9_06_戦時下のための国民教育
と、いうことで俺たちは、今度こそ通信兵器を回収するべく、再び西海岸に埋まっているサテライト・ベースに向かうことにした。
前回同様、探索用のアミュレット兵やドローンを動員して、格納庫に眠る兵器の運び出しを行うほか、内部の損傷状態なども確認する。
ただ、今回もファフリーヤを連れて行こうとしたところ、元々は西大陸の民だったアンリエッタが怒りだした。
「いかに命を救った恩人であろうとも、ファフリーヤ様を労働に従事させるなど――」
これは個人の感情というだけじゃなく、西大陸の民たち全員の心を代弁していたのかもしれない。
他に行き場がなく、ましてや俺を現人神と畏怖している民たちには、思っていても決して口にできない義憤の声であったことだろう。
しかし。
『何言ってるのよ。この子の天賦の才を開花させないなんて、新国家どころか人類にとっての損失よ』
「彼女の才覚は、まさに秀抜の一言です。未知なる概念に順応する器量は神童と呼ぶに相応しく、我が軍、我が国家の将来を嘱望するに相応しい。人の上に立つ存在として、生まれるべくして王族に生まれたと言っても過言ではありません」
「……え? あ、はい、その通りだと、思い……ます」
こんな具合に、彼女はあっさりAIたちに言い包められていた。
まあ、そもそも当人であるファフリーヤが、「またお父様と一緒にお出かけできるのですね!」と乗り気になっていた時点 で、誰にも止められはしなかったのだろうけど。
「そういう訳で、少しのあいだ町を留守にするから、スパイ活動でもなんでも好きにしててくれ」
出発前に、ケヴィンさんにも一応声を掛けておく。
「俺らを見張ってなくていいのかよ。任務を情報収集から破壊工作に切り替えるかもしれねえぜ?」
「警備のアミュレットは町の中に常時配置していますし、あなた方は母国に情報をもたらすためにここにいるのです。破壊活動などもっての他でしょう」
「なによりさ、アンリエッタの居場所を奪ったりはしないだろ」
例によって挑発的なことを言ってきたけど、ネオンと俺のツッコミを浴びて、「けっ、言ってろ」と首をすくめて押し黙った。
ちょうどそこに、シルヴィが遣わしたゴルゴーン戦車が現れた。
『準備はできてるわね。さっさと乗り込んじゃって』
俺たちがコックピットに乗り込むと、戦車は低く唸りを上げて、町の外へと走りだした。
***
ケヴィン=ランソンは、ゴルゴーンで出発していくベイルたちを遠目で見送っていた。
彼らは町から少し離れた場所で、輸送機ヴェストファールに乗り換えるらしい。
町に直接着陸させないのは、民たちを怖がらせない配慮であるようだ。
キャタピラーの巻き上げる土埃を眺めながら、ケヴィンの口はこんな呟きを漏らしていた。
「ったく、厄介なコンビだぜ。駆け引きで剛柔合わせてきやがって」
***
「大きなお船ですね。お父様は、こんな大艦隊と戦われたのですか?」
「うん。俺っていうか、シルヴィが、だけどね」
飛行中のヴェストファールのコックピット。
西海岸の岸壁の中に埋まっているサテライト・ベースを目指しながら、俺たちは、ローテアド海軍との戦闘記録映像を眺めていた。
これは、開戦前にネオンがちらりと言っていた、戦場の様子をファフリーヤ向けに低刺激に編集したものだ。
飛翔ドローンによる数々の空撮映像から、砲弾を投射しているゴルゴーン視点の映像まで、戦場をさまざまな角度からわかりやすく切り抜いて、それでいながら音や光を抑えて恐怖を和らげた仕様になっている。
「す、凄いです。海の上で、こんなに煙が上がっています……」
もっとも、それでもファフリーヤの腰を引かせるには充分な効果があったようである。
大砲の弾を爆破迎撃している様子が、ゴルゴーン視点で大きく映しだされると、彼女は「きゃっ!?」と小さく悲鳴をあげて、座席の背凭れに背中をのめり込ませていた。
『この後はもっと凄いわよ。ゴルゴーン部隊が攻撃に転じて、敵艦隊を蹂躙するの。ただ、艦体への直撃は避けてたから、被害はそんなでもないんだけど』
映像が、戦闘海域全体を鳥瞰したものに切り替わった。
空高くに飛ばしていたドローンが撮っていたのだろう。
鳥と同じ視点から、高く上がった水飛沫と、荒波に翻弄される5隻の軍艦の様子だけが見て取れる。
あまりに離れているせいで、甲板上のローテアド海兵たちの悲鳴や表情は、一瞬だって映らない。
実際の戦場を教え込んでいるはずなのに、そこで戦っている人間の恐怖や激昂といった生々しい感情には、敢えて触れさせないのである。
「ゴルゴーンの砲撃は、一定の間隔でなければいけないのですか?」
『いい着眼点ね』
ファフリーヤの気づきを、すぐさまに褒めるシルヴィ。
『砲身っていうのは、砲弾を発射するたびに熱が蓄積していくものなの。だから、考えなしに撃ち続けてると、あっという間に高温になって――』
もちろん聡明なファフリーヤなら、戦っている兵士の気持ちや痛みについて、自分のことのように想像できるだろう。
巧みな編集技術だけでなく、この戦いでは誰も死ななかったという事前情報があるからこそ、彼女は映像を、純粋に戦術戦略の教材として見れているのだ。
『ただし、この時のインターバルは放熱目的じゃなくて、敵艦の損耗を防ぐために多めにとってたの。あれより短い間隔で砲撃してたら、直撃させてないのに船がバラバラになっちゃってたから』
