11_02_大将たる者 下
「するんだよ。情報を制限してるふりをしてな」
鬱憤ごと吐き捨てるような口調で言い放つケヴィンさん。
どういう意味だろうと思案していたら、ネオンが補足を入れてくれた。
「おそらくローテアド軍は議会に対し、帝国侵攻作戦を変更した事情について、裏で政治的な動き以上の何かがあったと匂わせるつもりなのでしょう。現状ではこれしかない手札を有効な切り札に見せるには、大きな偽の背景を信じこませるしかありません」
この説明で、俺もピンときた。
「『これしかない』じゃなくて、『これだけしか表に出てきていない』と思わせるってことか」
俺たちに敗れたという本当の背景を明らかにせず、また、ダミー・ストーリーとして用意した物資の密輸計画も明るみにせず、ただ、焼き印のついた木箱の存在だけを知れ渡らせる。
焼き印からは、色々な裏側の事情が透けて見えるだろう。
それこそ、見る人ごとに違う事情が想像できてしまうはず。
その事情を膨らませ、真偽不確かな幻想として植え付けることで、議会の追求を封じ込め、時間を稼ぐつもりなのだ。
「ふん、その通りだ。議会の御歴々には、こちらからはほとんど情報を与えねえ。伝えるのは、『軍が骨身を削って皆様にご賛同いただいた作戦は変更になりました』、と、表面上の事実に留める。理由を聞かれても、知らぬ存ぜぬ答えられぬと、深刻な裏があることだけを仄めかすんだ。いかにも意味深長な顔をつくった提督が、切歯扼腕しながらな」
軍が不退の覚悟で臨もうとしていた侵攻作戦に誰かが横槍を入れ、謎の第三国の協力を取り付けた。
これだけでもきな臭い状況だというのに、モーパッサン提督ほどの軍人が、甘んじてそれを受け入れている。
誰かとは誰だ?
第三国の正体は?
国王にも話が通っているのか?
他の議員はどう動く?
疑心を与え、利害を計らせ、軽々には動けない状況へと陥らせて、静観せざるを得なくするのだ。
「その偽装工作って、全ての議員に対して施すの?」
この国の議員数やパワー・バランスなんて知らないけど、手間と時間が相当にかかるであろうことだけは、想像に難くない。
「いんや、情報ってのは勝手気ままにひとり歩きするものだからな。最初に誰かひとりかふたり、発言権の強い議員を懐柔し、関連を仄めかすような言動をとらせりゃいい。憶測が憶測を呼んで、他の議員貴族は繰糸でがんじがらめって寸法だ。このあたりは、海千山千の狸爺が、うまいこと立ち回るだろうよ」
「これでも苦労しとるのじゃぞぉ。いかんせん、貴族は自分の利にならんことでは動いてくれんからのう」
溌剌とした声が、俺たちの会話を遮った。
向こうに行っていたはずの提督さんや将校たちが、いつの間にか戻ってきていた。
「国王にしても、儂ひとりでは説得しきれん。誰かしら、有力で言葉巧みな古狸を、もう2、3匹抱き込まねばな」
愉しげな様子のモーパッサン提督、意味ありげな笑顔をつくっている。
他方、直前の迂闊な発言を呪っているケヴィンさん、直立不動で固まったように敬礼していた。
「では、その手助けになりそうなものをお贈りしますよ」
俺はといえば、事前に用意してきたものを渡す機会が到来したと、気を引き締め直して提督さんに話しかけた。
「ネオン、例の物を」
「はい、司令官」
ネオンの返事と同時に、1体のアミュレットが、トランクケースを携えて俺たちのもとに歩いてきた。
周囲の兵士が咄嗟に身構え、それを上官が手で制止する。
将校たちは顔を強ばらせたものの、その場で微動だにしなかった。
提督さんに至っては、にやりと不敵な笑みを浮かべて、
「おお、もしや、件の金彫刻かね?」
ケースの中身を言い当ててしまった。
「……その通りです。どうぞご覧ください」
トランクが開かれた。
中には金の延べ棒と、それを加工した金彫刻が3体入っていた。
以前に制作しておいた、勇猛な騎士を象ったあの騎馬像である。
「ほう、これはこれは……」
思わず唸るモーパッサン提督。
美しくも精密な純金の像に、感嘆し、見惚れている。
俺は俺で、一軍の将というのは伊達じゃないと、改めて思い知らされていた。
この像を持ってきていたことは、ケヴィンさんにも知らせていない秘匿事項。
なのに、提督さんは知っていたかのようにトランクの中身を当ててみせた。
これは、こちらの行動をあらかじめ予測していたということに他ならない。
「ううむ、見事だ。3体すべてに、寸分たりとも違いが見られぬ。これほどの精緻なる技工の彫刻が、大量生産品だとは……」
「これらはローテアド海軍に差し上げます。ただし、帝国内で芸術品と偽り販売しておりますので、取り扱いは、くれぐれもお気をつけ下さい」
「うむ。ありがたく議会の御歴々を説得する材料に使わせてもらおう。光り物で眼の色を変えるのは、こちらの貴族も同じだからのう」
俺たちが金彫刻を差し出した意図を、つぶさに察したモーパッサン提督。
おそらく彼らは、最初からこれらを貸り受けることができないか、打診する腹積もりでいたはずだ。
