9_04_他国潜入の下準備 中
「でもさ。あんたはどのみち、任務がなくても残っただろ。アンリエッタのためにさ」
俺の問いかけは、意想外な角度からの不意打ちになってしまったようだ。
一瞬、ケヴィンさんの動きが止まり、更にほんの一刹那、真顔になって俺を見て、その後で若干気まずそうに目線を横にゆっくり逸らした。
「……ふん。そいつは、どんな任務を割り当てられるか次第だったろうよ。提督にとって俺らの部隊は、ずいぶんと具合のいい駒だったろうからな」
照れ隠しかとも思ったけど、どうやらそうではないらしい。
目が本気だ。
「ずいぶん辛辣に言ってるけどさ、その割には、提督さんにずいぶんと信頼されてるみたいだったじゃん。名前もフルネームで呼ばれてたし」
「けっ。直々に呼び出されたかと思ったら、重要かつ極秘の、命懸けの偵察任務に行けと言い渡されたんだ。そりゃあ、名前くらいは覚えててもらわねえとな」
「よく言うよ。昨日の会談では、絶妙のコンビネーションを発揮してたくせに」
戦闘直後のやりとりにて、ケヴィンさんは、モーパッサン提督の求める情報を機敏に察知して、即座かつ適確に提供するという有能ぶりを見せていた。
そのおかげで、こちらもスムーズに会談に移れたし、その後の会談の流れにしたって、彼に作ってもらったようなものだった。
あの場の影の功労者は、間違いなくこの人である。
「ああ、そうだ。提督と俺は、交渉や折衝における思考やら機転やらが似通ってる。似ているからこそ、断じて馬が合わねえんだ」
こんなことを吐き捨てるように言い放つケヴィンさん。
なんというか、色々と複雑な性格をしてるらしい。
「ふん、ともかくだ。俺らは俺らで好きに動かせてもらうぜ」
「ああ、そうしてくれ。町の人たちに迷惑かけなきゃそれでいい。あんたたちのことは、ファフリーヤから皆に説明してもらってるから、大きなトラブルは起きないはずだ」
「格別のご配慮をどうも。ったく、スパイだと知ってて饗されるなんざ、本当に舐められたもんだぜ」
「では、饗しついでに、もうひとつ助力いたしましょう」
ぶつくさ言っているケヴィンさんに、ドローン編隊を解散させたネオンが、こんな提案を打ち出した。
「ローテアド王国が抱えている貿易問題に関してですが、こちらの伝手で、多少の便宜が図れるかもしれません」
「ああ、イザベラか」
「あ? 誰だ、そりゃ?」
「我々が子飼いにしている帝国の商人です。そろそろ帝都に着く頃でしょうから、物資の追加調達ができないか打診してみましょう」
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『そいつはちょっと難しいね』
ヘッドセットから、低いトーンのイザベラの声。
ネオンからの追加要求を聞いた彼女は、即座に難色を示してきた。
『ラクドレリス帝国は、遠洋貿易における競合国を徹底的に締め出してるんだよ。特にローテアドなんて、かなり昔から海洋進出して他大陸の国々と交易してるから、いわば、良い取引先を端から押さえてる目の上のたんこぶなのさ』
さすがは大商会の娘。
帝国の対外政策も、ローテアド王国が直面している問題も、しっかり把握したうえでの回答であるようだ。
『そんなところに商品を卸してるなんて知られてみなよ。いくら音に聞こえたフレッチャー商会と言ったって、軍部に目をつけられたら最期、築いた栄華が一晩で水の泡さ。賭けてもいいよ』
「そうですか。大変そうですが、頑張って物資を納入してください」
長広舌をさらりと流してしまったネオンに、イザベラが焦って声を張り上げた。
『いや、ちょっと! あたしの話を聞いてたのかい?』
「もちろんです。しかし、どうして我々が、あなたの都合を汲まねばならないというのですか?」
『んな!?』
向こうで唖然としているであろう彼女に、ネオンは静かに脅しをかけていく。
「あなたはすでに、我々が用意した大量生産の金彫刻を、芸術品だと偽って貴族に販売したのですよ。この詐欺行為にして重大な利敵行為が発覚すれば、一体どうなるとお思いで?」
