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第8話 頼られたい姉

 2階にある自室の窓から入る気持ちのいい風が入り、髪をたなびかせる。机で一通りマザーへの手紙を書き終え背筋を伸ばしていると、コンコン、と部屋のドアがノックされた。椅子に座ったまま振り返ると、ドアを少し開けた隙間から、この4月で高校3年生になった妹のそらがピンクの寝巻き姿で顔を覗かせる。髪をショートカットにしたばかりの妹はなんだか新鮮に感じた。部活により一層精を出すためだと言って切ったらしいのだが、理由が理由なので、姉としてはなんだかもったいない気がした。


「そろそろご飯できたよーって、お母さんが呼んでるよ」


「うん、そしたら一緒に下りよっか」


 子どものような会話を済ませると、そらは素っ気なく先に下りてしまった。私は「待ってよー」と階段を下りながら口から不満を漏らした。


 中学時代から部活動で始めた剣道に才能を見出したそらは、中学2年生にして個人戦の全国大会にまで上り詰めた。優勝こそ逃したものの、全国のあらゆる剣道強豪校から推薦をもらうと、たまたま自宅から通える距離にそのうちの1つである高校があったため、近いから、なんて理由であっさりと進学を決めてしまった。姉としては「すごいや」としか、もはや言葉が出てこない。


 それからおよそ4年が経った。部屋のなかには表彰状を飾る額縁が増え、そらの部屋は女の子らしくなくなっていた。ぬいぐるみも次第にその数を減らし、その分、竹刀や木刀がベッド脇に立てて置かれるようになった。


 ちなみにぬいぐるみは捨てられそうになっていたので、可哀想だからと私が全て引き取った。私の部屋はぬいぐるみ部屋と化している。


 性格も甘えてばかりいた頃から一変、いつしか飄々《ひょうひょう》としたクール系に変わっていた。

 姉としては、たくましく育った妹にどこか一抹いちまつの寂しさをやはり覚える。頼られない姉というのはなんだか悲しかった。


「お姉ちゃん、醤油取って」


「あ、はい」


 1年ほど前、夕食の場で「醤油取って」とそらに言われて「そらがお姉ちゃんを頼ってくれた!」と大はしゃぎした際に容赦なく頭を叩かれたので、いまではこの会話も心のなかでは叫びたいのを抑えつつ、醤油を言われるがまま取って渡すだけの味気ないものになっていた。お姉ちゃんは寂しい。


 その様子を見ていた母が、炊飯器を開けながらそらに話しかけた。


「剣道の練習は大事だけど、勉強のほうは大丈夫なの? 去年の3学期、成績落ちてたけど」


 ご飯を茶碗に盛りつける母は、心配そうな顔つきでチラッとそらを見た。母は剣道で高校に進学したそらを思ってか、「いつになったら部活引退するの」というような会話を決してしない。実力をきちんと認めているのだ。


「夏頃かな。AO入試で受かるつもりだけど、いまのうちから勉強しとかないと大学入ってから授業に追いつけないだろうしね」


 そらは竹刀を振るように指で遊んでいた箸を、ご飯を受け取るためそっとテーブルの上に箸を置く。


 AO入試とはアドミッションズ・オフィス入試の略で、学科試験の結果で合否が決まる一般入試とは異なり、志望理由書、面接、小論文などにより出願者の個性や適性に対して多面的な評価を行い合格者を選抜する。そらは剣道の全国大会出場や、地域大会の団体戦・個人戦優勝を引き合いに出して大学に行こうとしているようだ。もちろん、その道で入学した場合は、部活等もその道で続けていかなくてはいけない場合もある。退部したら大学も中退扱いになるなんて話も聞いたことがある。そらは真剣に剣道一筋で生きていこうとしているのだ。


 その信念というのは凄まじいもので、自ら文武両道を掲げたそらは、学校での成績は常に上位をキープし、もし「なにか」があってAO入試が受けられなくてもいいように、一般入試でも対応できるようにしているのだ。


 なにか、とは――森下そらは、家系のなかで唯一「先天性緑内障」にいまだ罹患りかんしていない。念の為、毎年病院で検査してもらっているのだが失明の兆候は見当たらなかった。この病気は優性遺伝だった。だからといって、必ずその病気にかかるわけではないことは頭では理解しているのだが、不安が心から拭われることはなかった。


 そらもきっと同じ思いをしているのだろう。いつ視えなくなってもいいように、いまを全力で生きている。懸命に竹刀を振っている。視えなくなっても、振り続けるのかもしれない。恐怖で体が動かなくなるのを必死に誤魔化しているに違いなかった。


 そらは凛として一日一日を平和に享受している。朝練で早々に家を出ようとするそらの顔からは怖気付く様子など垣間見ることはなく、ローファーを慣れた手つきで履くと「行ってきます」と一応の礼はしてから、竹刀袋を背負って玄関を飛び出した。


「そらの≪≪引退≫≫試合――って、言ったら怒られるか。試合は明日の土曜日か、久しぶりに見にいこっかな」


 玄関に貼ってあるカレンダーに赤色で丸されている日付を確認すると、私は慣れた手つきでスマートフォンを懐から取り出し、ある人物にメールを飛ばしていた。

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