9_05_他国潜入の下準備 下
「……という手法で、彼らは純金製の彫刻を帝国内に流し、帝国貴族の財力を奪っているとのことです」
『ほう、すでに経済的打撃を与えておるのか?』
自分の腕に向かって話しているケヴィンさん。
独り言ではなく、以前渡した皮膚貼付型デバイスを使用しているのである。
「いえ、まだ打撃というほどではない様子。ですが、芸術品と称して売り捌き、必要物資を購入するために極秘の内通者を確保しているのは間違いありません」
話している相手は、旗艦インゲボルグで航行中のモーパッサン提督だ。
昨日渡した通信機が、さっそく役に立っている。
『そのパイプとやらで、ローテアドにも便宜を図ると、向こうから申し出てきたのだな?』
「ええ。帝国軍による貿易船襲撃に関しても、戦略的見地から手を打ってくれると言っています」
『そのどちらもが、やはり温情的なものではないと?』
「あくまで彼らの都合であると明言しています。どのような狙いがあるかは、目下探っているところです」
『ならば、引き続き調査を進めよ。当艦隊は明日にはビットレン岩礁海域に突入、8日後には国に帰投できる見込みだ。儂らがペルスヴァル要塞に着港するまでに、なんとしてでも有益な情報を掴みとってくれ。以上だ』
・
・
・
「……ったく、何が『掴みとってくれ』だ。全部丸聞こえだってわかってんだろうな、あんの狸爺め」
通信の終わりとほとんど同時に、悪態をつき始めるケヴィンさん。
無茶な任務を振られた腹いせとばかり、彼は事あるごとに提督をこき下ろしている。
「まあまあ。そういう自分だって、俺たちに聞かれると知ってて無線通信をしてる訳じゃん」
彼らの通話内容は、俺のヘッドセットでしっかり確認できる。
これは別に盗み聞きしているのではなく、単に通信がオープンなだけだとネオンが言っていた。
何が違うのかは、俺にはよくわからないけど。
「うっせえ。他に連絡手段がねえんだ。航海中の軍艦にいる人間と直接会話できるなんてトンデモ技術、盗聴を承知で使うしかねえだろうが」
まあ、そうだよね。
ケヴィンさんたちにとっては状況のすべてが火急で、情報は迅速に本隊に伝えなきゃならない訳だし。
「それよりさ、さっき提督さんが『ビットレン岩礁海域に突入』なんて言ってたけど、ローテアドの軍艦はあんなところを航行してるの?」
ビットレン岩礁海域。
帝国国土の最北端、カンタールの港から更に北に数百キロメートルの沖合に広がる岩礁域のことだ。
いくつもの岩々が、海底からせり上がるように生えていて、その数は、海面に顔を出しているものだけでも数百に及ぶと言われている。
岩のサイズは大小様々。
潮の満ち引きによっては海に沈んでしまう小ぶりなものから、岩と呼ぶには大きすぎる小島程度のものまで、あの辺り一帯に、まるでばら撒いたかのように散在している。
だから、岩礁海域と呼ばれているけれど、多くの島嶼が密集している多島海と言っても差し支えがないかもしれない。
そんな複雑な地形の海だから、岩と岩の隙間を縫って進もうにも、狭くなったり、いきなり海底が浅くなる場所があったりと、迷路みたいに入り組んでいる。
船なんてとても通れやしない場所だと、俺は従軍予備学校の講義で習っていた。
「ところがな、実はあそこには大型艦がギリギリ通れる水路があるんだ。ルートを間違えたら一巻の終わりだが、上手く使えば、帝国海軍に追われることなく西海岸とローテアドを往復できるって寸法よ」
「追われないってことは、やっぱり帝国はその水路のことを知らないのか」
正直、これは意外だった。
軍の学校に所属していたからかもしれないけど、帝国軍は、自国周辺の地理を緻密に調べているイメージが強かった。
「存在くらいは把握してると思うぜ。ただ、奴らの操船技術じゃ水路を通り抜けるのは至難だろうな。むしろ、そっちの事実が機密事項扱いになってるんじゃねえか?」
ああ、そういうことか。