イザベラが言葉を詰まらせた。
敵性国家との内通が露見すれば、外患誘致で極刑は免れない。
仮に、脅迫されていたなどの理由をもとに、奇跡的に情状酌量が認められたとしても、今度は面子を潰された貴族が黙っていないだろう。
『ちょ、ちょっと待ちなって。そりゃ、一蓮托生なのはわかってるし、協力できるならしてやるさ。けど、あたしが軍に睨まれたら、あんたらだって困るだろ!』
「そうならないよう、知恵を絞りなさいと言っているのです。この程度の難場、あなたの妹ガーネット=フレッチャーならば、容易に乗り越えてみせるのでは?」
『ぐっ……』
目の敵にしている妹の名を出され、声をくぐもらせるイザベラ。
しかし、焦りが別の感情で塗りつぶされたのか、浮き足立っていた気配が嘘のように消えていた。
『……方法は、ないこともないよ。もともと、あんたらの町に密輸する物資を仕入れるために、方々に働きかけてはいたんだ。金の採掘事業に関連した物品調達と偽ってね』
商会のコネをとことん使って、こちらの要望に答えている真っ最中だったと彼女は言う。
『ただ、仕入れる量が多くなれば、伴うリスクも比例して大きくなる。不透明な金と商品の流れが軍部に感づかれたら、間違いなく調査が入る。町から町への移動時にだって、大なり小なりチェックは必ず入れられる。扱う密輸品が増せば増すほどに、発見される危険も増えるのは道理だろ?』
帝国の軍は、国防と称して都市部から地方の町まで広域的に根を張っている。
町ごとに兵士を守衛として常駐させ、出入りする人間や、都市部への出荷物などに監視の目を光らせているのである。
実際には国防というよりも、軍部の影響力を国全体に強めたいという政治的な色合いの方が強いのであるが、だからこそ、そのチェックに引っかかってしまうと厄介なことになる。
脅しても、煽ってみても、頑なに応じないイザベラに、今回は珍しくネオンのほうが折れ曲がった。
「では、物資の種類と量は調査にかからないギリギリに抑えた上で、受け取りには我々の兵器を派遣するとすれば、いかがですか?」
『秘密裏に運搬するために、あんたらが動いてくれるってのかい?』
「購入した物資を仕入先の町の郊外まで運び出していただければ、後はこちらが人目につかないように回収します」
数秒の間があってから、イザベラはこんな返答をよこした。
『それなら、まあ、できないことはないよ。地方の町なら、都市部よりは軍のチェックも緩いからね。搬出はあたしの私兵にやらせればいいし、商会の記録も、どうとだって誤魔化せる。でも、本当に密輸物資の数量は抑えていいのかい? あんたたちの町の分だけならともかく、貿易難に陥ってるローテアドを満足させるだなんてのは、どうやったって不可能だよ?』
「……だそうですが、どう思われますか、ランソン隊長?」
「せっかくの申し出だが、その商人の言うとおり、焼け石に水でしかないだろうな」
通信を一緒に聞いていたケヴィンさんは、ネオンから意見を求められるや、冷ややかな態度でこう断じた。
「帝国軍のチェックをやり過ごせる程度の密輸規模で、ローテアド王国が求める必要量を満たせるとは到底思えん。僅かでも物資を入れてもらえるのはありがたいが、国を保たせる最低限に届かなければ、帝国に戦争を仕掛けねばならんという国の方針も動かせん」
「その帝国との戦争を前提としなければ、最低限の定義が変わるのではありませんか?」
「いや、そんな仮定は成立しねえよ。戦争に打って出ずとも、貿易船の護衛のために軍備は維持しなきゃならん。これ以上、船の積荷を掠奪されたら、保たせる間もなくローテアドは参っちまう」
話していくうち、ケヴィンさんは歯ぎしりするような険しい顔つきになっていく。
帝国による貿易妨害は、彼らの眼前に迫った死活問題なのである。
「では、貿易船が襲われない仕組みを整えさえすれば、必要な密輸物資は少なくても済むということになりますね」
「……なんだと?」
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