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創作百合短編集

ライバルで、“ふうふ”じゃない

作者: 今田椋朗


 *


 あたしたちはライバルだ。


 智慧の郷学院の中等部の名物に認められるほど、あたしたちは日常的に勝負を繰り広げてきた。


 今日は、定期テストの結果が廊下に貼り出される。


 すでに人だかりができているところ、あたしたちがやってくると、なぜか親切にもみんな道をあけてくれる。


 名前を確認する。


 西峰紗亜矢……あった、あたしは学年三位か、前回と同じ。

 そして国数英理社と全ての教科であたしの名前にぴったり寄り添っている名前。


 千田乃々。

 あたしの最大にして最高のライバル。

 ……学年四位。


 あたしの、勝ち!



 あたしはこんな結果に興味なんてないですよと言いたげな澄まし顔で名簿を一瞥したあと、踵を返した。

 千田も、あとに続く。



 教室に戻ると、あたしたちの席の周りにクラスメートたちが次々にやってきては口を開く。


「もはや名人芸ね、あれ」

「今回は全ての教科だものね」

「学院一の“ふうふ”のなせるワザってやつね」


 あたしはいつものように抗議した。

「“ふうふ”じゃありません、ライバルです」


 隣の千田も同意するように、机の下で絡め合っているあたしの手を握った。



 


「国破れて山河あり」

「オホーツク海気団」

「五人組制度」


 ……あたしたちは競い合って授業に参加する。

 それで、自然と周りのクラスメートたちの意欲も刺激しているようだから、教師たちからもあたしたちへの信望は厚い。

 授業態度はトリプルAだ。

 


 数学の授業では、まず小テストを実施し、その後プリントが配られる。

 プリントを解き終えたなら教師に提出し、満点ならもうそれで授業の残り時間は自由になるのだ。

 むろん、一筋縄でいかない応用問題が最後に待ち受けているのだが。


 あたしたちは当然のように小テストで満点を取った後、プリントに取り組む。


 千田と目が合って、無言の合図を交わして、レースが始まった。


 計算速度は、比較が容易な要素だ。

 これまで、34対36で、あたしは負け越しているから、今日こそは負けられない。

 

 エックスとワイをかき混ぜてかき混ぜて、シャープペンシルが駆け出す。


 ラストの応用問題まで息継ぎなしで到達する。

 ラスボスの問題文を精読する。

 しめた、昨日予習していたところが当たった。


 あたしはスムーズに解き終えて、席を立つ。

 椅子の足が床を擦る音は、勝利宣言に等しい。

 

 しかし、それは完璧にユニゾンしていた。

 同時に立ち上がったということは、千田の席のほうが教師に近いから、ほとんどあたしの敗北を意味する。

 教室内で慌てて走ったり、そんな競争はあたしたちはしないのだ。


「息ぴったりだな、相変わらず」

 数学教師は笑いながら、千田のプリントを先に受け取った。

 あたしは歯噛みしながら、あたしより少し背の高い千田の背中に流れるセミロングを睨み付けた。

 

「おしい、ここ符号ミスだね」

 それで、千田のプリントは返却された。

 

 あたしのプリントは全問正解だった。

 だけど、いまいち勝った気がしない。 


 なぜなら、あたしたちの勝負は僅差ばかり繰り返していて、お互いに負けは素直に認めても勝ちは大差でなければ認められない性分なのだ。


「ちぇ、西峰の勝ちかぁ」

「千田、三連勝ならず」

「今日昼飯お前のおごりな」

 クラスメートたちはそんなふうに観戦しているらしい。


 あたしは抗議した。

「ちょっと、この勝負はあたしたちだけのものなんだから、賭けたりしないでよ」


「はーい、それじゃ解説始めるから、私語はやめてください、“ふうふ”もいちゃいちゃするのはやめてくださーい」

 数学教師がそう言って、教室は笑い声に包まれた。


 心外だ。

「ちがいます、ライバルです」

 それに、千田と髪を三つ編みにし合っているのは次体育の授業があるからだ。

 断じていちゃいちゃ等ではない。





 体育着に着替えると、

「ねえ、千田さん千田さん」

 とクラスメートに呼びかけられたので、あたしは訝しみながら振り向いたら、

「西峰さん、ほら千田さんのジャージ、間違って着てるよ」

 笑いながら教えてくれた。


 体育着の胸元を引っ張り見ると、“千田”の刺繍がたしかに主張している。


 しまった。

 千田とは寮でもルームメイトなので、こういうことは起こり得る。


「西峰さんね、千田さんって呼んでも振り向くらしいって聞いたけど、ほんとだった」

「しかも今日は千田さんの服間違って着てるらしいよ」

「それ“間違って”るんじゃなくて、むしろ正解なんじゃない?」

「ルーム()()()だから?」

 更衣室は笑みで弾けた。

 クラスメートたちはあの手この手であたしたちをからかってくる。


 あたしは抗議した後、千田に顔を向けた。

「ほら、千田もたまには言い返しなよ」


「……」

 でもこういうとき、千田はぷいと顔を逸らして、何も言わない。



 運動能力は、あたしも千田も、とくに秀でているわけではなくて、実力も拮抗している。

 

 持久走。

 十分でグラウンドを何周できるか、が次の勝負だ。

 学年平均はだいたい十一周、あたしたちの前回の記録は十周だ(お互いに調子が悪かった、あたしたちは体調不良のリズムも重なる)。


 目標は十二周、そして、千田より一メートルでも長く距離を走ること。


 あたしたちの記録係をいつも引き受けてくれるクラスメートが言う。

「クラス三十人中、勝利予想は千田が十四人、西峰支持が十六人よ、頑張ってね」



 あたしたちは十一周を一心不乱に駆け抜けた。


 期待されているときに負けてしまうのは、プレッシャーに弱いのかもしれない。

 今回、あたしは半歩分の差を千田につけられてしまった。

 前回と前々回はあたしのハナ差の勝利だったけど、その二回の差でも埋め合わせられない差だ、半歩分は。

 胸元がくすぐったくて集中力に欠けて負けたなんて言い訳を吹き飛ばすように、あたしは地団駄を二回踏んでいるところに、千田が戻ってきて言った。


「ウチの勝ちだから」

 いつも表情が薄いけど、少し口角が上がっている。

「今週の洗濯物当番は、ウチに決まり。

 それでいいよね」


 あたしはしぶしぶ肯いた。

「……次はあたしが勝つ」


 ライバルに世話を焼くことは大きな優越に他ならないから、あたしたちはしばしばそれを賭けて勝負するのだ。

 今週の洗濯物当番は奪われてしまったが、今月末まで千田のヘアセットはあたしがしてあげていいことになっている。

 制服のアイロンがけは千田が。

 部屋掃除はあたしが。

 

