2_03_力の一端
「じゃあさ、そんな中途半端な俺のことを、どうしてネオンは助けたんだよ?」
少しヤサグレ気味になった俺は、相変わらず無表情のネオンに尋ねた。
「先程も申し上げましたとおり、私の任務は、旧人類によらない国家の樹立。そのためには、ナノマシンに適応した人間の協力が必要不可欠です」
彼女はやはり、抑揚のない声で答えを紡いでいく。
「生体ナノマシンは、かつて滅んだ新人類のテクノロジーを扱うためのプロテクト・キーなのです。管制AIの擬似人格である私には、各地で眠っている基地設備を再起動することができないのです」
滅んだ新人類?
各地で眠る基地?
「今、この世界に君臨する旧人類は、私を造った新人類の文明が滅びたあとに、人工的に植え付けられた存在なのです」
難解な彼女の話には、しかし、ひとつの意志が感じられた。
「ですが、文明は滅んでも、かつての人類が絶滅したわけではありません。一部はコールド・スリープ装置によって、今なお目覚めの時を待ち続けているのです」
「生き残りがいて、ネオンが国を作るのを待っているって、そういうことか」
復興の意志。
滅んでしまった祖国の再建。
しかし、俺にはそれが実現可能な計画だとは思えなかった。
「でも、新しい国家の設立なんて、他の国が、特にラクドレリス帝国が許すかどうか……」
「許して頂く必要はございません。私の任務は、旧人類の国家を討ち滅ぼすことでもあるのですから」
熱の篭もらない静かな声が、俺の背筋を凍てつかせた。
「今ある国を、なくしてしまおうっていうのか!?」
「その通りです」
「まさか、そのナノマシンとかいう毒をばらまくつもりじゃ……?」
帝国の兵士をして『秘密兵器』とまで言わしめた猛毒。
あれを各国に散布されたら、戦わずして国を殲滅することだってできるかもしれない。
「いいえ」
だがしかし、ネオンはそれを否定する。
「私が滅ぼす対象は、あくまで国家という入れ物だけ。中身の旧人類は、いずれ新人類へと進化、いえ、昇華させる予定です」
「国民は殺さず、王族や皇族だけを打ち倒すっていうことか?」
「その問いに対する回答は、敵性国家の降伏条件によって変わります。すなわち、どこまでの打撃が必要か。場合によっては軍隊を壊滅させる必要がありますし、示威行為だけで事足りる可能性もありえます」
「それほどの軍事力を、国家相手に示せるっていうのか?」
「はい。そのための、あなたなのです」
ネオンは、空中に新たな絵画の平面図を投影した。
その絵には、俺が見たこともない金属製の彫刻らしきものがずらりと並んでいる。
人型だったり、箱型だったり、あるいは複雑怪奇な形状だったり……そんな不可思議な、そして、数えることすら困難な大量の彫刻群。
これらが、まさか、すべて兵器だっていうのか?
「この第17セカンダリ・ベースには、現在の旧人類の文明レベルとは比較にならないほどの戦力が格納されています。ですが、その戦力の起動は管制AIにはできません。軍事力の行使には、ナノマシンを体内に取り込んだ司令官による承認プロセスが求められるのです」
今度のは、何を言っているかが明確に伝わってきた。
彼女は、俺に、俺に……
「帝国を……生まれた国を裏切れっていうのか?」
「その帝国に、あなたが裏切られたのでしょう?」
心臓が、止められたかと思った。
「私は初めにお聞きました。『憎しみを晴らしたいですか』と。これは、あなたにとっても有益な提案であるはずです」
否応なしに思い返される。
教官の理不尽な罵声。
兵士たちから受けた暴力。
仲間だと思っていた学校の同期たちの、汚れたものを見るような蔑みの目。
「帝国の民を虐殺しろとは申しません。過程で戦闘は避けられないでしょうが、戦う相手は、あくまで軍隊です」
軍隊、つまり――
「あなたを容赦なく切り捨てた、ラクドレリス帝国の軍隊です」
「復讐しろって、そう言うのか?」
ネオンは、静かにゆっくり頷いた。
「それを可能にする軍事力を私は有し、その軍事力を開放する権能を、あなたは有しています」
俺はゴクリと生唾を呑み込んでいた。
彼女は俺に、取引を持ちかけているのだ。
成立すれば、俺は、祖国を滅ぼす片棒をかつぐことになる。
「あなたは憎しみを存分に晴らし、私は任務を果たす。お互いに利益があるとは思いませんか?」
耳を貸すな。
これは悪魔の取引だ。
わかっているのに、でも、考えれば考えるほど、俺の胸には黒い澱のようなものが溜まっていく。
生まれた国に、尽くそうと思っていた国に、俺は理不尽に殺されかけたじゃないか!
