10_07_密輸事業からうかがう敵国の軍事情勢
『どうやったのかは知らないけど、無事に荷物を運び出せたらしいじゃないか』
夜のうちに密輸物資を回収し終えていた俺たちのもとに、明朝になって、イザベラから通信が入ってきた。
『モルヒスで管理を任せてた部下から連絡があってね。郊外に隠しておいた木箱の山が、夜明け前には煙みたいに消えてたって言うからさ』
部下というのは、イザベラが雇っていた外国人の私兵のことである。
彼らは合図の篝火を消した後、すぐにその場を離れたそうなのだが、今回が初めての引き渡しということもあって、念のため、確認に戻らせていたそうだ。
もちろん、日が昇るより前に撤収させたとのことで、誰かに見られたりはしていないという。
「ああ、ちゃんと全部受け取ったよ。オリーブの特産地なだけあって、実もオイルもおいしいな」
回収した木箱の中には、事前に聞いていたオリーブオイルやハーブなどの他、オイル漬けにしたオリーブの実も入っていた。
ついさきほど、西大陸の民たちにも味見してもらったところ、どうやら彼らの口にも合ったようだった。
これなら、料理にオリーブオイルを用いるだけでなく、仕入れた食材をオイル漬けにして保存食にすることを考えてもいいかもしれない。
小魚のオイル漬けとか、けっこう好物なんだよな、俺。
『そりゃあどうも。でも、本当にリスクと釣り合ってるのかい? あれだけの物品のために、ターク平原からモルヒスまでやってくるなんてさ』
イザベラが老婆心で聞いてきたのを、ネオンがあっさりと否定する。
「リスクはほとんどありません。ご存知の通り、我々の移動はすべて空の上ですから」
「夜間の見張りもいなかったから、受け取り時も危険らしい危険はなかったよ」
俺もネオンに追従した。
敵地で油断は禁物だけど、実際、あの町の警備体制はそれほどのものじゃなかった。
というより、農業主体の田舎町に門と櫓を作っていることが、そもそもの話、やり過ぎなのである。
『ふうん。ま、日中の積荷のチェックも、さほど厳しくはなかったみたいだよ。出入りの際に兵士がリストをひと通り確認するんだけど、肝心の荷物はちらりと流し見ただけだったって、現場に行かせた連中が拍子抜けしてたくらいさ』
都市圏でもなきゃこんなもんだよ、とイザベラ。
俺も従軍学校時代に、それとなく聞いたことがある。
交通の便が悪く、娯楽もないような鄙びた地方の町では、派遣された兵士のモチベーションを保つのもひと苦労で、だから、軍側も日々の訓練や歩哨のほかは、警戒任務を必要最低限に絞っているらしいのだ。
深夜のモルヒスに不寝番の衛兵がいなかったのも、この方針によるのだろう。
無論、最低限とはいっても、外敵の潜入工作を易々と許してしまうほど生温い態勢ではないはずだけど、都市部よりも検査の意義が薄くなってしまう地方では、そのプロセス自体を簡易化して、実務にあたる兵士の不満を軽減させているのである。
『ま、常駐させられてる兵隊さんにはストレスの塊だろうけど、地方の町は商人にとっては動きやすいんだ。いくら軍部が人流物流の監視に注力しているとはいえ、地方に出入りする商人をあまりに締めつけ過ぎたら、国内の経済が回らなくなって富国強兵の障害になっちまうだろ』
「我々にとっても好都合と言えるでしょう。都市から離れた僻地の町であれば、毎回同じ方法で物資を回収できるということですから」
実際の話、敵国による潜入工作なんていうのは、本来だったら発展している都市部で行われるのが定石だ。
帝国の軍部もそれを承知で、大きな街に対しては、かなり厳格な警備体制、監視態勢を敷いている。
俺たちみたいに、地方の町の生産品を買い付けて横流しするなんてやり方は、リスクばかりでリターンの少ない、本当だったら愚策劣策。
それを得策に変えてしまっているのは、空から現れ空に消えるという、まさに神出鬼没を地で行く回収手法を実践しているからに他ならない。