 他にも、あたしたちはいろんな権利を賭けて戦ってきた。

 一日だけ相手に妹扱いされてもゆるす権利は、国語か数学か英語の小テストで三連敗したときに、相手に差し出すルールだ。

 あたしが千田を挑発してそう決めたのに、返り討ちにあって、あたしは一度三連敗している。


 人前でこの権利を行使されたときにはこの上ない屈辱を味わわされることになるだろう。

 だが、口約束とはいえ反故にすることは、あたしのプライドと好敵手との信頼の太い綱が許さない。


 千田はこれまで律儀に応えてきたのだ。



 智慧の郷学院の恒例文化行事である、カルタ大会、歌唱力コンテスト、写生大会、それらであたしたちは中等部のみならず学院全体でも一二を争って、白黒つかなかった。

 だから、学院が一年に一人の優秀者に贈る『慧悟』の称号は、院長の提案で、あたしと千田の将棋五番勝負で決めることになり、しかもそれが文化祭のメインイベントになってしまった。


 負けた方は勝った方の言うことをなんでも一つきく約束も、売り言葉に買い言葉で、結んでしまった。


 あたしたち史上最大級の勝負になった。


 結果は、あたしの二連敗の後に、一持将棋、三連勝と白熱し大盛り上がりで決着したのだ。


 そして、あたしは千田に要求した。

「ずっと気になってた、千田が秘密の手帳に書いてる自作の詩を公開しなさい!」

 

 千田はあれほど絶対見せないと言っていたのに、誠実にも、一日だけとその手帳を渡してくれた。


 その内容は難解で晦渋で、あたしはよくわからなかったから友人に意見を仰いだところ、にやにや笑うだけであまり教えてくれなかった。

 曰わく、愛の詩らしいが、千田は何を思って愛を紡いだのだろう?

 愛なんてもの、あたしは全く見当がつかないのに、千田にはわかるのだとすれば、悔しい!

 

 その内容の一部は以下の通り(曰わく、ここはわかりやすい、とのこと)。


(……向日葵になる。

 あなたの光を浴び続けるため。

 

 太陽になる。

 あなたを照らし続けるため。


 鳥になる。

 私だけを射続けてほしいから。


 月にはならない。

 私は逃げも隠れもしない。……)




 

 ゆめが丘学園都市を循環するバスで、学院と寮を往復するのだが、今週は千田にエスコートする権利がある。

 ノンステップバスとはいえ、うやうやしく差し出された千田の手を、あたしは儀礼的に取って乗降した。

 

 そのまま寮の部屋まで、あたしたちは手を繋いで歩く。

 “ふうふ”だなんてからかわれる所以だが、あたしたちの儀式はむろんそんなものではない。


 形だけとはいえ、ライバルという存在から庇護を受けるのは恥ずかしく、逆もまた然り。

 強敵と認める相手の自尊心の領域に踏み入れる愉悦は代え難い心地よさだ。


 あたしたちはお互いに相手を尊重しながらも、優位を示して相手を悔しがらせて、悔しさのバネが自分に返ってくる期待に胸をときめかせる、この有意義な切磋琢磨の回転が楽しくて仕方がないのだ。


 だから、勝負に賭ける権利と義務はどんどん大きく重くなってきている。



 智慧の郷学院の学生寮『ひなぎく寮』の五階二号室、つまりあたしたち二人きりの部屋では、千田のことを敬愛を込めて、”乃々”と下の名前で呼ばなくてはならない。

 (夏の絵画コンクールのときの勝負の結果だ。)


「乃々、今回の定期テストはあたしの勝ち……わかってるよね」


「わかってるけど」

 

「犬とか動物はお腹を見せて降参を示すというけど……」

 それ以上は蛇足だから言わなくていい。

 あたしは目を細めて無言で乃々をせり立てる。


「くっ……」

 乃々は自ら床に転がって、あたしの足元で仰向けになり、四肢を広げた。


 まさに、負け犬仕草だ。

 刺激が、あたしの脳を突き抜く。

 もっと乃々に勝ちたい。

 もっと乃々を知りたい。


 あたしの感情は膨らんでいく。

「これから、定期テストで負けた方はその日一日犬になることにしよう」

 

「いいよ、次は紗亜矢の番だから、忘れたなんて言ったら許さないわ」

 乃々はあたしを睨み付けながら言う。

 その瞳には闘志がぎらついていて、あたしはぞくぞくする。

 それが見たくてたまらないのだ。

 だから、いつか自分に返ってくることなど省みずに、要求を尖鋭化してしまう。

 

「ふふん、今まであたしがそんなこと一度も言った?

 ……乃々、教えてあげる、犬は服を着ないの」


「……。」

 乃々は二重まぶたの大きな瞳をますます細く鋭くきつく絞って、眉根を寄せてあたしを睨み付けたまま、制服を脱いでいく。

 

 乃々は悔しさで頭に血が上って、首まで赤く見える。

 あたしはこんなのに耐えられるだろうか、と思うと恐ろしい、だが負けなければいいのだ。

 モチベーションがぐらぐら燃えるのを身体で感じる。

 

 乃々はそのまま肌着のストラップにまで手を掛けたので、あたしは慌てた。

「そ、それ以上はいいからっ」


「なぁんだ、次自分が負けたときのこと考えて恐くなったの?」

 乃々は肩紐を落として、あたしを挑発する。


「ち、ちがう、辱めることが目的じゃないからよ。

 ……降参して、あたしを褒め称えなさい!」


 あたしはドキドキしながら言った。

 やはり千田乃々は一筋縄じゃいかない。


 だから、もっと勝ちたい。

 もっと知りたい。



 乃々は目をつぶってひとつ深呼吸の後に、目を開いてまっすぐあたしを射抜いて、口を開く。



「紗亜矢は、人一倍努力家で、大口を叩いても結果を確実に出してきて、有言実行はすごい。

 器用で優秀で、だけどウチ以外には鼻にかけたりしないし、親切。


 自我が強くて自信がはっきりしてるからこそ、純粋に他人の立場で考えられる本当の親切が出来る優しさがあって。

 常に人の尊敬できるところが見えてるから、慢心したり侮ったり見くびったりしないし、きっとどんなに優秀になって人の上に立っても自然に慕われて人が集まると思う。


 紗亜矢のすごいところは、自分ひとりでできることとできないことを混同しないところ。

 つまり、人に頼ることができるしなやかな強さがあるということ。

 これからも、ウチにだけ頼ってほしい。


 紗亜矢は本当に賢いと思う。

 ウチが何回も反芻して身に付けることをもっと少ない回数でものにしてしまうから。

 悔しいけど、脳みその造りから優れてるんだなって紗亜矢を見てたら思うし、ウチは凡人だから、いつか紗亜矢は紗亜矢にもっと相応しい才能のあるライバルと出会うんじゃないかと思う。