でも、想像はあくまで想像。
人間は、自分が体験していないことは、どうやったって現実感が希薄になる。
そして、この場合におけるリアリティの欠如は、デメリットではなく、逆にメリットとなりうるものなのだ。
ファフリーヤに期待している役割が、戦場から遠く離れた場所からの戦況オペレートであるならば。
(無人の兵器群による遠隔戦闘……それはつまり、戦争の凄絶さ、残酷さを、軍を指揮する人間でさえ肌で体験してないってことだ。それを知らなければ、葛藤したり、良心の呵責に遮られたりすることなく、究極的には一切の抵抗なくして敵の殺戮を命じられる指揮官が完成する)
敵への情が削ぎ落とされた軍隊は、ある意味では理想と呼べる戦闘組織だろう。
でもそれは、人間性の否定なくしては成り立たない。
人は感情の生き物であり、同族を殺すことには本来は抵抗感を覚えるようにできている。
だから、好戦的な国家では、自国民以外は劣等民族だという差別思想を、あるいは他国民への憎悪や嫌厭の感情造成を、愛国教育として盛り込んでいたりするのである。
(もっともネオンたちも、そこまで極端な教育を施すつもりはないはずだ)
ネオンたちの文明の新人類と、今の文明の旧人類。
両者の関係は、単純な対立軸には収まらない。
彼女らにとって旧人類とは、いずれ新人類へと進化(ネオンの言葉を借りれば「昇華」)させるべき存在であり、根絶やしになんてする気はない。
味方への極端な差別思想の植え付けは、戦後政策に影響を及ぼしかねず、したがって、新国家の教育方針として採用されることはない。
(ただ、そういう教育をしないことの負の側面が、戦前戦中に顕現しないとも限らない)
すなわち、敵への同情や、殺すことへの拒否感による戦意の喪失、消極的な利敵行動。
戦場で敵を殺せず見逃せば、その敵が味方を、部隊を、友や家族を殺してしまう。
相手はそういう教育を、生まれた時から受けているのだから。
(今は、司令官がネオンの言いなりみたいなものだから、万事がうまく回ってる)
ネオンだって、今のところは俺が承服しないであろう作戦を、本気で提案したことはない。
前に、捕虜だったケヴィンさんたちの処遇で揉めたことはあったけど、あれは脅しのための演技という意味合いが強かったはずだ……たぶん。
(でも、もしも、本当にもしもの話だけど……)
ネオンやシルヴィが打ち立てた重要な方針に、俺が逆らうようなことがあったなら。
彼女らが求めた作戦内容を、俺が承認しない事態が起きてしまったなら。
その時は、ネオンは俺を、そして、ファフリーヤに――
「ご心配なさらずとも、そのようなことにはなりませんよ」
暗鬱な思索の深みにはまりつつあった俺を、凛とした声が拾い上げた。
「司令官の有する権能は、本来、管制AIの権限などより遥かに強力です。また、AIには人間の思考を誘導したり、ましてや反抗して危害を加えようとすることは認められておりません。攻撃対象として設定できるのは、あくまで敵性を有する者だけです」
「……やっぱり、脳波とかバイタルとかで、ネオンにはわかっちゃうか」
「いえ、それ以前に、しっかり顔に出ていました」
似合わない小難しい顔をしていましたよ、とネオン。
ううむ。
俺って、そんなにわかりやすい人間なのだろうか。
「あなたは、もっとご自分の人間性に自信を持たれるべきです。もちろん、あなたを司令官に選んだのは、ナノマシンに順応できたという事実が大きく、また、無自覚ながらに復讐心を抱いていたため、協力を取り付けやすかったという側面があったことも否定いたしません」
ネオンは俺をじっと見つめて、言の葉を紡いでいく。
「ですが、我々を完全に支配下における権能を託すからには……ましてや、新人類の命運を託すからには、表面的な情報だけを選定の根拠とは絶対にいたしません」
もとより、彼女が嘘を吐いているとは思っていない。
脳波とやらで俺の過去を調べた上での取引だったのは、最初からわかっていたことだ。
「あなたは間違いなく、我々の司令官に相応しい人材です。今は流されていようとも、いずれは我々の全てを理解し舵取りできる、正しい思考と道徳心を持った人間です。そして、そのあなたがファフリーヤの純粋さにつけこむような卑劣な真似を望まない以上、私も、その方針を尊重いたします」
「……そっか。うん、敵わないな、ネオンには」
訂正。
やっぱり俺は、実にわかりやすい人間であるようだ。
ネオンらしい理詰めの諭し方に、さっきまで険しかった俺の顔は、自然と綻んでいたのだから。
「司令官、私の話を理解していましたか。権能の力関係からいって、私があなたに敵わないのです」
戒めるように言うネオンの顔にも、柔らかな微笑みが浮かんでいる。
「お父様、ネオン様、どうかなさったのですか?」
そんな俺たちの会話が不穏に聞こえてしまったのだろう。
心配そうな目をしたファフリーヤが、おずおずと聞いてきた。
「いいえ、ファフリーヤ。あなたのお父様は、とても優しい人だということです」
穏やかな声で語りかけるネオン。
俺も、不安がらせてしまったことのお詫びに、頭を何度か撫でてあげる。
ファフリーヤはくすぐったそうな顔になり、「えへへ」と幸せそうに笑った。
『じゃれ合ってるとこ悪いけど、あと3分ほどでサテライト・ベースに着くわよ』
シルヴィからの報告に、俺たちは着陸に備えて、座席に深く腰掛けた。




