12_05_お酒と注射とナノマシン
「お前らよ、いったい俺に何をした?」
翌朝、目を覚ましたケヴィンさんの開口一番が、これだった。
「何って、一緒にお酒を飲んでたじゃん。隊長さんは先に眠っちゃったけど」
彼が起きたのは、俺たちにあてがわれた客室のソファの上。
ネオンがお酒に混ぜた睡眠導入剤の効果は素晴らしく、ケヴィンさんは夜間はぐっすり一度も目を開けず、そして、朝日とともに実にすっきりと覚醒していた。
「バカ言うな。酔いつぶれるような量は断じて飲んじゃいねえ。眠気も感じず意識を失くして、気づけば水平線から太陽が昇っていやがった。どう考えても不自然だろうが」
さすがは諜報部隊の隊長を務める人物。
俺たちによって眠らされたと、自身のコンディションを頼りに絶対的に確信している。
「慣れない輸送機に揺られたせいで、体が疲れてたんじゃない?」
「ざけんなよ。そんなもんより遥かに劣悪な環境で任務についてたことがあるんだぞ」
「ああ、言ってたね。無人島に取り残されてサバイバルやってたとか。精神的にはそれくらい参ってるってことだよ、きっと」
実際、部隊単独で敵地の町に送り込まれているなんて状況、ストレスも半端なかったはずだしね。
「何をほざいて――」
「まあ、それはいけません、お父様。あんなにもアンリエッタのことを想ってくださっている殿方が疲労で倒れるようなことがあれば、彼女になんとお詫びしたらよいやら」
怖い顔で詰め寄ってきたケヴィンさんを、まさかのファフリーヤの声が静止した。
「……嬢ちゃん、今、なんつった?」
「みなまでおっしゃらないでください、ケヴィン様。あなた様が酩酊しつつも語ってくださいました胸の裡に、わたくしは感動を覚えずにはいられませんでした。アンリエッタに深い深い愛情を注いでくださいましたこと、王女として、厚く御礼申し上げます」
深々と頭を下げてから、「あ、元王女ですけれど」と小さく訂正をいれるファフリーヤ。
もちろん全てが嘘で演技だ。
しかし、とてもそうとは思わせないほど、細かいところまで徹底しての自然体。
これも王族の為せる業なのだろうか。
「ま、待ってくれ、理解が追いつかん。嬢ちゃんは、いったい何を――」
「いえ、よいのです。町に帰りましたら、アンリエッタにはよしなに申しつけておきますから」
ニコニコと屈託のない笑顔を向けてくるファフリーヤに、ケヴィンさんは当惑を隠せなくなり、
「……なあ、夕べの俺は、変なことを口走ったりしてねえよな?」
ついには疑心暗鬼に陥った。
まさか、幼い子どもが自分を嵌めようとしているなどとは夢にも思えなかったのだろう。
この流れに、もちろん俺も便乗した。
「いや、いいこと言ってたよ。思わず目頭が熱くなるくらいに。な、ファフリーヤ」
「はい、とても饒舌になられて、たくさんのことを話してくださいました」
当惑を通り越し、段々と顔を青くしていくケヴィンさん。
そこに、コンコンとドアをノックする音が。
「失礼します! 朝食のご用意が整いました! 食堂へとご案内いたします!」
やけに溌剌とした海兵さんが、食事の時間を告げに来た。
きっと、ドアの向こうでビシッと敬礼しているに違いない。
「あれ? 昨晩みたいに運んできてくれるんじゃないんだ?」
「はっ! せっかくお招きしたお客人と食卓を共にしたいと、モーパッサン提督が食堂に席を設けられました!」
たぶん、あれだな。
昨夜送りこんだケヴィンさんが報告に戻ってこなかったから、確認のために俺たちを部屋から連れ出したいってことだ。
「じゃあ、待たせちゃ悪いし、行こうかファフリーヤ」
「はい、お父様」
ドアを開けると、そこにはやっぱり、非の打ち所がない模範的な敬礼をした若い海兵が立っていた。
「お、おい待て……いや、待ってくれ! 俺は何を言ったんだ、いや、本当に何か言ったのか!?」
「ネオンも来るよね?」
「はい。私に食事は不要ですが、同席するのがマナーでしょう」
雄叫びを上げたケヴィンさんを白々しく無視して、颯爽と食堂へと向かう俺たち。
こうして、彼のお酒に睡眠導入剤を盛ったことは、ものの見事にうやむやとなった。
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朝食の席では、特に何の波乱も起こらなかった。
この後に会談が控えていることもあってか、モーパッサン提督との会話は、当たり障りのないものに終始したからだ。
剛気で闊達な老提督と和やかな時間を過ごしてから部屋に戻ってくると、ケヴィンさんの姿はもうなかった。
『おかえり。隊長さんが昨日のお酒を置いてってくれたわよ。どうせ提督さんのだから、好きに飲んでいいって』
留守番していたシルヴィが、ケヴィンさんからの伝言を預かっていた。
