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12_08_消せないもの、消してはならないもの

『艦回頭(かいとう)180度。ハイネリア、これより出港するわよ』


 艦体の前後を入れ替えた潜水艦ハイネリアは、そのまま微速前進して、入り江の水路から軍港を後にした。

 こんな巨体を動かしているのに、航行はとても安定していて、艦内も静寂に満ちていた。


『クレアヴォイアンス・レーダー、常時広域展開開始』


 レーダーの照射と同時に、司令室内に投影されていた3Dモデルの海底地形図が更新された。

 海底の形状はそのままに、水中の魚影や海流の情報が表示され、リアルタイムで変動している。

 肉眼で外の様子を見えないかわりに、レーダー類や解析システムがとても充実しているようである。


『MI−a7エンジン、出力3.4パーセントを維持。メイン・バラストタンク、注水開始』


 ちゃっかりハイネリアの操縦桿(そうじゅうかん)をいただいてしまったシルヴィは、他基地の兵器を我が物顔で、思うがままに操っている。

 代わりに解説役として俺の隣の立ち位置を得たエルミラは、嬌笑(きょうしょう)(たた)えて上機嫌である。


「現在ハイネリアは、ウレフ半島の西海を潜航中ですわ」


 エルミラが中空を指差すと、周辺地図の立体映像が、ウレフ半島を中心に拡大された。

 海岸線を示す緑色の線の左側、青い小さな縦長の三角形が、このハイネリアの現在地だ。

 尖角が艦の進行方向を示していて、すぐ隣には、なにかの数値が3種類ほど記されて、それぞれ増えたり減ったりしている。


「潜航中ってことは、もう水の中に潜ってるのか?」

「そのとおりですわ。先ほどシルヴィちゃんがバラストタンクという貯水槽に海水を取り入れました。その水が(おもり)となることで艦の浮力が低減したのですわ」


 エルミラの解説に、ローテアド海軍の将校さんの口から驚きの声が漏れ聞こえた。


「こんな巨大な鉄塊の浮力を、自在に操っているというのか……」


 俺も内心びっくりしていた。

 この潜水艦は、木造の船と同じく浮力で海面に浮かんでいたそうで、バラストタンクとやらに海水を注水、あるいは排出して艦の浮力をコントロールし、浮上したり潜水したりするということである。

 現文明の常識から大きくかけ離れた技術を目の当たりにしたローテアドの方々は、乗艦後わずか数分で、全員が言葉を失ってしまっていた。


「それで司令官殿、これからどんなデタラメを披露してくださるんだ?」


 いや訂正。

 彼らのうち、ケヴィンさんだけはちゃんと冷静さを保っていた。


「すでに色々驚かされたが、まだ軍港を出ただけだ。当然、こんなもんじゃ終わらねえんだろ?」


 未知の技術に比較的慣れつつあった彼は、面食らっている自軍の将校さんたちに変わって、この場を制御しようとしている。

 たぶん、こういう役回りのために、一緒に乗艦させられたんだろう。


「じゃあ、ネオン。この後の行程について、彼らに説明を」

「はい、司令官。当初の予定では、ローテアド近傍の海でハイネリアの機動性と海洋小型兵器をお見せするつもり、だったのですが……」


 なぜか言葉尻を濁したネオン。

 何か問題でも起きたのだろうか?

 すると、隣のエルミラから、こんなお願いが。


「司令官様、僭越(せんえつ)ながら、本日の行動計画(プログラム)はわたくしにお任せいただけますでしょうか?」


 美しい顔に妖艶な笑みを浮かべた彼女は、こんな情報を開示した。


「マリン・ベースは、デモンストレーションにうってつけの〝獲物〟を、3日前から追跡してございますのよ」


 獲物だって?

 ちらりとネオンを窺ったところ、彼女はコクンと小さく頷いた。


「わかった。エルミラに一任するよ」


 許可されるや、エルミラは(あふ)れんばかりの笑顔になって、歓びの声をあげた。


「ありがとうございますわ、司令官様。あなた様のご期待に、見事応えてご覧に入れましょう」


 意気込みを語ってから、彼女は再び、周辺地図を指さした。


「ではシルヴィちゃん。潜航したまま、西南西のこのポイントに向かって頂けますか」


 シルヴィに座標等のデータを転送すると同時に、地図上にも赤い光点で場所を表示する。


「この場所は?」

『ここから800キロメートルくらい先、ビットレン岩礁海域のちょっと手前くらいの海上ね……あら? 姉様、これって』


 最後、シルヴィの声にわずかに熱が(こも)っていたような。


「ふふっ、言っておいたはずですわ。『準備は整えていました』と」


 不敵に微笑むエルミラ。

 ネオンも「これは、確かに」と、何かを得心している様子だ。

 不審な気配に、呆然(ぼうぜん)と固まっていた将校さんが、意を決して彼女らを問いただした。


「失礼だが、その場所には何があるというのかね?」

「ラクドレリス帝国の軍艦が1隻、海上を航行しておりますわ」



――瞬間、ぐらりと地面が傾いたような気がした。


「帝国、の――」


 頭が揺れた、鉄槌(てっつい)で殴られでもしたように。

 音が消える、将校さんがエルミラに何か尋ねたけど、声が全く聞こえない。

 帝国の、帝国軍の、俺の戦うべき相手(てき)のところに、この艦は向かっている。


(俺を否定した、殺そうとした、帝国の、軍の、学校の――)


