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海に月の光が梳ける時  作者: 稜 香音
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色々気が付く事もありますよね。

「お帰りなさいませ、もうすぐお昼になりますので、ご用意してよろしいでしょうか?」


そこに、雪乃が出迎えてくれた。


「そうだな、そんな時間か、頼む」


龍志朗は雪乃の問いに応えた。


「ほら、中に入るぞ、雪乃の食事も上手いぞ」


龍志朗は微笑みながら、彩香の頭を軽く叩いた。


「え?食事?」


一度に多くの驚きがあると、人間、何から反応して良いか、わからなくなるのかもしれない。


彩香は、龍志朗が自分の掛けた迷惑に、少しも怒っていない事にも驚いた。


彩香は、当たり前のように、お昼ご飯の話が進んでいるのにも驚いた。


彩香は、龍志朗に手で頭を軽く叩かれて、幼子のように扱われたのにも驚いた。


なので、何にどう、反応して良いかわからなかった。


真丸まんまると見開かれた瞳で、呆然と立っていた。




「どうした、中に入るぞ」


龍志朗は歩き始めたが、後ろに付いてくると思っていた彩香が、全く動かなくなっている事に気が付き、歩み寄って、今度は彩香の手を取り、促した。


「えっと、龍志朗様、お食事はご馳走になるわけにはいかないかと思うのですが」


彩香は、一先ず、騒がしい心の音は既に先程から鳴り止まないので、無視する事にして、当面の課題に対して、龍志朗に確認する事にした。


「どうしてだ?何か予定があったか?」


龍志朗は今まで、彩香が何も言っていなかったので、突然帰ると思っていなかったため、不思議に思ってその顔を覗き込み、尋ねた。


「いえ、何も予定はないのですが、突然、お邪魔して、ご迷惑を掛けた上に、お昼ご飯まで、ご馳走になっては、申し訳ないような気がするのですが・・・」


彩香は、まだ、してもらう事に慣れていない。


確かに、最近は師のご家族から色々と与えられているので、“頂く”という事も少し出来るようになったが、今回は唐突過ぎるし、龍志朗と椿は違うと思った。




「気にする事はない」


龍志朗は、彩香がそんな事を気にしているとは、思っていなかった。


「え、でも・・・」


彩香は、本当に良いのだろうかと不安が消えなかった。


「一緒に食べたくないか?」


龍志朗は瞳を曇らせて、彩香の顔を覗き込みながら、取っていた手の力を緩めた。


彩香が拘るので、本当は違う理由かと危惧したのであった。


「そ、そんな事ないです、一緒に、一緒に居たいです」


彩香は自分の口からそんな言葉が出ると思っていなかったので、口にしてから、自分でも驚いて、慌てて空いている自分の手で口を覆った。


が、発した言葉を無かった事には出来ない。


彩香は耳まで赤くなり、視線を彷徨わせながら俯いた。


「中に入るぞ」


龍志朗は緩めた手をもう一度しっかりと握って、眩いばかりの微笑みを彩香に向けた。


「はい」


声を掛けられ、顔を上げて答えた彩香に龍志朗の笑みは眩しく、碧い瞳に映る。


彩香も龍志朗に握られた手の指をそっと龍志朗の手の甲に触れてみた。


彩香は手を引かれて屋敷の中に入っていった。




先程のサンルームとは違い、畳の上に小さな台が置かれている部屋に案内された。


襖を潜り、先程のサンルームより、やや狭い部屋は、床の間に掛け軸が掛けられ、段違いの棚には香炉と花が活けられている。


棚の向こうから障子越しの光が入っている。


よく見ると、床の間からの続きの書院造りの障子には、龍が透かし彫りで描かれており、凝った造りに目を見張る。




「こっちに座れ」


龍志朗は床の間を背に座布団の上に座ったが、彩香を対面ではなく、自分の側面の座布団に座らせた。


「はい」


彩香は、てっきり対面に座るかと思っていたので、首を傾げながら、その指示に従った。


(どうして、お向かいではないのだろう?何かの仕来りなのかしら、大丈夫かな、私)