 ……まあ、そいつにも負けるつもりはないけど。


 紗亜矢は記憶力がいいだけじゃなくアイデアが閃くのは、紗亜矢の柔軟でしなやかな思考回路を、日々の習慣で解きほぐしているから、ウチは見てるからわかる。

 だからユーモアにもあふれてる。

 この前のバスケ部とバレー部の諍いも、紗亜矢の仲裁だから笑いあえて解決したと思う。


 紗亜矢は情熱的だけど冷静も兼ね備えていて、プレッシャーに強くて、勝負所で自分の能力を十分に発揮できるのはものすごいと思う。

 ウチが紗亜矢に勝てるときは紗亜矢にバレないように何倍も努力したときだけだし、それでも僅差のときもあって、心の底から勝てた気になんてなれたことない。

 

 紗亜矢は決断力があるから、行動力につながってる。

 向こう見ずじゃなくて、どんな選択をしてどんな壁が立ちふさがっても越えてやるって覚悟が固まってるからできることだし、尊敬してる、ウチにはないところだし。

 

 紗亜矢は……くしゅっ!」


「も、もうわかったから、服、着て」


 大事なライバルに風邪を引かれるのは困る。

 それに、気付いたらもう一時間も経っている。


 ライバルからの賛辞こそあたしの最も嬉しいものだけれど、こんなに徹底的に真剣に見つめられながら贈られると、さすがにくすぐったい。

 照れてしまって乃々を直視できない。

 目を逸らすなんて、それこそ言葉を持たない動物なら敵意の無さを示す仕草だ、白旗に違いない。

 

 なんだか負けた気がしてならない、悔しい!

 



 入浴、夕食、勉強。

 寮の消灯時間が訪れる。


 あたしたちは勝負するだけでなく、労いあうことも忘れない。


 シングルベッドが二つ、間を空けて対称的に壁にそって設置されている。

 寮母が見回りに来るとき、生徒は必ず床についておかなければならない。


「西峰さん、千田さん、おやすみなさい」


「おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 寮母が室内灯を消し、部屋を出て戸締まりを確認して去ってしばらく。


 あたしはおもむろに布団から出て、隣の乃々のベッドに向かう。

 かけ布団をめくって、入り込む。

 乃々は片側に寄って、すでにスペースを空けてくれている。


 寮生活ゆえのホームシックではないけれども、安心して確実に休息を取れるように、それは必要なことだ。


 あたしたちは秘密を共有している。

 あたしは夜ひとりでは心細くて眠れないし、乃々も夜ひとりではトイレに行けない。

 それに、寒がりなのだ。

 

 ふたり、同じ一つの布団にくるまると、二倍以上の速度ですぐあたたかくなるから、効率的で合理的だ。

 

 夜では一時休戦する。

 布団の中ではあたしたちはライバルじゃない。

 かけがえのない親友だ。


「乃々」


「……紗亜矢」

 吐息がお互いにぶつかって、くすぐったいけど、ぽかぽかする。

 同じシャンプーの香りがして、心が落ち着く。


「乃々がいないと、あたしは頑張れない。

 今日もありがと」


「うん……

 ウチ、紗亜矢の隣に居続けるから、一生」


 どちらからともなく、あたしたちは布団の中でもぞもぞ動いて、お互いの身体を抱きしめあった。


 充電のハグ。

 また明日さらに良い勝負をするために、あたしたちに必要な儀式。

 

「紗亜矢のにおい、すき」


「乃々、やわらかくてあったかい」


「紗亜矢の声が好き」


「乃々の瞳が好き」


「紗亜矢の素直なところが好き」


「乃々の律儀なところが好き」


 眠くなるまで、交代でお互いを認めあう毎晩の儀式をはじめてから、睡眠の質が高まり肌の調子も良くなっている気がするから、これは欠かせない習慣になっている。


 まぶたが重くなってきた。


「おやすみ、紗亜矢……」


「の、の、……ぉ、ゃ」


 唇がふさがれて、やわらかいとろけるような感触に、背中を押されたあたしは睡眠の谷に落ちていった。


 幸せな夢を見た。

 よく見る夢だとわかるけど、そう思い出すのはいつも夢に入ってるときだけで、目覚めたらほとんど忘れてしまって、なんだか幸せだったことだけぼんやり記憶に残ることになる。


 千田乃々にいつものように挑んで、海を渡り山を越えて、だけど勝敗はよくわからないまま、草原に寝そべっているあたしに、乃々が唇を落としてくる。


 触れ合うと、途端に草原はベッドになって、『ひなぎく寮』のあの部屋だ、と思い出すのだ――。

 


 *


 懐かしい夢を見た。

 目覚めた脳からすぐに飛び去っていくけど、乃々が登場した、それだけは手中に残った。


 今晩は月二回になった恒例の乃々宅での飲み会だからだろうか?


 あたしは午前中に美容院に行き、張り切っておしゃれして、デパ地下でじっくり探して肴を買って、乃々の待つマンションにタクシーで向かった。





 **


「あたしたちももう27だし、婚活!

 親が孫見たいってうるさいし、あたしも子どもほしいし。

 どっちが先に結婚するか、勝負しようか」


「……は?」

 ウチは耳を疑った。


 月二回の飲み会。


 起業に成功して順風満帆なはずの紗亜矢は会社を売却して家庭を持ちたいと急にそんなことを口にした。

 今までそんな話題は露ほどもなかったのに。


「でもあたしって相手に理想押し付けちゃうし、ぜんぶ受け止めてくれるダンナなんて見つからないんだろなあ」


「……あ」


「乃々は美人だし包容力あるし、すでにひとりぐらい結婚できそうな相手いるんでしょ?」


「ありえない!!」


 急に大声を出したウチに、紗亜矢は目を丸くした。

 ウチが感情的になることなんてめったにないからだ。


「乃々、どうしたの?」


「紗亜矢のバカ!

 今まで気付いてなかったの?」


「え、なにが?」


「ウチら、恋人同士じゃなかったの??」


「ええ??!!」


 紗亜矢は仰天して思わず日本酒の瓶を倒した。


「うそ、うそでしょ、今の今までウチのこと、なんて思ってたの?」

 ウチは紗亜矢の肩を掴みかかって、覆い被さった。


「学生時代の最高のライバルで、今も親友だって思ってた……」


「信じられない、鈍すぎる……

 ねぇ中等部高等部のとき、ウチ紗亜矢に毎晩言ったよね?!好きだって、一生側にいるって。

 毎晩おやすみのキスしたよね???

 恋人でもない相手にそんなことしないしされないよね?!???」


 今度は紗亜矢の声が大きくなった。

「キス????

 乃々、そんなことしてたの?」


「うわ、覚えてないの?

