覆われていた。
彩香はぼんやりと重い瞼を上げた。
「気が付いたか」
重たい龍志朗の声が聞こえた。
眉頭を寄せて、心配そうにのぞき込んでいる龍志朗の顔が見えた。
「あ・・・」
自分がどういう状態なのかわからず、ぼんやりと龍志朗を見た。
「良かった気が付いて」
龍志朗は安堵して、大きく息を吐いた。
彩香は体が重く感じて、視界の中に固定された腕を見て、何故あんな顔を龍志朗がしているのか、思い出した。
「龍志朗様、助けて頂いてありがとうございます」
囁くようなか細い声だが、目が覚める前の記憶が蘇り、龍志朗に抱えられたところで記憶が途切れていたので、彩香は龍志朗に礼を告げた。
「怪我は大事だったらしいが、ちゃんと元に戻るそうだ、すまなかった私のせいで」
龍志朗の声はまだ辛そうに、苦しそうに聞こえる。
「龍志朗様のせいではありません、あの人の言う通り、身の程をわきまえなかった、私が悪いのです」
彩香は、浅葱に言われた事を思い出しながら、微かな声で答えた。
「そんな事はない」
龍志朗は強い口調で否定する。
「孤児の私が側にいてはまたご迷惑をお掛けしてしまいます、きっと・・・、今までありがとうございました。」
消え入るような声で告げる彩香の目からすうーっと涙が流れる。
龍志朗の側に居たい。
でも、それは自分が望んではいけない事だと思った。
自分には過ぎたる人だから、こんな事が起きたのだ。
また、龍志朗に迷惑を掛けてしまった。
止められない想いは涙となって零れた。
「もう、一人で泣くな」
その涙を龍志朗は指でそっと拭った。
「私の側にいろ、ずっと」
龍志朗に告げられた彩香は更に溢れてくる涙を止められない。
「でも・・・」
側に居たい想いと、居てはいけない想いが彩香の中で交差する。
ずっと、拭ってくれる指先の温かさが、眦から伝わってくる。
「・・・ほんとうに、・・・側にいても」
涙で声を震わせながら龍志朗に彩香は問いかけた。
「ああ、傍にいろ」
龍志朗ははっきりと告げ、溢れてくる涙を何度も拭った。
彩香は涙で滲んでしまう龍志朗をじっと見つめていた。
龍志朗の頬に桜色が端っていた。
その優しい微笑みは彩香だけに向けられていた。
(龍志朗様の傍に居られる)
その事が彩香にとって何より嬉しかった。
龍志朗は彩香が眠るまで、ずっと、その大きな手のひらで、頭を撫でていた。
彩香の件は、軍の中の事として、静かに処理をされる予定だった。
始めは、彩香に後ろ盾がいない事もあって、彩香には何の配慮もないまま処理されるはずだった。
しかし、穏便には済まなくなっていった。
森野家が動いたのだ。
雅也ではなく、雅和が軍法会議で物申したのである。
雅和は、軍人ではない、大学の教授である。
なので、本来なら、軍法会議には呼ばれない。
しかし、被害者の保護者代理として、三界の中の一角である薬師の重鎮が、物申したのであるから、穏便に行くはずなどなかった。
薬師、医師の一部は魔界と違い、その血筋だけで出来上がるものではない。
特に薬師は血筋ではなく「学んだ者」が昇って行く世界であるので、育成機関である都大学の存在は大きく、蔑ろに出来るはずがなかった。
軍は三界夫々の出身者から成り立っている。
都大学の教授である雅和が、会議で発言したのである。
「軍人として、その血筋を重んじる魔界の軍人として、その適性をどのように見定めた結果の選出だったのかね」
大学で人材育成に何十年もの実績がある雅和の言葉は重く、魔界の軍では今後の対応策の提示や、彩香に対する他者からの影響が無いようにと、薬師界から魔界に対して、厳正な対応が迫られた。
直接、加害者となった駿河浅葱に対しては、軍を懲戒退職となり、駿河家への表立っての処分は無いが、当主は要職を辞して、家督を長男に譲り隠居し、浅葱は父と共に地方の別邸に引きこもっていった。
加害事実の原因が原因なだけに、家にまでの厳罰は、誰も求めなかったが、当主は責任を感じて、自ら辞したのである。
月夜家当主は今回の件について、表だって動きは見られなかった。
龍志朗の父、月夜家当主の龍斗が、全く、動いていなかったとは思えないが、雅和のように振る舞う理由がないのである。
何故なら、月夜家としては、加害者と被害者に対する、特別関与がないのである。
龍志朗自身、会議での説明に戸惑いを覚えた。
加害者の動機の裏付けのためとは言え、龍志朗にしてみれば、ただの迷惑に過ぎず、加害者とは軍属上の接点のみで、個人的には一切関係ない。
被害者とも公にする関係性は無いのである。
むしろ、対馬の証言の方が裁判員には理解されやすかった。
「大きな貸しが出来た」
と、対馬は軍法会議の出廷の後に、龍志朗の肩を大いに叩いていた。
「仕方が無い」
と、今回ばかりは対馬の証言が全てであったと言っていいほど、理論整然とされており、皆が納得した経過説明と事象証言となったのであった。
もっとも、龍志朗に対する秋波は、世間でも有名な話である。
裁判官の中には(いつか起きるかも?)と思っていた者もいたようであったし、龍志朗に非が無い事は誰の目にも明白であった。
因みに、医療棟の病院管理事務長は、彩香の入院・手術代を本人に請求しても支払い能力を超えているだろうから、龍志朗が壊した入口代と合わせて、月夜家に請求出来るか、気をもんで、機会を伺っていた。
大丈夫、だったかな?
少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。
引き続きよろしくお願いします。