彩香は少し不安に思ったのだが、龍志朗は怒らないからきっと大丈夫とも思えた。


「お前もあまり量は食べないだろう?近くに居た方が取りやすいだろう」


龍志朗は彩香が座ってから、不安そうにしているのを見て、説明した。


龍志朗も、何かにつけて彩香が不安に思う様子を見て、自分が思っている以上に不安の種があるらしいという事に気がついた。


「はい、ありがとうございます」


彩香は龍志朗の思いやりがうれしくて、晴れやかな微笑みを龍志朗に向けた。




「お待たせ致しました。お食事をお持ちしました」


雪乃が襖の向こうから声を掛けた。


「あ、お手伝いします」


咄嗟に彩香が雪乃に声をかけた。


「あら、ありがとうございます、ではこちらを台に載せて頂けますか?」


雪乃もあっさりと彩香に頼んだ。


通常であれば、乳母である雪乃が、次期当主である家人の客に手伝わす事など無い。


しかし、雪乃は龍志朗から彩香の話を少し聞いていたので、何か本人が作業をした方が、気持ちが落ち着くのではないかという思いがあったので、手伝ってもらったのである。


見事にその思いは的中した。


「美味しそうです、大きいお魚のお皿はこちらでよろしいでしょうか?」


彩香は楽しそうに龍志朗の前に皿を並べ始めた。


「ああ、いいぞ」


龍志朗は楽しそうにしている彩香を見て、微笑ましく思っていた。


「後はこちらになりますので、ごゆっくり召し上がってくださいませ」


雪乃は飯茶碗に少な目によそったご飯と味噌汁の椀と香の物を台の端に載せて下がった。




椿の家で初めて食事をした時はその量に圧倒されたが、雪乃の作った料理は1品ずつが2口か3口で終わりそうな小鉢が数種あり、今日の主菜のお魚だけが大きいお皿であった。




ただ、彩香は迷った。


いずれの料理も1皿ずつなので、どれを食べて良いのか、又は全部を龍志朗と共有するのか、どうやって食べて始めて良いのか、並べ終わった後に、戸惑いを隠せなかった。


(雪乃、そう言う事ではないんだが・・・)