 毎晩添い寝したじゃない、ハグして、代わり番こに好きなところ言いあったじゃない!」

 ウチは紗亜矢の肩を激しく揺する。

 

「それは覚えてるけど、……うわ~恥ずかしい、むかしあんなこと毎日やってたもんね……」


「紗亜矢、たしかにすぐ寝てたけど、まさかウチは勝手に唇を奪ってたなんて」

 ウチは頭を抱えた。


「大学は別だったから、中等部と高等部の六年間で、365×6だから、少なくとも2000回くらいあたしにキスしてたってこと?

 に、2000回……!!」

 紗亜矢は笑い吹き出して腹を抱えた。


「ちょっと、笑いごとじゃないわ。

 ウチ、紗亜矢のことずっと真剣に好きなのに、全然伝わってなかったなんて、絶望よ。

 紗亜矢はハグしたり手繋いだり、スキンシップは好きみたいだけど、それ以上のキスとかはしてこなかったから、そういうのは相手に求めないタイプなのかなって思って、ずっと我慢してたのに、そもそも恋人になれてなかったなんて」


「ちょっと、乃々?」


 あたしは服を脱ぎ捨てて、下着姿になって、再び紗亜矢に迫った。


「紗亜矢が寝てから、ウチはドキドキして寝られなかったりしたのに、紗亜矢はなんとも思ってなかったんだね、ウチに脱げって命令したりしたくせに、その後なにごともなくコロって寝付いたりしたのは、だからなのね」

 ウチの頬は濡れた、とめどなく涙があふれて紗亜矢の頬にも落ちる。


「ウチ、ずっと紗亜矢のこと、えっちしたいくらい好きだった……あーあ、いっちゃった、紗亜矢に無理言って嫌われたくなかったのに、なかったから、期待してたから、待ってたのに、この前もウチが風邪ひいて看にきてくれたとき、ハグしてって言ったら紗亜矢、してくれたじゃん、なんなの?紗亜矢はただの親友相手にあんなに看病してくれたりアラサーになってハグしてくれたりするの?

 紗亜矢もウチのこと好きで、だから毎年ウチの誕生日に尽くしてくれるし、ウチのことが一生必要だって言ったじゃん!

 そんなの生涯のパートナーにしかしないことだってフツー思うじゃん!


 期待させやがって!

 だのにただの親友だ、なんて!

 あげく、子どもほしくなったなんて! 

 あんまりだよお!!!」


 ウチは泣き叫びながら、紗亜矢の胸に飛び込んで、頭をうずめた。


「……あの映画、えっと、『レオン』見終わって、紗亜矢言ったよね、乃々のためになら死ねるかもって、ウチ嬉しかった。

 ウチも紗亜矢のためになら死ねるよ?

 もういい、待つのはやめた。

 紗亜矢にはウチしかいないって力ずくでわからせてやる」


「乃々……?むぐっ」


 ウチは紗亜矢の頬を掴んで、唇を唇で奪った。


「この前熊本行ったとき旅館でウチの胸揉んだよね?!あの時もあの後ウチが誘っても冗談だって思ってたワケ?ちょっとはウチのことえっちな目で見てくれるんだって嬉しかったのに!

 紗亜矢!

 正直に言って!

 ウチとはできる、できない?

 ……イヤならもう二度と頼まないし諦める。

 だけど、側にはいさせて。

 えっちはできなくても親友以上だって言って!」


 紗亜矢は急に、驚くほど強い力でウチを抱き上げて、ベッドの上に押し倒した。

 

「紗亜矢……?」

 仰向けになったウチは、紗亜矢の顔が見たくて目で探し回った。

 耳に吐息を感じて、頭のすぐ横に存在を感じて、ウチが振り向く前に、紗亜矢は耳打ちした。


「乃々、ずっと気付いてあげられなくてごめんね」


「ほんとに、ばかっ」

 紗亜矢のあのときみたいに熱っぽい瞳でウチしか映してないような表情を確認して、ウチは背中に手を回して抱きしめた。

 紗亜矢は唇を、ゆっくりと、長くて重いキスをウチにくれた。

 紗亜矢の質量が、においが、味が、声が、情報量はウチの長年の想像をやすやすと塗り替えた。

 紗亜矢がおおすぎて、息苦しく眩暈するほど、ウチは一気に登りつめてしまう。


 紗亜矢は迂回せず、いきなりウチの脚の間をまさぐって、下着の上を指でなぞりあげた。


「ひゃ」


「まだキスしかしてないのに……」

 紗亜矢は人差し指と中指の付けたりはなしたりをウチの目の前でやってみせた。

「こんなにあたしが好きだったの?」

 紗亜矢の指は、ウチの煮汁でつやつやテカっている。

 紗亜矢への想いの火力で、ウチはあれほどひとり寂しい夜ごとにウチを煮込んで煮詰めて煮しめてきたハズなのに、紗亜矢に触られた瞬間、ウチは調理前の真っ白な状態に戻ってしまったように、これから紗亜矢の料理に胸をときめかせていたのだ。


「ち、違っ……」

 ウチが紗亜矢をわからせてやりたい。

 恥ずかしさに顔を隠すのをやめて、ウチは紗亜矢に手を伸ばす。

 紗亜矢の服を脱がそうと動くと、自分で脱ぐと言いたげに紗亜矢は身を引いて、だけどインナーは脱いでくれなくて、躊躇う距離を感じて、ウチは胸を痛めた。

 しかたなく、布の上から、ウチは紗亜矢の胸を手のひらいっぱいに包んで、両手でそれぞれ持ち上げる。

「紗亜矢、おっきい……

 ねぇ、女ははじめて?」

 

 紗亜矢は肩がこわばってしまっている。


 ウチは紗亜矢に頬摺りしたり、自分の胸に頭を沈めて抱いたり、いろんな方法で紗亜矢の緊張を解こうと試みたけど、結果的には、あのときみたいに見つめ合って好きなところを挙げるのが一番効果的だった。


「乃々が、はじめて。

 男とは、大学のときに付き合ったことあるけど」


「……そう、ウチも、大学のとき付き合ってた人いたから、気にしないけど。

 ウチが一番だって、教えてあげるから」


 それから、ウチは紗亜矢を探し続けた。

 耳、耳の裏、舌、おとがいの終点、喉、首から鎖骨、脇、へそ、腰、腿、膝、くるぶしまで。

 だけれど紗亜矢の反応は鈍い。


 正面からハグして、紗亜矢の膨らんだ胸と胸を比較するように合わせてみる。


「あたしの勝ちだね」

 紗亜矢は鼻を鳴らした。


「……大きさではね。

 ウチ、形には自信あるんだ」

 ウチはブラをとってみせた。

「ほら、きれい?