「……帝国の軍は、かなりの兵士を保有している。勝算があるのか?」
感情のないネオンの顔に、笑みが浮かんだような気がした。
「愚問です。頭数だけ揃えていようと、彼我の文明レベルには天地の開きがございます」
彼女は、空中に浮かぶ図形をまた切り替えた。
絵画のような映像が、今度は視界いっぱいに拡大される。
そして、その絵は動いていた。
「覆せないほどの戦力差、その一端をお見せしましょう」
「あれは……」
深い密林の中を、1台の軍用馬車が、すごいスピードで疾走している。
「あの馬車は、帝国軍の……俺の身柄をここに運んだ馬車じゃないか!」
間違いない。
馭者席には、あの二人組の兵士が乗っている。
二人は死に物狂いの形相になって、木々が無尽に茂る悪路の中、馬車を凄い速さで駆けさせていた。
当然、荷台はガタガタ荒く揺れ、車輪も何度も跳ね上がる。
強靭な軍用馬と軍用車両とはいえ、こんな乱暴に走らせていたんじゃ、どっちも保たない。
それでも彼らが必死に馬に鞭打っているのは、何かに追われて逃げているからだ。
その「何か」の姿が、俺の目にも映り込んだ。
「なんだ、あの、鉄の怪物は……?」
馬車の後ろで、大木が空に跳ねていた。
巨大な金属の箱の怪物が、木々を次々薙ぎ倒して、逃げる馬車へと迫っているのだ。
「怪物ではありません。あれは戦車、歴とした軍事兵器です」
戦車と呼ばれた重厚な軍事兵器は、密生する木々をものともせず、まっすぐ目標に向かって直進していく。
大木が折れ倒れ、太い枝葉が、まるで羽毛のように宙を舞っていった。
「な、なんて破壊力……」
パワーも質量も、帝国の軍事馬車とは比べようもない。
恐るべきは、それでいて走行速度が、馬車を軽々と凌いでいることだ。
軍用馬を全力疾走させる軍事馬車に、戦車はぐんぐんと迫っていき、威圧的に距離を縮めていく。
これがネオンの言う、戦力の一端……?
「この映像は、監視用ドローンによるリアルタイム送信――つまり、1秒の誤差もなく、現地で起こっていることです」
「あの鉄の兵器で、今実際に帝国の馬車を襲撃しているってことなんだな?」
「はい。そして、あれは厳密には鉄ではありません。合金以外にも特殊な素材を使用した自律機動兵器です」
背筋にゾクリと戦慄が走った。
あの怪物が、この基地の、ネオンの所有する軍事力――
「超高機動装甲戦闘車両、【ゴルゴーン】です」
愕然としている俺に、ネオンは怪物の名を告げた。
ゴルゴーンは、道無き道を切り開いて、敵兵をじわりじわりと追い詰めていく。
逃げる兵士も、マスケット銃を携え反撃を試みた。
しかし、直撃したはずの銃弾は、ゴルゴーンにかすり傷ひとつ付けられない。
力の差は、まさに歴然だった。
「ゴルゴーンには複数の兵装が搭載されているのですが、使用するまでもありませんね」
淡然と冷酷な事実を口にするネオン。
彼女の瞳が、赤く輝いた。
「もう結構です。潰してしまいなさい」
命令を受け、画面の中のゴルゴーンは、急激に速度を上げていく。
あっというまに馬車に追いつき、激しく衝突。
そのまま鉄の荷台に乗り上げて、踏み潰し、粉砕する。
一方的な蹂躙だった。
「す、げえ……」
踏みつける直前、動く絵の映像は、ふたりの兵士の顔を捉えていた。
為す術もなく地面に倒れた彼らの顔は、恐怖によってひきつっていた。
なにか叫んでいるらしかったが、それを確認する前に、巨大な戦車が彼らの体を馬車ごと粉砕。
その残虐なはずの光景を、俺は、食い入るように見つめていた。