12_02_量子の海の星 上
『これはこれは、ようこそお出でくださいました。第17セカンダリ・ベースの皆々様』
室内に、俺の知らない声が響いた。
ドックの中じゃない、俺たちが滞在しているペルスヴァル要塞の客室の中にだ。
『遅ればせながら、マリン・ベースの接続コードを送信いたしますわ。この子たちの怪我も治してしまいますから、一度こちらに移管していただけますこと?』
その声は、シルヴィの操る小型ドローンから発されていた。
女性の声だ。
おっとりととした声調で、それでいて艶っぽいというか、どこか魅惑的な雰囲気が内在しているように聞こえる。
「コードの受信が完了しました。アミュレット3機の指揮権を当該基地へとお預けします。ご無沙汰していますね、エルミラ」
『あらあらネオン、お久しぶりですわ。可愛らしいボディになっているものですから、見違えてしまいました』
ネオンのパーソナル・ボディを褒める声の主、エルミラ。
ドローンを通じて、こちらの様子が視認できているらしい。
「修理はありがたいのですが、マリン・ベースの活動エネルギーに支障はありませんか?」
『ふふっ、心配は不要ですわ。あなたたちの起動を知ってすぐに、可能な限りの準備は整えていましてよ』
もっとも、スリープ・モードの範疇ですけれどね、と補足するエルミラ。
しかし、その直前に言っていたことが、俺には引っかかった。
「起動を知った?」
口をついて零れた疑問に対し、はっと息を呑むような一瞬の間がエルミラに生まれた。
『まあ、まあまあ! そのお声は。お察ししますに、あなた様が新たに第17セカンダリ・ベースに着任された司令官様ですわね?』
彼女の声が、やけに嬉しそうに弾みだす。
『ネオン、ドローンを少々お借りしますわね』
どうぞ、とネオンが頷いたのとほどんど一緒に、ドローンが机の上から飛び上がり、眩しい光を部屋全体に放射した。
俺は反射的に目をつぶり、次にまぶたを開いた時、周りの景色が一変していた。
「ここ、は……?」
1秒前まで、俺たちは要塞内の一室にいたはずだった。
それが、瞬きしていた一瞬の間に、壁の全面が曲面のモニターに覆われた、全く別の場所に移動していたのだ。
(――いや、ここは)
知っている。
似た場所を、俺は見たことがあったはずだ。
前にネオンに案内された、第17セカンダリ・ベースの中央司令室。
あそこがまさに、これとほとんど同じ景観の空間だった。
違う点は、この空間の中心には、端然と佇む麗しい女性の姿があったことだ。
『お初にお目にかかりますわ、第17セカンダリ・ベースの司令官様。あらためまして、わたくしは第5セカンダリ・ベースの管制AI、エルミラと申します』
俺は、思わず息を呑んでいた。
見惚れたと言ってもよかった。
眼の前にいたのは、まさに、絶世の美女と形容するにふさわしい、眩しいくらいに容貌端正な麗人だったのだ。
(彼女が、エルミラ……AI、なんだよな?)
自己紹介を受けてなお、認識を追いつけるには少し時間が必要だった。
顔立ちや肌の色は、この大陸の人間のようにも見えなくない。
けれど、こんな絵に描いたようなとびきりの美人、帝国の首都でもお目にかかったことはない。
それに、着ている服がネオンと同様の、体にぴったりとフィットした金属的な光沢のボディ・スーツだったから、客観的にも彼女がエルミラであるという推認がどうにか働いてくれはした。
でも、突然のこの状況は、何がどうなっているというのか。
『司令官、声を出さずにお聞きください』
うろたえていた俺に、ヘッドセットからネオンの声。
『普段お見せしている立体映像のモニター画面、あれで部屋全体を覆っているとお考えください』
つまり、俺たちは今もちゃんと要塞の客室にいて、変わったのはその見た目だけということのようだ。
投影されているのは、エルミラがいるマリン・ベースの中央司令室の様子なのだろう。
そしてネオンは、この状況を俺に説明するにあたって、会話をエルミラに聞かれないようにしているらしかった。
……何のために?
疑問は、しかし、こちらに歩み寄ってきた(ように見える)エルミラによって、言語化するタイミングを逸してしまった。
『あなた様とのお顔合わせがこのような仮想投影空間となってしまい、大変恐縮でございますわ。ナノマシンによる感覚様相接続でダイレクト・アクセスしていただければ、趣向を凝らしたおもてなしができましたのに』
……なんて?
