11_01_大将たる者 上
「あー、すっごく緊張したあ」
案内された部屋のドアが閉まるのと同時に、俺は大きく息を吐きだしてから、ソファの上に倒れこんだ。
「……このソファー、堅いなあ」
やっぱりすぐに起き上がった。
軍施設とはいえ、来賓用にそこそこ上等な物をあつらえているんだろうけど、胃がキリキリと締まるようなやりとりを終えたばかりの体に癒やしを与えるには、少し作りが粗雑でならない。
俺たちは、明日までこの国に滞在することになっていて、そのあいだ過ごす部屋を、モーパッサン提督が要塞内に用意してくれていた。
それなりに広い客室で、寝室も隣に附いていたけれど、歴史の重みとでも言うのか、ところどころで痛みが目立つ部屋だった。
「お疲れ様でした、司令官」
ひとまずのお役目を果たした俺に、ネオンが労いの言葉をかけてくれる。
「ああ、うん、ありがとうネオン。挨拶って、あんな感じで良かったのかな?」
心が緊張から解きほぐされると、次に沸いてくるのは自省の念だ。
本当にあれが上手な振る舞い方だったのか、軽く頭を悩ませながらソファに腰掛け直したところ、ファフリーヤがトテトテと近づいてきて、俺の膝の上にポスンと座った。
「とても格好良かったです、お父様。銃を持った兵隊があんなにいたのに、ずっと堂々とされていて」
俺を見上げてニコニコと微笑むファフリーヤ。
しかし、その腕は小刻みに震えていた。
銃で武装した兵士の怖さを身に沁みて知っているファフリーヤは、俺が提督さんたちに物資の説明をしていた間じゅう、ずっとネオンに手を繋いでもらっていたそうだ。
「ごめんな、怖い場所に連れて来ちゃって」
お詫び替わりに頭をなでなで。
ファフリーヤはくすぐったそうな顔をしてから、俺の胸へと背を凭せかけてきた。
「いいえ。外遊されるお父様に付き添うことは、妻として当然の務めです」
まだ婚姻もなにもしてないはずなんだけど……うん、もう何でもいっか。
『でも、随所随所で押され気味だったわよ』
ちょっと手厳しいシルヴィ。
部屋に持ち込んだ小型の飛翔型ドローンから声を出しているけれど、室内なので机の上に着陸させている。
「いやあ、兵士が多かったのもそうだけど、なによりモーパッサン提督の勢いが凄くって……」
俺はもう一度溜息を吐き出しながら、大変だったさっきの一幕を思い返した。
***
開放されたヴェストファールの格納庫ハッチ。
その中から、アミュレットが働きアリの行列のように、次々に樽や木箱を抱えて運び出してくる。
「こちらが今回持参した物資です。中身はオリーブオイルと、香辛料が……」
到着の挨拶に引き続き、密輸物資についての説明も俺が行うことになった。
それというのも、持ってきた物資の検分作業に、モーパッサン提督が率先して立ち会ってしまったからである。
相手のトップが直々に参加している以上、立場の釣り合いからして、こちらも司令官である俺が受け答えしないわけにいかない。
いっそ、部下の将校さんに丸投げしてくれたら、俺もネオンに全部任せられたのになあ……なんて、考えちゃいけないか。
などと心の中で愚痴っているうちに、格納庫内から、最後の一箱が運び出されていた。
『積んできたのはこれで最後よ』
「ごくろうさん、シルヴィ。では提督、これらは全て贈呈いたしますので、存分に中を検めてください」
「うむ。そうさせていただくとしようかのう」
物資の数は、樽が6個に木箱が9個。
総計15個を、要塞の土塁の前にずらりと並べた。
その検分を指示された将校や海兵たちが、箱の元へと駆け足で向かう。
モーパッサン提督自身も「少しお待ちいただけますかな」と、俺たちをこの場に留め置いてから、歩いて彼らの後に続いた。
追いついた提督さんは、検分している部下の背中越しに、熱心な視線を木箱に送りながら、その部下と何かを小声で話している。
ケヴィンさんを足止め要員として残していったあたり、あまり聞かれたくない会話なのだろう。
ここで俺は、こっそりと装着していたヘッドセットに触れて、ある機能をオンにする。
すると、耳当て部のスピーカーから、こんな会話が聞こえてきた。
『どうじゃ?』
『確認しました。木箱の焼き印は、確かに帝国のモルヒスのものです』
ヘッドセットの機能のひとつ、【超高集音立体聴覚空間識別システム】、略称を【3DH−SDS】。
周囲のほんの小さな音、人間の聴覚では拾うことのできない極小の音声を、集音、分析、再構築し、音量増幅と立体聴覚処理によって、ほとんど自然音に近い感じで装着者の耳に届ける技術である。
『全ての木箱と樽にあるのか?』
『はい、間違いありません。中の荷も、紛れもなくモルヒス産の――』