水路の情報を明かせば、付随して自国海軍の技術的限界、つまり弱点を公言してしまうことにもなってしまう。
絶対に他の国に知られてはならないし、国内でだって情報統制が必要だ。
「ひょっとして、従軍学校の教官たちも知らなかったのかな」
「十中八九そうだろ。軍事絡みの機密情報なんざ、知ってるのはごく小数の上位階級者だけのはずだ。仮に水路で航行試験をしてたとしても、関わった人間には厳重な箝口令を敷いてるだろうよ」
「そう考えると、他国への諜報活動って大変なんだな」
「ああ、そりゃもう大変な任務だぜ。だから、単刀直入に探らせてもらおうか」
突如として、ケヴィンさんは雰囲気をがらりと変えた。
わずか数秒前まで飄々と話していたのに、今はもう、獲物を狙う猛禽類の如しだ。
鷹の目のように鋭い眼光が、俺ではなく、ネオンに向けて放たれた。
「密輸物資の件、何故、昨日の会談中に言わなかった?」
「こちらが便宜を図る義理がありません。どうしても帝国と戦争がしたいというなら、力ずくで押さえつけるまで」
「ならば、どうして今日になって便宜を図るつもりになった?」
「もともと、戦闘から時間を置いて提案する予定でした。この理由があれば、我々を入国させることやむ無しと、判断せざるを得ないでしょうから」
「……トラブルなしでローテアドに入国するための裏工作ってことか。だが、何のために?」
「それこそ、お答えする義理がありません」
射抜くような目を静かに受け流し、ネオンは最低限の情報、俺たちがローテアド国内に入りたがっているという事実だけを提供した。
「まあ、そこはほら、時期が来たら説明するっていうことで」
鷹の目が、今度はじろりと俺に向く。
「安心してよ。別に、侵略や虐殺なんて、毛ほども考えたりしてないからさ」
事実、そんなことをするつもりは毛頭ない。
俺たちの目的はただひとつ。
ローテアド王国の領地内に存在する、スリープ中のセカンダリ・ベースの確保だ。
ネオンの話では、当該セカンダリ・ベースは軍港型で、俺たちの第17セカンダリ・ベースにはない海洋戦力を多数保有しているという。
「けっ、そこだけは信用してやらあ」
視線が外された。
ひとまず、今回はこれで諦めてくれたらしい。
「だが、王族や貴族の懐柔や根回しには、モーパッサン提督をしても、それなりに時間がかかるだろうぜ」
「構いません、こちらも他にやることがありますから」
「あれ? やることって?」
密輸物資の受け取りはイザベラ待ちだし、貿易船襲撃対策も艦隊がローテアドに帰投した後じゃないとできない。
はて、そうなると残るは何があったっけ。
聞き返した俺に、ネオンではなくケヴィンさんが「おいおい」と呆れたような目を向けていた。
「お前さん、本っ当に司令官なんだよな?」
「恥ずかしながら、自他共に認める飾り物です」
「お忘れですか。サテライト・ベースの通信兵器の確保ですよ」
「あ、そっか。そんなのあったな」
ケヴィンさんたちの部隊に遭遇してから、すっかり先送りになってたサテライト・ベース探索の件だ。
「サテライト・ベース内に眠る、無線通信の中継装置。イザベラやその私兵、更にはローテアド王国にも通信機を渡したことから、必要性が高まっています」
イザベラやその私兵に渡した通信機は小型の指輪タイプ。
こっそり通話ができる代わりに、帝都の辺りまで離れてしまうと通信感度に不安がでてくる。
一方、ローテアド王国に提供した通信機のほうは、机の上にドスンと載せられるくらいの大きなサイズ。
イザベラと違って機械を隠す必要がないので、性能がいいものをチョイスしたそうだ。
でも、第17セカンダリ・ベースからローテアド王国のペルスヴァル要塞までは、直線距離でもおよそ2,000キロメートルは離れている。
これは、どこかに中継点を置かないと、天候条件などによっては通話が途切れてしまう怖れのある距離だという。
「と、いうことで司令官。直ちにサテライト・ベース探索任務を再開しましょう」