無論、国王や議会議員をこれで買収しようってことじゃない。
戦場の妙を理解できない王族や貴族であっても、その国が金塊という財を豊富に有し、他の追随を許さない芸術品を生み出す能力まで有しているとわかれば、抱くイメージを変えざるを得ない。
軍隊にとって戦力こそが脅威の指標であるように、貴族たちには財力こそが権威の象徴。
対帝国のために協力する(ということにしておく)第三国の力量を上に認めさせるため、脅威と権威をすりかえてしまおうというのが、モーパッサン提督の思惑なのである。
(ただ、彼らにとっての問題は、これが最善の手段でも、最良の手法でもないこと)
事実、脇にいる将校やケヴィンさんたちは、この光景を苦々しい顔になりながら眺めていた。
要塞を警備する兵士たちも、咳きの音ひとつ立てることなく、様子をじっと見つめている。
経緯や内実がどうあれ、軍部が俺たちから金彫刻という財宝を貰い受けた事実は、今後ずうっと付きまとってしまう。
兵士たちに疑念を持たれる、なんてのはまだ生易しい。
この〝事実〟を説得工作に用いるからには、後々になってローテアドの貴族たちが「自分も恩恵に預からせろ」とか、「侵略して金を強奪するのだ」とか、よからぬ思惑のもとにモーパッサン提督を抱き込もうとするのは、火を見るよりも明らかだ。
圧倒的武力を敵に回さずに済む計略であるとはいえ、将来の国内禍根を約束する苦肉の策を、最善や最良などとは間違っても認識してはいけないのである。
「帝国との戦争は、儂ら軍部が――」
が、モーパッサン提督の度量が発揮されたのは、ここからだった。
***
あの後、モーパッサン提督は神妙な面差しで、こんな言葉を重々しく口にした。
『帝国との戦争は、儂ら軍部が国王に働きかけて決心を促したのじゃ。国がこれまで進めてきた政治方針を改革させての、いわば痛みを伴う決定じゃった。その決定を翻させるともなれば、それも、改革を推し進めた軍部が翻意を促すということになれば、今の状況の重大さを、誰しもに、適確に認めさせねばなるまいて。我が国は戦争以上の喫緊の危機に直面しており、同時に、千載一遇の好機が巡ってきたのだとな』
厳粛で低い声は、張り詰めた要塞の空気に親和したのかのように、やけに遠くまで染み渡った。
静まり返っていたはずの場に、兵士たちの息遣いが漏れ始めたのを、俺のヘッドセットが捉えた。
『貴君らが大陸最強の軍事国家であることは疑うべくもない。儂らローテアドの艦隊は断じて脆弱ではなかった。それをああも鮮やかに、衝撃的に打ち破ったのだ。その貴君らが、憎き帝国を討ち滅ぼすと宣言しておる。これを好機以外のなんと呼ぼうか。帝国を倒すためであれば、儂は断じて手段を選ばん。我が軍が枷であるならば、儂は部下に、耐えて動くなと伏して命じよう! 振り上げた拳をどこに下ろせばよいかと問われれば、儂に下ろせと懇願しよう! ローテアドの無辜の民の未来を、子どもらの未来を勝ち取るためならば、儂らにはいかなる戦をも辞さぬ決意があり、同時に、あらゆる奸計を張り巡らせる覚悟がある! この精神は、汚されることなき不屈の聖域である!』
直後、要塞中から大歓声が上がった。
立哨していた兵士だけじゃない。
稜堡の銃眼の窓から、胸壁の陰から、隠れてこちらを覗いてい海兵たちが、一斉に喝采を叫んだのである。
あまりの大声量に耳を塞がれた俺は、ヘッドセットの立体聴覚システムを慌ててオフにさせられた。
将校たちは動揺を隠しきれず、しかし、この事態を引き起こした提督さんは、巨島のように揺るぎなく、どっしりと構えては、快活に笑っていたのであった。
「兵士の皆さん、とても熱狂されていましたね」
「凄い人だよな。はじめは俺たちに向けて言ってたのに、というか、保身ともとれる言い訳に近い発言だったのに、ちゃっかり海軍全体に向けた演説にすり替えちゃって」
密輸物資や金彫刻を、ただ受け取るわけにもいかなかったモーパッサン提督。
見方によっては、公然と賄賂を受け取って、懐柔されていると捉えられかねないからだ。
そこで、俺たちへの言葉の中に、「これはあくまで策略のためだ」という味方への釈明を組み込んだ。
しかし、途中から方向性を変え、最後はずいぶんと熱情溢れるスピーチとなっていた。
「場の空気感をつぶさに感じ取ったのでしょう。兵士たちが予想以上に聞き入っている。ならば、屈辱でしかなかった我々の来訪を、軍威発揚の機会に変えてしまおう、と」
自軍を打ち負かした相手を国に招く。
ローテアドの兵士たちにとって、今日ほど恥辱極まりない任務はなかっただろう。
モーパッサン提督の即興演説は、そんな兵士たちの気持ちを受け止めて、高邁な気概を賞賛し、耐忍は守勢ではなく未来への攻勢であると敵の眼前で謳ったのである。
強い言葉と大胆な行動によって、消沈していた兵士たちの士気を一気に高揚させた卓越なる手腕。
軍隊という大きな組織を統括する指導者の、絶大な求心力の源泉が垣間見えた瞬間だった。