 紗亜矢より、きれい?」


 紗亜矢は一瞬こめかみをひきつらせて、それから、ごくりと飲み込んで、インナーそしてブラを脱ぎ捨てた。

「乃々のほうがきれい、こことか」


 紗亜矢のせいで立っている先端を爪弾かれて、ウチは自分のものとは思えない甲高い声を上げて震えた。

 

「乃々のこと、ぜんぶ知ってたつもりだったのに、ぜんぜん知らなかった、悔しいな」

 執拗に、ウチの先端を摘まんで、ウチは奏でられる。

 紗亜矢はウチを触るのははじめてなハズなのに、まるでヴィルトゥオーソだった。

 ウチの八十八箇所を縦横無尽に駆け巡って、紗亜矢はマエストロのように気取って、ウチを見下ろした。

 

「乃々、ここ弱すぎ、もしかして、もういっちゃった?」


「……う、ん」


「あたしはまだ乃々に教えてもらってないのに、ひとりで勝手にいっちゃったんだ?」


 そのつもりだったのに、いつのまにか組み敷かれて、ウチはシーツに背中を付けて、ただただ紗亜矢の渦に溺れていたのだ。


「置いていけぼりなんて、ひどいね?」


「ご、ごめ」


「いいよ、あたしがずっとほしくて、そんなに敏感になっちゃったんだよね?」


「う、ん」


「だから、ゆるしたげる……

 乃々、反撃しなくていいの?

 負けっぱなしで悔しくないの?」


「ぐっ……!」


 紗亜矢の肩を掴んで、ベッドの上で半回転して、ウチは紗亜矢の上に跨がる。


 紗亜矢の瞳から目を離さずに、手探りで、紗亜矢のへそをつつき、そのまま指を下ろして、下着のリボンを探り当てて、手を隙間に滑り込ませる。


「紗亜矢、どっちに、ほしい?」


 紗亜矢の扉を、ドアノブを、ノックしてたずねると、紗亜矢は一瞬顔をしかめた。

 だからウチは手を引っ込めた。

「いや……?」


「……いやじゃ、ないけど」


「ほんとに?」

 ウチは、今度は恐る恐る手を忍ばせて、確認すると、紗亜矢はまだ乾いていて、準備が整っていなかった。

 だから、思いっきり唇を唇に押し当てて、舐めとって、優しく揉むように歯を当てて、舌を吸って、紗亜矢を連れて行こうとする。

 上顎の歯の裏側を舌でかき混ぜると、紗亜矢は身体を蛇のようにくねらせたので、しつこく続けると、体温がようやく上がってきたのを肌で感じて、やっと紗亜矢を見つけたのだとわかった。


 あいている左手で、紗亜矢のあつい胸をよりわけて鼓動の速度を確かめる、はやいけどまだまだ余裕がありそうだ。


「紗亜矢、どうしてほしいか、言って」

 口付けをはなして、荒い息のまま、ウチはたずねる。


「ふふ、乃々、必死すぎ」

 紗亜矢はウチの胸の先端に顔を近付けて、舌でつついた。


「~っ!、!」


「こうやって、」

 紗亜矢はウチの突起を舐めとる。


「こんなふうに、」

 紗亜矢専用のアンテナが、紗亜矢の唇に包まれる。


「さ、さあや、っ」


「してほしいな、」

 いとおしそうにウチを見上げる濡れた瞳。

「乃々?」

 紗亜矢は赤ちゃんでもないのに、乳房を吸い上げて、ウチは感電したみたいに、背筋が張り詰めて仰け反って、ガクガク腰が震え上がって、くだけて、陸に揚がったクラゲみたいに、シーツの上に溶け広がっていってしまう。

 

「はっはっ、はっはっ」


「の~の、あたしにしてくれるんじゃなかったの?」

 あのときみたいに勝ち誇った笑みで、紗亜矢はウチの頬を掴んで、視線を固定する。


「乃々、もう余裕なくなったの?」


 混濁していたウチの意識は、紗亜矢のその一言で我に帰る。

 紗亜矢の挑発的な声は、あのころからウチの大好きな響きなのだ。


「そんなわけ……」

 ウチは起き上がって、紗亜矢の喋らないほうの口を手指で確認する。

 少し湿っていて、ウチは嬉しくて、焦ったように慌てて擦ってしまう。

「紗亜矢より上手にできるから」

 ウチは紗亜矢の胸に吸いつく。

 紗亜矢を上目で睨みながら、一心不乱で、舌や歯を使って求めると、手が紗亜矢で潤ってきて、なにが正解かわかるようになってきた。


「おいしい?」

 ウチの頭を撫でながら、紗亜矢は優位に浸っている。

「ん。

 ……紗亜矢のほうが立派で、やわらかくて、すごい」


 すると、水脈を掘り当てた感触があった。


「紗亜矢はかしこくてかわいくて、最強でっ」

 

「うん」


「おんながほれちゃうくらいおんなで」


「うんっ」


「ウチはいっつも、たじたじになっちゃうし」


「ん、っ」


「そんな強い紗亜矢が、ウチは大好き!」


「~~~っ!乃々!!」


 紗亜矢の胸を断続的に甘噛みして、ウチの息継ぎの合間休ませないために紗亜矢のおしべを人差し指でやさしく掻いてあげる。

 紗亜矢は褒められるのが一番好きみたいで、むかしから変わらないんだと思った。


 紗亜矢の腰が浮いてきて、もうすぐの合図だとわかった。

 ウチはぴたりと手を休ませた。


「乃々」


「乃々ってば」  


「紗亜矢、どうしてほしいか、ちゃんと言葉で言いなさいっ」


「いじわる」

 紗亜矢はウチの一瞬の隙を突いて、抱き合って半回転して、またウチをシーツに押し倒した。

「いじわるするなら、あたし、もうやめよっかな?」


 ウチは慌てて身を引く紗亜矢の首根っこを掴んだ。

「ちがっ、ちがうの、ごめ、やめないでっ」


「乃々、なんでそんないじわるしたの?」

 紗亜矢は笑いかけながら、ウチを俯瞰する。


 ……勝てない。

 ウチが女を紗亜矢に教えてあげるハズだったのに、どんなに攻めたてても、主導権はなぜか常に紗亜矢にあって、ウチは握られ続ける。


「う、ウチはっさ、紗亜矢といっしょに」


「顔隠さないで、目を見てちゃんと言って」


「んっ、紗亜矢といっしょに、行きたくて……っ」


「ちゃんと言えたね、乃々の素直なところ、あたし、すごく好きだよ」


 こんなシンプルな文句が嬉しくて飛び上がってしまいそうだ。

 ウチは紗亜矢に研磨されてどんどん単純な生き物になっていく。


「あたし、爪長いから、今日はこれで我慢してね」

 紗亜矢は三度、ウチの胸を刺激する。

「あ、でも乃々って敏感すぎて、下触るのはもっと慣れてからにしたほうがよさそうだし、どっちみちだね」


 もっと純粋に、もっとクリアになりたくて、恥じらいを忘れて、ウチは声をあげる。


「乃々、ストップ」


「さ、あや、はやく……!」


「焦らなくていいよ。

 乃々、必死で、かわいい」

 紗亜矢は跨がりなおして、ウチの腿を挟んで、濡れた脚の付け根部分を擦り付ける。

 紗亜矢のどちらの口からも、ふやけた生肉がぶつかり合う音がして、ステレオでウチの脳を揺らす。


 紗亜矢、さあや、さあや!