この機能の何が凄いかって、ただ単に音を大きくするだけじゃなくて、音源の方向と距離を装着者が正確に認識できるよう、音声をかなり綺麗に立体化してくれるところだ。
たとえば、背後から近づいてくる追跡者の忍び足の音を、ヘッドセットが捉えたとする。
すると、装着者の耳には、足音がおよそ何メートル後方で発生したのか、その方角までが感覚的に理解できるくらい、クリアな立体音声が届けられる。
また、相手の足裏が接地する音のみならず、衣擦れや息遣い、距離次第では心臓の音にいたるまでが、しっかり聞こえてくる。
音を聞き分ける訓練を受けた兵士であれば、敵の装備や体格、精神状態まで瞭然と知ることができるし、そうではない兵士にしたって、自分と相手との間隔がわかれば、適切に先制攻撃に移ることができるだろう。
これだけでも戦場での安全性がぐんと高まるのだけれど、ネオンによると、この技術は本来、例の生体ナノマシンと機能連携させることで真価を発揮するのだそうだ。
音源の定位と反響による空間知覚を視覚情報化して、ナノマシンを介して兵士に直接送り込むことで、実際には目で見ていないのに、音だけで敵の姿形を把握できるようになる。
いわば、周囲360度を常に目視している状態になるわけだ。
……とまあ、こんなにも便利な機能なんだけど、今は単なる盗聴のためだけに用いていて、なんだか申し訳なくなってくる。
『どうじゃ、使えると思うか?』
『信憑性を増すためには、モルヒス以外の焼き印も――』
彼らは箱の中身にはろくに目をくれていなかった。
箱の外側についた焼き印、帝国からの横流し品であることを証明する、その印にこそ価値があるということらしい。
と、検分を中断し、提督さんと部下の人たちが、俺たちのところに戻ってきた。
「いかがでしたか? そう多い量は持参できませんでしたが――」
「いやいや、ずいぶん上等なオリーブオイルだと、検品した部下が唸っておったわい」
「モルヒス産のオリーブですから、品質は保証できます」
「良い品を仕入れる伝手がおありのようじゃな。して、少々お聞きしたい。今後、物資を余所の町からも仕入れるつもりであると窺っておるのじゃが、具体的な町名などは……?」
「まだどこの町とまでは。ですが、地方の町であれば、モルヒスと同様の方法で物資を回収できると見込んでいます。ただし、密輸できる物資量は、やはり多くは見込めません」
提督さんは顎に手を当て思案してから、背後の部下を振り向いた。
「ふうむ、どう思う?」
「はっ。『怪しまれない最適な密輸ルートの模索』や、『露見時の情報伝達経路の諜報』などの筋書きで、多少は。そのためにも、やはり、このモルヒスの木箱と同じように……」
「うむ、そこさえクリアすれば、やりようはいかようにでも、か」
提督さんは、再び俺たちの方を見向いた。
「ベイル司令官殿。余所の町から物品を仕入れた場合にも、木箱にはこういった焼き印が付くということでよろしいですかな?」
「もちろんそうなるでしょう。我々の息のかかった帝国商人を使って、正規に購入させていますから」
これを聞き、モーパッサン提督の目が細まった。
彼らの求める要件のひとつを、俺の回答は満たしていたようである。
「……時に、購入資金の出所なのじゃが、これも帝国から掠めたものと聞いておるが?」
その通りです、と首肯して答える。
帝国の貴族に売りつけた金彫刻の代金だということは、あらかじめケヴィンさんによって報告されていたことだ。
そのケヴィンさんから、こんな補足が付け加えられた。
「材料の金の採掘場所もターク平原だという話ですから、帝国領の資源を元手に貨幣を集めたとも言ってよいかと」
再び思惟に耽る提督さん。
「少々、すまんな」と部下を引き連れ、また木箱の列のところに向かった。
物資を覗いている振りをしながら、国王や議会への根回し方法について将校たちと内密に相談している。
彼らにとっては機密事項なんだろうけど、完全に国内のことしか見ていない内容で、俺が盗聴する意味はあまりなさそうだった。
「ったく、余裕がねえのはわかるが、もっと隠れてやれねえのかよ……」
またも置いていかれたケヴィンさんが、げんなりした顔で彼らの様子を眺めてぼやいた。
もしも俺たちが物資のところに向かおうとしたら、言葉巧みに引き止めるという役割を、ケヴィンさんは急遽無言で命じられてしまったのである。
なんとなく同情してしまった俺は、足止めされているポーズにはなろうかと思い、彼に話しかけた。
「要求を押し付けといてなんだけどさ、こんなのが説得材料になるのかな?」
帝国領から掠め取ったとはいえ、量なんてこれぽっちしかないのに。
一所懸命に頭を捻っている提督さんたちには悪いけど、国内交渉を有利にできる材料になるとは、とても思えない。
「するんだよ。情報を制限してるふりをしてな」




