10_03_空中物資回収任務 上
墨を流したように黒い空、星明かりの少ない静かな夜。
輸送機ヴェストファールは、その静謐な夜気に紛れるように、薄くまばらに張った雲の上を飛行していた。
目的地は、帝国の高原地帯に位置する町、モルヒスだ。
コックピットには、前の座席にネオンとファフリーヤが、後ろの座席にケヴィンさんとアンリエッタが腰掛けている。
俺はといえば、窓際に立って夜景と立体映像の地図とを見比べながら、モニター類の見方や操作を覚えていた。
遥か下の地面はほとんど真っ暗闇だけど、ところどころで小さな光点が明滅していて、それが町や村の所在地と一致している。
『そっちの図が高低差の立体表示、その隣が熱分布図表示。他にも地面の地質とか温度とか水分含有量とか、基本的な戦略情報が見れるわよ』
シルヴィの機能説明に則って、画面を色々操作していく。
基本と言いながら、あまりに情報量が膨大だ。
これを一瞬で全部分析して戦略戦術に組み込むというんだから、AIって本当にとんでもない存在なんだなあ。
『これでも表示データは少なめなのよ。カメラアイやレーダーで新規取得したものしか載せてないから。本当だったら、もともと取得してるデータベースとリンクさせて使うんだけど、この辺りの地理データは数百年前の古いものしかなくって』
「お、ホントだ。灌漑工事で作られた水路なんかはマップに表示されてないな」
眼下の風景との違いを発見。
他にも、新しくできた街道や、過去に氾濫したであろう河川など、実際の地形と違っている箇所がいくつか。
俺も帝国内の地理はおおよそ頭に入っているから、古い地図データからの変化がわかって結構興味深い。
「お前さん、よく平気で下を覗き込めるな……」
と、後ろから、消え入りそうに元気のない声が。
いつになく消沈しているケヴィンさんが、鍛えぬかれた大きな身体を座席に小さく縮こまらせてこっちを見ていた。
「えっと、大丈夫? 気分とか」
「……正直、良くはねえ」
ケヴィンさんにとっては、実質、これが初めてのフライトだ。
前にヴェストファールに乗せた時は、戦闘直後で気を失ってたから、空中を飛んで運ばれていた自覚は一切ないのである。
「空に上ってから、ずっと脈拍が早くなったままだ。戦地とはまた違った緊張感で手指の動きもどこか鈍い。動作も判断も、いつも通りとはいきそうにねえな、こりゃあ」
恐怖に呑まれていながらも、冷静に自己分析できているあたり、やはり熟達な軍人さんには目を瞠るものがある。
「俺だって最初はビビリ倒してたよ。というか、初めて乗って怖がらないほうが少数派。1回目から空の旅を満喫できる人間なんて、今のところ、ひとりしか知らない」
「いるのかよ、そんな奴?」
懐疑的な顔をするケヴィンさんに、俺は目線で、前の座席に座っているファフリーヤを示した。
「この嬢ちゃん、マジか……」
「ケヴィン、言葉を謹んで。王族であるファフリーヤ様が、たかだか空に浮かんだくらいで取り乱したりするはずがないわ」
引き気味に驚くケヴィンさんに、その隣に座るアンリエッタから注意が入った。
西大陸の民たち全員に言えることだけど、彼女らの王族への尊崇の念は、もはや信仰と呼べる域に達している。
ちなみに、アンリエッタもヴェストファールに乗るのはまだ2回目だけど、ケヴィンさんとは違い、ずいぶんと落ち着き払っていた。
「ファフリーヤ様の御前で、無様は二度も晒せません」
尊崇からくる強い気勢が、恐怖心をも打ち負かしてしまったらしい。
なお、そのファフリーヤは今回もオペレーターとして、ネオンに指導を受けながら、今回の任務の進行を任されている。
「ヴェストファール、モルヒス上空に到着しました。定刻まであと8分。現在の高度で滞空飛行しながら、地上の様子を監視します」
ヴェストファールが空中で静止すると、ケヴィンさんが、おそるおそるといった感じで席から立ち上がり、窓から下の様子を眺めた。
「灯りはほとんど点いてねえな」
「農業の町だからね。生活のリズムが陽の動きと一緒なんだよ」
農業が主産業である町や村では、人の営みは陽光とともにある。
ここで暮らす住人にとっては、日の出が1日の始まりで、日中は畑仕事に精を出す時間。