 視界はすでに溢れた涙で塞がって、ウチは何度もまばたきをして、胸の上の紗亜矢と目を合わせにいく。

 紗亜矢の目に、余裕がなくなってきたのが見えて、ウチは脚を動かしはじめる。

 紗亜矢は反射的にびくついて、それから好戦的に眼差した。


「どっちが先にしてあげられるか、勝負する?」


「バカっ!」


「うそ、じょうだん。

 乃々がすぐさきに行っちゃうから、勝負になんないよね」

 

「いじわる、きらい」


「じゃあ、ちゃんと待ってられる?」


 こくりと頷いて、息継ぎの後に、ウチたちは稼働を再開する。

 ひとつの機械になったみたいに、指、口、脚、口、身体のあらゆる歯車に秩序が生まれて、ひとつの目的に一歩、また一歩、しだいに駆け足になり、驀進していく。


 紗亜矢とキスしながら行きたいと思ったら、目配せだけで、すぐに紗亜矢は唇を乳房から唇へ、ウチを移動して、心がつながっていることがわかった。

 揉み合いながら、擦り付け合いながら、ウチの脚が先にのびきって、すぐに紗亜矢も仰け反って、ほとんど同時に到達した。



 息があらかた整ったあと、ずいぶんだらだらとめりはりのない舐め回すようなキスを続けていた。

 ずっとしていたかったのに、途中で紗亜矢は立ち上がった。

 ウチは背中に飛びついて、またベッドに引きずり込んだ。


「なあに?」


「もっと……」 


「……。」


「……。」


「もっと、なに?

 乃々は大人だから、ちゃんと言葉にできるよね?」


「……も、もう一回、ほしい、です」


「なにがほしいの?」


「紗亜矢っ、が!」


「よくばり。」


「紗亜矢の、せいだし」

 正面に回って、豊かな胸に顔をうずめて、紗亜矢のにおいをいっぱい肺に取り込んでいると、頭を撫でてくれた。


「あまえんぼさんだね、乃々は」


「紗亜矢も、さみしがりでしょ」



 **


 ウチと紗亜矢は、賃貸の2LDKの一室で同棲をはじめた。

 価値観が似ていて、生活はなめらかに循環した。

 すごく、相性がよかったのだ。


「こんなことなら大学のときも乃々とルームシェアすればよかったな」


「紗亜矢の邪魔、したくなかったし」


 紗亜矢の成績についていけなくなって、大学は別々のところへ進学したのだ。

 それで、一時期疎遠になってしまった。

 いや、自分から紗亜矢を遠ざけたのだ。


 当時ルームシェアの提案を断ったのは、通学距離の物理的な問題と精神的な問題の両方だ。

 独占欲と劣等感のかけ算を処理できず、そのときのウチは自律と自信の足場が崩れて、不安定に大きく揺れていた。


 きっと依存して重荷になってしまうだろう、それくらいの判断力が残っているうちに断った。


 高みを目指して羽ばたく紗亜矢の足枷になる未来がありありと想像できてしまい、そんな自分の不甲斐ない部分が許せなかったのだ。

 

 努力を積み重ね、大企業に就職し、紗亜矢に相応しい自分を認められるようになって、また紗亜矢とよりを戻そう。

 そう考えた。


 (勘違いもあったけれど)ようやくそのスタートラインに立てた感慨にウチは震えた。

 

 紗亜矢の体温だけが実感だった。



 紗亜矢と支え合う覚悟、ひとりの人間とひとりの自分との生について本気で向き合う覚悟を決めるには、時間が必要だった。


 順調すぎた紗亜矢との生活、ウチはどこか予感めいた何かを感じないではいられなかった。


 ウチと紗亜矢の愛は、宿命の試練に引き裂かれることになる。

 覚悟という愛の強度が、粘度が、そのとき試されようとしていた。

 



 *


 あたしと乃々はびっくりするぐらいうまくいった。


 馬が合って、反りが合って、波長が合って、息が合って、歩幅が揃った。

 生理周期もしだいに揃いはじめたから、お互いに何がしてほしくて、してほしくないかが言わなくてもわかった。

 

 体調が悪くなる前に、スーパーで、籠城するように食べ物を買うのが恒例になった。


 食の好みは微妙に違っていたけど、こだわりたい場所が近かったので、乃々が探し当てたパン屋の高級食パンをあたしも好きになって、それなしには朝から頑張れなくなった。

 乃々も、あたしの影響で、いつも取り寄せている九州の甘い醤油じゃなきゃ生きていけなくなった。

 


