きっかけ
この日は雨が降っていた。
東雲亜里沙は傘もささず、雨を降らしている灰色の空をじっと見つめている。
「お嬢さん、こんなところに居ちゃぁ風邪引いちゃいますよ」
「お構いなく」
亜里沙は相手の顔も見ず応えた。
「まったく、冷たい人ですね。このままじゃ中身だけじゃなく外側まで冷たくなっちゃいますよ」
そういって男はどこかへ行ってしまった。
「…ったく面倒なのに絡まれたわ」
そうぼやいて目の前の川に反射する自分を橋の上から見る。
腰のあたりまである髪は雨のせいでぺったりと服に張り付いてしまい絞ると雑巾みたいに水が垂れてくる。
身に着けている服、靴もずいぶん濡れてしまっている。
この見た目じゃあ心配されるのも無理はないな、と思いほんの少し冷たくしてしまったことを悪いなと思った。
私にはすべきことがある、そう深く自分の心に念じてその場を去ろうとした瞬間
「これどうぞ」
と言って先ほどの男が現れた。
どうやらすぐ近くのコンビニに寄って傘を買って来たのだろう。
亜里沙はなぜこんなにもこの男が構ってくるのか不思議に思ったが一応傘は使えると思い、
「お礼はしないわよ」
そういって男の傘を受け取った。
亜里沙はその時初めて男のほうを見た。
身長は2m近くあるだろう。それに全身を黒スーツで包み、何かの模様なのだろうか。反りこみが入っている。
亜里沙のイメージしていた姿とはかなり違っており、少し怖気づいたがすぐにいつもの調子に戻った。
「お嬢さん、お名前は?」
「人に名前を聞くときは自分の名前を先に言うのは常識じゃなくて?」
冷たく返す。
「これはこれは失礼しました。私は日野火山と申します。」
「それで私に何のよ…」
そう亜里沙が言おうとした瞬間、どこからか人の叫び声が聞こえた。
「おっと、仕事ができたみたいです。お嬢さん、帰り道にはお気をつけて」
そういって日野は叫び声の方へと歩き出した。
「なんだったのよ」
そういって家(家といっても橋の下の水路沿いに段ボールと布団があるだけだが)に帰ろうとしたが
立ち止まった。
「そういえばなんの叫び声だったのかしら…」
「∞」という少数精鋭の組織が目的は謎だが殺戮、暴力などを繰り返しておりここ東京では、事件のほとんどが「∞」によるものだった。
少し前まで東京を仕切ってた暴力団関係者など裏の世界の人間をことごとく殺害したために詐欺などの犯罪は減り、皮肉にも「∞」によって治安は守られていた。
それなのにあの叫び声…。
その時亜里沙の中の点と点が線でつながった。
あの日野って奴を追えば「∞」の元へ繋がるかも知れない!
そう思って日野の元へ駆け寄ろうとしたがもうすでに姿は消えていた。
「…え?」
亜里沙が振り向いてから振り返るまで1秒もなかっただろう。
この辺りは都心部から大分離れており人通りは少ない方だ。
なのに見失ってしまった。
亜里沙は「∞」と繋がるきっかけを逃さまいと先ほどの叫び声の元に全力で走った。
復讐のために…。復讐のために…。
そう何度も心の中で繰り返し今にも止まってしまいそうな足を無理に動かし続けた。
心臓の音がすぐ近くで鳴っている感覚だった。