腐っていても糸は糸
「ほら次は音楽室よ。さっさと準備してよ」
チャイムが鳴って一息ついていたら隣の席の幼馴染に話しかけられた。
「わかってるって」
「まったく……いっつもゆっくりなんだから」
「そうかな」
みんなと同じぐらいと思う。
ただ言い返すと、倍になって帰ってくるので黙っていよう。
「だいたい私がいるからって気を抜きすぎよ。移動の準備にしても朝起きるにしても」
またやってるという声がどこかから聞こえた。
「まあ、ずっと同じクラスだし。いつもありがとね」
「そういうところよ。クラスも一緒。帰る道も一緒。好きな食べ物も一緒とか――」
長くなりそうなので軽く聞きながら準備を始める。
「なら朝起こしに来るのやめてみる?」
「それだと朝食抜きになるでしょ」
そう、なにをかくそうこの幼馴染は料理が苦手。というか一家全員苦手。
なので朝食代をもらってうちが作っている。
「なんかあるの?朝ご飯をおいしくする秘密とか」
「空腹は最高のスパイスとか?」
「このごろ特に美味しんだけどさ、特に朝。特別なことやってたりしてる?」
興味津々な瞳で聞いてくる幼馴染。
「ないしょ。そのうちわかるかもよ」
そうこうしているうちにクラスのみんなが移動を始めた。
「そのうちわかるさ。準備できたからそろそろ行こうか」
「先に行くわね。友達待ってるし」
「そういえば今日からリコーダーやるって言ってたね」
はたっと幼馴染の動きが止まる。
そのまま自分の席に戻るとリコーダーを取り出す。
(まったくそそっかしいのは昔からだね)
朝も言ったから大丈夫と思っていたものの、念のため確認を取ってよかった。
カバンからリコーダーを探している幼馴染をほほえましく思う。
「あったあった」
「よかったね」
「ありがと。こういう時は頼りになるわね」
お礼の言葉と笑顔を同時にもらい、胸が高鳴るのが自分でもわかる。
「腐れ縁でも役に立って何よりだよ」
「その言い方だとそのうち腐って切れそうよね」
「切れても糸を引いてつながってるさ」
はいはい、と軽く聞き流され、幼馴染は友人のところに向かう。
(うーんなかなか難しいな……)
幼馴染の背中を見つめて思う。
(世話焼きなのもそそっかしいのも含めて好きなんだけどな)
かっこいいセリフのひとつでも言って株を上げたいとは思う。
(さっきのだって乗ってきてくれたら運命の赤い糸とか言えたんだけどな)
「おーい。痴話喧嘩終わったんなら行くぞ」
ぼんやりしていると思われたのか、友人が廊下から声をかけてくれた。
(実は俺のことが好き、だったらよかったのに)
都合よすぎだろと、自分に言い聞かせ友人に返事をして教室の外に足を向けた。
*
「いつもの会話を痴話げんかと言われても困るよ」
廊下に出て友人と合流してくぎを刺す。
「あのなあ……」
友人はげんなりした声を出すと、大きく息を吐いてから俺の目を見る。
「インスタントとか総菜とか出前とかがあるのに隣の家で食事だぞ」
「そういうのは高くつくし、なんだか寂しい気がするって言ってた」
幼馴染の両親から言われたことをそのまま告げる。
「そういうのは建前でなんかあると思うぞ。俺は」
「近所づきあいも大切だってのが本音だろ」
友人は言葉を失い、また口を開くのに少し時間がかかった。
「……俺にも幼馴染がいるんだよ」
「言ってたな。年下の女の子だっけ」
「うちは希薄でな、そっちの付き合いは濃すぎるんだが」
「よそはよそ。うちはうち。言うだろ?隣の花は赤いって」
まあ俺には高嶺の花なんだが。
「人と比べても良いことあるかな」
素朴な疑問を口にすると、友人はなぜか頭を抱えていた。
「そもそも俺が作ってんの朝だけだし」
「え?今なんて?」
「だから俺は朝だけ。親は眠いからって寝てる」
「起こされてんだろ?時間あるのか」
「早起きして下ごしらえしてまた寝てる」
起こしに来てくれるなら、寝てたいと思う。俺も眠いし。
「つまり幼馴染のために朝食を作ってると」
なんだかわざとらしさを感じる。
まるで誰かに聞かせるように友人は声のトーンを挙げて話す。
「役割分担だよ。朝が俺で夜は母さんで昼の弁当は父さんの仕事」
「本気で言ってんだよな」
「ああ。それに煮たり焼いたりだし、揚げ物はまだ早いってさ」
目玉焼き作ったり魚焼いたり味噌汁作ったり簡単なものを作っている。
友人がまた大きく息を吐く。やれやれとでも言うように。
「ほら、音楽室についたぞ」
「ああそうだな。わからせる時間が欲しかったよ」
「どういう意味だよ」
「ちゃんと頭使えってことさ。腐っちゃうからな」
友人はそう言うと、ピアノの前を通って自分の席に向かう。
(かっこいいセリフが言う方法をわからせてほしかったよ)
どうすればいえるのかを考えながら席に着くと、幼馴染と視線が合う。
「………………」
なぜか黙ってこちらを見ている。
顔が赤く見えるのは気のせいだろうか。
「熱でもあるの?顔が赤いよ」
心配して聞いてみたら、友人と同じように大きく息を吐かれた。
(ああ、リコーダーを吹くから息を止めたり吐いたりして呼吸を整えているのか)
心配して損した……っとふて腐れるのはここまでにして頭を切り替えよう。
そう思い、かっこいいセリフを言うためにはどうするかを考えることにした。
妙な視線を幼馴染から感じつつ、チャイムが鳴るまでは続けようと心に決める。