 あたしは1LDKでもよかったけど、乃々が部屋を分けることを主張した。

 クローゼットを分けたいというより、収納は多い方がいいからで、部屋探しは乃々にお任せして、あたしは同意した。

 乃々は張り切っていて、引っ越し手続きを自分でするのははじめてらしいに手慣れていて、スムーズに事が運んだ。

 あたしとの同棲を、ずっと夢でなぞっていたからだと、すごくかわいい。

 きっとそうだ。


 どうせいっしょに寝るのに、と思いながらあたしの部屋にはシングルベッドを置いた。

 乃々はクイーンサイズを置いたから、寒い日は学生時代みたいに添い寝した。

 えっちするときも、だからいつも乃々の部屋だ。



 あのころと身長差は逆転して、今はあたしのほうがほんの少し背が高い。

 靴は違うけど、服のサイズは同じだから、クローゼットが混ざるのに時間は掛からなかった。

 胸のせいであたしには似合わなかった紺のワンピースは乃々にぴったりで、悔しさ半分嬉しさ半分で、あげることにした。

 お互いさまなところがあって、乃々も着たい服は自分に似合わずあたしには似合った。


 洗濯が終わった服は、あたしはどれも几帳面に畳んで仕舞っていた。

 乃々も、アウターやジャケット、シャツなど、パリッとした洋服をハンガーに掛けるときは肩のラインを丁寧に合わせる。

 だけど、それ以外は意外とおおざっぱで、部屋着や肌着は畳まず、くちゃくちゃに引き出しに突っ込むだけで、あたしは唖然とした。

 しわにならない生地だったり、外に着ていかない服にこだわれない、と乃々は言った。

 最初は、あたしはちゃんと畳みなよって繰り返したけど、乃々のほうがだんだん合理的に感じてきて、種類をしっかり分けて仕舞うだけでいい気がしてきた。


 要するに、家事は手抜きできるところは抜く、その乃々の仕方にあたしは馴染んでいったのだ。



 映画の好みは合わなかったけど、山崎貴の作品だけは受け付けないところで一致した。


 また、音楽の趣味は噛み合った。

 乃々もあたしも、ドヴォルザークのチェロ協奏曲はロストロポーヴィチだけに心が震えた。

 ショパンのソナタ三番はアルゲリッチの演奏が一番興奮するところも同じだった。

 邦楽では、あたしはチャットモンチーが好きで、乃々もすぐにリズム感を好きになって、お風呂で歌うくらいになった。

 洋楽では、乃々はシーアが好きで、あたしもすぐに究極の歌声の虜になった。

 

 

 あたしたちは噛み合った、精巧な歯車みたいに。

 ショパンのチェロソナタを世界一情熱的に演奏したロストロポーヴィチとアルゲリッチのように、あたしと乃々は互いを支え合って絡み合った。




「さあや、もういっかい……」


 乃々は性欲が強かった。

 あたしは一回で満足するところ、乃々はアンコールの拍手を最後までやめない観客のように、しつっこく何度もあたしを求めてきた。

 それが一週間毎日続いたときは、あたしはへとへとになって、土曜日の目覚めが午後五時だった。


 うんざりするくらいかわいい、もあるんだなとあたしは思った。



 ある日、先に帰宅したあたしはベッドに直行して、気絶したように寝付いてしまった。

 乃々に揺られて半分目覚めたあたしは、相手してあげられないまま再び寝てしまった。

 次の日の朝は、さみしがった乃々のキスの雨あられで目が覚めた。

 お互い出勤時間ギリギリまで慰めあって、それで満たされたあたしは、乃々もそうだろうと反射的な判断を下した、それが間違いだった。


 三日ほど、乃々より先に、泥のように眠って、朝はキスしかできないくらい忙しい日が続くと、時限爆弾は出来上がった。


 次の木曜日、乃々はあからさまにあたしを無視した。

 まず、おはようを返してくれなくて、すぐに察した。

 いつも用意してくれるはずのトーストは自分ひとり分しか焼かずに、乃々は先に食べはじめた。


 どの異変もわかりやすく作られていた。

 それは頭もお尻も見せるようなかくれんぼで、乃々の本心は、あたしが“みぃつけた”をくれると信じきっていて、かわいい期待に違いなかった。


「乃々、ごめんね、言い訳はしないけど、ほんとに忙しくて」


「……。」

 乃々は膨れっ面で目もぷいと逸らして、返事もしてくれない。


「案件は今日中に終わらせるから、ちょっと遅くなると思うけど、待ってくれる?」

「ねぇ返事して」

「土曜日はお出かけしようよ」

「聞いてる?」


 あたしがいくら言葉を投げても、受け取ってくれないくせに、平らげた高級食パントーストにはごちそうさまを小声で言う乃々の律儀はねじ曲がっていて、あたしの鬼をくすぐった。


 そっちがそのつもりなら、あたしにも考えがある。


「……わかった、つまんない意地の張り合いでも、あたしは負けないから」


 捨て台詞に、乃々は肩をびくっと震わせたけど、化粧もそこそこに、黙って、乱暴な足取りで玄関扉を開けて、行ってしまった。

 いつもは最寄り駅まで肩をくっつけていっしょに出発するのに。


 ひさしぶりに独りで歩く朝の街は、ぜんぶ冷たい灰色に見えた。

 長袖の腕をさする。

 もう一枚上に重ねたらよかった。


 さみしさはさむいし、さむいからさみしいのだ。


 結局仕事はろくに集中できず、案件は後回しにして、できるだけはやく戻ることにした。

 そのはやい夕方、乃々が先に帰宅していたのは玄関の靴でわかったけど、物音ひとつもなく、あたしは訝しんだ。

 リビング、洗面所、トイレ、ベランダ、姿は見当たらない。

 乃々は自室に引きこもっていたのだ。

 施錠されてはいなくて、あたしは静かにドアノブを回して、少しだけ覗き込んだ。

 本棚、衣装箪笥、姿見、谷川名人のサイン色紙。


 布団の膨らみ。

 しばらく眺めていても、ぴくりとも動かない。


 あたしはそっと扉を閉めた。

 

 あたしは味わわされた。

 おかえりもなく、夕ご飯も共にせず、おやすみもなく先に入眠されるだけで、こんなにも胸が冷たくさみしくなることを。

 いつのまにか、あたしの心は乃々がぴったり嵌まるように変形していて、ほんの少しの時間でも、抜け落ちたならぽっかり空いた穴から雨漏りして、雨風しのげなくなってしまっていること、乃々と同じ気持ちを。


 それなのに、今すぐ乃々を抱きしめたいのに、それは負けな気がした。

 あたしは踵を返して、自室で買ってきた物を食べて、入浴、即就寝した。


 

 案の定、乃々のほうが先に限界を迎えた。

 二日も保たなかった。

 

 金曜日、仕事を終えて家に戻ると、玄関でずっとそうしていたのか、乃々は包丁を持って待ち伏せていた。


「の、乃々!?」


「さあや、が!ウチのこと無視するならっウチ死ぬから!」

 乃々の包丁はまず、自分の堰を切った。

 あたしに泣かされたのではなくて、乃々は自分の内側に向かっているようだった。

 

 あたしは嬉しかった。

 なぜなら、その不安があたしへの信頼と乃々の弱さの割り算だとわかるからだ。

 あたしが乃々のせいで弱くなった部分が乃々にも同じようにあるのが確認できて、いとおしさでいっぱいになった。


「乃々、ごめんね、あたしもう無視しないから。

 包丁、危ないからやめて、はなして……

 乃々を優先するから、仕事も減らすし」

 

「……それってウチのせいで仕事減らすってこと?

