10_09_異国の海へ
「こうして見ると、海って本当に広いんだな」
高空を飛行する、輸送機ヴェストファールのコックピット内。
眼下に浮かぶまばらな雲と、その更に下、一面に広がる大海原を眺めながら、呑気なことを呟く俺。
「あ、見てくださいお父様。お魚さんの群れがいますよ」
立体映像の画面が立ち上がり、海水面を表示した。
青く輝く海の中、無数の魚影がひとまとまりの群団となって、時折鱗を光らせながら、悠然泰然と泳いでいる。
その様子を、カメラアイを器用に操作し、自動追尾しているファフリーヤ。
ヴェストファールに搭載された高度技術の機器類を、もはや完全に使いこなしてしまったようだ。
『やっぱり、この子には後で操縦方法も教えこまないとね』
「教養教育も必要ですね。航空力学や流体力学くらい、ファフリーヤならすぐに理解してしまうことでしょう」
天才児の育成計画で盛り上がるシルヴィとネオン。
機内には、とても2週間前に戦った相手国に向かっているとは思えない、穏やかな空気が広がっている。
「……旅行気分なのは構わねえが、俺が極秘の任務中だってことだけは、ちっとは考慮してもらいてえもんだな」
この空気感に、後部座席のシートに座った、やや硬い顔をしたケヴィンさんから念を押された。
彼は、諜報部隊員の中から唯一、今回の空の旅に同行している。
意識がある状態でのフライトはこれで2度目。
前回よりは緊張が取れているみたいだけど、表情には隠し切れないぎこちなさが残っている。
「わかってるって、海軍以外には入国を知られないよう……っと、あれかな? 目印の岩島ってのは」
遥か真下の海上に、平たい岩のような小島がぽつんと浮かんでいるのを発見。
少し前にカメラアイで見ていたのと同じ……かどうかは、この位置からだとわからないけど、付近に岩島はあれひとつだ。
『今の島で間違いないわよ。座標がこれと同じだから』
カメラ画像を再表示するシルヴィ。
拡大された島の俯瞰映像を見て、ケヴィンさんも頷いた。
「ああ、こっから先がローテアドの実効支配海域だ。帝国の軍艦だって追っかけてこれねえ、海の兵士の縄張りだぜ」
海洋国家ローテアド王国。
俺たちは、ついにその国領に第一歩を踏み入れた。
もっとも、足を踏み入れたとは言っても、厳密にはここは領地ではなく領海の上で、更に厳密には海じゃなくって空の上。
万が一にも帝国含めた近隣諸国に発見されぬよう、俺たちは大陸の上空を通らずに、ターク平原の西海岸から海上の空に出て、高度を上げて、ここまで回りこんで来たのである。
『ウレフ半島まで、東におよそ80キロメートルね。どう、ファフリーヤ? 海の様子は』
「はい、シルヴィ様。レーダーとカメラアイで確認しました。周辺海域に他国の軍艦および民間船は見当たりません」
『オッケー、それじゃあ、高度を下げるわよ』
ヴェストファールは機首を下げ、雲の下へと抜けていく。
海面近くまで降下して、そのまま低空飛行に切り替えた。
岩島を越して、進路は南東。
白波がすごい速さで後方へと流れていき、すぐに陸地が肉眼でも視認できるようになった。
「ケヴィン=ランソンより、モーパッサン提督へ。あと数分でペルスヴァル要塞に到着する、どうぞ」
腕に貼り付けたウェアラブル・デバイスで、ケヴィンさんが要塞にいる提督さんへと通信を始めた。
今回のローテアドへの旅は、提督さんたち海軍の人たちと事前に話し合ったうえでの、双方合意による密入国なのである。
『こっちも今、陸地に合図を送ったわ』
シルヴィも、軍港の方角にライトを数度点滅させる。
これも事前の打ち合わせで、陸に近づいた際には光を照射し、到着を教えることになっていた。
「あ、向こうも光りましたよ、シルヴィ様」
その陸地から、すぐに返事が返ってきた。
チカリチカリと、光の点が明滅している。
海岸線を見張る兵士が鏡か何かで、こちらに日光を反射させているのだ。
それを確認したケヴィンさんが、シートから立ち上がった。
「よし、このまま軍港内に入ってくれ。着陸場所は俺が誘導する。くれぐれも、軍の人間以外には見つからねえようにだぞ」
「ああ、わかってる。でも、今日は海に出てる民間人はいないんだろ?」