そして、日没は仕事終わりの号令であり、同時に、就寝の準備開始の合図なのである。
「こんな夜更けともなれば、明日の野良作業に備えてぐっすり眠ってる」
「住人はそうだろうが、各町には軍の兵士が派遣されてるんだろ。交代で不寝番とかしてねえのか?」
俺が答えるより先に、手際の良いファフリーヤがリアルタイム映像を用意していた。
「偵察ドローンからの暗視映像です。町の入口に大きな木製の潜り門が確認できます」
新規画面が立ち上がり、モルヒスの町の俯瞰風景が映写された。
緩い傾斜の坂道から続く町の入口に、3メートルほどの高さの木の壁と、くり抜いたような潜り門が造られている。
少し奥には物見櫓も聳えていて、もちろんこれらは帝国軍が設置したものだ。
しかし、門の両横に備わった燭台には火が灯されておらず、門扉は堅く閉ざされていて、衛兵も誰ひとりとして立っていなかった。
『見張りの兵士はいないわね。軍事的に重要な町とは考えにくいし、昼間出入りする人と物の管理だけできればいいんじゃない?』
「だがな、逆に言えば、夜中は町の外に出れねえってことだ。これでどうやって物資を運び出す?」
「搬出はもう完了していると連絡を受けています。日暮れ前に荷物を外に運び終え、定刻まで付近で待機させているとのこと」
ネオンには、イザベラから進捗状況の報告が逐一入っていたそうである。
「待機って、私兵として雇ってた人たちが?」
「そのようです。少し前に、金鉱跡地で拘束していた者のうち、従順な20名ほどをヴェストファールで山向こうに送っておきました。イザベラが通信機を使って、上手く指揮しているようです」
ネオンの言う「少し前」とは、ケヴィンさんたち偵察部隊と一戦交えて、そこからローテアド海軍を制圧するために艦隊の到着を待っていたときの、あの期間だ。
「跡地ってことは、もうあそこの金は採り終えたんだ?」
『とっくよ。溶鉱炉なんかも別の金脈に移設したから、あの盆地には牢屋がわりの建物しか残ってないわ。まだ反抗的な態度を示してる奴らを詰め込んでるけど、所詮は金で動くような連中だから、もう少し閉じ込めておいたら気も変わるでしょ』
少し物騒なことを言っているシルヴィ。
「帝国国内で動かせる駒は、多いに越したことがありません。自発的に忠実な駒になってくれるのが一番なのですが、駄目なようなら、色々と脅しをかけて言うことを聞いていただくしかありませんね」
……少しどころじゃない気がしてきた。
ふたりの目的上、無闇矢鱈に旧人類を殺したり傷つけたりはしないだろうけど、その分精神的なダメージを与えていそうだ。
たしか、ケヴィンさんの部隊のアグリッパさん、だったっけ?
あの人も、脳波干渉試験の餌食になって、色んな秘密を暴露されてたし。
「定刻です。地表から合図がありました。モルヒスから3.7キロメートル南下した地点に篝火が灯されています」
ファフリーヤがモニター画面を確認しながら報告する。
それを受けて、座席から立ち上がったアンリエッタが窓を覗いて、暗い地面を凝視した。
「肉眼でも確認できます。ファフリーヤ様のおっしゃった通り、篝火が5つ、等間隔、一直線に並んでいます」
この子、こんな高い場所からよく見えるな。
俺も視力は決して悪くないけど、光点がぼんやりと認識できるだけで、間隔や配置なんてまるでわからない。
「事前に取り決めた合図ですね。1列に並べた灯火は『無事に物資確保、受け取りに来られたし』の意味です。何も異常がなければ、30秒だけ火を灯してから消すことになっています」
このネオンの説明を聞き終えた10数秒後に、地表の光点は一斉に消失した。
「では、ファフリーヤ。オペレートを開始してください」
「はい、ネオン様」
これからが任務本番だ。
ファフリーヤの面差しにも、わずかに緊張の色が浮かんでいる。
それを振り払うよに、ファフリーヤは一度目を閉じて、小さく深呼吸してから、再びゆっくり眼を開いた。
「ヴェストファールは合図のあった地点の直上に移動してください。静止した後、高空からアミュレット・Fタイプ、ならびに、回収装置【デプスフロート】を投下。迅速に物資の確保に移ります」