 ウチが邪魔して、わがまま言って、ウチが悪いってこと?」


「違う」


「嘘、うそ、紗亜矢は自分が悪いって思ってないよね、ウチを優先するからって、今までウチより優先してたのがあったってことだよね?!ウチは100%紗亜矢だったのに」


「ほんとにごめんなさい、あたしが悪かったから」


「紗亜矢は別にウチのことそんなに好きじゃないんでしょ?」


「違う!!」


「うそ、何日ウチをほったらかしても平気なくせに」


「それは違うの……あたしはその、性欲とかは弱いみたいで、疲れてたら特に……」


「ウチも仕事疲れあるんだけど?それでも紗亜矢が欲しくてしかたないくらい好きなのっ!」


「乃々、信じて。

 あたしはほんとに乃々が大好きで、乃々しかいなくて。

 いっしょに住むだけで、いっしょにご飯食べてお風呂入って寝るだけで十分満足なの。

 だから、その、えっちはたまにでよかったの。

 好きじゃなくなったからじゃないの。」


「……ほんとに?ウチに飽きたんじゃなくて?」


「ほんと」


「……証明してよ」




 そういうときの乃々はひたすらネコで、あたしは乃々のコケトリーにゾッとする。


 乃々は噛み癖を遺憾なく発揮して、あたしは乃々の刻印を全身に受け止めた。

 乃々は自分にも歯形を欲しがった。


「さあや、そこは隠せないから、だめっ」


「あたし知ってるもん、乃々は痕が残ったままお出かけしたいんだよね?」


「……ん」


「みんなに見てもらいたいよね?ほんとは」


 乃々は頷いた。

「おそろいが、いい」


「首にしよっか」


「うん」



 ベッドに横たわり、ふたり向き合ってキスしながらそれぞれ触りあう。

 シンプルだが、顔を見合わせてするのが結局あたしたちは一番好きだった。

 乃々の表情が普段の何倍も豊かで鮮やかで激しくなるのが、かわいくて何億年も見ていたい。

 あたしは乃々と星になりたい。


「さあやぁ、ウチのこと、どれくらい好き?」


「宇宙一」


 あたしが真顔で言うと、乃々はぽかんと手を止め、それからくすぐったそうに身をかがめて、しとしと笑った。


「ふ、ふふふっ、さあやってば……」

 

「そんなにおかしなこと言った?あたし」


 乃々がずっと胸元に頭を埋めるので、

「顔見せてよ、ねえ」

 頬を掴んで持ち上げようとしたけれど、固まって動かない。

 力勝負になった。

 あたしは乃々の顎を無理やり引き寄せて、乃々は頑なにあたしを抱きしめて顔を押し付ける。


 埒があかないので、あたしは切り替えて一旦冷静に乃々を観察すると、あたしの脚がふと気付いた。


 乃々は泉をとめどなく溢れさせていて、あたしたちの下半身をぐっしょり濡らしていたのだ。


「乃々、嬉しかったんだね、バレバレだよ」

 あたしは乃々が好きな落ち着いた低い声音で囁く。

「だから、顔を見せて?」


「やだぁ……」


「いいから」

 あたしにも余裕はない。


 脇腹を少しくすぐっただけで乃々はだらりと弛緩して、あたしは乃々の顔を覗き込んだ。


 それは煮込みすぎたシチューやカレーのように蕩けた表情だった。

 人参や玉ねぎが輪郭を手放すように、少しつついただけで目も鼻も頬も崩れ落ちてしまいそうだった。

 唇は波打っていて、まるで心の容積を超えた感情が荒波となって押し寄せる浜辺のようだ。

 脱力しているのに口角は釣り上がっていて、頬が千切れそうなほど、限りない笑顔だ。


 かわいい。


 乃々の女くささがあたしの脳天をつんざいた。

 頭痛にも似たそれはわんわんとこだまして、気付いたときには全身に波及して、音叉のように、あたしの頭と下腹部は共鳴した。

 あたしの中にある、乃々のための部屋に乃々が帰ってきたのだ。

 

 もうなりふり構ってられない。

 あたしは乃々の片足を持ち上げ、自分の片足を潜り込ませ、歯車のように四本の脚を噛み合わせる。

 お互いの脚の間にある花芯どうしを擦り付け合うために。


「さあや、こっち……」

 

 乃々に適切な姿勢を教えてもらいながら、あたしは乃々を咥えて、また乃々に咥えられた。


 あたしたちは蜜蜂に頼らずに受粉できる花のハズだ。


 だから、あたしは実を結んで、種を地球に植え付けたかった。


 けれど、地球は同じものを拒絶してきた。

 何億年も。

 今までも、これからも、きっとそうなのだ。


 あたしと乃々の幸せは、同じだから完璧な円環になれたけど、それはひとつに収束するということで、単数形の愛だった。


 あたしと乃々は、複数形の愛にはなれなかった。





 *


「もう別れよっか、紗亜矢。

 結局ノンケなんでしょ?そんなに赤ちゃん欲しかったら適当に男みつけて種付けされれば?」


「違う!

 なんでわからないの乃々?あたしは、乃々との子どもが欲しかったの!乃々と血を繋ぎたかったの!!」


「そ、んなの、むりじゃん……」



 せっかくのデートだったのに。

 帰り道の電車内で、あたしたちの隣に親子が座らなければ、彼女の抱く赤ちゃんがあたしの鞄を引っ張らなければ、赤ちゃんがあたしに微笑まなければ……

 いや、それはついに回避不可能な、あたしたちに課された試練だった。

 それがただその日だったということだ。


 あたしが思わず赤ちゃんの相手をして、楽しくなってしまったのを、乃々はどんな顔で見ていたのだろう?


 帰宅後、乃々は爆発したのだ。


 乃々の噴火は、自責の灰を吹き上げて、すぐに怒りの熱を冷却した。


「……ごめんね、紗亜矢。

 ウチがわるいんだ、ウチのせいで紗亜矢の愛は届かなくなっちゃったんだ」


「乃々はわるくない!乃々のせいじゃ、ない……っ」


「ウチが、」


「もう言わないで!」


「ウチが、おんなだから、わるいんだ……!」


 あたしたちは泣いた。

 お互いの涙で溺れるくらいに。

 

 あたしたちは宿命を呪った。

 泣き疲れて、化粧も落とさず、入浴もせず、廊下に転がって、抱き合って、いつのまにか寝てしまった。



 

 ***


 地球の未来に、あたしは乃々との愛を繋ぎたかった。

 紗亜矢とひとつの愛になれるなら、ウチは他になにも要らなかった、永遠もなにも。


 お互い永遠なんて信じてなかったけど、それでもあたしは世界のどこかにふたりの爪痕を残したかった。


 親に紗亜矢との関係をはぐらかすのはもうイヤだった。

 もう親友でもライバルでもなかった。


 生産性がないだなんて、言わせない。

 同性愛者でも、命を未来に繋いでいけるって証明したい、親に、社会に。



 里親制度について、調べてみようと思う。

 子育てだけが立派な愛の形なのだというわけではない。

 けれど、紗亜矢の母性がそこを目指すのを、乃々は痛いほど理解していた。


 

 だって、ふたりは、ふうふじゃない?




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[良い点] 時間軸に応じて様々な相手への駆け引きや苦悩が変わっていくのが面白かったなぁって思います [気になる点] …これでノクタじゃないってまじ?
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