ついつい聞き返そうとした俺に、
『司令官、ここはスルーしてください』
すかさずネオンの静止が入る。
開けかけた口を慌ててつぐんだのと同時に、ネオンと示し合わせていたらしいシルヴィが、代わりにエルミラに話しかけた。
『せっかくだけど、エルミラ姉様。当基地の司令官は、そういうことに耐性がないから』
『あらあら、シルヴィちゃんですわね』
『こんばんは、姉様。そのパーソナル・ボディ、よく似合ってるわ。仮想データじゃないんでしょ?』
『ふふっ、もちろん実機を用意していますわ。これも必要な準備のひとつでしてよ』
その場でくるりと回転し、嬉しそうな笑みを浮かべるエルミラ。
同じ基地管制AIでも、ネオンと違って感情表現がずいぶんと豊かだ。
そして、シルヴィが彼女の注意を引いている隙に、俺の耳には、ネオンからこんな要望が。
『司令官、これからのエルミラとの会話は、すべて私の指示に従っていただけますか?』
事情は全くわからないけど、俺は沈黙をもって了解の合図とした。
『ではでは、先ほどの戦闘指揮はシルヴィちゃんが執っていたのですわね。浮上を止めて深い水位で交戦に入ったものですから、驚かされてしまいましたわ』
『試されてる以上、姉様相手でも引く気は無かったわ。マーライオンに有利な深度で無力化して、一泡ふかせなくっちゃ』
『さすがはさすがはシルヴィちゃん。気概があって大変よろしいですわ』
両軍身を削った激しい戦いだったというのに、それはそれは楽しそうに話しているシルヴィとエルミラ。
戦闘用のAIには、これが当たり前であるらしい。
穏和そうな性格にみえるけど、やっぱりエルミラも、シルヴィやネオンみたいに根っこの部分で好戦的なんだろう。
『そう言ってもらえるのは嬉しいけど、アタシは司令官の方針に従ったまでだから』
……なんですと?
思わぬところで水を向けられ、俺の思考は固まった。
『あらあら、やはりそうだったのですわね』
『ええ、そうよ。友軍を撃墜するなんてもっての外だって毅然と言明して、無傷での捕縛を即断したんだから』
どういうつもりかシルヴィは、戦闘の殊勲者を俺にすり替えようとしているみたいだ。
「いや、あれは――」
『司令官、ここは肯定です!』
「――味方を簡単に切り捨てるのは、軍人の道理に悖ると思っただけ……です」
ヘッドセット越しのネオンの剣幕に押されて、咄嗟に言葉を切り替える俺。
若干声が上ずってしまった。
しかしエルミラは、俺の台詞に大変満足した様子で、艶めいた微笑みを向けてきた。
『まあまあ、やはりやはり。あの戦術は司令官様のご英断であらせられたのですわね』
誤解……とまでは言えないのかもしれない。
無傷での捕縛というのは、確かに俺が主張したことではあったのだ。
でも、独善的な考えだったのは痛いほどに自覚してるし、ましてや、自分の手柄だなんて増長できるほど思い上がれるはずもない。
ネオンとシルヴィには何らかの思惑があるようだけど、エルミラに屈託のない笑顔で見つめられると、居心地の悪さを覚えてしまう。
「えっと……あ、ところでさ。さっき言ってた、こっちの基地の起動を知ったっていうのは?」
「ローテアド艦隊に託した無線機ですよ、司令官」
この問いは迂闊な発言だったらしく、即座にネオンからフォローが入った。
ギクリと萎縮した俺の様子に、エルミラはくすっと笑みを零す。
『ご存知ないフリをされなくても大丈夫ですわ、司令官様。あなた様の深謀遠慮は、隠そうとして隠しきれるものではございませんもの』
……はい?
『最初は、とてもとても驚きましたわ。まさか、暗号化もしていない通常回線で堂々と軍事情報のやりとりを、それも他国の軍隊に許可しておいでだったのですから』
ええっと……
たぶんこれって、ケヴィンさんとモーパッサン提督の無線通信のこと、だよな?
『一見すれば杜撰で軽率。ですがこれは、傍受のリスクに踏み込むことで、また違うリスクを回避する天秤の妙策であったのです。友軍に自基地の活動再開を知らせると同時に、敵の企図には乗らないという勇猛にして果敢な意志表明。このメッセージを汲み取ったときから、わたくしは、あなた様にお会いできる日を指折り数えてお待ちしておりましたわ。さぞや、大胆な戦略と部隊指揮でその名を轟かせたお方に違いないと……』
当然、何のことを言っているのか俺にはまったくわからない。
しかし、のべつ幕なしに話し続けるエルミラには、もはや、当人のことなど見えていなかった。
陶酔したようにうっとりと頬を赤らめて、目を閉じ首を小さく振って、抑えきれない感情を顔の全体で表現している。
それでも言葉は止まることなく、語れども語り尽くせない思いの丈は、どんどん熱量を上げていく。
置き去りにされて当惑している俺の耳に、またもヘッドセットからネオンの声が届けられた。
『お聞きの通りです、司令官。エルミラの中では、司令官への評価が出会う前から最高レベルに到達しているのです』
いやいや待て待ておかしいだろ。
どういう因果が働いたら、そんな奇天烈な先入観ができあがるっていうんだよ。
『エルミラ姉様って、自軍の人間に対して思い込みが激しくなっちゃうところがあるのよねー。ほら、さっきの戦闘の方針だって、アンタが決めたものだと頭から信じきってたでしょ』
今度はシルヴィの声。
あの戦闘で俺の力量を試してたってのは、そういうことだったらしい。
でも、それなら早々に勘違いを正さないと、今後の話がおかしなことになっちゃうんじゃないのか?
『これでいいのよ。芯から乙女で、夢見がちなまでに人間大好きな姉様だから、目の前に理想の司令官様なんて現れた日には、兵器でも指揮権でも好きなだけ提供してくれるわよ』
つまり、ネオンとシルヴィは、俺を超絶有能な司令官だと思わせておくことで、マリン・ベースの戦力を好き勝手に使わせてもらおうと画策していたのだ。
姉のような存在だと言って敬愛しておきながら、思いっきり籠絡しようとしてるじゃないか。
というか、このふたり。
俺が及び腰にならないように、わざと事前に教えなかったな。




