8_07_制圧戦②/敵艦隊誘致
「定刻だ。ロラン、合図を送れ」
ケヴィンさんの命令を受けて、ロランさんが手鏡を取り出した。
海の方を向きながら、鏡面に太陽を反射させ、左右に揺らして光を送る。
「俺たちが何らかの理由で脱出を余儀なくされた場合には、この時間、この方法で合図を送ることになっている」
たかが手鏡と思うなかれ。
小さな鏡でも、その反射光は10キロ以上先まで届くと言われている。
海難事故で無人島に打ち上げられた人間が、同じく流れ着いた鏡を使って航海中の船に救難信号を送り、無事助かったという話は有名だ。
そして、合図を送った沖合には、嵐の海にも耐えられる強靱な軍艦が5隻も停泊しているという。
帝国の海軍に発見されないよう、決められた日の決められた時間にのみ、コンタクトを取れる仕組みだそうだ。
「そして、合図にはいくつか種類がある。今、ロランが送っているのは、あんたらにとって最悪のサインだぜ?」
「ええ。打ち合わせ通り、『敵への砲撃を求む』という意味の信号で構いません」
脅すような不敵さが篭った声を、ネオンはさらりと受け流す。
動じない彼女の様子に、ケヴィンさんは「けっ」と悪態をついた。
「いいんですか隊長? 友軍を騙しているようで、正直、気が引けますが」
「そう言うなロラン。俺らがボロ負けして捕まってんのは事実だ」
合図から数秒。
水平線の上で、チカリチカリと何かが光った。
「返事が来ましたね」
「ああ、救助のために、待機している全戦力を率いてくるってよ」
「5隻全部ですか。それは手間が省けます」
「ちっ、本当に動じやしねえな」
舌打ちなどしているものの、彼の目は真剣だった。
「もう一度確認させてくれ。本当に、ローテアドの兵はひとりも殺さず、武力示威だけで降伏を引き出せるというんだな?」
「あなた方で実践してみせたとおりです。多少の怪我人は諦めていただきますが、死者は出しません」
緊迫感のあるやりとりに、隊員たちの間にも緊張が走る。
そこに、シルヴィから報告が入った。
『ローテアド海軍が動き出したわ』
報告とともに、小型の飛翔ドローンが俺たちの前に飛んできた。
機体の天辺から立体映像のモニター画面を投影し、艦隊の様子を映し出す。
『3本マストの大型艦が1隻と、2本マストの護衛艦が4隻、まっすぐこの海岸を目指してるわ』
画面上では、見渡すかぎりの大海原に、大きな黒い軍艦が5隻、帆に風を受けて敢然と航行している。
一番大きな3本マストの艦が、彼らの母艦である旗艦インゲボルグ。
広い甲板上には、筋骨隆々とした海兵たちが犇めいて、危機に陥った味方部隊を救わんと気勢を上げていた。
他の4隻の護衛艦は、旗艦インゲボルグの左右に等間隔に広がって、一糸乱れぬ艦隊行動をとっている。
なかなかの壮観だ。
「おい、こりゃあ……」
一方、愕然とその画面を覗きこんでいるケヴィンさんたち。
見たこともない技術を前に、目を見開いて固まってしまった。
「望遠鏡から見てる景色、だとでも思ってくれ」
一応の説明をしたところ、隊員たちがどよめいた。
「宙に浮く望遠鏡だと?」
「いや、それよりも拡大率だ。こんな位置から、ここまで大きく、鮮明に……」
厳密には遠距離撮影じゃなくて、艦隊付近に飛ばしたドローンによる空撮映像なんだけど、詳しく話しても混乱させるだけだし、言わないでおく。
「それにしても、ローテアド王国も凄いな。こんな大艦隊を、この隠密作戦のために動かしているなんて」
5隻もの軍艦は、本来ならば貿易船を護衛したりと、種々の重要任務に割り振られている戦力のはず。
しかも、貿易船の数にも足りていないギリギリ以下の軍備でしかないはずなのだ。
なのに、ローテアド軍はその虎の子の艦隊を、この作戦に惜しげもなく投入した。