龍志朗は内心、これが雪乃の策を巡らせた献立だと思った。


1皿ずつなので、必ず、龍志朗が彩香と分け合う事になり、そこで、会話であったり、食べ方であったり、色々とお互いの事が理解出来るようになる。


食事については必ず生活に付いてまわる事なので、夫婦になるのなら、許容範囲でなければ駄目だ、と言う事を雪乃は常々言っていた。




「頂きます」


二人そろって言ってから、龍志朗が尋ねる。


「お前の好きな物はあったか?」


戸惑っている彩香に龍志朗は声をかけた。


「全部、美味しそうに見えます、これは食べた事がなさそうな気がします」


彩香は自分に“これ”と言って好きな食べ物はないので、見たままに正直に答え、先日の事もあるので、食べた事が無さそうな物も正直に告げた。


「そうか、これは、昆布と魚の卵で和えた物だ、魚の卵が珍しい物だからかな? 味は少し辛目で、卵は食感も楽しめるかな」


龍志朗は取り皿に1口分取って、彩香に渡した。


「お魚の卵ですか、こんな色もあるのですね」


彩香は渡されたお皿を受け取り、その1口を口にした。


「少し、辛いですが、美味しいです、卵がザラメみたいに舌の上を通ります」


彩香は感じたままを龍志朗に伝えた、食べた事ない物でも食べる前に聞いていたので、食べやすかったのもある。


「そうか、気に入ったのなら良かった、あまり食べると辛いからな」


そう言うと、龍志朗は残りを食べた。


龍志朗自身、食に対して固執していないし、いつも一人で食べるので、それ程食事の時間が楽しい訳ではない。


なので、彩香が美味しそうに食べている姿を見ながらの食事は新鮮に感じだ。




「さて、冷めないうちに食べるとするか、どれから食べたい?」


龍志朗から声を掛ける。


「いえいえ、申し訳ないので、龍志朗様が選んで下さい、お取り致します」


彩香は慌てて龍志朗の取り皿を受け取ろうとして、手を伸ばしたが、傍と気が付いた。


「あ、菜箸がない・・・」


彩香は自分が既に1口食したので、自分の箸は使ってしまった、まさかその箸で龍志朗の分を取り分ける訳にはいかない。


彩香の手が止まる。




「気にする事はない、ほら、では、この葉物の和え物を取ったから、小鉢を渡す」


龍志朗は俯かず、色んな反応を見せる彩香を見ているのが楽しくなっていた。


誰かと食を分け合いながら食べる事はない。


軍の食事はもちろん1人前ずつ分けられているし、会食も一人分ずつ運ばれてくる。


この様なやり取りは家の中で、家族だけが出来るものである。


故に、龍志朗は出来ない。




「魚も骨を外すか」


「私、やります」


「そうか。では任せよう」


龍志朗が主菜である魚の煮つけの身を解そうとした時、いくら菜箸がなくて、気にしていても、そうそう龍志朗に全て任せて、自分が口を開けて待っている雛鳥のようでは、居たたまれない。


この際、箸の事は置いておいて、少しは自分が給仕をしなければと、意を決し、彩香は申し出た。


「上手いもんだな」


龍志朗は彩香の手際の良さに驚いていた。


実は龍志朗は魚の骨を外すのが少し苦手なのである。


幼少期から食に興味が無く、細かった龍志朗に、少しでも食べさせようと雪乃が解してくれていたので、自らしなくても良かった時期が長かった。


「お魚はよく食べていますので」


「そうか、骨は丈夫だな」


「そう、なりますでしょうか?」


よくわからなかったので小首を傾げながら答えた。


「何にしても、良い事だ」


彩香は自分が何とも思っていなかった事でも、龍志朗が褒めてくれたので、とてもうれしく思い、心が軽くなっていった。


龍志朗と居ると思いがけず褒めてもらえる事が多い気がした。


龍志朗は自分が苦手な事を難無くこなしている、彩香が尊く思えた。




彩香は、解した身の一部を龍志朗の取り皿に載せて、手渡した。


温かいうちにと、彩香が頃合いを計りながら、龍志朗の取り皿に魚を取り分けて、他の小鉢は龍志朗が自分の分を取ってから彩香に渡してくれた。




彩香が自炊で作っているものや、洋食はあまり食べた事が無い事など、龍志朗は、食しているもの中でも、珍しかったものなどの話をして、たくさんの話をしながら、日頃は食の細い二人だが、ゆったりと食事を楽しんでいた。


「ご馳走様」


「ご馳走様でした」


二人で食事が終わると彩香が龍志朗に申し出た。


「お片付けのお手伝いをします」


「いや、別にしなくて良いのではないか?」


龍志朗は彩香の言いそうな事だと思ったが、それはそれで、どうしたものかと迷った。




「お済でございますか?」


雪乃が丁度、襖を開けた。


「ああ、終わった」


龍志朗が答えた。


「では、お下げ致しますね」


雪乃がいつも通りと答える。


「お手伝いをさせて下さい」


と彩香が雪乃に申し出た。


「いえいえ、大丈夫でございますよ、お気になさらずとも」


今度は雪乃にやんわりと断られてしまった。




「いえ、何もしないでご馳走になるばかりでは、申し訳ないです」


そこは毅然と引かない彩香であった。


「それでは、サンルームに食後の果物と珈琲とお茶菓子を運んで頂けますか?」


「は、はい」


当然、雪乃も色々と考慮はしていたので、次の策を難無く出してきた。


次の物が出てくれば、彩香はまだ、帰れない。


それを運ばせれば、そのまま、彩香は居る上に、本人の“お手伝いをしたい”という行動も含まれる。


(何か、思っていた事と違う気がするけど、また、ご馳走になってしまう事になるけど、良いのかな、大丈夫かな)


彩香は気にはなったが、自分から申し出て、断るのもおかしいと思って、食事の終わった皿を下げる雪乃について、自分も少し運び、首を傾げながら台所に向かった。


「ま、いいか」


龍志朗は二人を見送って、先にサンルームに向かう途中、人知れず呟いていた。

大丈夫、だったかな?


少しでも皆様の気晴らしになったら良かったです。

ブックマーク登録もありがとうございます。

うれしいです。

お礼が遅くなりました。

予約掲載しているのですが、まだ、仕組みに不慣れです。。。


作者の事はゆるやかに見て頂けると助かります。

引き続きよろしくお願いします。

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