2_02_人ならざるもの
「ベイル=アロウナイト。あなたは現在、【第17セカンダリ・ベース】の保護下にあります」
薄暗くなった白い部屋の中。
ネオンと名乗った少女は、何をどうやったのか、空中に光る図形を投影した。
細い緑色の光の線が、何かの形をつくっている。
警戒し、顔をひきつらせた俺に、こんな説明が加えられた。
「これは立体映像です。空にかかる虹のようなもので、実体はありません。そして、今映し出しているこの画像には、あなたも見覚えがあるはずです」
緑色の線で形成された複雑な図形は、よくよく見れば、このラクドレリス帝国の地図だった。
中央に【首都クリスタルパレス】がマークされ、その南方には、俺のいた従軍予備学校が所在する【城塞都市アケドア】も印されている。
そのアケドアから南西に少し離れた、山岳地帯を抜けた先にも、赤い光点が明滅していた。
たぶんあれが、俺の今いる場所なんだろう。
「えっと、そのなんたらベースってのは、俺が落っことされた魔神の神殿のことでいいのか?」
「厳密には、その地下に隠されている大規模軍事施設の名称です」
彼女の赤い瞳が、一瞬光った。
「そして、私【NEoN】は、この軍事施設の管理者であると認識していただければ結構です」
「ずっと、ここで生活しているのか?」
混乱した頭で、間の抜けた質問をしてしまう。
もっと他に聞くべきことがあるだろうと自分でも思う始末だったけど、ネオンは至って真面目に回答を寄越した。
「私はこの基地と共に、遥か大昔から存在しています。ですが、あなたの問いには『いいえ』と答えておくべきでしょう。おそらくあなたは、このボディのことをお尋ねのようですから」
ネオンは、自らの体に視線を落とす。
俺もつられて彼女の体に目を向けて、うっかりとまた一部分を凝視しそうになり、慌てて地図に視線を戻した。
「このボディは、いわば私の分身。あなたとのコミュニケーション用に、人間を模したパーソナル・ボディを先ほど作り上げました」
「ボディ……えっと?」
「この体は作り物だということです。私は、人間ではありません」
魔的なまでの美貌のせいだろう。
衝撃的な彼女の告白を、俺は、冷静に受け止めることができていた。
「じゃあ、やっぱり君が……いや、あなたが魔神なのか?」
「情報が不足しています。ですが、私の存在がこの地の民間伝承に影響を与えた可能性は、現状では否定できません」
よくわからないけど、魔神伝説のもとになった存在とみてよさそうである。
「でもまさか、魔神が女の人だったなんて」
「私に性別はありません。ですが、円滑な意思疎通を図るにあたり、コンタクト対象とは異性体のボディを使用することが推奨されています」
「えっと、俺が男だから、女性の姿で現れたってこと?」
少しずつ、彼女との会話に慣れてきた。
わからない用語はスルーしても、要点さえ拾えればどうにかなる。
「恐怖心や不快感を与えないよう、外観や声も、対象が最も好感を得られるよう調整してあります。ですので、あなたには私が絶世の美女に視えているはずです」
「……確かに物凄い美人だけど、自分で言っちゃう?」
しかも、そんなに無感動的に言われても……
「だいたい、俺の好みなんてどうやって知ったんだ?」
「あなたの意識消失中に脳波干渉試験を行い、性的趣向を調べました」
脳波?
せ、性的趣向?
「噛み砕いて説明すれば、あなたの好みをあなたの頭に直に確認いたしました。記憶野の解析の他、複数のイメージ・データやボイス・データを電気信号として脳に直接送信し、返ってくる脳波の興奮度合いを比較しています」
ぜんぜん噛み砕かれてねえ。
「つまり、あなたの心の中を覗きこんだのです。解析には少々時間を要しましたが、現に私は、あなたの名前も存じ上げています」
そういえば、さっき名前で呼ばれてたっけ。
「それと同様に、私の顔とプロポーションは、解析したあなたの理想を体現しています。故に、絶世の美女に見えないはずがないのです」
ゾクリと、腕に鳥肌が立つのを感じた。
理想の美人に鼻の下を伸ばすより、『心の中を覗きこんだ』なんて平然と言われたことが、畏怖に近しい戦慄と、若干の高揚を、俺に与えていた。
「それで、魔人様――」
「『NEoN』とお呼びください。また、魔神と崇める必要はございません」
「……じゃあ、ネオン。君は俺に、いったい何を望むんだ?」
彼女(?)は体を自由に作り変えられて、今は俺の好みのど真ん中の姿形になっている。
ここまでは理解した。
魔神と呼ばれるような存在が、そうまでして俺と話をしようとするからには、きっと、とんでもないことを要求してくるのだろうということも。
「俺は命を救われた。水から引き揚げ、毒を抜いてもらった。その代償に、俺は一体何をしたらいい?」
「理解が早いのは良いことです」
ネオンは、やはり感情のこもらない表情で言う。
「ですが、半分勘違いしています。私は、毒素の中和などしていません」
……なんだって?
「単純な話です。あなたの体は、もともと毒素に耐えうるようにできていたのです」
空中に投影されていた地図が形を変える。
緑色の光の線は、今度は人体の輪郭を、俺の体のシルエットを形作った。
「肺から体内に侵入した毒素は、本来であれば、全身の血管を傷つけて、最後は心臓と脳を破壊するに至ります。そうなる前に肺が耐え切れず、呼吸困難で死を迎えますが……」
「それが、俺には起こらなかったっていうのか?」
ネオンは小さく頷いた。
その隣りでは、投影された俺の体に、毒素の粒子が循環している様子が映し出されている。
「この毒素とは、【生体ナノマシン】を吸収したことによる副作用のことを指します。私の任務は、ナノマシンに適応できる新人類が現れ次第、旧人類によらない国家を樹立すること」
「新、人類?」
「あなたのことですよ、ベイル=アロウナイト」
再び、投影された図形が変わった。
今度は複数、図形というより、平面の絵のようだった。
「もともと、旧人類から新人類への進化は予定されていたものです。前文明が滅んで以降、植え付けられた旧人類の文明は、かつての人類が辿った歴史を意図的になぞらされている。いずれ同じ進化を辿るのは、予定調和であったのです」
今までで一番難解な事を言われている。
絵が次々と切り替わったが、何の様子を示しているのかわからない。
わかるのは、俺の体が、他の人間とは何か違うのだろうということだけだ。
「でも、俺も最初は苦しかったぞ。肺が焼けるような痛みがあって、呼吸も全然できなくて……」
「軽微な拒絶反応……肺炎症状のようなものです。厳密には、あなたは進化過程の『成りかけ』のようですから」
……どういうこと?
「あなたは中途半端にナノマシンに適応した、中途半端な新人類、ということです」
ズバッと言い切ってくれるネオン。
そしてガクッとうなだれる俺。
こんなとこでも、俺は中途半端って言われてしまうのか……