12_10_ハイパーキャビテーション・システム 中
「ではでは、ファフリーヤちゃん。知りたいことがあったら、なんでも質問してくださいね」
教えがいのあるファフリーヤに触発されてか、エルミラの声にますます熱が入ってきた。
彼女はハイネリアの3D航行モデルを拡大すると、艦首の前方から流していた気泡の表示を一度消し去った。
代わりに、今度は艦首の横側、少し膨らんだ部分だけから大量の白い泡が後方へと噴出、機体側面を覆い隠すように流れていく。
さっきまでの気泡の膜と似ているけど、拡がり方が少し違うから、 何か仕組みが変化したようだ。
このモデルをもとに、エルミラが説明を再開した。
「このキャビテーション現象を軍事利用した機構が、かつて『スーパーキャビテーション』と呼ばれていた旧来の水中高速航行システムですわ。潜水艦や魚雷に搭載されたこのシステムは……そうですわね、非常に簡素に申し上げますと、潜水艦の移動によって水の圧力を低下させ、マイクロバブルと呼ばれる極小の気泡を発生させる仕組みでございます。先に述べました通り、この泡が艦体表面を滑流することで水の摩擦が低減、水中での高速航行が可能となったのですわ」
これで非常に簡素と言われても……
しかし、ファフリーヤは何かを閃いたように、パチンと手を叩いた。
「少し前にネオン様に教わりました。液体の中で物体を高速で動かすと、その液体の圧力が下がるのだと」
「はい、正解ですわ。高速航行する潜水艦は、いわば、艦首部で海を貫通移動しています。当然、艦首が通り過ぎた場所の海水は圧力が低下いたします。これを飽和蒸気圧以下になるまで引き下げ、海水中に溶存する空気を意図的にマイクロバブルに変えて利用する航行技術が、スーパーキャビテーションなのですわ」
艦首の真横から噴出しているこの泡が、キャビテーション現象を意図的に起こして生み出したマイクロバブル、ということらしい。
俺にわかったのはそこまでだけど、ファフリーヤはそれ以上のことを了解している様子で、コクコクと小さくうなずき続けている。
目を輝かせて話を聞き入っていることから察するに、とても凄い技術なんだろう。
そして、これを旧来のシステムと呼んだからには、ハイネリアには更に優れた航行システムが搭載されていることになる。
「そして、今現在ハイネリアが使用しているのが【ハイパーキャビテーション・システム】。旧来のスーパーキャビテーションを拡張発展させた、水中超高速航行機構ですわ」
3Dモデルの艦首部分だけが拡大された。
装甲が透けて、内部構造が明らかになる。
中には見たこともない機械が詰まっていて、複数の部品が小刻みに動いていた。
「ハイネリアの艦首には、4種類のエネルギー波を収束照射する装置が内蔵されているのですわ。前方空間に複合照射することで触媒作用を生じさせ、瞬間的に海水電解させると同時に、気液二相の特殊脈動流を形成して、大量の【パルセイト・バブル】を遠隔生産しておりますの」
専門用語はちんぷんかんぷんだけど、発生させる気泡の名称がマイクロバブルからパルセイト・バブルに変わったことには気がついた。
用いる泡の種類が変更されたことで性能が上がった、ということなんだろうか?
しかし、このあやふやな推察は、間違いというか、早合点だった。
「さてさて、ファフリーヤちゃんは何か疑問がありそうですわね」
「えっと、エルミラ様がおっしゃったそれは、単に装置を使って気泡を発生させているだけで、キャビテーション現象とは呼べないのではありませんか?」
あ、確かに。
ローテアドの若い士官たちも同じ勘違いをしていたらしく、はっとした顔になる。
同時に、将校さんたちのファフリーヤを見る目が変わった。
「よくできました、ファフリーヤちゃん。キャビテーションとはあくまで圧力低下によって気泡が生じる現象のこと。この現象を起こすには、艦が水中を高速で移動していなければなりませんわね」
ここまで聞いたら俺にもわかった。
ハイネリアが高速航行するためにはバブルの発生が不可欠で、なのに、そのバブルを生み出すためには高速航行が必要となる。
この堂々巡りを解消するには、最初の一手を別途打たねばならないのだ。
「ですので、キャビテーション現象が生じる速度に達するまでは、艦首前方にパルセイト・バブルを生み出して、水の摩擦を低減し続けなければいけないのです。ファフリーヤちゃん、たった今聞いたばかりなのに、よくお分かりになりましたわね」
なるほどなー、と頷く俺や士官たち。
ところが、ファフリーヤの瞳には、俺たちとは別のものが映っているらしかった。
「ありがとうございます。ですが、ハイパーキャビテーションには、他にも主たる機能が存在するのではありませんか?」
耳を疑う俺や士官たち。
将校さんの目も、ますます鋭くなっていく。
「あらあら、どうしてそう思われたのでしょう?」
「えっと、ただバブルを発生させるだけの機械であれば、わざわざシステムの名称を変える必要はないと思います。言い換えれば、名称を変更したからには根幹的な部分で大幅な改良があったのでは、と考えたのですが……」
「はい。またしても正解ですわ。ああ、もう、なんてお利口なのでしょう!」
解答がいたく気に入ったらしいエルミラは、勢い余ってファフリーヤに抱きついて、頬ずりまでしだした。
「さすがは司令官様がお連れになった子。聡明で、思考も柔軟で、将来がとてもとても楽しみですわ」
「あ、ありがとうございます、エルミラ様」
抱きしめたまま褒めちぎるエルミラと、くすぐったそうに照れているファフリーヤ。
そして、この様子を険しい顔で眺めるローテアドの将校さんたち。
彼らは警戒を強めている。
俺たちの軍が年齢や性別を問わずに人材を集め、幼い頃から英才教育を施しているのではないかと。
そしてそれは、あながちのところ、間違った憶測であるとは言えないのだ。
「ではでは、今度はわたくしから質問ですわ、ファフリーヤちゃん」
それがわかっているからか、エルミラは、ファフリーヤの能力を知らしめるかのように、ハイパーキャビテーション・システムの機密に迫る問いを与えた。
「キャビテーション現象によって生じたマイクロバブル。この泡は装甲と海水との摩擦を低減させますから、潜水艦の速度はぐんぐん上昇します。けれど、代わりに舵はどうなるでしょう?」
ファフリーヤは顎に手を当て、少しだけ考える素振りを見せる。
そう、本当に少しの時間だけ。
「摩擦が働かないということは……舵で水の抵抗を作ることもできない。つまり、普通の舵では艦の進行方向を変えられないのではありませんか?」
「その通りですわ。先ほどの軍港に停泊していた帆船についているような骨董品じみた舵板などでは、全く役に立たないのです」
3Dモデルがまた変化し、今度は後部の推進機構が拡大表示された。
再び装甲が透過され、内部のエンジン機関が露わになる。
「このハイネリアの後部には、MI−a7エンジン直結のスラスターが6機搭載されていますわ。この6機の出力と角度を別個に調整することでも、ある程度の操舵が可能ではありますわね。でもでも、これだけでは高速航行中の艦を急角度で転舵したりするには、とてもとても不十分なのです。では、どうしたらよいと思いますか?」
「舵に変わる他のシステムで、艦の進行方向を制御する必要があります。ですから……」
目を閉じて思案するファフリーヤ。
彼女はやはり、ほんの僅かな時間で解答を導き出した。
「わかりました! 艦体側面に意図的に摩擦を生じさせて、艦そのものを舵にしてしまうのですね!」
※同日投降3話分のうちのふたつめ。
次の話で説明パートはおしまいです。