テーブルに置かれた瓶の中には、半分ほどになった高級酒が、朝日をきらきらと反射させている。
「ん、そっか。じゃあ、せっかくだし、持ち帰って大事に飲もうかな」
蒸留酒だし、栓をしとけばそれなりに保存が効くだろう。
町に帰った後で、またケヴィンさんと酒盛りするのもいいかもしれない。
あ、でも、他の隊員さんたちも加わったら、お酒が足りなくなっちゃうかな。
そんなことを考えていたら、
「ところで司令官、そろそろお薬のお時間です」
ネオンが小さなケースを持ちだして、酒瓶の隣にコトンと置いた。
中から取り出されたのは、小さな円筒形の注射器。
「ああ、そっか。ありがとな」
左腕の袖をまくり上げ、ネオンに針を刺してもらう。
かなり上手で、ほとんど痛みは感じない。
これは、ナノマシンの副作用を抑える薬の静脈注射だ。
ネオンと初めて会ったあの日から、1日2回、毎日朝と晩に投与してもらっていた。
身体が慣れてきたら徐々に薬の量を減らしていくって話だけど、今のところ、回数も薬の量にも変わりがない。
「ローテアドの人たちには、ばれないようにしないとな」
薬のことは、ケヴィンさんたちには教えていないかった。
町にいるときも、彼らの前では注射しているところを一度も見せたことがない。
「その通りです。どんなに些細な事柄でも、弱みは決して見せてはなりません」
俺の体がネオンたちの技術に順応できていないというのは、見方によっては弱点になるかもしれない。
気にし過ぎのようにも思えるけど、ネオンはこういうところで徹底している。
「まあ、もし見られても、俺の身体でちょっとした人体実験をしてるとでも言っとけば誤魔化せるんじゃないかな?」
『……アンタ、ドン引きされそうなことをサラッと言うようになったわね』
そりゃあ、俺自身が毎日のようにドン引きさせられてきたからな。
普通の感覚なんて、とうの昔にマヒしてる自信がある。
『でも実際、人体実験に近いといえば近いのよね。アンタの体がナノマシンに順応していく過程は記録してるから』
「ん? そうなの?」
「司令官から取得したデータをもとに、現文明の人間たちをナノマシンに適応させていく計画を立てているのです」
「ああ、ネオンがよく言ってる、旧人類から新人類に昇華させるっていう、あれか」
滅んでしまった前文明の再興を任務としているネオンとシルヴィにとって、新人類になりかけの俺の体は、毎日のデータ収集が欠かせないくらいの貴重性があるのだとか。
「でもさ、それって別の人のデータは使えないのか? ほら、コールド・スリープだったっけ。長い眠りについてる人たちがいっぱいいるって話。あれって全員が新人類のはずだろ」
俺の疑問に、ネオンは首を小さく横に振った。
「残念ながら、必要なのはナノマシンに順応する過程のデータですので」
すでに新人類へと変わりきっている人間のデータではだめなのだそうだ。
言われてみれば、まあそうだよな。
それができるなら、ネオンはとっくに現文明の人間を、片っ端から新人類に変えていたはずだろうし。
「では、ネオン様。お父様が完全にナノマシンに適応してデータを取りきった暁には、私にもナノマシンを注入していただけるのでしょうか?」
ファフリーヤから、こんな質問。
「もちろんです。最優先で新人類へと昇華することをお約束しますよ」
『ナノマシンがあるとオペレート効率が格段に上がるものね。ファフリーヤにこそ真っ先に注入すべきだわ』
ふたりの回答に、ぱあっと嬉しげな笑顔を咲かせたファフリーヤ。
今まで聞いたことはなかったけど、彼女は新人類になってナノマシンを使えるようになりたいようである。
「ナノマシンがあれば様々なことが可能になりますよ。ヘッドセットなしでも遠距離通信や会話の相互通訳が行えますし、負傷した場合の痛覚遮断やアドレナリン放出の補助など、簡易生命維持機能も有しています」
『基地のEIDOSプログラムに感覚様相接続できるようにもなるわよ。情報を目で読み取るプロセスを省いて、データを直接頭に送り込めるの』
また、難しいことをこのAIたちは。
俺にはちっともわからなかったけど、ファフリーヤには理解できたのだろうか。
そう思い、彼女の顔を覗いてみると。
「えっと、お父様とお揃いになれることが、まずは嬉しいです」
あ、そういうことだったか。
理解した俺は、ファフリーヤを近くに寄せて、頭をなでなでしてあげた。
ファフリーヤは頬を仄かに赤く染めて、くすぐったそうに微笑んでいる。
そんなことをしているうちに、ドアのほうから再び、コンコンというノックの音が聞こえてきた。
「失礼します! 会談のお時間が近づきました! 会議室へとご案内いたします!」