洋上には交易船や漁船はおろか、小型のボート1隻だって見当たらない。
ローテアド海軍は、俺たちの来訪日が決まった段階で、すぐさま国内にお触れを出したそうだ。
この日は重要な演習を行うため、民間船が海に出るのを一切禁止にする、と。
「提督が国の上層部を説得しきれてねえからな。根回しが済むまでは、お前さんらの入国をおおっぴらにはしたくねえってよ」
「まあ、そりゃそっか」
根回しが終わっていたとしても、俺たちの来訪は内密かつ非公式にせざるをえないだろう。
「それに、なにより――」
「なにより?」
「――ローテアド国内にも、帝国からスパイが潜り込んでるはずだからな」
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ウレフ半島西側の海岸。
南北位置では、中央よりも若干南。
そこにある広大な入り江の奥に、彼らローテアドの軍港は建造されていた。
北側の岬から伸びる細長い砂礫の地面が、海の上に、まるで鳥の嘴を描いたみたいな弓なりの砂の陸地を形成し、それが湾港の周りの海をぐるりと囲んで、穏やかな凪の入り江を成している。
更には、その嘴のような砂の陸地を真ん中からぶつ切りにしたかのような、大型船が入港できる幅広の水路までが見受けられる。
水路を進んだ向こうには、軍艦が停泊している軍港があって、少し離れたところにも、漁船など民間の船が繋留されている一般の港が造られていた。
「ずいぶん整った港湾だけど、もしかしてこれ、人工的な入り江なのか?」
「いいや、これでまさかの天然ものなんだぜ。もとから沿岸漂砂によって、砂嘴と砂地の小島が造成されていたんだ。そのふたつが入り江をつくり、偶然にも水路を形成していた。ここまでお誂え向きの地勢とあらば、港として使わない手はねえってこった」
ケヴィンさんの説明を聞いて、ファフリーヤが首を傾げて質問した。
「あの、『もとから』ということは、今は人の手も加わっているのでしょうか?」
西大陸の言語は、ネオンが通訳。
「ん? ああ、岬から連なる砂地は軍が定期的に整備してるぜ。というのも、半島の西側の海は一年を通して波が荒くてな。海岸線が侵食されやすく、入り江や港を守る防波堤が不可欠だってことで、砂嘴や小島に砂を盛って養浜……つまり、砂浜の補強工事を行ってるんだ」
この回答に、ファフリーヤは賛嘆の溜息を漏らして、興味深そうに入り江の様子を眺めていた。
入り江を形作る細長い砂嘴は、荒波から船や港を守ってくれる、まさに自然の産んだ防御壁というわけだ。
『軍事的な防衛面でも優れてるわね。敵船が水路を通って攻めてきたら、集中砲火を浴びせられるわ』
他方、ぶっそうな発想をしてるAIもいるけど。
「お、港に停泊してるのって、あの時の艦隊じゃないか」
軍港の中に繋留されていたのは、先日俺たちが一戦を交えた5隻の黒い軍艦だった。
3本マストの旗艦インゲボルグに、ひとまわり小さい4隻の僚艦が、整然と等間隔に居並んでいる。
その甲板上には大勢の人間がいて、何やら熱心に作業しているようだった。
中には、簡易足場やロープを使って、艦の舷側部に降下している人もいる。
「この間の傷を補修してるのかな?」
「いえ、あれは点検作業のようですね。大きな損傷は与えておりませんので、大規模な改修は不要のはずです」
確かに無事にローテアドに帰ってこれているあたり、ネオンの言うとおり、深刻なダメージを負っているわけじゃないんだろう。
戦闘の有無にかかわらず、帰港の際には艦の状態を必ず入念にチェックするのが、ローテアド海軍の流儀であるらしい。
大勢の兵士の命を乗せる艦、コンディションは常にベストにと、そういう気概が感じられる。
「よし、このまま湾に沿って前進してくれ。奥のペルスヴァル要塞で提督が出迎えてくれることになっている。着陸場所は、要塞手前に設けているそうだ」
テキパキと指示を出すケヴィンさん。
極秘任務の最後の仕上げとあって、かなり気を張っているようだ。
だが、そんなケヴィンさんの神経を逆撫でするとんでもない発言が、コックピット内に響こうとは。
『せっかくだし、要塞の上を遊覧飛行してみない?』