「ところで、次回の仕入れの予定とかってもう決まってる?」
『準備が整い次第連絡を入れるよ。いくつか返事待ちの商談があるからね。もしリクエストがあれば――』
調子よく安請け合いをしそうになって、はっ、と言葉を停めたイザベラ。
『――いや、違う、えっと、あれだ。聞ける範囲で……そう、聞ける範囲で聞いておくよ』
焦って予防線を張ってきたが、しかし、この隙を見逃してくれるネオンじゃなかった。
「それは心強いですね。ちょうど、物資の仕入れと平行して、別の仕事を引き受けていただこうと思っていたところです」
『うぐっ……』
くぐもった後悔の声が、無線の向こうから漏れ聞こえた。
言葉として発してしまった以上、ただの社交辞令だったなんて言い訳は、ネオンに通じるはずもない。
「どこかの街で、小屋か倉庫を購入もしくは借り受けてください。帝国の領土の中央に位置する地域が望ましいですが、軍に怪しまれないことが最優先です。できますね?」
『……そんなのは、その小屋を何に使うかによりけりだよ。商会に軍に、色んな人間を誤魔化さなきゃならないんだ。内容次第で、リスクも準備も交渉も、全面的に変わってくる』
「おや、内容次第で拒否できるとでもお思いですか?」
例によって権柄尽くな態度をとるネオン。
いじわるとかじゃなくて、まずは圧力をかけることで、立場の違いをその都度認識させているんだろう。
でも、これだと話が進まないから、今回は俺が交渉の舵取りを奪い取る。
「小屋の中に、ある装置を隠しておくんだ。設置が終われば、その後は誰もいじらない」
『……装置だって?』
猜疑するような声で聞き返すイザベラ。
俺が割って入った不自然さより、「装置」という単語に不穏な響きを感じ取り、思慮を巡らせているってところだろう。
「動きまわったりはしないし、音や光も出したりしない。決して攻撃用の兵器とかでもないから、危険はないよ」
追加で情報を開示すると、少しの間を置いてから、イザベラが問い返してきた。
『大きさと形は?』
「人の頭より少し大きいくらいの球体」
『隠すってのは、人目につくのもアウトってことかい?』
「見られるくらいなら問題ない。でも、壊されたり、軍に回収されたりするのはよろしくないから、何らかのカモフラージュはしたほうがいいかな」
『一度設置した後で、場所を動かすのは?』
「移動は可。帝国領の中央地域に収まってさえいればいい」
ここまでを教えたところで、イザベラから「ふうん」と意味ありげな相槌があった。
『それだったら、小屋を買うよりずっといい手があるよ』
「え? どんな?」
『その装置を、大きな金彫刻の中に埋め込んで、芸術品だって言って貴族に売っちまうのさ。あんたらの技術力ならお手のもんだろ』
ポカンと言葉を失う俺。
目からウロコの発想である。
『貴族様のために職人に特大サイズで作らせました……とでも言っておけば、向こうもいい気になって買ってくれる。前に話したウィリンガー伯爵あたりだったら、喜んで屋敷に飾ってくれると思うよ』
バーンメル地方の領主、ウィリンガー伯爵。
金彫刻の買い手第一号である伯爵なら、イザベラも話を持って行きやすいだろう。
「ネオン、どう思う?」
「人選は悪くありません。城塞都市アケドアから帝都クリスタルパレスに向かう途中のバーンメルなら、中継地点として最適な場所のひとつと言えるでしょう」
設置エリアとしても適当であると、ネオンがお墨付きを与える。
『ひとまず、話はまとまったってことで良さそうだね』
無茶な要求を回避でき、一安心しているイザベラ。
商会の娘だけあって、狡いことを考えさせたら、なかなかのものだ。
『とは言っても、売りに行くにはもう少し時間を置いたほうがいい。なにせ先方の要望は〝新作の彫刻作品〟だったんだからね。作り置きを持ってきましたなんて申し上げようものなら、途端に臍を曲げちまうのが貴族って生き物だよ』




