12_11_ハイパーキャビテーション・システム 下
「わかりました! 艦体側面に意図的に摩擦を生じさせて、艦そのものを舵にしてしまうのですね!」
「ふふっ、ファフリーヤちゃん、大当たりですわ」
褒められ喜ぶファフリーヤ。
思考がまるで追いつかない俺たち。
艦そのものが舵ってどういうことなんだ?
エルミラはにっこりと微笑んで、3Dモデルを縮小し、ハイネリアの全体像へと戻した。
装甲は透過されたままなので、艦の先から後ろまで、内部機構が丸見えになっている。
「艦首に内蔵したエネルギー波収束照射機構、通称で【抑力の泡の舵】なんて呼ばれるパルセイト・バブルの生成装置なのですが、実はこれが、高速航行中のハイネリアを操縦するための舵システムでもあるのですわ」
艦首の照射装置が小刻みに動き、艦の前方空間にパルセイト・バブルの壁が出現した。
水の流動に従って、バブルは艦首の後方へと、やはり放射状に拡がり流れていく。
ファフリーヤは瞳をキラキラさせてこの立体モデルを眺めているけど、俺やローテアドの人たちは、何が起ころうとしているのかと、目を点にさせるばかりである。
「キャビテーション現象で発生するマイクロバブルは、海流や水温、海水圧変化、障害物の有無等によって、艦体を覆う量や流れる向きに僅かなブレが生じてしまうのですわ。ブレは、艦の速度と直進航行を阻害してしまいますから、何らかの方法で抑圧し制御しなければなりません」
パルセイト・バブルの発生に続いて、艦首の真横からも白い気泡が噴出した。
こちらはキャビテーション現象によるマイクロバブルだ。
マイクロバブルは側面装甲へと滑流していき、そこに艦首前方からのパルセイト・バブルが合流すると、その瞬間、泡の規模が一気に倍増、艦全体が雲のような気泡の膜にすっぽりと覆われてしまった。
高速航行時のハイネリアは、常にこうなっているという。
つまり、現在まさにハイネリアの外側は、泡だらけのこの状態なのである。
「そこで、キャビテーション現象で生じるマイクロバブルの量や流向などをSRBSシミュレーターで即時予測し、どのようにパルセイト・バブルを流し込めば安定した航行状態を保てるか、作り出すバブルの大きさや気泡密度まで含めてリアルタイムで演算しているのですわ。抑力の泡の舵のエネルギー照射で特殊脈動流を形成し、生み出した調節自在な微細な気泡を当該箇所へと滑流させてブレを矯正、高速航行に適した状態を維持し続けますの」
高速で推進できる状態こそが、イコール、最も安定した航行状態。
それを常態とするために、抑力の泡の舵は、今も高度な予測シミュレートに基いて、パルセイト・バブルを生成し続けているという。
「転舵の際も同様に、SRBSシミュレーターでバブルの抑制値を演算しておりますわ。加速時とは違い、パルセイト・バブルで任意箇所のマイクロバブルを打ち消して、艦体の一部に水の抵抗を生じさせるのです」
3Dモデル上で、ハイネリアを覆う気泡の膜が、右側面の一部分だけ消失した。
厳密には、泡の量がそこだけ極端に減ったということみたいだけど、当然その箇所には、他よりも水の抵抗が強くかかって摩擦が生まれている。
右側にだけ摩擦が生じたことで、それまでまっすぐ進んでいた艦は、進路を右へ右へと変えていった。
艦そのものを舵にするというのは、こういうことだったのだ。
「これを後部推進機構とも連動させることで、高速航行中でもかなり高精度の操舵が可能となり、急転舵もできるようになるのですわ。ファフリーヤちゃん、今のお話はどうでしたか?」
「はいっ。とても楽しくて興味深かったです!」
元気いっぱいに答えるファフリーヤ。
あの難解な話を十全に理解して、楽しいとまで言い切ってしまった。
毎度のことながら、この子には本当に驚かされる。
俺はもちろん、ローテアド側の人たちだって、ここまでの説明を半分だって解しちゃいないっていうのに。
「司令官殿、ひとつ質問してもいいか」
そんななか、彼らの内からケヴィンさんが挙手してきた。
「この艦が安全かつ超高速で移動してるっつうことは、まあ、大枠でなら理解した。が、海中で泡なんぞ出して、目立ったりしねえのか?」
言われてみれば確かにそうだ。
海の中で気体なんて発生させたら、当然海面へと浮いていってしまうはず。
せっかく潜水して隠密航行をしているのに、上から見えてしまったら意味がない。
「えっと、実際どうなんだ、エルミラ?」
「大昔であれば、愚行の極みでございましたわ」
ケヴィンさんの疑問を、エルミラは『大昔』という条件付きで肯定した。
「まだ潜水艦が、音波探針機によって音のみを頼りに戦況把握していた時代。この頃には、常時気泡の発生音を出しているなど、到底考えられないことでしたわ。ですが、BF波エネルギーが発明されたことで、深海の戦場は大きく様変わりいたしました」
BF波エネルギー。
