12_09_ハイパーキャビテーション・システム 上
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「もうよろしいですわ、司令官様。艦の速度が安定しましたから、席をお立ちになっても大丈夫ですわよ」
優しくささやくエルミラの声が耳に届いて、俺はようやく、体にかかり続けていた衝撃が収まっていたことを知覚した。
「動いても、平気そう、だな」
体を固定していたシートベルトを外して、座席から恐る恐る立ち上がる。
大丈夫そうなことを確認してから、力を入れすぎて強ばってしまった全身を、ゆっくりと伸ばしていった。
「……死ぬかと思った」
思わずボソリ。
エルミラの前だからと、努めて平静を保とうとはしているのだけれど、本当は膝が震えていて、まっすぐ立つのにも難渋しているような有り様だった。
なのに、隣の座席では、
「びっくりしちゃいました」
俺とは対照に、声に楽しげな含みが感じられるファフリーヤ。
座席からも、ささっと軽快に立ち上がってみせている。
興奮して脈は上がっているみたいだけど、表情は恐怖したというより、むしろ、程よいスリルを味わった時の充足感に満ちていた。
この子、高速兵器のパイロットにも適正があるんじゃあるまいか。
「……ああいうことは、事前に説明しやがれ司令官殿」
そして、このうえなく親近感を湧かせてくれるのが、俺同様に消沈しているローテアド海軍のみなさんだ。
ケヴィンさんだけがどうにか起き上がって悪態をついているけれど、他の6人は見るも無残に血の気が失せて、座席シートの上でぐったりしている。
『あれでも緩めに加速してたのよ。せいぜいジェットコースターくらいの……って、言ってもわかんないでしょうけど』
しれっと弁明(なのだろうか?)するシルヴィ。
ハイネリアは、加速度で中の人間が失神したりしないよう様々な防護機構を働かせているうえ、搭乗者のバイタル・データの変化を加速計算に組み込んだりして、人体への影響が最も軽微になるよう抑えていたという。
「じゃあ、もう、これ以上は速くなることはないのか? あ、もしかして、もう目的地に到着するからゆっくり動いてるとかだったり?」
『全然まだよ。高速航行で向かってる真っ最中。到着にはもう少し時間がかかるわ」
「高速って、そんなにスピードが出てるのか?」
さっきの衝撃は凄まじかったけど、今のハイネリアの艦内は、凪の海に静止しているんじゃないかと思えるくらいに穏やかだ。
エンジンの音らしきものは間欠的に聞こえてくるけど、外の景色が見えないせいか、速く動いている感じがしない。
『一定速度に落ち着いたことで、アンタの体に慣性が働いてるからよ。もちろん防護機構のおかげでもあるけど。現在のハイネリアは速度500ノット以上、時速換算で900キロ以上出してるわ』
シルヴィの示した数値を、更にネオンが修飾した。
「参考までに、今回我々はヴェストファールでローテアド王国まで飛行しましたが、その速度も、時速約900キロメートルでございました」
「あの輸送機と同等の速度だと!? それも水中でか!?」
仰天しているケヴィンさんたち。
海に生き、海と戦ってきた海洋国家の軍人たちにとって、どれほど非現実的に聞こえたことか。
『やろうとすれば、もっと出力をあげられるわよ。そうね……ヴェストファールはローテアド王国に着くまで3時間くらい要したけど、ハイネリアはその気になれば、1時間とかからないわ』
彼らは今度こそ、ケヴィンさんも含め全員で言葉を失ってしまった。
「そんな速度を、どうやって水の中で?」
気になったので、代わりに俺が質問してみる。
すると、エルミラが待っていましたとばかりに、司令室内にこの潜水艦、ハイネリアの3Dモデルを投影し、解説を始めてくれた。
「このハイネリアには【ハイパーキャビテーション】という、水中における超高速航行システムが搭載されているのですわ。噛み砕いて申し上げますと、潜水艦を極細の気泡で覆うことで水の摩擦抵抗を大幅に低減し、後部スラスターの高推進力を損なわずに進む仕組み、ですわね」
「泡で摩擦を?」
うっかり尋ねてしまった俺は、数秒してから後悔することになる。
このあとエルミラが語ったのは、専門用語がぎっしり詰まった、俺の理解が到底及ばない技術解説だったからだ。