 心臓が大きく脈打っている。

 鼓動に合わせて、心の奥から黒々とした感情が、泥水のように溢れてくる。

 理不尽に切り捨てられた怒り。

 死に突き落とされた絶望と恐怖。

 思い出さずに入られない、悔しさと、惨めさと、激しいまでの憎悪。


(俺、は――)


 冷静でいられていると、自分では思っていた。

 あるいは、ネオンたちとの現実離れした日々が、憎悪を薄めたのかとも思った。

 でも、違った。

 俺の心の深くには、仇敵(ていこく)に対する復讐心が(おり)のように溜まっていて、いつ爆発してもおかしくなかったのだ。


(忘れることなんてできない、消し去ることなんてできない。俺は、あいつらを、あの国を、帝国の軍隊を――)


「おい、しっかり前を見ろ」


 ガシッと後ろから頭を掴まれた。

 ぐちゃぐちゃになりそうだった俺の思考を、ケヴィンさんが引き止めてくれていた。


「思うところがあるのはわかるが、今はビシッとしていろ。互いのためだ」


 左手にも小さな感触。

 ファフリーヤが心配そうな顔になって、俺の手を握っていた。


「お父様……」


 ひょっとしたらケヴィンさんは、昨日の酒盛りのときにわかっていたのかもしれない。

 ファフリーヤはたぶん、もっと前から。


「……ああ、わかってる。ありがとう、もう大丈夫だよ」


 どうにか笑顔をこしらえて、ファフリーヤの頭に手を置いた。

 本当は、大丈夫じゃないと自分でも思う。

 憎しみが心の中で渦を巻き、今にも理性が飲まれそうになる。

 でも、人には失くしてはいけないものがあり、離してはいけないものがあると、消え入りそうな声で語った爺ちゃんの陰が、ふたりに重なった。


(復讐は止められない。もう不条理には屈さない。でも、そのために、俺が俺であることを失うのだけはだめなんだ。爺ちゃんのためにも――)


 そしてたぶん、今日がその、本当の意味での第一歩になるのだろう。


「……よし」

「『よし』じゃねえよ。立ち直ったなら、あっちの手綱を握ってこい」


 パシンと軽く後頭部を小突(こづ)かれた。

 見れば、帝国艦の詳細をなかなか教えようとしないエルミラに、(ごう)を煮やした将校さんや士官たちが、声を荒らげていた。


「本当に確かな情報なのか!?」

「洋上の軍艦を、いったいどうやって追跡していたというのだ!?」

「ですから、それはおいおい説明いたしますわ」


 どんなに大声で詰め寄られても、すげなく彼らをあしらってしまうエルミラ。

 確かにこれは、収拾をつけない訳にはいかないな。

 心に残った黒い澱を、一度大きく深呼吸して、海の向こうに吹き飛ばした。


「ええっとですね……エルミラの情報であれば間違いありません。俺が保証します。仔細(しさい)については、やっぱり、百聞は一見に如かずってことで、ねえ?」


 何が『ねえ』なんだ、という将校さんたちの視線が、グサグサと突き刺さってくる。

 ただでさえ極度の緊張下だったところに、敵国の軍艦の情報まで(ほの)めかされたことで、彼らも彼らで、冷静を保つことが難しくなってしまっているのだ。


「現地に着いたら、ちゃんと説明がありますから。そうだよな、エルミラ?」

「もちろんですわ、司令官様。一から十まで、それはそれは丁寧な解説を、あなた様のためにいたす所存でございますわ」


 ……うん、もう、これが落とし所でいいんじゃないかな。



「では皆様、座席にご着席ください。これより本艦は――」

『姉様、それはアタシに譲ってくれたでしょ』

「あらあら、そうでしたわね」


くすくすと優しく笑いながら、エルミラは、妹分(シルヴィ)に華を持たせた。


『てことで各員、椅子に座ってシートベルトを締めなさい! これより本艦は、超高速航行に移行するわよ!』


 あ、これ、すぐに締めないとまずいやつだ。

 直感した俺とファフリーヤは、急いで近くの座席に着いてベルトを装着。

 エルミラとネオンも冷静に、しかし機敏な動作で同様に座席シートに腰を下ろした。

 こちらの様子を見ていたローテアドの方々も、慌てて席に滑り込む。


『【ハイパーキャビテーション・システム】、起動』


 司令室の壁面いっぱいに、立体映像のモニター画面が立ち上がった。

 同時に、ゴウン、ゴウンという低い音が、司令室内に反響し始める。


『エンジン出力上昇、艦首前方に【抑力の泡の舵サプレッション・バブル・ラダー】を展開、クレアヴォイアンス・レーダーと流泡予測シミレーションを並列、後部スラスター機動との直結確認』


 モニター上の数値やモデルが、慌ただしく動き出した。

 何かが来る。

 そう直感した俺たちは、示し合わせるでもなく一斉に身をかがめた。

 正しい判断だった。


『発進!』


 シルヴィが叫んだ、その直後。


「うわあっ!?」


 俺たちの体に、とんでもない加速度の壁がぶつかった。

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