これは、彼らが帝国との戦いに、国の総力を傾けるつもりであることの証左に他ならない。
「従来の航路は帝国海軍に封じられ、南の陸路はベルトン王国と折り合いがつかなくなっている。こうする以外に、俺たちローテアドが生き残る術はねえんだよ」
強く歯軋りするケヴィンさん。
歪ませたその顔に、濃い怨色が滲んでいる。
「おそらくですが、本番を想定した予行演習でもあるのでしょう」
この艦隊編成には、帝国軍との戦闘に備えた実戦訓練の意味もあると、ネオンは推察した。
「帝国を攻撃するにあたり、ローテアド海軍は西海岸から強襲部隊を上陸させつつ、北のカンタール港を海から攻める二面作戦を取るはずです。操船術に限ってはローテアドに一日の長がありますから、全海上戦力を投入した湾岸戦であれば勝機を見いだせます」
つまり、全艦を率いての艦隊行動に慣れておくことで、少しでも自軍の勝利を引き寄せようという魂胆もあるというのだ。
この推測を、ケヴィンさんは大筋で認めた。
「……その通りだ。艦隊が北側で派手に暴れれば、帝国の戦力を港に集中させられる。その間に、西側からラスカー山地を越えた別働隊が、南部の城塞都市アケドアに奇襲をかける。帝国軍閥どもの巣窟であるアケドアを叩き、その何人かでも人質に取れれば、敵軍に少なからぬ動揺を与えることができるはずだ」
混乱に陥った帝国軍を海軍艦隊が打ち倒し、別働隊は、アケドアを攻略したその足で、一気呵成に首都クリスタルパレスまで攻め上がる。
それがローテアド軍の立案した作戦であり、唯一の勝利の方程式だと、彼は語った。
「ずいぶん無茶な作戦を立てるんだな。リターンは確かに大きいだろうけど、リスクだって途轍もないぞ?」
荒野と山脈を越える強行軍からの、難攻不落の城塞都市攻略。
そこから更に帝都に進攻しようだなんて、正気の沙汰とは思えない。
「無茶は承知してるさ。だが、その無茶を無理矢理にでも通さねえと、俺たちみたいな小国家に勝ち目はねえ。長引けば、南のベルトン王国だってローテアドを攻めてくる。奇襲による短期決戦をおいて他に、有効な手段がねえんだ」
悲壮ともいえる臨戦の決意。
彼らローテアドの軍人は、この心境を全員で共有している。
甲板上の海兵の精悍な顔つきからも、決死の覚悟が伝わってくる。
「ケヴィン、来たわ」
ずっと海を監視していたアンリエッタが、隊長に報告した。
実は偵察部隊の優秀な『眼』であるというアンリエッタ。
水平線の向こうから、ぼんやりと艦影が見えてきたそうだ。
部隊員たち全員が、彼女の見据える方角を険しい目つきで眺めている。
『敵艦隊、射程に入ったわよ』
その目が、ぎょっとこちらを振り向いた。
「射程だと! まだこんな遠距離なのにか!?」
『たかだか10数キロなんて、目と鼻の先じゃない。ネオン、もう撃っていい?』
「向こうの大砲が届く距離まで待ってあげましょう。『近づけていれば勝てた』などという幻想を抱かれても面倒です」
『そうね。手も足も出ないより、手も足も出したのにダメだったっていうほうが、心をポッキリ折れるものね』
半ば楽しげな雰囲気さえ醸しているAIふたり組に、ケヴィンさんたちはあらゆる意味で引いていた。
「こいつら、これを本気で言ってんのか?」
「見てればわかるよ。そのうち、こっちも感覚が麻痺してくるから」
「……おまえも、本気で言ってんだよな?」
本気も本気、大真面目だよ。
『向こうも望遠鏡でこっちを見てるわ。海岸線の布陣とか、捕虜の様子を覗いてる』
「再確認します、ランソン隊長。艦隊への合図は『砲撃支援の要請』だったのですね?」
「あ、ああ、打ち合わせ通りにな。人質がいるからって、初手交渉とはならねえよ」
「わかりました。では、こちらも予定通り、場所を移動しましょう」