利用用途の広いエネルギー波で、俺が今まで見てきた兵器だと、ゴルゴーン戦車の主砲である「ネルザリウス」や、高感度レーダー「クレアヴォイアンス」に用いられている。
武器と探知機という違いはあれど、両者に共通している最大の特徴は、その効果が障害物によって遮られないこと。
「地中や水中でも減衰しないBF波レーダーの登場によって、音波探針機は過去の遺物と成り果てたのですわ。音を出さずとも発見されてしまう以上、潜水艦は無音航行ではなく高速航行に重きを置かれることとなり、結果、静音性を度外視してでも、艦の性能を向上させることが至上課題とみなされるようになりました」
つまり、レーダーに捉えられてしまうのは当たり前のことと割り切って、機体性能や武装の威力を向上させたというのが、前文明の軍事兵器が辿った歴史だったのだ。
「極論にして理想を申せば、絶対に負けない兵器とは、感知されても対応できない攻撃を繰り出す兵器でございますわ」
それは例えば、射程範囲外からの攻撃であったり、迎撃不可能な速度での攻撃であったり、回避不可能な広範囲攻撃であったり。
……うん、俺たちがローテアドの艦隊と戦った時に、結構やってたような気がするぞ。
「この極論を現実的に読み解きますと、『他国が到底太刀打ちできない最新兵器を開発した国こそが、その時代において多大な影響力を持ちうる』ということになるのですわ」
それゆえ、各国は先を争って既存の技術を凌駕する新技術を開発し、開発が成功すると同時に、その技術が将来どのように対処されるのかまで徹底的に予測し分析した。
未来で敵国が開発するはずの対抗技術を先読みして、その技術を凌駕する新技術を研究し、また新たな兵器を開発していく。
永遠に終わらない主導権争い、対抗兵器の生産競争。
そんな歴史を積み重ね、そこに政治や宗教、国際情勢など諸々の要素が加わえられた結果、いくつかの戦争が発生し、いくつものパワー・バランスの変化が発生した。
このことが、後のプライマリ・ベースやセカンダリ・ベースの前身組織の発足に繋がり、ひいては自分たち軍事AIの誕生の礎となったのだと、エルミラは懐かしむように語っていた。
「おたくらの文明の事情とやらは、俺らにゃ一生理解できねえんだろうな」
これ以上横道に逸れてくれるなとばかり、ケヴィンさんがエルミラの話をせき止めた。
確かにちょっとばかり、話の筋が違ってしまっていたかもしれない。
「てことで、理解できそうなことだけ尋ねるんだが、音はともかく泡が見えちまうのはいいのか? 洋上に気泡が浮上して航行の跡が残っちまったら、艦の進路が予測されちまうだろ」
エルミラは、挑発的な笑顔をケヴィンさんへと向けて言う。
「海の深度と圧力をお忘れですわ。深海で発生させた極小の泡の気体は、かなりの部分が再び海中に溶けてしまいますの。強引に圧力を下げて溶存していた気体を放出させたのですから、圧力が戻れば、その部分の水には空気を再び含有する余裕がございますわね」
「確かに、道理のように聞こえるな」
「また、溶けきらなかった一部の泡につきましても、浮上してくるまでの間に海流などで散り散りとなりますし、万一まとまって海面上に浮かんできたとしても、潜水艦は超高速で航行しているのですから、相応のタイムラグが生じていることになりますわ」
「泡が見つかっちまう頃には、とっくに目的地に着いちまってると、そういうことか」
納得した様子のケヴィンさん。
そこに、
『その目的地に、あと8分で到達するわよ』
艦を動かしているシルヴィからの報告が入る。
『姉様、これかしら。ポイントの洋上に、帆船が1隻確認できるわ』
シルヴィは高速航行中のハイネリアからクレアヴォイアンス・レーダーを照射し、当該船の外観を3Dモデル化して表示した。
投影されたのは、3本のマストを有する大型帆船。
中央のマストの天頂の旗には、俺のよく知る、ラクドレリス帝国軍の紋章が描かれていた。
「間違いない、帝国の軍艦だ。海軍の誇る大型艦の4番艦、カーク=シェイドル」
俺が告げた軍艦の名に、ローテアドの軍人たちが気色ばむ。
相手が強大な戦力だからじゃない。
俺にとっての、彼らにとっての仇敵が、現実としてそこにいるのだ。
重々しい空気感が、俺たちの周りに漂っていく。
『さあ、総員、シートベルトを締め直しなさい。今度は減速度による衝撃の時間よ!』
あまりに不穏な発言が、空気感なんて吹き飛ばした。
俺は大慌てでシートに座り、あたふたとベルトに手を伸ばす。
『エンジン出力停止! パルセイト・バブルは生成したまま、惰性航行で減速! 目標の真後ろを取りに行くわ!』
どうにかベルトを締めきった、その刹那。
加速の時とは逆向きの強い力が、全員の体に加えられた。
※同日投稿分のラストです。
兵器機能の説明だけでまさかの合計3話。
どうしてこうなったのか……




