第一章【五里霧中の境地】
私は五穀豊穣その他諸々を司る神、菊理姫。
ほんの少しお昼寝したつもりが、なんと60年も眠っちゃって、
私を奉ってる白山比咩神社は、すっかり廃れてオンボロ神社になっちゃった。
狛犬に宿る魂は、参拝客からの神社を崇める心で生きている。だから勿論、影響無い訳がない!
うちの神社の狛犬は、仲の良い兄妹。妹のたま、こと、珠江の方が、エネルギーが足りなくて、魂が消失しちゃった。。
でも、落ち込んでなんていられない!
今の私に出来ることは、たまへの供養のためにも、この神社を再興すること!
お兄ちゃん狛犬のポチと一緒に頑張るんだから!
私「…さて。
今、この神社って、どれくらいの参拝客があるのかしら?」
ポチ「初詣に2人、くらいだぜ。」
私「…は!?
…そう…。
そこまでなの…。
本当に酷い廃れっぷりね…。」
ポチ「まぁな。」
そりゃ元々、出雲大社とか伊勢神宮とか名だたる神社と比べると、月とスッポンくらい、参拝客の数には差があった。
それでも、私がお昼寝につく前には、
毎日数人は、地元の住民達が参拝に来ていたものだし、
ここは神主不在の神社なので、月に一度は、地元の住民達が、清掃作業をしてくれていた。
私「ただ参拝客を待っていては、再興はいつになるか分からないわね…。」
のんびりはしていられない。
ポチだって、相当なエネルギー不足。いつ魂が消失しちゃうか分からない。
私「任せて、ポチ!
私、今夜、願いを抱える人間の夢枕に立つわ!」
ホー…ホー…
何処か遠くでフクロウが鳴いている。
現在の時刻は、草木も眠る丑三つ時。
神は人間と比べると、
より色々な種類の不思議な力を、自由自在に遣うことが出来る。
人間達は、それを、超能力、等と呼んでいる。
超能力は、人間も持っている能力だけど、人間のように『体』という固体を持つと、上手く遣う事が出来なくなる。
だから、神のように、全ての力を自由自在に遣う事はまず無理。
思い通りに一つの力が遣えるだけでも、大したもの。
普通の人間は、平均すると、何千回に一回くらいの成功率で、『未来予知』や『欲しい物を引き寄せる事』が成功したりする程度のものだ。
勿論、個人差があるので、もっと頻繁に遣える人間もいれば、もっと全然遣えない人間もいる。
さて、そんな神が遣える力の一つに、『人間の夢枕に立つ』というものがある。
それから、『助けを求めている人間を探し出す』というものも。
今の、このすっかり威厳を失った神社に、人間に参拝に来させるには、
ちょっとばかし趣向を凝らした工夫が必要となる。
だから私は、さっき言った、2つの力を組み合わせた方法を使ってみることにした。
私「まずは、【五里霧中の境地】!」
本殿の真ん中に、胡座をかいて座った。
両方の掌は、上向きにして、それぞれ、膝の上へ。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、お尻から頭のてっぺんに、真っ直ぐに、エネルギーが突き抜けれるようにする。
目を閉じて、深呼吸。
呼吸の感覚を、少しずつ伸ばしていく。
吸う呼吸を、少しずつ、薄くしていく。
キィ…ン…
頭痛と耳鳴りが始まる。
少しずつ、背骨の下から上へ、エネルギーの通電が始まる。
流れるエネルギーはどんどん、大きくなっていく。
ここで、固体を持つ人間は、この負荷に耐えきれなくなり、背骨が折れたりしてしまう。
ドドドドドドオ………ン
遂に、エネルギーは地鳴りのような音を響かせる程になり、全身がビリビリ揺れて痺れる。
フッ
突然、体から、振動と音が遠ざかる。
私は、真っ黒な霧の中に放り出された。
…良かった。
久しぶりだけど、成功した。
無事に、五里霧中の境地に入れた。
五里霧中の境地とは、上手く説明出来ないけれど、異空間に入ること。
この異空間には、
『霧』と、『人間の持つ強い願い』のみが存在している。
手探りで、霧の中に漂う願いを探し出しては、
自分の持つ神の感覚を頼りに、『より、今すぐに叶えるべき願い』を、自分の神社の縄張りの範囲内で、選別していく。
私「…これだわ!」
何百個、くらいは触れただろう。
それらの願いを遥かに凌駕する、神のレーダーがメーターを振り切れんばかりに反応する願いを見つけた。
私はその願いを、両手で優しく、でも、しっかり、包み込んだ。
途端に、辺り一面を覆っていた霧が晴れた。
私の浮かんでいる足元に、一人の眠る男の子が現れた。
私「【夢枕の境地】」
ほわわわわわわわわ…
私はゆっくり、男の子の頭の中へ吸い込まれていく。
人間の夢に入るということは、脳の、夢を見る器官に入っていくということだ。
私「ううう…」
この感覚、何度やってもやっぱり嫌い。
何かの中へ取り込まれる感じ、
自分が消えて無くなりそうな感じ。
神様だってしっかりしないと、
入り込んだ人間の中に溶け込んで、帰ってこれなくなる事がある。
しっかり、自分を保たなきゃ。
ポチ「捕まりな。」
シュル
何処からかポチの声がして、
ポチの赤い首紐の端が、私の手の中に現れた。
私「有り難う、ポチ。」
掌の中の紐は暖かく、嫌な不安と緊張が緩んだ。
私は威厳を持って、男の子の夢の中に入った。
そこは、喫茶店だった。
男の子は、一人で窓際の席に座って、勉強しているようだ。
男の子「長谷川さん!」
不意に男の子が顔を上げて、窓を見た。
窓の外には、一人の女の子が、歩き去って行った。
男の子「…長谷川さん…。
はぁ…。」
ため息をつく男の子の前に立つと、私は話し掛けた。
私「顔を上げなさい。
私は白山比咩神社の神、菊理姫です。」
男の子「…えええっ!?」
男の子は大層驚いて、
ビクンと大きく体を引きつらせて、目を皿のように見開いて、突然現れた私を見た。
私「悩み事があるようですね。
早めに、私の神社へ参りなさい。」
神の、上手く人間に信仰されるためのマニュアル。(出雲大社より出版。)
・神はベラベラ喋らない。なるべく、二言三言程度におさめる。
・神は人間に長くその姿を見せない。なるべく10秒程度で姿を消すこと。
マニュアル通り、私はそれだけ伝えると、彼の中から脱出した。
スポン!
私「ぷはぁ!」
瞼を開けると、そこは、私の神社の境内。
ポチ「お疲れ。」
目の前には、見慣れたポチの顔。
私「ポチイイィ!
助かったよぉ〜、ありがとぉぉぉ!」
私はポチにしっかり抱きついた。
ひんやりとした岩肌が心地よい。
優しい苔のにおいも、心を落ち着かせる。
ポチ「結果、出るといいな。」
私「優しくて真面目で、信仰深い人間だったわ。
多分、すぐに来てくれると思う。」
頭の中に入るので、夢枕に立った人間は、どういう性格の人間なのかスキャン出来てしまう。
今夜の男の子は、夢枕に立つと、すぐ参拝に来てくれるタイプの男の子だった。
私は確かな手応えを感じた。