「はい。キャビテーション現象によって生じるマイクロバブルを艦装甲面に膜のように滑流させ、同時に、艦首前方に【パルセイト・バブル】と呼ばれる非常に微細で調節可能な気泡の壁を生成いたします。これをマイクロバブルの流動シミュレーションと連動させて制御注流することで、航行に最適な気泡の群流モデルを形成するのですわ」
説明しながら、3Dモデルのハイネリアを操作するエルミラ。
艦首付近と、その前方の空間に、白い霧のような気泡の集合体が現れた。
モデルは海中を航行している様子を再現しているらしく、ハイネリアの周囲には前方向からの水の流れが半透明の青色の流動によってあらわされている。
次々と生み出される白い微小な泡の群れは、この青い流動に従って放射状に後方へと流れ、艦の全体に覆い拡がっていく。
これを見て、士官のひとりが声を張り上げた。
「気泡だと! ま、まさか艦内の空気を抜いているのか!?」
「そのようなはずがありませんわ」
ばっさりと切って捨てたエルミラ。
彼女は俺の疑問には丁寧に答えてくれるのに、ローテアドの人たちに対してはどこか淡白だ。
もっとも、彼が先に取り乱してくれたおかげで、実は同じ発想に至っていた俺は、エルミラの前で狼狽せずに済んでいた。
心の中でこっそりと感謝。
「えっと、エルミラ、彼らに説明してあげて」
「かしこまりましたわ、司令官様」
俺がお願いした途端に、エルミラはあっさり態度を翻した。
彼女が人に好意的というのは、もしかすると、「あくまで自軍の人間に対して」、ということなのかもしれない。
「気泡の発生源は艦の周囲の海水であり、ハイネリアからの漏洩などではございませんわ」
「で、では、どのようにして海水から泡を……?」
おずおずと尋ねた士官に、エルミラはにっこりと微笑んで、別の立体映像を彼らの目と鼻の先にパッと投影した。
ひるんだ士官たちが仰け反って、座席シートに背中をぶつけた。
ケヴィンさんや将校さんたちはさすがの貫禄で、一切動じずにその映像を見つめている。
映像は、パイプの中を水が流れていく様子の断面図で、その水にいくつもの小さな気泡が生じる過程が示されていた。
「まずは、キャビテーション現象について詳解いたしますわ。これは、流動する液体中に圧力差が生じることで気泡が発生する現象の名前ですの。液体には空気が溶け込んでおり、圧力が高ければ高いほど多くの空気を含むことができるのです。ここまではよろしいでしょうか?」
全然よろしくありません。
空気が溶けてるって何さ?
が、まさかのよろしい人間が、俺の後ろにちょこんと控えていた。
「つまりエルミラ様、反対に水の圧力が下がることがあれば、含まれていた空気が気泡となって現れる、ということになるのでしょうか?」
質問されたエルミラは、はっとした顔になって、俺の背に隠れながら控えめに彼女を覗いていたファフリーヤの顔を見つめた。
「まあまあ、お利口さんがいらっしゃいましたわ。お名前はなんていうのでしょう?」
「は、はい、ファフリーヤと申します」
自己紹介し、ちょこんと頭を下げるファフリーヤ。
エルミラは、温容な眼差しをお利口さんに送った。
「ファフリーヤちゃん、とっても可愛らしいお名前ですわ。物理学はお好きかしら?」
「先日から、ネオン様とシルヴィ様に教えて頂いているところです」
教わってたんだ、知らなかった……
「あらあら。それでは先程の説明では、司令官様はもちろん、ファフリーヤちゃんには退屈だったかもしれませんわね」
俺を筆頭に据えないでください。
「い、いえ、まだ基本の部分を学んでいるところですから……」
ファフリーヤは恐縮しているけど、そもそも、今の話を芯から理解できているのは、AIたちを除けばこの子ひとりだけである。
俺はもちろん、海に詳しいはずのローテアド海軍の面々でさえ、頭の上には疑問符を乗せている。
ひとまず、艦内から空気が漏洩しているのではないということだけはわかってくれたみたいだけど、現文明の人間の理解力なんて、本当はこんなもレベルなのだ。
※1話分に収める予定だった説明パートが、どうしても短くまとまらなかったため、3分割して同日投降しています。
読む日をまたぐと、わかりにくくなってしまうかもしれない内容なので……




